緑竜と幻の谷 12
12
革命軍第六十八師団の大将ロメイルは、マイク・ブラックと名乗る魔法使いが宿営に舞い戻ってきたと聞いて舌打ちを隠せなかった。
「所詮は異世界人か。まったく、役に立たん」
「ブラックが閣下に会いたいと言っておりますが」
「話を聞こう。通せ」
与えられた任務に失敗したというわりには、ブラックはまるで飄々とした様子で司令部に入ってきた。
ロメイルは床几に腰掛けたままじろりとブラックを見上げ、
「問題の山は越えられたか?」
「いや」
ブラックはにやりと笑ってロメイルを見下ろした。
「いろいろ事情があって、山越えはしなかった。ルヴェルタ山の西側までは行ったんだが」
「ほう。事情とはなんだ」
「山越えよりおもしろいもんを見つけちまってね。おれは金よりも楽しみのほうが好きだ。金は生きるために必要だが、楽しみはおれが存在するために必要なんでね。悪いが、革命軍とは手を切ることに決めた」
「ふむ、そうか。残念だな」
「そこで、大将、ひとつ言っておきたいことがあるんだ」
「なんだ?」
「あのルートを通るのはやめたほうがいい。こいつは親切で言ってるんだぜ」
ロメイルは大口を開けて笑う。
「貴様も幻に囚われたか。魔法使いが聞いて呆れる」
「いやいや、そんなことじゃないんだ。迂回を進めるのは、幻なんかとはまったく関係ない話さ」
「なに?」
「おれはあの山の西側に住むことに決めたんでね。おれの家の前を通ることは、あんまりおすすめしない。なにしろおれは寝起きが悪いんで、だれかの無遠慮な足音なんかで起こされたりしたら、不機嫌のあまり暴れちまうかもしれねえからな」
ロメイルは床几を蹴って立ち上がった。
「貴様、われわれを脅すつもりか。一万を超える大軍に、いかに魔法使いといえど貴様ひとりでどうにかなると考えているのか」
「さて、そいつはやってみなきゃわかんねえだろ?」
ブラックはあくまで余裕ぶった笑みを消さず、さらに挑発するようにロメイルを眺めた。
「やってみるかい、大将。そんなくだらないことで兵に損害を出してもいいなら、相手するぜ」
「貴様――」
「ああそれと、ミトラを攻めるなら早くしたほうがいいだろうな」
「なに? まさか、ミトラに情報を流したのか?」
「情報ってのは勝手に流れるもんさ。ミトラは平和的な国だが、団結意識が強くてしっかり武装されたら苦労するぜ」
「おい、こいつを捕らえろ! 敵軍に情報を流した裏切り者だ!」
ロメイルの叫びに、兵士たちがブラックに飛びかかった。
しかしブラックを掴もうとした手は空を切り、駆けつけた仲間同士でぶつかってそのままへなへなと倒れ込む。
実体を持たないブラックの幻は、にやにやとした笑みを残したままゆっくり消えた。
ロメイルは怒りに震えながら、しかし一方で冷静な判断力も残していて、ブラックという得体のしれない魔法使いを踏み越えて行くよりは、迂回してミトラを攻めたほうがよいと結論する。
ロメイルはただちに全軍に命令を出した。
革命軍はルヴェルタ山の麓を超えるのではなく、山脈を迂回するルートを取り、ミトラへと向かった。
ちなみに余談だが、三週間ほどかけてミトラに到着した革命軍が見たのは、住民がだれひとりいない、抜け殻の街だった。
ミトラの住民は革命軍が攻めてくるという情報を聞き、戦うのではなく、全員で逃げることを選択していたのだ。
ロメイル率いる第六十八師団はまったくの無駄足を踏まされ、マイク・ブラックという山師を恨んだが、いまさらどうしようもないことだった。
*
再び幻のものとなった大陸ドラゴンの巣には、静かな雨が降っていた。
『これから行くあてはあるの?』
エメラルド色のドラゴンは四人の人間たちを見送るため、巣の入り口までのそのそと歩いてきていた。
大輔はゆるく首を振り、
「あてはないけど、ま、どこかには行かないとな」
『そう。長い旅になりそうだね』
「できれば短いうちに終わることを願うよ」
「またね、ドラゴンさん」
燿は硬い鱗にぺたぺたと触れながら言って、泉もその首のあたりを撫でながら、
「いろいろありがと。わたし、がんばるね」
『ボクたちこそ、いろいろとありがとう。きみたちのおかげでボクたちは静かに生きていけそうだ。もしまたなにか問題が起こったら、ボクたちが助けてあげるよ。そのときはボクたちを思い浮かべて、しっかり祈るんだ。意志は時間も場所も飛び越えて通じるから』
「うん、そうするね。それじゃあ――」
名残惜しげにドラゴンから離れると、ドラゴンもすこし悲しそうに瞬きをした。
『ああ、そうだ。忘れるところだった――きみたちにこれをあげるつもりだったんだ』
ドラゴンは長い尻尾をするすると動かし、その尻尾に巻き込んだものを、泉の前にぽとりと落とした。
「なあに、これ?」
それは見たところ、三角形の、手のひらに乗るほどの白い貝殻のようなものだった。
大輔も泉の手元を覗き込み、首をかしげて、
「サメの歯にも似てるけど、ちょっとちがうな」
『それは、人間たちがドラゴンの舌と呼ぶものだ。本当は、ボクたちが死んでしまったあとに残る、魔力の残り香が形になったようなものなんだよ。なにか効果があるというわけじゃないけど、お守りくらいにはなるかもしれないから』
「それをくれるの?」
『ボクたちは、きみたちを勝手に仲間だと思っている。大切な仲間だ。だから、きみたちにもらってほしい』
泉は了承を得るように大輔を見上げた。
