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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
天空の魔法都市
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天空の魔法都市 4

  4


 話があるんだけど、となぜかふてくされたような顔でルネが大輔を呼び止めたのは、その日の昼過ぎ、眩しい陽光が降り注ぐ畑でのことだった。


 大輔は日除けの布を頭に巻き、腰にちいさな籠をぶらさげ、中腰になって販売用の野菜の収穫を行なっているところで、その外見はもう何十年も農業をやっている人間そのものである。

 むしろルネのほうがよそ者に見えるくらいの馴染み方だった。

 ルネは、異世界人というのはみんなこういうものなんだろうかと思いながら、大輔に近づく。


「どうした、少年」

「ルネだ。少年って呼ばれるのは、好きじゃない」

「そうか、悪いね。じゃ、ルネ。なにか用かい?」

「いや、別に、用ってわけじゃないけど……なんで畑仕事してんの?」

「さっき、そろそろ仲買人がくるって話だったから、収穫を手伝ってるんだけど」

「ふうん……楽しい?」

「まあまあだね、率直なところ」


 大輔は腰を伸ばし、とんとんと叩きながら、広い畑を見回した。

 畑のほかの場所には、大輔といっしょにやってきた異世界人の女三人がいるらしい。

 どれも背の高い草に隠れて見えないが、ところどころでごそごそと揺れているのがわかった。


「あいつらは楽しんでるみたいだけど――それで、話って?」

「いや、まあ」


 話しかけておきながら、ルネはもじもじと視線をそらす。


「その、あれだよ。さっきのことだけど」

「さっき? ああ、鉱山の」

「あのこと、お袋には黙っといてくれよ」

「もちろん、言いやしないよ。別に言いつけなきゃいけない理由もないし。話ってそれだけ?」

「いや、あと、いろいろ、その」


 もにょもにょと口ごもっていると、すぐ近くの草が、不意にがさがさと動いた。

 なにか動物が出てきたのかと怯えるが、草のあいだからひょっこり顔を出したのは例の異世界人のひとりである。


 その女はルネを見ると、にっこり笑い、


「これは犬ですか? いいえ、これはゴミです!」

「……教える言葉、間違ったなあ」


 大輔がぽつりと呟き、頭を掻く。


「まさかこんな嬉々として言うとは思わなかった。あー、ルネ、毎度のことだけど、こいつはあほだから気にしなくていいよ。こっちの言葉もわからないし」

「う、うん……それでまあ、話、なんだけど。ちょっと、長くなるけど、いい?」

「ん、そうか。じゃ、ちょっとそこらへんで休憩しよう」


 と大輔はあぜ道に上がり、頭に巻いていた布を解く。

 女は犬のようなきらきらした目であとをついてきて、どこかで収穫したらしいもぎたてのトマトをかじっていた。

 ほんとにいつ見てもなにか食べてるな、と思いながら、ルネは空に目を向ける。


 今日は晴天だが、単日のおかげでそこまで気温は上がっていない。

 西には人間が穴だらけにしてしまった鉱山があり、そのすぐそばに、ひょろひょろと空へ向かって生える不思議な岩、このあたりでは杖山と呼ばれる山が見える。


 杖山は、だれも頂上を見たことがないという不思議な山だった。

 どうしてあれほど細く、また高くなっているのかはだれも知らず、強風でいつ倒れてもおかしくないように思われるが、もう何百年も変わらずそこに生えているのだ。


 今日も杖山の頂上付近は雲とも霧ともつかない白いもやに包まれている。

 そもそも、そのあたりに頂上があるのかさえ、下かではわからない。

 もちろんほぼ垂直の山肌をよじ登る物好きなどいないから、常にもやが立ち込めた頂上を確かめた人間は、いまだかつてひとりもいないのである。


「このあたりは気候もよくて過ごしやすいな」


 大輔は風に揺れる畑を眺めて言った。


「道理でよく植物が育つわけだ。こういうところが広くなると、この世界も住みやすいんだけどな」

「世界中知ってるみたいな言い方だ」

「全部ってわけじゃないさ。ただ、こっちにきてからいろいろあって、砂漠とかやけに厳しい山脈には行ったよ。いま世界のほとんどはそんな人間の住みにくい環境になってる。ここは人間にとって天国みたいな場所だな」

