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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
天空の魔法都市
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天空の魔法都市 10

  10


「わ、や、やばい、逃げろ!」


 叫んだシモンが、我先に踵を返して逃げ出している。

 ベスとジッロも前方からやってくるものを見ると、ぎょっとして飛び上がった。


「なな、なんで石がこっちに転がってくるんだよっ」

「さっきおまえが変なもん押したからじゃねえのか、ジッロ!」

「ち、ちがうよシモン兄、あれは肘がぶつかって――」

「とにかく逃げるわよ!」


 全長四、五メートルはある巨大な丸い石である。

 それが、螺旋状になった坂道を登る三人の前方から、ごろごろと音を立てて転がってきていた。


 三人は慌ててもときた道を反対に下っていったが、石も当然、下り坂の果てへ向かって加速しながら転がってくる。

 石は、なかにだれか入っているのではないかと思うほど器用に通路の湾曲を通り抜け、三人のすぐ後ろまで迫った。


 いちばん先に逃げたシモンが、いちばん最初に追いつかれる。

 シモンは背中に圧力を感じ、思わず振り返った。


「わっ、わっ」


 一メートル後方まで迫った巨岩が、凄まじい音と回転をしながらシモンを押し潰そうとしている。

 シモンの足ではどうしても逃げきれそうになかったが、ぎりぎりのところでジッロがシモンの首根っこを掴み、小脇に抱えたまま走り出した。


「で、でかしたジッロ!」

「でもこのままじゃ絶対追いつかれますよ!」

「横へ逃げ込め、どこでもいいから家のなかへ!」


 三人の右側には、扉もない家がずらりと並んでいる。

 そのうちのひとつに飛び込んだ。

 そのすぐ後ろを巨岩が過ぎていって、やがてその巨岩が通路の終わりに到達すると、通路の一部が大きくへこみ、一方で壁となる部分が隆起して、巨岩の落下をせき止めた。


 どういう仕組みなのか、巨岩はそのまま地面のなかに収納され、消えてしまう。

 ベスは逃げ込んだ家から顔だけ出し、どうやら危機が去ったらしいことに息をついた。


 そして部屋のなかを振り返ろうと、なんのおうとつもない壁に手をついた瞬間、明らかにいやな響きのサイレンが鳴りはじめた。


「べ、ベス姉!」

「あたしじゃないよっ。た、たぶん!」


 ともかく、また石に襲われたのでは敵わない。

 石に追いかけられたまま這い上がってきた場所まで戻るわけにはいかないのだ。


「先へ行くよ、坂道はもうごめんだ!」


 三人は家を飛び出し、坂道を駆け上がった。

 サイレンは相変わらず鳴っていたが、なにがどう変化したのかはわからない。

 すくなくとも三人の周囲は変わらず、今度は石が転がってくることもなく、無事に坂道を上りきった。


 その先にあるのは、ちょっとした広場のような場所だった。

 家がなくなり、代わりに桟橋のようにぬっと空中へ銀色の地面が突き出していて、その桟橋の先端に奇妙なものがある。


「なんだろう、あれは」


 巨大な物体であることはたしかだった。

 表面は地面と同じく白銀でつるりとしていて、大きさは二十メートルほど。

 縦長で、角ばったところがなく、巨大な鳥がうずくまっているような姿にも見えた。


 それがなにかの飾りなのか、あるいは別の用途があるものなのかは、三人にはわからなかった。

 まさかそれが「空を渡る船」だとは思いもよらず、視線を向けながらも通り過ぎ、奥にある階段を目指した。


 しかし、その階段へ到達する前に、三人は足を止める。

 地面が、ごご、と低い音を立てて揺れはじめたのである。


「もはや嫌な予感以外なにもしないけど」


 ベスはため息をつきながら、注意深くあたりを見回した。

 石の次は、槍か、落とし穴か。

 どちらでもない。

