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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
桜の姫君
42/109

桜の姫君 1


   万象のアルカディア



  0


 わたしが嫌いって言うもののほとんどはほんとに嫌いだけど、なかには好きなものもあるのよ。

 それくらい家臣なら気づきなさい。


 ――スオウ・ミナギ



  1


 檜の廊下に、騒がしい足音が響いていた。

 それは廊下の左右からやってきて、なにもない壁の前で合流する。


「見つかったか?」

「いや、いない。もう城の外へ逃げたのかもしれんぞ」

「まさか。ついさっきまで女中が姿を見てたんだ。まだ城のなか、それもこのあたりにいるはずだ。人員を増やしてでも探せ! 町へ出る前になんとか見つけるんだ」


 足音はまた左右へ分かれていく。

 それがずいぶん遠ざかり、やがてまったく聞こえなくなったあと、なにもなかったはずの壁がくるりと反転し、そこから若い男と、その腕に抱かれた若い女が忽然と現れた。


 男は慎重に廊下の左右を窺い、だれの姿もないことを確認する。一報女のほうは、男の腕に抱き寄せられながら、なんとなく不機嫌そうに眉をひそめていた。


「ちょっと、いつまでこうやってるつもり?」

「はっ――も、申し訳ありませぬ! これは、ご、ご、ご無礼を」

「別にいいけど」


 女はぷいとそっぽを向き、すこし乱れた髪を直す。そのあいだにも男は周囲の探索を終え、だれもいないことを確認して、女の手にそっと触れた。


「では、行きますよ、姫さま」


 ふたりは足音を殺して廊下を進み、やがて影もなく、広い城のどこかへと姿を消した。



  *



 今回はずいぶん長い放浪だった、と大湊大輔は深々と息をついた。


 前に人間の姿を見たのは農家の少年ルネと雲の上にある町を探検したときで、それはもう数ヶ月前の出来事である。

 それからというもの、あてもなく、とにかく町を目指して歩いていた大輔たち四人、すなわち大湊大輔、七五三燿、神小路紫、岡久保泉の四人だったが、どんなちいさな集落とも出会うことなく、野宿、また野宿を繰り返し、ひたすら歩いてきたのだ。


