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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
緑竜と幻の谷
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緑竜と幻の谷 7

  7


 人間の気配が去ると、巨大な大陸ドラゴンたちのあいだに安堵の空気が広がった。

 燿は不思議そうな顔で、


「人間なんて、みんなにとってはそんなに怖い相手じゃないんじゃないの? ばーんってやっちゃったら簡単に追い払えると思うけど」

『追い払うことは難しくない』


 ドラゴンの一匹が言った。


『人間ひとりひとりは問題にはならない。しかし人類となれば、厄介なことになる』

「まとめてかかってこられたら大変ってこと?」

『それでも負けはしない。ただ、われわれは争いということをしたくないのだ』

「平和主義……なんですね」


 泉がぽつりと言って、ちいさくうなずいた。


「なんだか、わかる気がします」

「平和主義というより、効率の問題だと思うけどね」


 大輔は泉よりは現実的な認識をしていた。

 それはつまり、生態的な要請なのだ。


「彼らは外部からエネルギーを補充しない。そうだとしたら、体内にあるエネルギーを使って生きなきゃだめだ。無駄な争いをして、無駄なエネルギーを使えば、その分早くエネルギーを失ってしまう」

『そう、だからわれわれは、ここで静かに暮らしている。動くこともなく、争うこともなく』

「まるで、本当の山みたい」


 と紫、


「でも、意志がある。そうしかできないんじゃなくて、そうすることを選んだ。なんだかすこし羨ましい生き方だけど」

「人間はなかなか、そんなふうに生きられないからなあ」

『そうだ。人間は生き急ぐ。力を温存するということを知らない。それが人間の生き方なのだろうが、われわれはその生き方に合わせることはできない』

「つまり、人間がこの土地に入り込むのは困るってこと?」


 燿が悲しそうに言うと、それが意志として伝わって、反対にドラゴンたちからは慰めるような温かい心が流れ込んできた。


『おまえたちのような人間なら問題はない。しかし人間は様々だ。争いを嫌う者もあれば、争いを好む者もある』

「たしかに、それは否定できないところだ」

『ゆえにわれわれは、人間を拒む。争うのではなく、お互いに干渉しない関係を望む。いままではそうしてきた。しかし、状況は変わってきている』

「どういうことだ」

『先ほどのように、人間たちがこの土地へ入り込むことが多くなっている。以前にはなかったことだ』

「人間がこの場所を見つけたってことか?」

『そう、見つけた、という表現は正しい』


 巨大なドラゴンはゆるやかに首を動かし、大輔を見た。


『もともと、この土地は、隠された土地だった』

「隠された土地?」

『人間たちが踏み入れても、そうと認識することができない土地だ。われわれを見ても、われわれを認識することができない。なにも気づかず、この土地を通り過ぎる。そういう場所だった。しかしこのところ、人間たちがわれわれに気づきはじめている』


 ふむ、と大輔はうなずく。


「やがては全人類がきみたちに気づき、伝説でしかなかった大陸ドラゴンは実在する生物として発見されてしまうってことだな。そうなれば、いまのような静かな生活はできなくなる。きみたちにとっては死活問題だ」