「天国っていうには、ひとがすくなすぎると思うけど。そんなに住みやすいなら、みんなもっと寄ってくるんじゃない?」

「そのうちこのへんは賑わうと思うよ。まあ、そうなったら自然がいまの形を維持できるかわからないけど――で、ルネ、話って?」

「うん……あのさ、船って知ってる?」


 案の定、大輔は不思議そうな顔をした。


「船? 海とか川を渡る、あの船でいいの?」

「その船なんだけど、海とか川を渡るわけじゃなくて……その、まあ、あれだよ、空を渡るっていう船なんだけど」

「空を渡る船?」


 そんなものは存在しない、とばかにされるかとも思ったが、思いがけず、大輔は真剣な顔で眉間に皺を寄せる。


「空を渡る船、ねえ……」

「知ってるのか?」

「いや、聞いたことはないよ。すくなくとも、この世界では。でも、そんなものをどうして?」

「いや……その、説明すると、長いんだけど」


 ルネはぽりぽりと頭を掻いて、ミラとの会話を説明しはじめた。

 その横顔を、言葉が通じていない女がじっと見つめる。


「採掘抗のなかで、ミラと会っただろ。ミラが前に言ってたんだ。空を渡る船に乗って、自分が住んでいた町に帰りたいって。ミラが住んでたところには、そういうものがあるらしい。でも、このあたりじゃ見たことないし、異世界人のおじさんなら知ってるかと思って」

「空を渡る船か。たしかに、異世界――ぼくがいた世界にはそういうものがあるよ」

「ほ、ほんとに?」

「飛行機といってね、形は船とはちがうんだけど、鳥よりもずっと早く空を飛んで移動できる。でもミラは、向こう側の存在じゃないはずだ。どうして飛行機のことを知ってたのかな。それに、空を渡る船に乗って住んでいた町に帰る、か……」


 大輔は腕を組み、難しい顔をする。

 ルネは、下手をすれば笑われて終わりだと思っていたから、大輔が思いの外真剣に考えてくれることに驚いたが、それよりも異世界には本当に空を飛ぶ船があるのだというほうが衝撃だった。


 ――異世界とは、どんな場所なのか。

 ルネは空を見上げた。

 この青空を大きな船が飛び交うような世界。

 白い帆を張り、大きな櫂を漕いで、青空をぐんぐんと進んでいく巨大船が幻の空を行く。


「それで、さ」


 ルネは大輔の横顔を伺う。


「おじさんたち、異世界人だろ?」

「この世界からすればそういうことになるね。ぼくたちからすれば、きみたちこそ異世界人ってことだけど」

「異世界人は、魔法が使えるんでしょ。だったら、その魔法で空を渡る船を探してほしいんだ」

「――ほほう」


 大輔はにやりとしてルネを振り返った。

 ルネはうっと言葉に詰まって、


「な、なんだよ?」

「いや、別にー?」

「なんか考えてるだろ。言えよ」

「大したことじゃないよ。ただ、その空を渡る船ってのが見つかると、ミラはもともと住んでた場所に帰っちゃうんだろ? それでも、船を探したいのか」


 まるでルネの心のなかを読んでいるような大輔の言葉だった。

 ルネはうつむき、押し黙る。

 その頬を、生ぬるい南風が撫でていく。


 このあたりでは、いつも南風が吹いている。

 湿っていて、植物にはいいが、人間にはすこし不快な風だった。


「ぼくは、家がある」


 ぽつりと、ルネは言った。


「どこへ出かけても、帰ってくる家があるんだ。でも、ミラはそうじゃない。あの場所から身動きがとれなくて、家にも帰れない。それはかわいそうだって思うんだ」

「ふむ……」

「だから、その話を聞いてからぼくもあちこち船を探したんだけど、ぜんぜん見つからなくて。ほんとにこのあたりにあるのかもわからないし。もしかしたらずっと遠くの、それこそ砂漠のどこかに埋まってるのかもしれない」