 そのあいだ、いろいろなことがあったような、と大輔は半ば旅の終わりのような気持ちで思い返す。


 地球には存在しない、新世界の奇妙な生き物をたくさん見たし、山をいくつか越え、森を抜け、谷を越え、退屈と戦いながらひたすら歩き続けてここまでやってきた。


「……いろいろあるような気がしたけど、別になにも思い出せなかったな」


 しかしまあ、そんなことはもう終わった話なのだ。

 大輔はまっすぐ前方を見る。


 大輔たちが立っているのは、無限に広がるような野原である。


 地球の高山植物に似た、あまり背が高くない植物が青々と生い茂り、ところどころには白や黄色のちいさな花が咲き、まどろむような爽やかな風が抜けていく野原だ。

 そのずっと先に、まだちいさな影としか見えないが、どうやら町のようなものがある。

 数ヶ月ぶりの町、数ヶ月ぶりの人間だった。


「ほんと、ここまで長かったですよね」


 神小路紫も感慨深げに呟く。


「先生からの数々のセクハラに耐えながら、われながらよくここまで歩いてきたものだと思います」

「そうそう、ぼくからの数々のセクハラを――してないわっ。一回たりともしてないわ。語弊どころか誤解しか招かない嘘はやめなさい」

「ねーねー、今度はどんな町かな?」


 燿はすでに町に意識が向いているらしく、瞳をらんらんと輝かせて大輔の腕を引っ張る。


 今度の長い放浪生活でも、燿は常に前向きで明るかった。ここまで歩いてこられたのは燿の性格に助けられたところも大きい、と大輔は考えている。

 もし燿が、こういう底抜けに明るく前向きな人間がいなければ、放浪は暗くつらいものになっただろう。

 なにしろどこへ向かうのかもわからず、このまま歩いていればどこかにたどり着けるという保証もないのだ。

 雰囲気が暗く、重たいものになるのは仕方のないことだった。


 しかし燿は、常にその名前のとおり光のようにあたりを照らし、つい重たくなりがちな雰囲気を蹴散らしてくれていた。

 もしその光がなかったら、と思うとぞっとするほど、燿の役割は大きい。


「ま、いちばんの功労者はもちろんこの大天才おおみな――」

「あっ、ねえ、なんかいい匂いしない?」

「ほんと。どこからかな?」

「あっちっぽいよ。行ってみよ!」

「……いや、いい加減こういう扱いにも慣れたけどさ。おいおまえら、走って転けるなよ。なにがあるかわからないんだからな」

「はーい」


 大輔は駆け出した三人娘の背中を追って、とぼとぼと歩き出す。


 いい匂いというのは、たしかに大輔も感じているところだった。

 爽やかな、柑橘系にも似た匂いだが、周囲にそういう木があるようには見えない。

 おうとつがある野原には木は一本もなく、ただ緑の絨毯が続いているだけなのだ。


 燿たちは風上に向かっていた。

 そこに、ちいさな白い花をつけた植物が一塊になって群生している。

 どうやら匂いはそこから発せられているらしく、燿は花の一輪をちぎり、そっと匂いをたしかめた。


「んー、いい匂い。なんの花かな?」

「かわいい花だね」


 泉もにこにこと笑いながら、燿がもぎ取った一輪を眺めた。

 大輔もそれを後ろからひょいと覗き込む。


 直径二、三センチのちいさな花である。


 花びらよりひと回りちいさく赤く円の模様が入っていて、たしかに小作りだが愛らしい花だった。


「ちいさい花のわりには匂いが強いな。地球にはない植物だ。ううむ、これも地球に持って帰ればそこそこの値段で売れるだろうになあ」


 もっとも、新世界の植物を地球に持ち込むこと、あるいはその反対は、国際法で厳密に禁じられている。

 現地の生態系を守る、という意味だ。

 動物のやり取りも同様に禁止されているから、新世界に生息する奇妙な固有生物を見るには、やはり新世界にやってくるしかないのだ。


「ねえねえせんせっ」


 燿は一輪をきゅっと耳に挟んで、大輔を振り返る。


「どう、似合う?」

「あー、似合う似合う。超お似合い」

「むう、なんかてきとー」

「そんなことないって。ほんとに似合って――ぷぷ――似合ってるよ」

「いまぷぷって笑ったじゃん!」

「笑ってない笑ってない。マジでにあ――へへ――似合ってるって。いやあ、まるで雑誌の拍子を飾るモデルのようだなあ、美して目眩を起こしそうだよー」

「完全に棒読みだし、ぜんぜんちがうとこ見てる! もー、先生のばか! いいもん、どうせ先生にはわかんないよ。先生、美的センスゼロ人間だもん」

「おっとこいつはぶっこんできたな。このぼくを捕まえて美的センスゼロとな? あっはっは、片腹痛いわ。なにを隠そうぼくは学生時代、原宿で某雑誌のモデルにスカウトされたことがあってだな」

「ねー早くあの町に行こうよ。どんな町か見てみたい!」

「たしかに、早く休みたいわね。先生の死ぬほどどうでもいい話を聞いている時間がないのは悲しいけど」

「う、ね、ねえ、さすがに先生、ちょっと寂しそうな顔してるよ? ねえ、先生の話聞いてあげようよ、ぜんぜん興味なくても」

「岡久保、それはフォローになってないぞ」


 大輔は深くため息をつく。


 新世界にきてから、いったい何度目のため息だろう。

 ため息をつくと幸せが逃げていく、ともいうし、いったい自分に残された幸せはあとどのくらいなのだろう、そして逃げていった幸せはだれに吸収されているのだろうと考えると悲しくなってくる。


