天空の魔法都市 3
3
ルネがその少女を見つけたのは、数ヶ月前のことだった。
その日、ルネは家の仕事をサボって、すこし遠出をして廃山となった鉱山の近くを散歩していた。
ルネも年ごろの少年である。
家の仕事が大嫌いだというわけではないが、それなりに反抗心もあって、近ごろは畑仕事やらなんやらが煩わしく感じられて仕方なかった。
かといって、まだ家を出るほどの一大決心はできていない。
決して裕福な家ではないし、どこかに奉公に出てもよい年ごろだが、母親はそれを望んでいなかったし、ルネも仕事が増えるのは嫌だった。
しかし、町には出てみたいと思う。
もちろん何度か町には行ったことがあるが、そこは自分の家とは比較にならないほど賑やかで華々しい世界で、まるで万華鏡のなかに住んでいるような気さえした。
あんな町で暮らせたら、いろいろ楽しいことも多いだろうなと思う。
とにかく、自分の家のまわりにはなにもない。
だれとも会わず、なにも起こらず、昨日をそのまま繰り返しているような毎日だった。
そんな予定調和を崩すため、ルネは立入禁止になっている鉱山のあたりをうろついていた。
そこまで歩いても、なにがあるというわけではない。
山はもう廃山になっていてだれも働いていないし、おもしろいものが落ちているわけでもなかったが、畑が見えないというだけでも別の場所へやってきたという気になれた。
とくにあてもなく、ふらふらと散歩していたルネは、そのうち降り出した雨に追われ、雨宿りのために採掘抗のなかに入った。
鉱山にきたことは何度かあったが、実際に採掘抗のなかに入るのはそれがはじめてだった。
山に穿たれた穴のなかは、鼻先も見えないほど暗い。
足元には木組みのレールがつけられているが、もう放置されて長いせいか、ところどころが朽ちて壊れている。
そのひんやりした暗闇に、好奇心と恐怖心が同時に沸いた。
そして外は雨で、まだしばらく帰れそうにはなかった。
「――ちょっと、行ってみようかな」
ルネは壁に手をつき、採掘抗の奥へ進んだ。
壁から手を離さなければ、たとえ迷っても同じように壁伝いに戻ってこられると考えたのだ。
足元を一歩一歩確かめながらゆっくりと進む。
分かれ道があるふうではなかったが、やはり採掘抗は深く、どこまで進んでも終わりがない。
何度か帰ろうかと思い、どうせここまできたのだからもうちょっと奥まで、と歩き続けて、やがてゆるやかな登り坂に差し掛かる。
ルネはその登り坂の下でふと足を止めた。
前方から、やわらかい光が差しているのだ。
まさか採掘抗が山を貫通しているはずはないし、崩れて外の光が差し込むにしては山の深い場所すぎるように感じたが、その光はたしかに採掘抗の暗闇を照らしていた。
ルネは、恐る恐る登り坂を超えた。
先は行き止まりになっている。
採掘途中で廃棄されたのか、それとも事故かなにかで穴が崩れたのか、突き当たりにはこんもりと土とも土砂ともつかないものが溜まっていた。
光はその土のなかから差していた。
ほんのかすかな、土の粒子のすき間から漏れてくるような光である。
しかしあたりが暗闇のため、それがはっきりとわかる。
土のなかに、なにかあるのだ。
ルネは天井が崩れはしないかと考えながら盛られた土に近づき、そこを手ですこし掘り出してみた。
案外土はやわらかく、素手でも難なく掘ることができて、やがて、銀色の四角いものが現れる。
光はその四角いものから発せられていた。
見たこともない物体で、土を払った表面はつるりとしていた。
奥行きがそれなりにあり、四角い箱のようにも見えたが、表面がガラスというわけでもないのに光が漏れ出しているのがいかにも不思議だった。
「なんだろ、これ――」
まさか、箱のなかに炎が入れてあるわけではない。
炎とは質のちがう光である。
強いていえば、星明りを閉じ込めたような光だった。
ルネは箱全体を土から掘り出そうとしたが、箱が大きく、またその上に土が乗りすぎていて、簡単な作業ではなかった。
諦めて土から露出した箱の表面を撫でているときだ。
不意に、ぶん、と羽虫が耳元をすぎるような音がして、箱が放つ光が消えた。
あたりはたちまち暗闇に包まれたが、すぐにまた光が戻る。
ほっと息をつき、光を放つ面を覗き込んだルネは、思わずわっと声を上げて後ずさった。
「なな、なんだ?」
青白い光を放っていることには変わりないが、いまはその表面に、人間の姿がくっきり浮かび上がっていた。
見間違いようもない、少女の顔である。
ルネは幽霊めいた恐ろしいものを感じ、するすると後ずさったが、少女のほうはゆっくりと閉じていた目を開き、ルネを見た。