大輔はうんとうなずき、
「ありがたくもらっておこう」
「はい――ありがと、大切にするね」
『うん。それじゃあ、またいつか』
大輔たちは赤い瞳に見送られながら、大陸ドラゴンの巣をあとにした。
アリシア山脈の西側は、爽やかな野原が延々と続いている。
山から下りる清い小川もあり、大輔たちは気分もよく川に沿って西へと進んだ。
「さて、これからどこへ行くかなあ」
大輔は大陸の大まかな地図を頭に浮かべながら呟く。
「革命軍の問題もあるし、とりあえず、大陸でいちばん大きい国を目指してみるか。そこには人間も多いし、たぶん地球からきたひとたちもいるはずだ。なにか地球へ帰る手がかりが見つかるかもしれない」
「地球かー。お母さんたち、心配してるかなあ?」
燿がぽつりと言った。
それに応えて紫は、別段深刻な雰囲気もなく、
「ま、わたしたちの親も新世界で活動してたんだし、こういうこともあるってわかってるんじゃないかな。心配はしてるでしょうけど」
「連絡だけでもできればいいのにね。あたしたちは大丈夫だよって」
「それはなかなか難しいでしょうねえ」
紫が答えたように聞こえたが、その声は四人の頭上から降ってきた。
まさか、と大輔が見上げると、予想どおり、そこにはなんともいえない微笑みを浮かべた大湊叶が浮かんでいる。
大輔はすぐに身構え、生徒たちを自分の後ろに隠して、叶をにらむ。
「ほんと神出鬼没っていうか、噂もしてないんだから出てこないでほしいとこだけど、なんの用だよ」
「冷たい言い方ね。いいでしょ、好きなときに好きなところに現れたって」
「ぼくたちがいないところで勝手にしてほしいけど」
「あら、せっかく今回は助けてあげたのに」
「助けてあげた?」
「ユーリがもう壊滅したことも教えてあげたし、森から出る方法だってちゃんと指示してあげたでしょ?」
「そう、それで文句があるんだよ。あの森、めっちゃ危ない森だっただろ」
「でも大丈夫だったでしょ?」
「そりゃあ偶然だよ。偶然あそこに――」
言いながら、ふと気づく。
「偶然じゃ、ないのか?」
叶は勝ち誇った顔でこくんとうなずいた。
「あの場所にドラゴンがいることはわかってたわ。だからまっすぐ進みなさいって言ったでしょ。わたしの予想どおり、あなたたちはドラゴンと出会って、それを助けた。そしてこの大陸ドラゴンの巣までやってきた」
「全部計算通りってことか? いったいなんのために」
「大陸ドラゴンが持ってるお宝を拝借しようと思ってね」
そう言った瞬間、叶の姿が空中からふと消えた。
全員が呆気に取られているあいだに、叶は泉の背後に現れ、泉の身体をきゅっと抱く。
「きゃああっ」
「かわいいわね、あなた。わたし、あなたみたいにちょっと暗い子が好きなの」
「い、いや、あのっ」
「岡久保! おい、離れろよ」
「そう怒らなくたっていいじゃない。別になにもしてないんだから」
叶は拗ねたような顔で泉から離れる。
泉はほっと息をついたが、すぐ、そのポケットに入れていたもの、ドラゴンからもらった貝殻のようなものがなくなっていることに気づいた。
「ふうん、これが大陸ドラゴンが持ってるっていうお宝なのね」
叶はその白く硬い三角形の物体を掴み、空にかざして、しげしげと眺める。
「あ、あの、返してください。それ、大切なものなんです」
「ふうん。どうしても返してほしい?」
「ど、どうしても返してほしいです」
叶はじっと泉を見つめ、ふと笑う。
「じゃあ、ここで仲間のどっちかを殺してみて?」
「――え?」
「嘘よ、冗談。うふふ、おもしろかったでしょ? 一瞬でも、自分が大切な仲間を殺すところを想像して。はい、返してあげる」
叶はぽんと投げて返し、自分はふわりと浮き上がった。
「わたしが探してるものじゃなかったみたい。別にいらないものだから、あなたたちが持っているといいわ」
「探してるもの? そのためにぼくたちを導いたのか」
「自力で奪ってもよかったんだけどね。でもあれだけ大きいドラゴンを全部倒すのって面倒じゃない? あなたたちならうまくやってくれると思ってね。でもまあ、結局は無駄だったわけだけど」
「探してるものってなんだよ。いったいなにを手に入れようとしてるんだ?」
「ナウシカ」
叶は笑みを浮かべる。
その姿が、すっと空へ溶けていくように消えていく。
「世界のすべてを支配できる力よ」
「ナウシカ――おい、ちょっと待てよ。なんだ、ナウシカって」
「さあ、知りたいのならあなたも探してみなさい。この世界のどこかにあるって話だから」
くすくすと笑みを残して、叶の姿は完全に消えた。
大輔は舌打ちを漏らし、ため息をつく。
「大丈夫か、岡久保。なにもされなかったか?」
「は、はい、たぶん」
「まったく、あいつはわけがわからん。ま、それはいまにはじまったことじゃないけど」
そもそも、叶のことを理解しようとするほうが間違っているのだ。
あれは理解できないものとして置いておくほうがいい。
どうせどれだけ考えたところで理解などできないのだから。
それよりも、今後のことを考えるほうがいくらか有益だった。
大輔は無理やり叶のことを頭から追い出し、どこへ向かうか、と考える。
「ま、とりあえず歩いていくしかないか」
大地は、空と同じようにどこまでもつながっている。
歩いていればどこかには行き着くだろう。
大輔は肩の力を抜き、生徒たちといっしょに、どこかを目指して野原を進んでいくのだった。
続く