 だとしても、ルネにはそこへ行って船を掘り出すことなどできない。

 この南風が吹く場所から出ることなどできないと、ぼんやり理解しているのだ。


「ぼくじゃ探し出せないけど、魔法が使えるおじさんたちなら、ミラの船を見つけ出せるかもしれない。一度探してみてくれないかな」


 顔を上げたルネの頭を、大輔はぽんぽんと撫でた。


「きみ、いいやつだな」

「な、なんでだよ」

「なんでもさ。いいやつのきみの頼みだ。探すくらいならいくらでもするよ。ただし、それで絶対に見つかるとは言いきれないけど」

「ほんとに? 探してくれるだけでもいいんだ。見つからないとしたら、それでも」


 ぼくはなにを求めてるんだろう、とルネは自問する。

 船を見つけ、ミラを住んでいた町に帰してやりたいのか、それとも船は見つからず、ミラにはあの暗い穴蔵にずっと居続けてほしいのか。

 それは十二歳の少年が結論を出すには、あまりに難しい問題だった。


「魔法っていうのは、言うほど完璧じゃないけど、もしこのあたりにあるんなら見つけられると思う。もしこの近くにないなら難しいな。ま、大丈夫だよ、この大天才に任せなさい」


 大輔は立ち上がり、尻を払って畑へ戻る。


「さ、収穫の続きだ。きゅうりよ、どんどんもいでやるぞ、わははは」

「……うーん、ほんとにあのおじさんで大丈夫かな」


 ルネはぽつりと呟き、大輔を手伝うために、畑へと下りていった。



  *



 夜はするすると忍び寄ってくる。

 人間が気づかぬうちに、音もなく空を駆逐してしまった闇は、すぐさま星々に破れて消え去ったが、家のなかではランプがその役目を果たしていた。


 食卓に置かれたランプを囲んで、大輔、燿、紫、泉の四人が座っている。

 この家に暮らす親子はもう眠っていて、壁にはランプの炎に揺れる影が踊っていた。


「――で、だ」


 大輔はそう切り出して、


「この家にはいろいろ世話になったし、その船をひとつ探してやろうと思うんだけど、おまえたちはどう思う?」

「いいと思う!」


 すぐさま燿が声を上げ、すでに眠っている親子を思い出し、あっと口を塞いだ。

 それからささやき声で、


「いいと思うー」

「ま、別に異論はないですけど」


 紫は頬杖をついている。

 赤いランプの明かりが、普段は色白な頬を血色よく照らしていた。


「でも、その空を渡る船って、ほんとに飛行機のことなんですか?」

「いや、それはまだわからない。もしかしたらまったくちがうもののことを言ってる可能性もある」

「なんか、ロマンチックですよね」


 泉はうっとりした顔で虚空を眺めた。


「絵本のなかみたいです」

「そもそも、この新世界の文明水準ってどれくらいなんですか? 飛行機なんかまだ発明されていないはずですよね?」

「地球とはちがう部分も多いから、一概にどの程度の文明なのかってのは言えないけど、まあ、だいたい十八世紀とか、それくらいじゃないかな。一応、火薬はある。でも、電気がない。この世界はまだ火に頼ってる」

「電気もない世界で、飛行機ができますか?」

「飛行機の発想そのものは、地球では十五世紀に有名なダ・ヴィンチ大先生が記してるね。ダ・ヴィンチ大先生は、そのとき動力としてエンジンじゃなくて一種の魔力を想定してた。ただ、これは実現しなかった。世界初の飛行機はライト兄弟のものだけど、これは二十世紀の初頭だね」

「じゃあ、やっぱりこの世界に飛行機があるはずはないってこと?」

「いや、さっきも言ったようにエンジンに頼らない方法なら、成立する可能性はあるよ。極論、この世界には鳥が存在するわけだから、構造的に鳥を模範すればどんな時代でも空を滑空するものくらいは作れる。それに――」


 ふと、大輔は視線を宙に投げた。


「それに、なんですか?」

「いや、モニターがあったもんだから」

「はい?」


 不思議というよりは、不審そうな紫の表情だった。


「モニターだよ」

「モニターってなんですか」

「えっ、おまえ、モニター知らないの? うわあ、モニター知らないとかマジうけるー」

「先生、殺してもいいですか?」

「そんな怖い質問ある? だめです、先生を殺してはいけません――いてっ、つ、机の下で地味に足蹴るなよっ」

「それで、モニターってなんですか?」

「画面のことだよ。テレビとか、パソコンの画面だ。それが鉱山のなかにあって、女の子がそこにいたもんだから、まあ、空飛ぶ船があってもおかしくないかって気もするんだけど」