視線がぶつかり、無言の数秒がすぎる。
少女はルネの恐怖に引きつった顔を見て、いかにも楽しそうに笑った。
「あなた、だれ? わたしはミラ――」
それが、少女とルネの出会いだった。
*
ルネはどことなく不安げに大輔の横顔を見ていた。
まるで自分の恥ずかしい振る舞いを見られたような、なんとなく落ち着かない気がする。
大輔はこの暗闇で行われていた少年と少女の会話を笑うでもなく、興味深そうにふむふむとうなずきながら四角い箱を眺めている。
ルネはその大輔の横顔を見て、こいつは案外いいやつなのかもしれない、と考えた。
「なるほどなあ、これはどう見てもモニターだよなあ。でも新世界に、地球の最新鋭機器があるはずないし。いや、だれかが持ち込んだとしても、こんな廃山のなかに埋もれてるはず、ないしな」
「もにたーってなんだ?」
「ん、いや、こっちの話だよ」
大輔は首を振り、箱の前に腰を下ろした。
「えー、ミラちゃん? きみは、いまどこにいるんだい」
「どこって」
ミラは楽しそうに笑う。
笑うと、その顔がくしゃりと潰れて、なんとも愛らしい。
「いまはあなたの目の前にいるけれど」
「ううむ、そりゃそうか」
納得したような、していないような顔で大輔はミラがいる箱をしげしげと眺めた。
「非常に率直な聞き方で申し訳ないけども、ミラちゃんは生物的に生きているのか?」
「生物的に?」
再びミラは首をかしげる。
ルネはなんとなく、その質問に一種の後ろめたさのような不安感を覚えた。
「人間と同じように生きているか、という意味なら、わたしは人間と同じようには生きていないわ」
ミラはあっさりと言ってのけた。
ルネはため息をつく。
そんな気はしていたが、改めて口にされると期待が裏切られたような気持ちになってしまう。
「でも、わたしは生きている」
いつものように薄く微笑み、ミラは言った。
「わたしは自分が生きていると感じているから、きっと生きているのよ」
「なるほど、たしかにそうだね。どんな生物でも、自分が生きていると信じないかぎり、生きているとは言いがたい。逆に言えば、生きていると信じているかぎり、それは生きているのだといえる。ま、生きていようがいまいが、存在であることには変わりないけど――ルネ、きみの友だちは非常に興味深いね」
「そうかな。別に、大したことないと思うけど」
拗ねたようにルネが言うと、大輔はそのルネの肩をぽんと叩いた。
「じゃあ、ぼくは先に帰ってるよ」
「え、もう帰るのか?」
「あんまり邪魔するとあれだしね。ただ、あんまりここにいて家に帰らないんじゃおばさんも心配するだろうから、たまには家にいていろいろ手伝ってあげるといい。じゃ、お先に。またね、ミラ」
箱のなかのミラは、去っていく大輔に手を振った。
大輔は足音もなく暗い採掘抗を戻っていく。
ルネは見送るでもなくその後ろ姿を見ていたが、完全に闇に隠れてしまうと、ちいさく息をついた。
「異世界人ってどんなひとかと思ったら、意外と普通のひとなのね」
ミラはルネに視線を移し、けらけらと笑う。
「もっと変なのをイメージしてたわ。頭から角が生えてたり」
「そのほうがおもしろそうだけどね。でもまあ、結構変なやつだと思うよ、あれ」
「そうかしら? 言葉もまともに通じたし。あなたはあのひとが嫌いなの?」
どうかな、とルネは首をかしげた。
知り合って、また一日だ。
会話もほとんどしたことがないし、好きとも嫌いとも言いきれないが、さほど悪いやつではないかな、というのがいまのところの本音だった。
「それにしても、異世界人なんてひとがいるのねえ」
しみじみとミラは言って、すこし眉をひそめた。
「異世界ってどこにあるのかしら」
「さあ、詳しいことは知らないけど、扉があるって話は聞いたことあるよ」
「扉?」
「異世界へ通じてる扉だって。でも、こっちから向こう側へ行くことはできないんだ。向こうからこっち側へは自由に行き来できるらしいけど」
「それじゃあ、異世界人って、みんなこっちの世界へきたまま帰れないの?」
「異世界人は、その扉を使ってふたつの世界を自由に行き来できるんだよ。ただ、こっちの世界で生まれた人間、つまりぼくたちは、扉をくぐっても向こう側には行けないんだって。まあ、それもほんとの話かどうかはわからないけどね。ぼくも昔聞いたことがあるだけだし」
「ねえ、異世界の話をもっと聞かせて?」
「異世界の話かー」
ルネは腕を組む。
「なんだろうなあ、ぼくもほとんど知らないんだけど……でも、異世界人がいるんだから、本人に聞いたほうが早いかもね」
