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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
緑竜と幻の谷
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緑竜と幻の谷 5

  5


 いまや総勢二十万人を超す大軍団となった革命軍は、なにもすべての人間が常に行動を共にしているわけではない。

 むしろ、同じ革命軍でありながら顔も名前も知らないということも珍しくはなく、革命軍の噂を聞きつけた地方の組織が勝手に革命軍を名乗ることさえ頻発していた。


 そんななか、正規の革命軍もまた、世界中にあるすべての国の革命を達成すべく、大陸のあちこちに組織を派遣していた。

 第六十八師団もそんな組織のひとつで、総勢一万二千という兵を持ち、主に大陸の中部で活動を続けている。

 その実力に関しては折り紙つきであり、つい先日もシュルドンという大国を落とし、さらに潤沢な資金と物資を得たところだった。


 そんな革命軍第六十八師団の司令部に、ひとりの男が後ろ手に縛られて連れ込まれていた。

 第六十八師団を指揮するロメイルは、その男をじろりと見上げる。


「こいつが怪しい男というやつか?」

「はっ、宿営の近くをうろついていたので、捕らえました」

「ふむ」


 長身の男である。

 髪はくすんだ金色で、短く刈り込み、無精髭を生やしている。


「言葉は通じるか?」

「まあ、通じるな」


 男はふてぶてしく答えた。

 なんとなく、言葉に独特の訛りがある。


「何者だ、貴様」

「さて、自分がどこからきてどこへ行くのか、明確に答えられる人間がいるかね」


 男はロメイルを見下ろし、にやりと笑ってみせた。

 ロメイルは眉をひそめて男に背を向ける。


「怪しい男だ。処刑しておけ」

「はっ――」

「まあ、そうびびるなよ、大将。おれは縛られた人間だ。噛みつきゃしないさ」

「なんのためにこのあたりをうろついていた?」

「そうしていれば、あんたに会えると思ってね。この大軍を率いてる人間と会って話がしたかったんだ」


 ロメイルは改めて男を見た。

 瞳は青く、どこかひとを食ったようなところがある。

 格好は旅人とでも言いたげで、白いシャツは薄汚れ、皮のベルトにはほころびが目立つ。

 しかしまんざら愚者というわけでもないようだった。


「軍を率いているのは私だが、私になにか用でもあったか」

「仲間に入れてもらおうと思ってね」


 いけしゃあしゃあと言う。

 ロメイルはふんと鼻を鳴らした。


「そんな男は五万といる。わざわざ私に言う必要はない。入団試験などないのだから、参加したいのなら勝手に加わればよい。革命軍とはそういうものだ」

「普通の兵士なら、そうだろうな」

「貴様は普通の兵士ではないと?」

「おれは魔法使いだ」

「ほう。異世界人だというのか」

「そういうこと。なんなら免許証でも見せようか?」

「異世界人が、なぜ革命軍に加わりたい? 異世界人ならこの世界に不満などないはずだ。貴様らはどこへ行くにも自由で、どこへ消えるにも自由なのだからな」

「そうはいかなくなったってことさ。おれもちゃっちゃと金目のものでも盗んでおさらばするつもりだったんだが、帰れなくなっちまってな。とりあえず、この世界で生きていくために小金でも稼ぐことにしたのさ」

