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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
桜の姫君
46/109

桜の姫君 5

  5


 イオリとミナギは、野原の真ん中あたりにぼんやりと立っている。


 遠くには彼らの生まれ故郷、ロスタムの町がうっすらと見えていた。

 イオリはその影を見るたび、あそこにはもう戻れないのか、と考えて感傷的な気分になるが、ミナギのほうはもう未練などないという顔で、町には視線も向けなかった。


 ではどこを見ているのかといえば、野原でごそごそと蠢いている人間たちである。


「あれは、なにをしているの? 身分の低い人間独特の遊びなのかしら?」

「さあ、よくわかりませぬが、なにか策あってのことと思います。あの男、決して無能ではございませぬ」


 あの男、というのはもちろん大輔のことだった。


 イオリは、まだ大輔がどういう人間なのかよくは知らない。

 しかし普通の人間でないことはすでに見抜いていた。

 町で煙玉を使ったときの反応を見れば、だれでもわかる――この男は戦いに慣れている、と。


 見たところ、武器も帯びていなければ、さほど剣呑な顔でもない。

 態度もやわらかく、日ごろから命がけの戦いを繰り返している人間独特の殺伐とした気配もなかったが、大輔はイオリの指示に理想的な行動を、つまり煙が上がると同時に仲間を連れて町の外へ撤退するという複雑な行動を完璧にこなしてみせた。

 ただそれだけでも普通の人間にできることではない。

 おまけにイオリがそのことを囁いたのは、煙玉を投げるほんの数秒前だったのだ。


 大湊大輔という男はただ者ではない。

 イオリはそう感じたからこそ、彼に協力を要請したのである。


「わたしには、あの男が有能には見えないけれど」

「実力はまだわかりませぬが、決して役立たずではないかと」

「あの男があなたたち四士と同等の力を持ってるっていうの?」

「いえ、そこまでは――ダイスケ殿、なにをなさっておるのだ」


 大輔は草むらから顔を上げ、にっと笑った。


「罠を張ってるんだよ」

「罠、でござるか」

「正々堂々戦うしかないときもあるけど、罠を張ってどうにかなるときもある。今回は後者だな。さ、下準備は完成、と。そっちはどうだ、七五三!」

「できたよー」


 すこし離れた場所から声がある。そこには燿、紫、泉の三人がいて、大輔同様、地面に這いつくばるようにしてなにか作業をしているようだった。


「よし、じゃああとは実行するだけだな。それはもうちょっとあとにしよう。一旦休憩だ、死ぬほど暑い」


 大輔はイオリとミナギが並ぶ場所まで戻ってきて、そこにどかりと腰を下ろした。


 たしかに今日は炎天下、しかも双日で、気温はぐんぐんと上がっている。


「大丈夫でござるか、ダイスケ殿」

「まーなんとかね。こっちへきてから体力不足が深刻だよ。しかしまあ、これで一旦準備は終わりだ」


 燿たちもよたよたと戻ってきて、息をつきながら腰を下ろした。


「せんせー、あとでちゃんとできてるか確認してよね」

「わかってるよ。ま、大丈夫だと思うけどな。おまえたちもこっちにきてからかなり成長してるし」

「ほんとに? やったー!」

「ダイスケ殿、作戦のことだが」


 とイオリが言うと、大輔は上半身を起こし、イオリを見上げた。


「おう、その話か」

「いったいどんな作戦にしようというのでござる。こうしているあいだにも兄上たちはわれわれを捜索しておるだろうし、いまのうちにできるだけ距離を取っておいたほうが」

「いや、それよりも迎え撃つほうがいい。相手の勢力がわからないなら逃げるが勝ちだけど、向こうがどういう形で追ってくるのかわかってるなら、さっさとそれを排除したほうが楽だ。とくにきみの兄上さえ取り除けば問題ないとなればね」