『そうだ。われわれは危惧している。人間と敵対しなければならない事態を』


 大輔はなにか言おうとして、三人分の目が自分を見ていることに気づいた。

 言わずもがな、燿、紫、泉の三人である。

 三人とも、なにかを訴えるような目でじっと大輔を見ている。


 もちろん、彼女たちとも短い付き合いではないし、なにが言いたいのかはわかっている。

 大輔は生徒たちのお人好しさにため息をつき、結局それに乗ってしまうであろう自分のお人好しさにも呆れた。


「ま、人間、好きなように生きるのがいちばんだな。がまんしてもストレスで身体を悪くするだけだ」

「先生、なんの話?」

「こっちの話。おまえたちにはまだ早い大人の話だよ」

「先生、セクハラです」

「言われると思った。でもまあ、そうだな――なにかぼくたちに協力できることはあるかい?」

『協力?』


 ドラゴンは大きな目で大輔を覗き込んだ。

 大輔はその目に映った自分を眺めながら、


「人間とドラゴンの和解に関して、ぼくたちに手伝えることはあるかな?」

『なんのために? おまえたちにはなんの利益もない』

「ふむ、ドラゴンはみんな同じことを言うんだな。おい、緑ドラゴン、言ってやれ」


 エメラルド色のドラゴンは首をもたげ、仲間たちを見回した。


『人間は、常に利益を考えるほど賢くはないそうだよ。ボクも彼に教わったんだけど』

『ふむ、なるほど』

「納得したかい、ドラゴン諸君。じゃあ、そろそろ作戦会議をはじめようじゃないか。どうすればこの土地を人間界から隔離することができるか、だ」

「柵をつけたら?」


 燿が、さも名案かのように言う。


「この先、ドラゴンあり。噛みつき危険、とか張り紙出してさ。そしたらみんな、怖がってこないんじゃない?」

「ぼくはおまえののんきさが怖いよ」

「とりあえず、ひとりふたり見せしめにして、そのへんに吊るしとくとか」

「なに怖いこと言ってんの神小路! 最近の若者マジ怖い。そもそも、どういう連中がこのへんを通りかかるんだ? 言っちゃ悪いけど、こんな山のなか、だれも通らないと思うな」

『通行人という意味では、ほとんどいない。しかしこのところ、妙な人間たちがあたりをうろついている』

「妙な人間?」

『兵士のようだ。革命軍と言っているのを聞いた』


 革命軍。

 その単語が現れた瞬間、この出来事は大輔にとっても他人事ではなくなった。

 革命軍の背後には叶がいて、つまり、これは叶が引き起こした問題といえないこともないのだ。


 大輔は眉間を押さえる。

 ため息とともに頭痛も逃げていけばいいのに、と思うが、人体はそれほど都合よくできてはいなかった。


『今日やってきた人間は、異世界人だとも言っていたな』

「異世界人? 異世界人も革命軍に協力してるのか。だとしたら、向こうも魔法を使ってくると考えたほうがいい。ああ、なんか革命軍って聞いたら急にやる気なくなってきたなあ。関わりたくないなあ、革命軍」

「せんせ、しっかりして。あたしたちがついてるから!」

「うう、七五三、おまえいいやつだけど、ばかだよなあ」

「ば、ばかじゃないよっ」

「あの」


 いつものように控えめに、泉がちいさく手を上げて口を開く。


「いままでは、どうやって人間の目から隠してきたんですか? いままでもまったくひとがこないわけじゃなかったんですよね」

「そう、いいところに気がついたな、岡久保。先生、おまえのことが大好きだ」

「え、あの、ごめんなさい」

「いや告白してないしなんでフラレたのかまったく意味不明だけど!」

『いままでは、魔法を使っていた』


 ドラゴンが答える。

 大輔はやはりとうなずいた。


「そうとしか考えられないよな、たしかに。じゃあ、きみたちも魔法を使えるのか?」

『いや、われわれは魔力を持っているだけだ。魔法を使うことはできない。はるか昔、ある魔法使いがわれわれに魔法をかけてくれた。その魔法で人間の目には触れなくなっていたが、魔法の効力がなくなってきたのか、このごろはその魔法にほころびが見える』

「じゃあ、その魔法をかけ直せばいいってことですか?」


 いや、と大輔は首を振る。


「たしかに魔法をかけ直せればいちばんいいけど、それはなかなかむずかしいと思う。なんたって、これだけの規模だ。たった一瞬覆い隠すことくらいはできるけど、この先何十年、何百年って人間の目から隠すのは、ぼくたちじゃ不可能に近い。ま、近いってだけで、ぼくが本気出して研究すれば不可能じゃないけどね」


 問題になるのはむしろ、魔法そのものよりも持続力、すなわち魔法使いの能力だった。

 魔法の発動自体はさほど難しくはない。

 大きく、特殊な魔術陣が必要になるだろうが、大輔にはそれを完成させられるだけの自信があった。


「でも、魔力だけはなあ……機械を動かす電力みたいなもんだから、これを省略するわけにはいかないし。前の魔法使いは、どうやって何百年も保たせたんだろうな。ううむ、研究のしがいがありそうだ」

「先生、今回はそんな時間もなさそうですよ」


 と紫が冷静に言って、


「革命軍は、もしかしたら、この西側にある町へ向かうつもりなんじゃありませんか?」

「西側の町?」

「ああ、そっか、先生は絶賛みっともなく気絶中で見てなかったんですね。そんなみっともない先生にお教えしますと、この西側にはミトラという町があるそうです。平和で、争いのない町らしいですけど」