 しかし、早く町に行こう、という燿の意見には賛成だった。

 大輔もさすがに、全身が鉛のように感じられるほど疲労がたっぷりと溜まっている。

 いっそこのまま泥のように眠り込みたいくらいだったが、せめて町で宿を確保するまでは、もうひとがんばりしなければならない。


 白い花畑を抜け、野原の彼方に見える町へ向かって歩きはじめる。

 さすがに目標が見えているせいか、四人の足取りは軽く、とくに燿はスキップしながら野原を進んでいた。


 やがて、町の姿が大きくなり、はっきりとその様子がわかるようになる。


「わあ、なんかお城があるよ!」


 町の奥に見えるその大きな影に、燿が声を上げた。


 それはたしかに城だった。


 西洋ふうの城ではなく、天守閣を備えた戦国時代ふうの和城であり、黒々とした瓦、白く塗られた壁が、新世界の夏の日差しにきらきらと輝いていた。


 城が和風なら町もまた和風かといえば、不思議とそんなことはない。

 町の入り口をくぐって周囲を見回してみると、民家の一階部分は赤レンガで作られ、二階部分は木造になり、屋根は瓦だった。


「はあ、変な和洋折衷だな。建物も、格好もそうだ」


 新世界の町には、それぞれ独自の流行があり、伝統がある。


 どうやらこの町の伝統は和装と洋装の折衷らしく、道行くひとびとはみな和服のように一枚のきらびやかな布をまとっていたが、頭にはちょこんと洋風の帽子を載せ、女は羽根つき、男はシルクハットというのがこの町の流行ないし現在のスタンダードらしかった。


「わあ、すごい! なんか昔の日本みたい。でも格好はみんなかわいー」


 燿は瞳をくるくると動かし、見たこともない町に声を上げる。

 一方、紫はもうすこし冷静で、怪訝そうな顔で大輔に言った。


「先生、ちょっとおかしくありません? 新世界なのに、日本とこんなに近い文化があるなんて」

「まあ、新世界だから、かもしれないけどな。文化っていうのは植物と同じで、どう進化するのか、わかるようでわからない部分が多い。気候や周囲で産出される鉱物にも左右されるし、もちろん他国との関係や宗教も関係してくる。日本は日本の風土だからこそあんなふうに文化が進化したわけで、ここももしかしたらそれと似たような環境や状況にあったのかもしれない」

「それだけで、こんなに一致しますか?」

「ふむ、じゃあ、もうひとつ神小路のお気に召す仮説を披露しよう。もしかしたらここには、日本人がいたのかもしれない」

「日本人が、いた?」


 紫はじっと大輔を見上げる。

 大輔がしてやったりという顔で笑うと、紫はむっと眉をひそめて、


「いいです、それ以上説明しなくても。なんていうか、すごくむかつきます」

「遠慮すんなよ、先生が教えてやろうじゃないか。さあ、教えを請うのだ。先生、どうか教えてくださいと言うのだ!」

「わっ、なんかかわいいのが売ってるよ! ね、見に行こうよ」

「そうね、ちょっと覗きましょうか」

「わーい!」

「あの、その、まあ、別に教えを請わなくても話してやらんことはないっていうか、あの、神小路さん、いや、ゆかりん、どうかぼくの話を聞いてくれやしないだろうか」

「次ゆかりんって言ったら全身の急所という急所に一撃ずつ喰らわすから。なんですか、どうしてもって言うなら聞いてあげてもいいですけど?」

「ぐ、ぐぬぬ、ついさっきまで優勢だったはずなのになぜこうなったのか……いいかい、日本人がいたかもしれないっていうのは、まあ考えてみれば当たり前のことなんだよ」


 四人はその場所を、町の入り口からすぐ近くにあった髪飾りやら服につける装飾品やらを売っている店へ移す。


 そこは四十がらみの女主人が切り盛りする店らしく、ほかに客はいなかったが、女主人の愛想のいい笑顔が四人を出迎えていた。


「新世界と地球を結ぶ扉は、昔から世界各地にあった。まあ、そのほとんどは政府の管理で、日本でいうなら現政府の扉の管理は江戸時代の中央集権的な幕府からそのまま引き継がれたものだけど、そういう権力のあり方がいまよりも限定的だったころは、扉の管理ももちろんいまより杜撰だった。だから戦国時代くらいに日本人がこの新世界へやってきて、そのまま新世界に居着いたってことも充分に考えられる。その人間は当然、日本にいたころの知識もあった。それが色濃く残っている地域が存在していてもおかしくはない。言ってみれば、新世界版オーパーツみたいなもんさ」


