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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
緑竜と幻の谷
23/109

緑竜と幻の谷 6

  6


 大陸ドラゴンといっても、色や形は様々だった。

 雲を悠々と突き抜けるほど巨大なため、細かな部分はよく見えてこないが、色が多彩なことはすぐにわかる。


 大輔たちが乗ってきたドラゴンは、きれいなエメラルド色をしている。

 しかしほかのドラゴンたちはみなくすんだ色をしていて、赤っぽいものから黒っぽいものまで様々あり、じっとうずくまっているとそのまま巨大な岩のように見えるドラゴンもいた。


 また、翼の有無もいろいろだった。

 共通しているのは首が長いことと、どれも信じられないほど巨大だということである。


『ここがボクたちの巣なんだ』


 ドラゴンは言った。

 森のなかではひときわ巨大に見えたそのドラゴンでさえ、ここではまるで赤ん坊のようにちいさい。


『人間たちが大陸ドラゴンと呼ぶ理由がわかったかな?』

「た、たしかに、こいつは大陸並みだな……なんてでかい生き物なんだ」

「ふわあ、すごい……」


 泉も頭上を見上げ、呆けたような声を出す。


『人間たちか』


 緑色のドラゴンと同じような、声とも言葉ともつかないもので、しかしどのドラゴンが意志を伝えてきたのかは直感的に理解できる。

 大輔たちのすぐ後ろにいる、灰色のドラゴンが長い首をゆっくりと下げて人間たちを見ていた。


『ただいま、みんな』


 大輔たちを運んできたドラゴンはふわりと翼を広げる。


『いろいろあって、遅くなった。途中でちょっと困ったことになったんだけど、この人間たちに助けられたんだ。それでボクたちの巣が見たいっていうから、連れてきた』

『ふむ』


 ずん、と地面が揺れる。

 何千メートルというドラゴンだけに、身じろぎするだけでまるで大地震でも起こったような騒ぎだった。


「ど、どうも、みなさん。お邪魔してます」


 大輔が言うと、数匹のドラゴンが首を動かし、ぐっと顔を近づけてきた。

 その頭だけでも、何百メートルかはある。

 黒い眼球も人間よりはるかに大きく、近くから観察するともはやそれが一匹の生物だとは信じられなかった。


『魔力を感じるな』

「はあ、ぼくたち、魔法使いなもんで」

『ほう。異世界人か。久しく見ていなかったが』


 ドラゴンは尖った鼻先を大輔に近づけ、すこし口を開いた。

 その口のなかは、もはや洞窟の入り口である。

 ぱくりとやられたらひとたまりもないだろうな、と思うと、相手にその意志がないことがわかっていても恐ろしい。


 しかし、そのあたりはさすがに燿である。

 大輔の後ろからとことこと出ていって、臆することなくドラゴンの硬い皮膚に手を触れた。


「わあ、すごい、ほんとに岩みたい」

「お、おい、七五三、おまえすげえな。先生、はじめておまえを尊敬するよ」


 ドラゴンの黒い目が、ぎょろりと燿を見る。


『小娘。おまえも異世界人だな』

「うん、そうだよ。ねえ、ドラゴンって山とか岩になれるの?」

『擬態することはできる。能力といえば、そのくらいだ』

「へー、おもしろいね」

『おもしろい? おまえたちのほうがよほどおもしろい生物に思えるが』

「ほんとに? 普通だよ、人間って。ドラゴンのほうがおもしろいよ」

『ふむ、そうか。ではそういうことにしよう』

「そうそう、そうしたほうがいいよ」


 噛み合っているような、いないような。

 ともかく会話が成立しているというだけでも凄まじいことだった。


 多くのドラゴンたちはなにも言わず、しかし興味深げに人間たちを観察している。

 それなら、と大輔もドラゴンをしげしげと眺めて、


「なあ、これだけでかい身体を支えるには相当の食料がいると思うんだけど、そのへんはどうなってるんだ?」

『われわれは食事をしない。生まれてから死ぬまで、なにかを摂取することはない』

「マジか、すげえ。ホタルみたいだな。でも、寿命は長いんだろ?」

『なにをもって長いとするかにもよるが、人間より長く生きることはたしかだ』

「いま何歳?」

『数えたことはない』

「はあ、そうか。いやあ、興味深い生態だな。これでひとつ論文が書けそうだ」

「ねえ、乗ってもいい?」

『乗れるのなら』

「わーい!」

「翼の有無に差があるのは、遺伝子的な種類がちがうのか、それとも環境の適応か。そもそもこれだけの巨体だから飛ぶのは無理だろうな。ってことは翼が退化した種とそうじゃない種があるわけで、つまり昔のドラゴンはもっとサイズがちいさかったのか、あるいは翼がもっと大きかったのか……」