 階段の左右にある、柵に囲まれた地面に一直線の亀裂が走った。

 鋭い剣で斬られたような亀裂から地面が左右に開き、黒々とした穴が空く。


「なんだ?」


 思わず、ジッロがふらふらと近づいてなかを覗き込んだ。

 その瞬間、


「わっ――」


 穴のなかから白銀の尖ったものがぬっと突き出し、ジッロの前髪を何本か切断した。

 泡を食って後ずさるジッロの前に、それはゆっくりと姿を現した。


 尖った角、ちいさな頭、大きな肩や腕、ほっそりした腰、性別のないのっぺりした身体。

 全長四メートル程度の、人型の物体である。


 手には、三又の銛を持っている。

 身体の表面は、この町にあるすべてのものと同じく白銀で継ぎ目も見当たらず、まさか、ただの像であるはずがない。

 しかもそれが階段の左右から一体ずつ、計二体が同時に現れたのだ。


「こ、こいつは、見るからにやばそうだぞ」


 シモンはごくりと唾を飲んで後ずさった。

 ジッロも地面を這うように戻ってきて、ベスの後ろに隠れる。

 ベスは持ち前の勝気でじっと巨大な銀色人間をにらみつけた。


「なんだい、あんたら。あたしらの邪魔をしようってのかい」


 銀色人間は無言のまま、一歩足を踏み出して柵を超えた。

 不思議なのは、継ぎ目もないのに、まるでごく自然に関節が動き、人間ほどなめらかでないにしても二足歩行で歩いていることだった。


「ふん、やる気ってことらしいね」

「べ、ベス姉、逃げたほうがいいんじゃ」

「お宝が近くにあるかもしれないってのに逃げられるもんですか。やるわよ」

「やや、やるって、この巨人とですか? 絶対無理ですよ、瞬殺ですよ!」

「やってみなきゃわかんないでしょうが」


 二体の銀色人間が、なにか言葉のようなものを発した。

 ベスは不愉快そうに眉をひそめ、


「なに言ってんのかわかんないわよ。喋るんならわかる言葉で喋んなさい」

「う、こういうときはベス姉の強気が怖いなあ……」


 銀色人間はそれからもなにか喋ったようだったが、やがて諦め、のっそりと三人に近づいた。

 ベスは拳銃を抜き、にやりと笑って、軽くあごをしゃくった。


「いきなさい、ジッロ、シモン!」

「ええっ! おおおれたちからですか?」

「当たり前でしょうが。あんたらはアレグロ盗賊団の雑魚よ。あたしはその頭なんだから、まず雑魚からいって散るのが筋ってもんでしょうが」

「散るまでが!? うう、おれの人生ここで終わりか」

「ええい、ジッロ、情けねえな、おれは行くぜ!」

「わ、シモン兄……うう、こうなったらなるようになれだ!」


 シモンがまず、銀色人間に向かって駆け出した。

 ジッロもまるでやけのように飛び出す。

 そして、銀色人間との戦いがはじまった。



  *



 町のなかで起こっている様子は、中央管理室のミラからははっきりと見えているらしい。

 いまのところまだ様子見で、なんの迎撃態勢も取っていないが、侵入者のほうが勝手になにやらスイッチを押しているようで、なにもしないうちから騒ぎになっていた。


「いったいどこから侵入したのかしら」


 ミラは侵入者のモニターを続けながら、ぽつりと呟く。


「わたしたちのように、空からきたわけじゃなさそうだけれど」

「まさか、山を上ってきたのか? これだけ高い山を、自力で」


 だとしたら相当根気があるやつだな、と大輔は感心する。

 まあ、はじめからここに町があるとわかっていたならそこまでしてでも目指す価値はあるが、別の理由で崖のような山を登っていたのだとしたら、恐ろしい手だれか恐ろしいばかのどちらかである。


「どっちにしても恐ろしい話だな。でもまあ、侵入者のほうがなんとかなりそうなら、話を続けてもいいか?」

「ええ、どうぞ」

「この町の住民たちが、魔法を使えなかったって話だ。そんなはずはない。だってここは、魔法を使えなきゃどうにもならない町だろ。ぼくたちがここへくるまでも、足場を動かすために魔法を使った。それとも昔は魔法以外の方法で町を動かしていたのか?」