 そこまで言って、大輔はふと、あることに気づいた。


 オーパーツ、すなわちその時代にあるはずのないものが発見されるというのは、新世界では比較的あり得ることだ。

 なぜなら、地球は新世界に比べて文明レベルが高く、新世界ではまだ発明されていないもの、発見されていない概念が地球にはいくつもある。

 地球からそれを持ち込めば、新世界にとってはそれがオーパーツとなるわけだ。


 そこまでは、従来地球でも言われていたことである。

 しかし同時に、その逆はあり得ないとも言われていた。


 つまり、地球のオーパーツは、新世界からもたらされたものではない、と。


 なにしろ新世界の文明は地球よりも未発達なのだから、新世界から地球へなにかが持ち込まれたとしても、それは過去の遺物にはなっても未来の遺物にはなり得ない。

 そのはずだったが、大輔は、この新世界に、かつて想像を絶するような文明があったという事実を知っている。


 はるか上空に築かれた魔法都市は、科学と魔法のちがいはあれど、明らかに地球文明を凌駕していた。

 そこで作られたものが地球へ持ち込まれたとすれば、充分オーパーツになり得る。


 もっとも、その時代から新世界と地球をつなぐ扉があったのかはわからないし、地球で発見されているものがすべて新世界から持ち込まれたものだという証拠もない。

 それはただの推測にすぎないが、現実味がある推測だった。


「つまり、ここはかつて新世界へやってきた日本人が作った町ってことですか?」


 紫は棚に置いてあった赤い髪飾りを持ち上げながら言った。


「それも可能性のひとつってことだ。偶然説も否定はできない。そもそも生物進化には適応と理想化があるわけだ。適応っていうのは、ま、単純にいえば暑いところで暮らしてる生物の体毛は短くて、寒いところで暮らしてる生物の体毛は長いってなもんだな。一概にそう言えるわけじゃないけど、ひとつの例としては、そういうことだ。ただ、その適応にはもうひとつ解釈があって、それは生物の理想化だ」

「理想化?」

「進化の捉え方の問題だよ。進化はその場しのぎの生存戦略か、あるいは種としての完全性、すなわち理想を追求しているのか。その場しのぎの生存戦略の場合、ある環境には適応しても、別の環境には適応できない。でも双方の環境に適応できるようになれば、生物として完全に一歩近づくわけだな」

「はあ、なるほど。暑いのも寒いのも大丈夫な生き物になるってことですね」


 うんとうなずく大輔のとなりで、泉はなんとなく羨ましそうに大輔と紫のやり取りに耳を傾けている。

 燿はといえば、ふたりの会話などまったく眼中になく、かわいらしい小物類に夢中だった。

 ひとつひとつ取り上げては、かわいいを連呼している。

 女主人は、それを微笑みながら見守っていた。


「たとえば、地球にはクマムシっていう微細な生き物がいる。いろいろなところで最強云々といわれる生物だけど、これは仮死状態になり、代謝をしなくなることで様々な状況をやり過ごせるわけだ。それも一種の生存戦略で、ただ、クマムシは衝撃に強いわけじゃないから、宇宙空間にそのまま晒しても死なないけど、なにかで押し潰せばすぐに死んでしまう。つまり衝撃に対する適応ができていないわけだ。もしそれにも適応できれば、クマムシはほとんどの状況で死を免れる、つまり生物としての理想形になり得るってことだ。ただ、生物の進化がどれだけ進んでも、そうはならないって可能性もある」

「そうはならない可能性?」

「地球に限っていえば、地球の環境は場所に違っていろいろあるだろ。寒い場所もあれば、暑い場所もある。たとえば南極に暮らす生物が、赤道直下の環境に適応する必要はまったくないわけだ。それがいわゆる生物の多様性だけど、もしあらゆる環境に適応した究極の生物がいるのだとすれば、その生物はあっという間に他の生物を駆逐し、地球上を単一の種で埋め尽くすだろう。つまりなにが言いたいのかっていえば、生物の進化が究極の生命体に向かうなら、どんな過程を通っても、必ず同じものになるだろうってことだ」