 ドラゴンの周囲に寄ってぶつぶつと呟く大輔に、さっそく崖を上るようにドラゴンの鱗を上っていく燿を眺め、紫と泉は顔を見合わせて苦笑いした。


「あのふたりって、ああいうところ、ちょっと似てるよね」

「うん、そう思う」

「コミュニケーション能力がずば抜けてるっていうか、だれとでもすぐ仲良くなれるっていうか」

「なあなあ、ドラゴンって脱皮したり変態したりするわけじゃないよな? 普通に身体が大きくなっていくってことでいいのか?」

『そうなる』

「ってことはやっぱりエネルギーが必要だよ。ホタルの成虫は食事をしない代わり、大きくもならないし、体内に蓄えておいたエネルギーを消費してしまうとすぐに死ぬ。普通生物が成長するには外部からエネルギーを補充しなきゃいけないんだけど」

『われわれは魔力で生きている。魔力が尽きれば、死ぬだけだ』

「ふむふむ、なるほど。魔力ってものはまだ解明されてない部分も多いからなあ。もちろん永久機関があるはずはないけど、魔力ならそれに近い効率のことは可能かもしれないし。興味は尽きんなあ」

『変わった人間だな、おまえたちは』

「え、そうか?」

『普通の人間は、われわれの生態など気にはしない。大きさに驚き、逃げていくばかりだ』

「未知のものにびびってちゃ学者は務まらないよ。まあ、超天才のぼくが人並みじゃないことはたしかだけど」

「先生、変人だもんね!」

「七五三、おまえには言われたくない!」

『ふむ、やはり変わっている』


 ドラゴンは眠たげな仕草で、ゆっくりと瞬きをした。

 大輔は雲の向こうに霞むほかのドラゴンたちを見やって、


「ここには何体の大陸ドラゴンがいるんだ?」

『二、三十というところだ。昔はもっと魔力が濃く、強力だったために数が多かったが、いまではそれだけしか残っていない』

「いや、これだけでかいのが二、三十もいたらえらいことだよ。全員、ずっとここに?」

『ここはわれわれの巣だ。ここで生まれ、ここで死ぬ。ここから出ていくのは、変わり者だけだ』

「その変わり者があいつってことか」


 エメラルド色が美しい若いドラゴンは、自分のことが噂されていると感じるのか、ぴくりと首を動かす。


「ここには、人間がくることはないのか?」

『ほとんどない。以前は、まったくなかった。しかしいまは――』


 鳴き声が聞こえた。

 低く、洞穴を抜ける風のような鳴き声が響いて、ドラゴンたちは一斉に首をもたげた。


「どうした、なにかあったのか?」

『人間がきたらしい』


 ドラゴンはすこし悲しげに言った。



  *



 アリシア山脈を超えるのは、なるほど、たしかになかなか厄介な仕事ではあった。

 マイク・ブラックは革命軍の精鋭を数人連れ、厳しい山越えに挑んでいた。


 革命軍が通過しようとしている山道は、ほとんど道とは呼べないような崖とちょっとした出っ張りを繋げている程度のものである。

 それも古い道だから、歩いていると足元が崩れ、一歩足を踏み外すと何百メートル滑落するかわからない。

 そんなところを進ませるというのだから、革命軍の司令官ロメイルもまともではない。


「まあでも、こうでなくっちゃおもしろくない」


 ブラックはにやりと笑い、五、六人の道連れとともにいくつかの山を超えた。

 二日がかりで山脈を進み、最高峰であるルヴェルタ山の麓へ到着したのは、革命軍の宿営を出て三日目のことだった。


 季節は夏だが、標高が高い場所では、いまだに雪が残るほど寒い。

 一行は防寒着を着こみ、ルヴェルタ山の麓をぐるりと迂回するように移動する。


「問題の、存在しないはずの山ってのはいったいどこにあるんだ?」


 大きな螺旋を描くようにぐるぐると巡っている細い山道を歩きながら、ブラックが言う。

 前を歩く革命軍の兵士は振り返りもせず、


「この山の西側です」

「つまり、この道を超えた先だな」

「はい。ただし、この道を超えた場所からは、それらの山は見えません。さらに近づいてみて、はじめて存在していることに気づくのです」

「ルヴェルタ山より高いような山なのに、か?」


 ブラックはちいさく笑い、空を見上げた。

 天気はいいが、雲がちらほらと見える。

 それが山にかかれば、冷たい雨になるかもしれない。


 向かって右手にあるルヴェルタ山は、さすがこのあたりの最高峰だけあってひときわ高く伸び、巍々たる威容を誇っている。