「いいえ、町の構造は以前と変わりないわ。町は魔力で動いている」

「それなら――」

「でも、すべての人間が魔力を扱える必要はない。町には、修理士がいたの」

「修理士?」

「足場や、わたしたちの修理をする人々よ」


 ははあ、と大輔はうなずいた。

 言ってみれば、エンジニアのようなものらしい。


 地球文明でも、たとえば車に乗っている人間が、その構造や動力を詳細に知る必要はない。

 ただそれを操る方法さえ学べばよいのであって、コンピュータにしても使用する分にはプログラムの技術は必要ない。


 この町の修理士、つまりエンジニアは、魔法使いだったにちがいない。

 それが魔術陣を敷き、おそらく半自動的に周囲の魔力で作動するようにしておいて、魔法使い以外の人間たちがそれを利用していたのだ。


「その修理士たちは、どこからきたんだ?」

「質問の意味がわからないわ」

「あー、つまり、この町で生まれた人間が修理士になるのか? それとも別の場所から修理士たちはやってきたのか?」

「様々あるわ。よその町からきた修理士もいたし、この町で生まれた修理士もいた」

「ふむ、なるほど」


 古代新世界には、独自の魔法文化があった。

 ではなぜ、その古代文明が、現代には跡形もなく消滅してしまったのか。


「ミラ、この町にはどうして人間が――わっ」


 問いかけたとき、床がぐらりと揺れた。

 何事かと見れば、今度こそ、燿が「てへ」と笑って舌を出している。


「適当にスイッチ押しちゃった」

「おまえなあ……」

「だって、スイッチって押すものでしょ? 目の前にあったら、そりゃ、押すよ」

「おい、だれかその自制が効かない子どもを押さえつけてくれ――わわっ」


 床はそのまま大きく傾き、高度を下げていく。

 大輔は思わず突っ伏しながら、


「み、ミラ、大丈夫なのか?」

「問題ないわ。中央管理室が収納されているだけ」


 一度建物の上空まで浮上していた床は、再び建物のなかへと降りていく。

 開いていた屋根もゆっくりと閉じたが、一度現れたコンソールはそのままになっていて、薄暗くなった部屋のなかをモニターの光が青白く照らしていた。


 床の揺れも収まり、大輔は息をつきながら立ち上がる。


「まったく、適当に押すなよな。自爆装置だったらどうするんだ」

「自爆装置!」

「なぜ目を輝かせる?」

「だって、自爆装置って夢じゃん! 悪の組織の本部には自爆装置があるものなんだよ!」

「いや、ここ悪の組織の本部じゃないし。まあ自爆装置なんかないとは思うけどさ」


 まったく、と腕組みした大輔の身体が、ふらりとかしいだ。

 軽い立ちくらみのようなもので、おっと、と手をついたそこが、無数のスイッチが並ぶコンソールだった。


 かちり、と音がする。

 同時に、地面が低い音を立ててがたがたと揺れはじめた。


「先生!」

「い、いまのは不可抗力だって! ミラ、なにが起こってる?」

「翼が開閉されているだけよ」

「翼?」

「町の外周に広がる広場のこと」


 なるほど、と大輔は安堵する。


「迂闊に触ったらやばいな。神小路、岡久保、七五三をしっかり押さえてろよ」

「はい、先生」

「うー、触りたいよー、押したいよー」


 後ろから羽交い締めにされた燿はぐるぐると喉を鳴らす。

 様々な意味で野性的な少女だった。


「で、話は逸れたけど、ミラ、どうしてこの町からはだれもいなくなったんだ? 見たところ、住めないほど老朽化したわけじゃなさそうだけど」

「修理士がいなくなったのよ」


 部屋全体に響き渡る声でミラは言った。


「修理士がいなくては、この町はうまく機能しない。いまもほとんどの施設が機能を停止しているわ。水道も動いていないし、足場のほとんどすべてが機能していない」