「はあ、なるほど――答えはひとつしかないってことですね」

「ま、そういうことだな。文明に関しても同じだ。文明の進歩が理想へ向かうかぎり、それらの文明がたとえどんな環境であったとしても、行き着く先は必ず一致する。地球と新世界、まったくちがうふたつの世界で文明や生物の進化が似通っているのは、もちろん環境が酷似しているせいも大いにあるだろうけど、地球文明と新世界文明が同じ方向へ向かって進んでいるという可能性も考えられる」


 まあ、と大輔は腕組みして、


「究極の生命体、文明という答えがひとつとは限らないっていう大前提はあるけどね。地球でも、いったいなにが理想なのかっていうのはいまもって答えが出ない――人類はその答えを常に探し求めているけど、まだまだ、結論は出そうにないね」


 究極というのは、どの場所から見ても隙がない、ということだ。

 理論にせよ、幾何学にせよ、生物にせよ、社会にせよ、あらゆる観点から見て完璧だ、というものこそが理想であり、究極である。


 いまのところ、人類は一部の数学においてしか究極を見いだせていない。

 数論以外の分野で究極などというものが存在するかどうかも未知数であり、とくに生物や文明においては究極など存在しない可能性もあるが、それでも理想を目指して先鋭化していくのが人類というものだった。


 魔法や魔術もまた、理想を追求するひとつの学問だ。

 大輔はその可能性の広さを新世界に見出している。

 数カ月前に雲の上で見た魔法都市は、地球人が知らない魔法や魔術の可能性に満ちていた。


「あんたたち、どこからきたんだい?」


 女主人が興味深そうに言った。


「あっち!」


 と燿が明るく答える――この退屈な数ヶ月の放浪中、大輔は三人に新世界でよく使われている言語のいくつかを教え込んでいたから、いまでは三人とも簡単な会話くらいはできるようになっていた。