「……いったいなに言ってるんですか?」


 生徒三人は顔を突き合わせ、こそこそささやく。


「先生、頭おかしくなったのかな?」

「いや、頭おかしいのは最初からでしょ。本領発揮しはじめたんじゃない?」

「ど、どうしよう。この世界には病院とかないよね」

「おい、おまえたち、本人が聞こえるところで言うのは陰口じゃなくて悪口って言うんだぞ。あと岡久保、おまえ何気にひどいな」

「だ、だって、先生がよくわからないこと言うから……パソコンの画面が、鉱山で、女の子で、空飛ぶ船があってもおかしくないって」

「うーん、たしかにそうやって聞くとわけわかんないけどさ」


 と大輔は腕組みして、


「でも、ほんとのことなんだよ。西に鉱山があったらしいっていうのは昨日説明しただろ。その鉱山に、パソコンの画面があったんだよ。いや、ブラウン管のテレビだったのかもしれないけど」

「……鉱山に画面?」

「で、その画面に女の子が映ってて、受け答えするんだ」

「先生、熱にやられたんですか?」

「だから正常だって! ほんとにいま説明してるとおりのことがあったんだよ」

「でも、この世界には電気がないって言ったのは先生じゃないですか。電気もない世界にパソコンだとかテレビだとかがあるわけないでしょう」


 やれやれ、と紫は肩をすくめる。

 大輔はぐぬぬと唇を噛んで、


「そりゃそうだけど、ほんとにあったんだよ」

「へー、画面のなかの女の子かー。かわいかったの?」

「まあまあだな」

「うわ、気持ち悪い上から目線」

「神小路、おまえはほんと、そういう隙は見逃さないよなあ。たまにすごいと思うよ。それ以上に先生として教育を間違えたかと思うけど」

「電気もない世界に、なんで電化製品があるんですか?」

「さあ、それはぼくにもわからない。ただ、ここは新世界だ。なにがあってもおかしくはない」

「ドラゴンもいれば、電化製品があっても?」

「おかしいとは言えないね。それに、そういうことは地球にもあるだろ。オーパーツとかさ」

「おーぱーつ?」


 燿が首をかしげる。


「なに、それ。新種のおっぱい?」

「おっぱいに新種もなにもないだろ。ちげえよ、おまえばかだな」

「ばかって言ったな! あたしばかじゃないよっ」

「アウト・オブ・プレイス・アーティファクツ、すなわちオーパーツだ。その時代には存在しないはずのものが見つかったりすることだよ。たとえば何千年も前の遺跡や地層から、現代の科学技術をもってしないと作れない精密なものが見つかったりとかな」

「そのモニターもオーパーツってことですか?」

「かもしれないし、ちがうのかもしれない。重要なのは、ここは新世界、つまり魔力がある世界だってことだ。魔力を使えば、地球の科学では不可能なことも可能だ」

「つまり、空飛ぶ船も……」

「可能性は、ある」


 ランプ越しに、大輔は三人を見た。

 目に炎が反射し、ぎらぎらと光る。

 大輔はにやりと笑った。


「どうだ。ぼくたちダブルOの隊員としても、これはなかなかお宝の匂いがする話じゃないか」

「うんうん、あたしもわくわくする!」


 燿はとにかく楽しければよいという性格だから、当然大輔の味方だった。

 残るふたりは顔を見合わせ、泉はぽつりと、


「わ、わたしも、ちょっと興味あるかも。もしほんとにあるんだったら見てみたいな」

「ふふん、さて残りはあとひとりだぜ、神小路」

「わたしも別に反対はしてませんけど」


 心外だというように紫は言って、ぷいとそっぽを向く。

 燿はくすくすと笑い、大輔の服を引っ張って、


「先生、あれ、照れてるんだよ」

「余計なこと言わなくていいから! それで、もし空飛ぶ船がこのあたりのどこかにあるとして、どうやって探すんですか?」

「それはもう、ある程度考えてある。明日、天気がよければさっそく実行しよう」


 大輔は期待させるように笑い、言った。


「明日のぼくたちは、もしかしたら空飛ぶ船からこのあたりを見下ろしているかもしれないぜ」


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