「そうか、魔法使いがいなくなったのか。たしかにぼくたちも魔力を使ってここまできた。人間だけじゃ、それは無理だ。それでここのひとたちは、この町を捨てたのか?」

「そう、すこしずつ。やがて、最後のひとりもいなくなったわ。わたしはこの町に残り、いくつかの端末に分かれて、町の様子を監視していた」


 しかしある日、地面の崩落とともに地上へ落ち、この中央管理室との連携も失われてしまった、ということらしい。


「それに、いまは昔に比べて魔力がすくないわ」


 町の全景が映し出されていた画面が、メーターのようなものに切り替わる。


「これは?」

「町の魔力残量を示すものよ。町の全機能が安定的な活動を行える最低限が、この中央の線。それよりも右側が余分な蓄えで、左側になると魔力が足りなくなる」


 いま、その表示は左側いっぱい、ほとんどゼロに近い数値を示していた。

 モニターの光がゆっくりと移動し、そのとなりにもうひとつのメーターが現れる。


「これは、空気中の魔力量を示すわ。いま、空気中の魔力量はごくわずかしかない。以前はこの線を超えるところまであったの」

「十分の一どころか、百分の一近くの水準か――そういえば、大陸ドラゴンもそんなことを言っていたっけ」

「これだけの魔力量では、町のすべては動かせない。いまはほとんどすべての機能を停止させて、ごく一部の自動警備だけを動かしている状況よ」


 古代といまでは、環境が変化しているらしい。

 大輔はふと考え込む。


 かつて、この世界にはいまよりも濃い濃度で魔力が充満していた。

 古代に魔法文明があったのはそのせいかもしれない。

 いまよりも身軽な形で魔力を利用することができたとしたら、非効率に思われる四角い魔術陣も納得できる。

 当時は優れた文明レベルにありながら、魔力の効率を考える必要がなかったのだ。


 魔力があふれ、魔法文化が花開き、大陸ドラゴンのように大量の魔力を必要とする生物たちが反映していた古代。

 それが、なぜこうなったのか。


 空気中の魔力量は減少し、魔法文化は消え去っている。

 たとえば地球の環境がゆっくりと変化していくように、この新世界でも魔力は自然と減少し、当時の水準から考えればほとんど失われてしまったといってもいいほどになったのか。

 ――あるいは、別の理由で、魔力は唐突に減少したのか。


 そもそも、なぜ地球人は、魔法を使うことができるのか。


 地球には魔力がない。

 魔力はこの新世界にしかなく、地球人は、地球では普通の人間にすぎない。

 しかしこの新世界へくることで魔法という奇跡を為せるようになるが、反対に新世界の住民は、魔力が存在する世界に住んでいながら、魔法を使うことができない。


 なにかがちぐはぐに思えて仕方なかった。

 すこしずつ、すべてがずれているような、それによって現れた絵がひどくいびつで不気味なものになってしまっているような気がする。


「でも、町の機能は、つまりきみの機能は、まだ停止していないんだな」


 大輔が言うと、ミラは光を返した。


「わたしの機能は有事に備えてごく少量の魔力で動くようになっているわ。もちろん、機能に制限はつくけれど」

「その核がどこかにあるってことだよな。どんな魔術陣なのか興味がある。すこし見せてもらえないか?」

「ええ、かまわないわ」

「よし、こいつは貴重な情報になるぞ。お宝だ、お宝」


 浮かれたように大輔が言ったときだった。


「そのお宝は、あたしたちアレグロ盗賊団がもらい受けるわ」


 中央管理室の外から女の声が響き、三つの人影がぞろぞろと現れた。

 ひとりは金髪の女、もうひとりは長身の男で、最後のひとりは極端に小柄な男らしかった。


 女は古式の拳銃を室内に向け、にやりと笑う。


「さあ、怪我したくなかったらおとなしくお宝を差し出しな」


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