「みっともない先生に教えてくれてありがとう。先生、いろんな意味で泣きそうです。ミトラね、聞いたことがない名前だな」

「ちいさな町でしたよ」

「まあでも、それなら納得できるな。革命軍は山を超えて、不意打ちをしようとしてるんだろう。だとしたらこのルートを必ず通る。ってなれば厄介だな。ひとりふたりなら完全に追い返せるけど、何千人って数がきたら、とてもぼくたちだけじゃ追い返せないぞ」


 そもそも、大輔たちはこのままこの場所に住み続けるわけではない。

 大輔たちがいるあいだはいいとしても、立ち去ったあと、人間がやってきて混乱を招くのではなんの意味もないのだ。


「根本的に解決しなきゃいけないらしいなあ、これは」

『無理をする必要はない』


 ドラゴンは静かに言った。


『もともと、おまえたちには関係のない問題だ』

「さっきまではそうだったんだけどね、いまじゃ関係ないとは言いきれない。革命軍とぼくたちはちょっとした因縁があって、やつらの邪魔をしてやりたいんだよ」

『ふむ』

「でも相手にも魔法使いがいるんだとしたら、選択肢はふたつだ。先を取って速攻で片付けるか、相手の出方を見てから後の先を取って反撃するか」

「個人的には、相手の出方を見てからのほうがいいですけど」


 紫はにやりと笑う。


「そのほうが相手を実力でねじ伏せた気がして楽しくありません?」

「ううむ、ぼくは教育方針を間違ったんだろうか……」

「せんせい、ゆかりんのもともとの性格だと思うよ、あれ。でも、速攻でやっちゃうっていっても、相手がどんなひとなのかもわかんないんだよね? 戦わなくたって、話し合いでなんとかなるかもしれないよ。ここにはドラゴンさんたちが住んでるから、別の場所を通ってくださいって。おっけーって迂回してくれるかも」

「だとしたら最高だけど、考えるべきは最高の結果じゃなくて最低の結果だ。説得はしてみるとして、それが通じず、戦わなくちゃいけなくなったときのことを考えておこう」

「向こうの魔法使いはひとりでしょう? 普通の人間は敵になりませんから、三人でひとりを袋叩きにすれば済むんじゃ?」

「簡単に考え過ぎだ。もし向こうが単独だとしたら、単独でやっていけるだけの魔法使いってことになる。おまえたちはよくも悪くも半人前なんだ。油断してると一気にやられるぞ」