「ふむ、そうか――しかし兄上は強いぞ」

「こっちだって弱くはない。だろ?」


 大輔はイオリを見て、にっと笑った。


 大湊大輔という男は不思議な男だ、とイオリは思う――おそらく智謀に自信があるのだろうが、そういう人間にありがちな、他者を見下すような、なにもかも自分の思い通りに進むのだとでもいうような傲慢が感じられない。

 まじめな顔で考え込んでいるかと思えば子どものような顔で笑う、そういう男なのだ。


「大丈夫、ぼくの作戦に隙はない。なにしろぼくは超絶大てん――」

「イオリさん、でしたっけ」

「む、なんでござるか、ユカリ殿」

「このあたりには魔法使いは――異世界人はいないんですか?」

「魔法使い? はて、聞かぬ呼び名だ。異世界人というのも聞いたことがない」

「聞いたことがない? それじゃあずいぶん周囲との交易がすくないんですね」

「うむ、このあたりは昔からなにもないのでござる。だからこそ、平和を保ってこられたのだ」

「せんせー、元気出してよ。無視されることくらいあるよ」

「うう、七五三、おまえ実はいいやつだったんだな――」

「ダイスケ殿、それで、作戦の詳細でござるが」

「あー、わかってるよ。いまから説明する。でも、その前に、イオリ――いや、お姫さまのほうでもいいんだけど」


 そう言って、大輔はふたりに向かって手を差し出した。

 イオリとミナギは顔を見合わせ、首をかしげて、差し出された大輔の手のひらを見る。


「なんでござろう」

「金をくれ」

「は?」

「金だ」


 大輔は差し伸べた手で金をせびっているのである。


「だ、ダイスケ殿、金とは――」

「所詮、身分の低い平民だということね」


 ミナギは軽蔑の視線を大輔に向け、ふんと鼻を鳴らした。


「イオリ、こんな男に頼るのは間違いだったのよ。どうせ金のことしか考えてないんだわ」

「し、しかし、姫さま、われわれふたりでは、追っ手を巻くのは――」

「きみたち、誤解してもらっちゃ困るぜ」


 大輔はにやりと笑って、ちょいちょいと手招きする。

 そして近づいたふたりに、自らの考えを囁いた。


 イオリは話の終わりになるまで、大輔がなにを言いたいのかわからなかった。いや、話を最後まで聞いても、充分理解できたとは言いがたい。

 そもそもそれが「作戦」と呼べるものなのかもわからなかった。


「ダイスケ殿、本当にそんな方法でどうにかなるものでござるか」

「もちろん。いいかい、イオリ、勝ちにこだわる兵法の基本は、多勢に無勢だ。敵がひとりなら、こっちは十人でかかる。敵が三人ならこっちは三十人でかかる。そうすれば確実に勝てるし、一対一を十回繰り返すよりもすくない犠牲で済む。しかし状況的に多勢に無勢が不可能な場合、いちばん重要になるのは、自分の陣地で戦うことだ」

「自分の陣地、でござるか」

「自分の場所、というのかな。ま、ここなら自分なりの戦い方ができるだろうってところだな。簡単に言えば、水のなかが得意なら陸上では戦わない。反対に陸上が得意なら水のなかでの戦いは絶対に避けるってこと。自分が得意な場所、戦い方に、いかに相手を引き込むか。これが問題になる」

「ふむ、なるほど」

「そこからさらに考えを押し進めると、自分にとって余裕がある状況での戦いを選ぶ、ということになる。戦いってのはね、イオリ、戦う前から勝敗が決しているものなのさ! いや、決まったね、実にいい名言だった」

「その最後の一言さえなければ格好よく終わったのに……」


 泉が思わずというようにぽつりと呟いた。

 紫に至っては、はじめからそっぽを向いて話を聞いていない。


「相手の不意を打つ。これぞ大湊流兵法の基本だ。方法はなんでもいい、とにかく相手の予想外の行動を取る。それだけで次の行動の幅がぐんと広がるんだ。戦いのなかで行動に迷ったら、どう動けば行動できる範囲が広がるかって考えればいい。実際にその行動に意味があるかどうかは考えないで、ただ相手に与える影響だけを考える」