 周囲にはほかにも山が連なっているが、もちろんルヴェルタ山よりも山頂が高い山はひとつもない。


「まあ、行ってみりゃわかるか」


 ブラックは荷物を担ぎ直し、山道をひたすら進んだ。

 やがて、広い裾野を迂回して、ルヴェルタ山の西側に出る。

 西側はアリシア山脈の果てであり、そこからはすこし平坦な土地が続いているはずだった。


 ブラックが見たところ、それはなんの変哲もない野原に見えた。

 まだ標高が高いから、背の高い植物はなく、さわやかな風が吹き、草花が揺れている。

 すくなくともルヴェルタ山より大きな山々など、どこにも見えはしない。


 すでに一度、その幻の山々を目撃している案内役の兵士は、ブラックの疑問を察したように口を開いた。


「われわれが見たときも、同じだったのです。ようやく山を超えたと、ほっとしたときでした」

「突然山が現れた?」

「おかしな話に聞こえますが、それが事実ですので」

「疑っちゃいないさ。ここは新世界、起こるときはなんでも起こる」

「新世界?」

「おれたち異世界人は、この世界をそう呼んでるんだ。新しい世界、ってな。最初からこの世界に住んでるきみたちからすれば、それこそおかしな話だろ」


 ブラックはくすくすと笑った。


「よし、今日はもう時間も遅い。ここでキャンプを張るぞ。そのあいだ、おれはちょっと進んで幻の山ってやつを見てくる」

「おひとりで大丈夫ですか」

「監視役が必要ならついてくればいいが、そこまで指示されてないんなら、そのへんで適当に寝てりゃいいさ。腹出して寝たら風邪ひいちまうぜ」


 荷物を下ろし、ブラックは散歩にでも行くような気軽さで歩き出した。

 兵士たちはそれを呆然と見送り、顔を見合わせ、結局ひとりだけがブラックのあとをついていく。


 山道は、ゆるやかなつづら折りになっている。

 踏み固められた土の周囲には細い茎の、どこか頼りない植物が群生していて、ところどころでちいさな白い花も咲いていた。


「なかなかいい景色だよなあ」


 独り言のようにブラックは言って、兵士を振り返り、にやりと笑う。


「きみ、おれを変なやつだと思ってるだろう」

「は――いえ」

「正直に言っていいんだぜ。おれは変なやつだって言われるのが好きなんだ」

「はあ、そうですか」

「普通のやつだって言われるより、あいつは変わってるって言われたほうが特別な感じがするだろ? でもな、案外世間には、普通のやつよりも変なやつのほうが多いんだぜ。おれも含めて、な」


 ブラックは足取りも軽く、飛ぶようにつづら折りを降りていく。

 兵士はそのあとにぴたりとついていった。


 たしかに、マイク・ブラックはとらえどころのない男である。

 飄々としているかと思えば、不意にぎらつく刃を見せることもある。

 かと思えば、次の瞬間にはからからと笑い、もう歩き出しているという始末だった。


 兵士はマイク・ブラックについて、ここまでの道のりで、彼が魔法使いだということ、異世界のアメリカという国の出身であることを聞いていたが、それ以上のことはなにもわからなかった。

 兵士にはあるまじきことだが、すこし、マイク・ブラックという男について興味を抱き、聞いてみる。


「あなたの国では、このような景色はないのですか?」

「アメリカかい? いやいや、舐めちゃいかんぜ。アメリカにはすべてがある。山もあれば、海もある。もちろん、こんな景色だってアメリカのどこかにはあるだろうさ。世界一の大都会もあれば、だれも住んでない不毛の地もある。それがアメリカのすごいところだ」

「では、どうしてあなたはこの世界へ?」


 ブラックは立ち止まり、兵士を振り返って意味ありげに笑ってみせた。


「なかなかいい質問だ。どうしておれがこの世界へやってきたのか。知りたいか」

「はあ、まあ」

「でかい理由を言うなら、病気さ」

「病気ですか」

「おれを死に至らしめる不治の病ってやつだ。こいつは人間ならだれもが持ってるが、発病する時期がちがう。なかには死ぬまで発病しないやつもいれば、子どものころに発病しちまうやつもいる。おれは十五のころに発病して、それからずっと病気と付き合ってる」

「どんな病気なんです?」

「スリルがないと生きていけない病気だ。のうのうと生きることができなくなって、金も地位も女も放り出して拳銃の前に立ちたくなっちまう難病なんだよ。その病気が、おれをここへ連れてきた。ここならおまえも生きやすいはずだっておれの頭のなかでささやきやがる。