 むう、と紫は眉をひそめる。

 半人前、と言われたのが気に食わないらしいが、反論するにはあまりに正論すぎるのだ。


 大輔は腕を組んで考え込み、ひとまず、結論を出す。


「今日はもう時間も遅い。それに、向こうはぼくたちには気づいていない。仕掛けてくるとすれば明日だろう。できれば明日、決着をつけてしまおう」

「どうやって?」

「罠を張る」


 ふふん、と大輔は笑った。


「今回は、向こうがこっちの陣地へ攻め込んでくるわけだ。もちろん罠を張って待ち構え、足を取られて動けないところを一対他の戦いに持ち込み、確実に勝つ」

「……なんだか、先生が言うとすごく悪いことのように聞こえますね」

「はっはっは、ぼくのことは悪の先生と呼んでもいいぞ。そうと決まれば、罠は今日のうちに張っておく。それが済んだら明日に備えてぐっすり休もう」


 そうして彼らは、巨大な大陸ドラゴンが見下ろすなか罠を仕掛け、冷える山岳の夜に備えて魔法で防寒を済ませ、眠りについたのだった。



  *



 岡久保泉は、ふと目を覚ました。

 正確にいえば、一度も眠らないうちに再び瞼を開き、いつまでも待ってもやってこない眠気に嫌気が差して身体を起こしたのだった。


 泉はやわらかな布の上で身体を起こす。

 その布自体、魔法で作り出したものだが、周囲二、三メートルには冷気を遮断する魔法も張られていて、気温は一定に保たれている。


 あたりを見回すと、ちょうど泉の左右で、燿と紫がぐっすり眠っている。

 燿は泉のほうを向き、自分の手を握り合うように眠っていて、紫は仰向けで静かな寝息を立てている。

 ふたりはどうやら眠るという幸運に恵まれたらしい。

 その幸運から省かれてしまった泉はため息をつき、ふたりを起こさないように立ち上がった。


 魔法の範囲外へ出た瞬間、きんと凍るような空気が肌に触れる。

 山の夜は、それほど冷たい。

 しかし思いの外、暗くはない。


 単日の夜である。

 空には太陽がない。

 この惑星には衛星がないから、地球のように月もないが、その代わり星明りが際限なく降り注いでいる。

 まるで青白い光が滝となって、宇宙の果てから地表へと落ちてくるようだった。


 生徒三人が眠る場所からすこし離れて、大輔がごろんと寝そべっている。

 同じく魔法で冷気から守られているから、寒そうではないが、うつ伏せになって潰れた蛙のような寝相になっているのはどうなのかと泉はひとりで苦笑いした。


 普段はあまりわからないが、大輔はああ見えて優秀な魔術師で、ダブルOの隊員で、教師だった。

 防寒具を出す魔法や冷気を遮断する魔法も大輔が考案、改良したものらしく、魔力の消費も大きく抑えられているから、眠ったままでも展開できるし、夜通し発動していてもあまり疲労は溜まらない。


 泉は野原の端で腰を下ろした。

 近くでは、ちいさな草花がまるで星空に手を振るように揺れている。

 泉はそれに寂しさを見て、きゅっと膝を抱えた。


『どうしたの、眠れないの?』


 頭のなかに意志が伝わってくる。

 薄闇に目を凝らすと、すこし離れたところで、エメラルド色のちいさな、といっても体長二十メートルほどはあるが、ほかのドラゴンに比べて小型のドラゴンが眠るでもなく首をもたげていた。


 泉はゆるゆると首を振り、


「大丈夫。ちょっと、目が覚めただけ」


 こういうところがよくないんだ、と泉は仄かな自己嫌悪を抱いた。

 もし紫や燿なら、素直に自分の心を表現することができるだろう。

 心配をかけたくない、と黙っていることがかえって相手に心配させてしまうとわかっているのに、なかなか自分の感情を表に出すことができない。


『人間って不思議だね』


 赤い瞳が、暗闇のなかからやさしく泉を見つめていた。


『口にする言葉と、感情とがあまり一致していない。ボクたちにはそんなことはあり得ないから』

「……そう、かな。人間なら、みんなそういうこと、あると思う」

『言葉と感情がまったくちがうこと?』

「うん」

『でも、言葉って他人に意志や感情を伝えるものだよ。ボクたちは言葉を使わない。直接意志や感情を伝えることができるけど、ほとんどの動物はそうじゃない。じゃあ、言葉が意志や感情を伝えていないとしたら、いったいなにを伝えているの?』

「わからないよ、それは――」

『きみは?』

「え?」

『どうして言葉で意志や感情を伝えようとしないの?』


 泉は答えられなかった。

 やがて雫が落ちるように、


「意志や感情を伝えると、だれかを傷つけるかもしれないから」


 それは、いまにはじまった不安ではなかった。

 子どものころからずっと泉のなかにあって、だれにも話せなかったことだった。

 もちろん燿や紫にも話したことはなく、これから先話すかどうかもわからない。


 ふたりは大切な友だちだと思っているからこそ、自分のそんな暗くて情けない部分は隠しておきたい気がするのだ。


『きみは、だれかを傷つけるような人間には見えないけど』

「心のなかはわからないよ。顔は笑ってても、心では怒ってるかもしれない。でも、怒ってるって言っちゃうと、けんかになっちゃうから笑ってるの。人間ってみんなそうだと思う」

『ふうん。直接意志をやり取りするボクにはわからないな。でも、もう眠ったほうがいいんじゃない? 明日はいろいろ大変だろうし』

「うん、そうする」


 泉は立ち上がり、魔法で守られた狭い空間のなかに入った。

 紫と燿のあいだに寝転がると、その気配で燿が寝返りを打ち、仰向けになりながら泉の手首をきゅっと掴んだ。

 泉はその体温にほっとして、目を閉じ、呼吸を整え、ゆっくりと眠りへ落ちていった。


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