「なるほど、勉強になるでござる。ダイスケ殿は、兵法の専門家でござるか」

「いやいや、ぼくはただの天才さ。尊敬してくれてもいいよ。というわけで、金をくれ。相手の不意を打つのにどうしても必要なんだ」

「う、ううむ、姫さま、いかがなさいますか」


 ミナギは腕を組み、眉をひそめて大輔を見た。


「この平民が言うことは理解できたわ」

「その平民呼びをできればやめてほしいなあ……」

「平民を平民といってなにが悪いの? わたしは姫なんだから、あなたたちみたいな平民は平民と呼ぶのよ」

「う、そこまで言いきられると困るけど」

「で、このド平民が言うことは理解できる」

「ドがついたけど!?」

「ただ、個人的にこのド平民が気に入らないわ」

「しかも悪口を重ねてきた!? 本物のお姫さまだかなんだか知らないけど、パンチが効いた性格してるなあ――でも、どうしても必要なんだよ。そりゃあ、どうしても金が出せないっていうなら、適当に襲撃して強盗的に奪っていってもいいけど」

「ばかね、あなた。ロスタムはわたしの国よ。ロスタムに暮らしている人間はわたしの国民なの。よその人間が傷つけていいと思ってるの?」


 ミナギの目がぎらりと輝く。

 あながち冗談でもないような目つきに、大輔はふむとうなずいた。


「じゃ、金をくれ」

「なにかそれ以外に言い方はないの?」

「ああ麗しき姫さま、どうか貧しい平民に幾ばくかのお金を恵んでいただけませんでしょうか」

「ふん、まあ、いいでしょう」

「それでいいのかよ。いやまあ、ぼくとしても金をもらえればそれでいいけど。よし、じゃ、さっそく行動をはじめよう。やるとなったらできるだけ早く決着をつけたほうがいい」


 イオリは、本当にこれで大丈夫かな、とかすかに首をかしげた。

 しかし単独で戦うことは不可能なのだから、いまは大輔に頼るしかないのである。



  *



 ロスタムの王ジライヤは、ミナギがいなくなったという一報を聞いたときからそれを主導しているのはミナギ自身だろうという予感を抱いていた。


 なにしろミナギは、ある意味では自慢のおてんば娘である。


 それに対していっしょに姿を消したというイオリは忠実な男で、決して主君を裏切るような男でないことはジライヤも理解している。

 ましてやミナギを誘拐するなど考えられないことだ。


「まあ、穏便に、穏便に」


 ジライヤはイオリの兄弟にあたる四人衆、イオリが抜けたいまは三人になっているが、彼らに指示した。


「なにも問題にするようなことはない。町民に知らせる必要もない。おそらく、単なるミナギの気まぐれにイオリが付き合っておるのだ。ことが大きくなってはイオリも帰順しづらくなるだろう。ことは穏便に、穏便に」

「はあ」


 と四人衆の長男マサルはうなずいたが、


「しかし、いかなる理由があっても王家に仇なすとは四人衆の恥でござります。必ずひっ捕らえ、再び教育しなければなりませぬ」

「まあ、まあ、マサル、そう深刻に捉えることはないのだ」

「しかし、殿」

「これは散歩だよ、言うなれば」


 ジライヤは脇息にもたれかかり、ちいさく息をつく。


「ミナギは散歩に行っておるのだ。イオリはミナギ付きの近衛兵として、当然それに付き添っておる。しかしふたりの帰りが少々遅いため、捜索隊を出すのだ。したがって、町中では決して争うなよ。また、ミナギなりイオリなりが帰順するというならすぐに受け入れよ」