 そいつの悪いところはな、おれを煽るだけ煽るくせに、満足するとすぐ消えちまうところだ。だからおれはいつも尻拭いばっかりしてる。そいつがここまでおれを連れてきたくせに、どうやって生きるべきかは教えちゃくれない。だから仕方なくこうやって金儲けをしてるってわけさ」


 ブラックの話は、兵士には理解できないことも多かった。

 しかしブラックが自分とはまったくちがう生き方をしているのだということはわかって、それをすこし羨ましく思う。


「きみはどうだ?」


 ブラックは歩きながら言った。


「きみはなんのためにここにいる?」

「なんのために?」


 兵士は一瞬立ち止まり、すぐに早足でブラックに追いついた。


「自分は、革命のために革命軍へ入りました」

「革命ね。世界中で聞く言葉だ。しかしおれには理解できない。きみたちが言う革命ってのは、いったいなんだ?」

「世界を変えることです。いまの世界は、一部の特権階級だけが得をしている。それ以外の人間たちは一部の特権階級の贅沢を支えるためだけに働いているのです。そんな現状を、許すことはできない。考えてみてください。あなたはある国で農民として暮らしている。毎日、朝から晩まで働いて、収穫したものを地主に渡す。地主はあなたに生活できる最低限の賃金しか与えない。そうして地主は私腹を肥やし、贅を尽くした食事をして、宮殿のような家に住んでいる。こんなことが許されると思いますか?」

「さて、どうかな」


 ブラックは薄く笑う。

 若い兵士は、その態度にむっと眉をひそめた。


「おれが気に食わないか?」

「いえ――」

「まあ、許してくれや。おれは異世界人で、しかも農民の経験はねえ」

「では、以前はなんの仕事を」

「兵隊さ。きみとちがって、大義のために働いていたわけじゃないがね。金がもらえて、リスクが高い仕事といやあ兵隊がいちばんだった。でもまあ、そうだな、兵隊を例にしても考えることはできる。おれは死に物狂いで敵を殺す。返り血を浴びて、心を消費していく。それで得られる金なんて大したもんじゃねえ。おれたちが戦場で殺し合いをしてるあいだに、大統領は客と優雅なパーティを開いてるわけだ」

「それに憤りは感じないのですか」

「感じたこともある。でも、慣れさ。そういうもんだと思いこめば、大した苦痛でもない。おれたちは搾取される。でも、人間ってのはよくできてるもんでな、他人の気持ちを考えることもできる。搾取されてる人間には搾取されてる人間なりの苦痛があって、搾取する人間には搾取する人間なりの苦痛があるってわけさ。そう考えりゃ、理不尽に怒ることもなくなる。どうだい、宗教家になれそうだろ?」


 本気か、それとも茶化しただけなのか、ブラックはまじめな顔で言った。

 兵士はそれから一言もしゃべらず、ふたりはつづら折りを下りきる。


 山の麓には、牧歌的な野原が広がっている。

 ブラックはその青々とした自然に惹かれるように一歩進んで、異変のなかに足を踏み入れた。


「――ははあ、なるほど」


 ブラックはあたりを見回して、感心したようにうなる。


「こいつはたしかに不思議だな」


 野原に入った瞬間、あたりの風景が一変している。

 牧歌的な風景は一瞬にして失われ、いまや天を穿つ山が無数に立ち並び、いままでよりも険しい山岳地帯になっているのだ。


 背後にあるルヴェルタ山よりもはるかに高い山々ばかりが連なり、ブラックは自分がちいさな塵のひとつになったように感じられて、あまりに遠すぎて見ることができない山頂を見上げているうち、地面が抜けて無限の奈落へ落ちていくような、ほとんど本能的な恐怖を覚えた。


 野原に一歩踏み入れるまではたしかに存在しなかったはずの山々である。

 もしこの山が実在するのであれば、山脈の形は大きく変わって見えるだろう。


「まともじゃないってのは本当らしいな」


 ブラックは動物のように鼻を蠢かせた。


「たしかに匂う。魔力の匂いがするな。こいつはだれかの魔法だ」

「幻ですか?」

「いや、ちがう――さっきまでが、幻だったんだ。だれかがこの土地を隠してたんだよ。その魔法が弱まって、おれたちが見えないはずの現実に迷い込んでる」


 ブラックはくるりと踵を返した。


「さて、確認も済んだし、キャンプに戻るか」

「なにもしないのですか?」

「解決は明日だ。あるいは、それよりもあとになる。まずはこの魔法を発動させた魔法使いを探さなきゃならん。そいつは、相当のタマだぜ。これだけ大規模の魔法を長時間維持してるんだからな」


 再びゆるやかなつづら折りを上りながら、ブラックは心底楽しげに笑った。


「やっぱり新世界はこうでなくちゃな。どうせやるなら、桁違いに強いやつのほうがいい」


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