ただ、ここに再び大輔を呼ぶことはなんとなく嫌な気がするルネだった。
それが一種の嫉妬心だとは、ルネ自身もまだ気づいてはいない。
でも、と思いついて、ルネはミラを見る。
「あの話、一回してみようか?」
「船のこと? 信じてくれるかしら」
「さあ、それはわからないけど、異世界人だし、なにか知ってるかも。もし手がかりがわかれば、ぼくが探してあげるよ。そしたら、きみも――」
その先は、言葉に詰まってなにも言えなかった。
ルネは無造作に立ち上がり、ミラに背を向ける。
「そろそろ、帰るよ」
「もう?」
さみしげなミラの声が後ろ髪を引く。
しかしルネは振り返らず、また明日くるといって、逃げるようにその場をあとにした。
暗い採掘抗のなかを、壁に触れながら戻っていく。
ルネは、ミラがいったいなんなのか、詳しいことはなにも知らない。
ミラと話すようになって数ヶ月経つが、そんな話はしたことがなかった。
ミラは、ちいさな箱のなかにいる女の子。
ルネにとってはそれがすべてだ。
生きている存在なのか、それとも最初に感じたような、幽霊のようなものなのか、そんなことはどうでもいいと思い込んでいる。
本当は、ミラの正体を知り、自分とはかけ離れた存在なのだと実感することが怖くて、あえて知らないようにしていた。
ルネは、大輔が茶化したように、ミラのことを恋人だとか、そんなふうに思っているわけではなかった。
このあたりにいるたったひとりの友人として、ミラと話しているのである。
「ま、まあ、かわいいとは思うし、その、あれだけど」
暗闇のなかでぶつぶつと呟く。
赤くなった顔をだれにも見られずに済んだのは、その暗闇のおかげだった。
採掘抗の出口が白々と見えてくる。
暗闇に慣れた目には日差しが強すぎて、目を細めながら外へ出た。
まだ時間は、昼前だ。
いつもは夕方にならなければ帰らないから、このまま帰るのもおかしい気はしたが、いまさらミラのもとへ戻っていくわけにはいかない。
「……ま、たまには家の手伝いするか」
ルネは少年らしい怠惰さをあくびで我慢し、家へ向かってのろのろと歩いていった。
*
ルネが帰り、ひとりきり暗闇に取り残されたミラは、光による自己表現をやめていた。
発光するということは、つまりエネルギー、熱を外に放っているということであり、無尽蔵に可能なことではない。
惑星を照らす恒星でさえいつかはその光を失うことを運命づけられているのだから、ミラも無限に光を発生させられるわけではなく、だれもいないときは自ら発光をやめることで熱を節約していた。
以前は、ひとりきりでも寂しさに耐えられず、意味もなく発光させていたが、いまはルネがいるおかげでその寂しさもずいぶん和らいでいる。
だから、必要がないとき以外はじっと黙っている、という熱量の節約法を考え出すことができたのだ。
光が消えても、ミラという存在が消えたわけではない。
ミラは四角い箱のなかにいる。
その箱のなかにぎっしりと詰まった様々な回路で思考を続けている。
ミラ、という名前は、その思考に与えられた名称だった。
ミラはルネのことを考える。
この暗闇にはなんの変化も起こらないから、考えることといえば、いつもルネのことになる。
ルネは人間の少年だった。
とても気のいい少年で、恥ずかしがり屋で、やさしくて、ミラのいい話し相手だった。
ミラはルネに様々な話をしていた。
それは過去の歴史ともおとぎ話ともつかないような話で、ルネがそれをどこまで現実として捉えているかはわからないが、ミラもどこまでが現実で、どこからか作り話なのかよくわかっていない。
細胞を有する肉体を持たないミラには、体験というものが存在しない。
つまり体験による理解があり得ず、情報とは常に与えられるものであり、その入力された情報が真か偽かを判断することは、ミラには不可能だった。
そもそも、真か偽かという二項式がミラのなかにはない。
それが真であろうが偽であろうが、入力された情報はすべて等価値であり、情報の使用頻度、すなわち参照や引用された回数なども情報の価値には変換されていなかったから、ミラのなかに貯められている情報は、すべて同じ次元で管理されていた。
強いて言うのなら。
このごろ常に反芻される情報は、ルネという少年のものだ。
その表情、姿、言葉、声、振る舞い、すべてを繰り返し反芻しながら、ミラは次の朝にルネがくるのを待っている。
それを恋と呼ぶような気の利いた回路は、ミラのなかには存在しなかった。
ミラはただひとり、ルネがくるのを、じっと待っている。