「あくまで抵抗してきた場合には?」

「その場合には――まあ、ミナギは一度連れ戻し、なぜこのようなことをしたのか理由を聞かねばなるまい。イオリもなるべくなら傷つけずに確保したいが、どうしても抵抗が激しい場合は、多少の怪我も仕方ない。とにかく、できるだけ穏便にことを運び、終わらせよう」


 マサルには不満もあったが、王であるジライヤが言う以上、それに従うしかない。

 マサル以下三人は深く頭を下げ、命令を受けれいて、その場を辞した。


 王の謁見室を出てすぐ、三男坊のムサシがマサルに食い下がった。


「兄上、まさか本当に穏便に済ますつもりじゃないだろうな? おれはあいつを許さねえぜ。なんとしても捕まえて、もう一回おれたちの役割ってもんを教え込んでやらなきゃならねえだろ」

「むう、おれもそうは思うが、しかし殿がああおっしゃる以上、われわれ四人衆はそれに従うしかあるまい」

「ですが、兄上」


 次男のマサムネは、いつものように冷静な口調で言う。


「今回のことはミナギさまとイオリのふたりだけで計画なされたのではないように思われますが。兄上は、イオリと行動を共にするよそ者をごらんになられたのでしょう」

「そうだ。あいつらの問題もある。つい、殿には言いそびれたが――ただ姫さまの命令に従っただけなら、あのよそ者はなんだったのだ。やはりイオリはなにかを企んでおる。あのイオリがなぜ、という気はするが、しかし事実として見せつけられてはな」


 マサルもどこか怪訝な顔をしていた。


 この三人に、四男のイオリを加えた四人衆は、このロスタム王国の最高戦力だった。

 四人さえいれば数百の兵士にも勝り、まただれよりも王家に忠実で、裏切りなど決して考えられない――そんな四人衆のひとりが、姫を誘拐したのだ。


 ジライヤ王の指示どおり、町民にはまだなにも知らされていない。

 しかし兵士たちはミナギ捜索に駆り出されたこともあって、事情のいくらかを知っている。

 しかしその話を聞いても、だれも最初は信用せず、あのイオリ殿がまさか、と笑っていたほどだった。

 それほど兵士たちのなかでも四人衆は特別な存在であり、ある意味では憧れの的だった。


 だからこそ、この落とし前はつけなければなければならない、とマサルは考える。

 四人衆は代々王家に使えた「守護神」である。

 その守護神が王家を裏切るなどもってのほかで、戦となれば率先して盾となり、最後のひとりになっても王家のために戦わなければならない立場なのだ。

 イオリもそれを知らないわけではあるまい。

 知っていて裏切ったというなら、なお悪い。


「とにかく、だ」


 マサルは歯噛みするように言った。


「イオリを捕まえ、なぜこんなことをしたのか聞かねばなるまい。イオリが相手になれば、一般の兵士ではどうにもならん。さっそくおれたちが出てイオリを探すか」


 とマサルが言ったとき、廊下の正面からどたばたと走る足音が聞こえてきた。

 マサルはむっと眉をひそめ、


「走っておるのはだれだ、殿に聞こえるぞ!」

「あっ、ま、マサルさま」


 足音が角を曲がり、三人の前に現れた。


 まだ兵士になって間もないような若者である。

 それが焦りもそのままにどたばたと駆けてきて、マサルの前に跪く。


「どうした、なにかあったのか?」

「は、それが、その、状況はよくわかっていないのですが――」

「落ち着いて報告しろ。おまえが焦っても仕方ない」

「も、申し訳ありません――いま、門番からの報告があり、城の前に奇妙な四人組が現れたと」

「奇妙な四人組? なんだ、それは」

「詳しいことはわかりません――とにかく、信じられないほど派手な格好をした四人組が現れ『犯行声明』を読み上げているのです」

「犯行声明だと?」


 マサルは思わず弟ふたりと顔を見合わせた。

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