 まあ、その会話が成立しても「あっち」では通じないだろうが、と大輔は軽く首を振って、


「ぼくたちはまあ、旅人なんだ。いろいろなところを回ってここにたどり着いた。ちょっとこの町について聞いてもいいかな?」

「まあ、状況によるね」


 女主人はしたたかに笑う。

 大輔はうなずいて、


「おい、おまえたち、この店でなにかほしいものはあるか? おひとりさまひとつまで、なんでも買ってやるぞ」

「わっ、ほんと? どれにしよっかなー」

「わ、わたしも選ばなくちゃ」

「先生、わたし、この店丸ごとほしいです」

「バブル時代の女か。高いやつはだめだ、なんかちっちゃいやつにしろよ」

「ちぇ、ケチな男はモテませんよ、先生……ま、ケチじゃなくてもあれですけど」

「あれってなんだ。いや、言わなくてもいい。これ以上傷つきたくない――で、女将さん、この町についてだけど、ここには革命軍はきてないのか?」


 革命軍。

 それがいちばん気がかりなことだった。


 もしこの国にも革命軍がきているなら、そう長居はできない。

 革命軍に気づかれる前に町を離れなければ、また厄介な出来事に巻き込まれてしまう。

 いままで散々厄介事には巻き込まれてきたから、これ以上の厄介はごめんなのだ。


「ああ、革命軍の噂くらいは聞いてるけどね」


 女主人はカウンターに肘をつき、きゃっきゃと黄色い声を上げる三人娘に目を細める。


「この町にはまったくきてないよ。ま、辺鄙なとこにある町だからね」

「そうか、よかったよ。平和な町で一安心だ」

「そりゃあ平和さ――しかしかわいい連れだね。妹かい?」

「冗談。こんな妹が三人もいたらぼくはいまごろ苦労しすぎて白髪になってると思うね。ま、ちょっとした教え子っていうか、そんな感じだよ」


 ふうん、と女主人は曖昧にうなずき、近くにいた紫にちょいちょいと手招きする。

 紫が不思議そうな顔で近づくと、女主人は紫の耳にそっと、


「男を落とすならね、つんつんしてちゃだめだよ。もっと自分から積極的にいかなきゃ」

「は、はあ?」

「ま、がんばりな。あんたはなかなか顔もいいし」

「い、いや、その、誤解っていうかいったいだれのことを言ってるのかまったくわかりませんけど!」

「そう照れちゃ叶うものも叶わなくなっちまうよ」


 女主人はばんばんと紫の背中を叩いて大きく笑う。

 その会話までは聞こえていない大輔は、いったいなんの話かと首をかしげつつ、店先から通りに顔を出して往来を見た。


 人通りはさほど多くはない。

 また歩いているひとびとの様子を見ても安心しているようで、平和な町だというのは本当らしかった。


「女将さん、この先に大きな城が見えるけど、あれはだれが住んでるんだ?」

「あれかい。もちろん、王さまだよ。ただ、いまの時間はお城にはいないと思うけどね」

「城にはいない?」

「町を散歩してるんだ。昔からの習慣でね。このあたりもたまにうろついてるよ」

「へえ……王が直々にね。それはまた、いよいよもって平和なことだ」


 国をほめると、女主人は自分がほめられたようににっと笑う。

 それを見るだけでも国がいかに愛されているかわかるというものだ。

 しかしその女主人の顔がふと曇って、


「王さまはとってもいいひとなんだけどね、こんなことよそのひとに言うことじゃないが、姫さまはどうもねえ」

「姫さま?」

「王さまのひとり娘、ミナギさまさ。ま、悪い子じゃないんだが、どうも意地っ張りでね。王さまみたいに気さくなひとならよかったんだが」

「ふうん、なるほど。平和な町にもいろいろあるわけだな」

「せんせ、せんせ」


 燿が大輔の服をくいくいと引っ張る。


「ん、どうした」


 と目をやってみると、燿は朱色の花びらをあしらった装飾品を手のひらに載せていた。


「先生、あたし、これがいい!」

「ほう、これか。これはなんに使うんだ?」

「さあ?」

「わからんのにほしいのか」

「だってかわいいでしょ?」

「ううむ、たしかに」

「それはね」


 と女主人は手招きして、装飾品を燿の黒髪にきゅっと結びつけた。

 ちょうど耳の後ろから顔を出すような形で、かすかに揺れている様子はイヤリングにも見える。


「ほら、どうだい。かわいいだろ」

「わあ、燿ちゃん、すっごくかわいいよ」

「ほんと? 先生、あたしかわいい?」

「あー、かわいいかわいい」

「むう、また投げやり!」

「おや、あんた、これは?」


 女主人は、髪飾りを取り付けたほうとは反対のほうに白い花がつけられているのを見つける。

 燿はふふんと自慢げに笑って、


「それね、さっき見つけたの。いい匂いがする花!」

「そうかい。これはミカサって花でね、香水の原料に使ったりするんだよ」

「へえ、香水! 見てみたいなあ」

「ただ、これはそのままだと匂いがきつすぎるから、服なんかにつくとなかなか取れなくなるよ」

「わ、そうなの? 大変大変」

「あの、先生、わたし、これがいいです」

「おお、岡久保は青か。似合ってていいじゃないか」

「せんせー、あたしのときと態度がちがう! そういうえこひいきよくないと思うなー」

「あのな、七五三、えこひいきというのはなんの根拠もなく取り立てるからえこひいきになるわけだ。ちゃんとした理由がある線引きはえこひいきでもなんでもない」

「ちゃんとした理由ってどういうこと?」

「おまえと神小路、悪い子。岡久保、いい子。そういうことだ」

「ぶーぶー!」

「先生、わたしはこれにします。ほんとはこの世界がほしいけど」

「悪の組織の女幹部かおまえ。緑ね、なるほど、たしかにイメージには合ってる。じゃ、金払うぞ」


 大輔はごそごそとポケットを探り、小銭を女主人に渡した。

 それで三人は同じデザインの、色だけがちがう髪飾りをそれぞれ身につけ、上機嫌で店を出る。


「せんせー、早く泊まるとこ探そうよー」

「わかってるよ、いまいく――じゃ、女将さん、また」

「ああ、あの子たちにやさしくしてやりな」

「うう、いま以上にかあ……」


 大輔は女主人の笑い声を背中に、とぼとぼと店から出る。

 そこに、


「そ、そこを退いてくれ!」

「は?」


 真上から、ひとが降ってきた。

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