「大義はないわけだな」

「大義はないが、力はあるぜ」


 厚い唇をきゅっと釣り上げる。

 そうして笑えば、なかなか魅力がある男だった。


「よかろう、気に入った。おい、離してやれ」

「はっ――」


 縛られていたロープが解かれて、男は自由になった手首を撫でる。


「それで、貴様はなにができる?」


 ロメイルは男の瞳をじっと覗き込んだ。

 男はちいさく笑ってその視線を交わし、


「なんでも」


 と応えた。


「金さえもらえれば、なんでもやるぜ。暗殺でも、なんでもな」

「暗殺か。いまはその必要もない。しかしちょうど、常人ではどうしようもない問題に直面しているところだ。貴様ならその問題を解決できるかもしれん」

「ほう、どんな問題だ?」

「これだ」


 ロメイルは机に広げられた地図を指さした。

 このあたり一帯の地図である。


 向かって右側に、第六十八師団が落とした大国シュルドンがある。

 そこから西へ向かって野原が広がっているが、その野原の終わりに山脈があり、山脈の向こうには別の国、ミトラがあった。


「われわれはいま、このミトラへ向けて進軍を予定している」

「ふむ。シュルドンの次の獲物ってわけだ」

「有り体にいえばそういうことだ。ミトラは未だに王を戴き、古めかしいしきたりを重視している非文明国だ」


 非文明国、というのは、革命軍が好んで使う古い君主国に対する呼び方だった。

 革命に達していない国は、彼らのなかでは文明ですらないのだ。


「われわれはミトラに文明の光を与えなければならない」

「要は攻めていって落とすってことだろ?」


 あざけるように男は言った。


「悪くないぜ、そういうの。ごちゃごちゃした理由はいいんだ。やるべきことと、状況だけを教えてくれ」

「ふむ――ミトラへ攻め込むには、ふたつの道がある。ひとつはこの道、つまりこのアリシア山脈を迂回し、西側からミトラへ攻め込む道だ。行軍は楽だが、これでは日程がかかりすぎるし、敵の強い抵抗も予想される」

「もうひとつの道は?」

「アリシア山脈を越え、東側からミトラの背後を打つ」

「その方法にしよう」


 男は即答し、地図をぽんと叩く。


「山を超えたほうがおもしろそうだ」

「おもしろいかどうかは知らんが、われわれもアリシア山脈越えを計画している。まさか連中はわれわれが山脈を超えてくるとは思っていない。背後をつけば、落とすまでに三日とかからんだろう。しかし問題は、アリシア山脈の険しさだ」

「越えられないほどか?」

「いや、超える道はある。いまはほとんど使われない古い道だが、問題はない。しかし――」


 ロメイルはためらうように言葉を切った。


「ほかになにか問題が?」

「貴様は知らんだろうが、アリシア山脈には、ある言い伝えがある」

「言い伝え?」

「アリシア山脈の最高峰はルヴェルタ山だが、ルヴェルタ山に近づいた者は、二度と山から出られなくなるという言い伝えだ」

「なるほど。ありがちな話だ。危険なところには近寄るなってやつだろ。昔の人間ってのは親切だよ」

「しかしアリシア山脈を超えるためには、ルヴェルタ山の麓を通らなければならない」


 ははあ、と男はうなずく。


「わかったぜ。その言い伝えが怖くて、兵士が山脈越えをしたがらないわけだな」

「したがらないわけではない。事実、すでに先遣隊を出している」


 男の顔色がふと変わった。


「その先遣隊になにか問題があったってことか」

「そう、その先遣隊は、本来四日で越えられるはずの行程に、二週間を費やした。そして結局、山越えを諦めて宿営に帰還した。彼らが言うには、ルヴェルタ山の麓まで行ったところで、あり得ない光景を目にしたそうだ」

「いいね、興味深い。聞かせてもらおうか」

「山だよ」

「山?」

「アリシア山脈最高峰のルヴェルタ山よりはるかに巨大な山々が、突如として現れたのだ」


 山を越えようとして、まったく未知の山々と出くわしたのである。

 先遣隊はそれを越えようと悪戦苦闘したが、断念し、宿営地へ引き返してきた。


「そいつは、本物の山なのか?」

「わからん。それを貴様に確かめてもらう。魔法使いならなんとかなるだろう」

「へへ、ずいぶん適当な話だ。ま、おれごときは使い捨てても構わねえってことか」


 男はくるりと踵を返し、立ち去ろうという仕草を見せたが、すぐに立ち止まる。


「報酬は?」

「この世界で一年は遊んで暮らせるだけの金をやろう」

「よし、引き受けた。ここで待ってな。そのあり得ない山ってやつの正体を確かめて帰ってくるからよ」

「貴様――名を、まだ聞いていないぞ」


 男は顔だけ振り返り、きざったらしく笑った。


「マイク・ブラック。ブラックと呼んでくれ」



  *



 大陸ドラゴンに乗って空高くに舞い上がった一行は、あっという間に大陸南部から中部へと移動し、現在はある険しい山々が連なる山脈の上空を飛んでいた。

 ドラゴンはその漆黒の翼をゆるやかに上下させ、ぐんぐんと風を切って進む。

 背中に乗った三人の女子生徒たちはその身体にしっかりしがみつき、大湊大輔は失神したように手足をぶらりと下げてドラゴンに咥えられていた。


「あなたのおうちはまだ遠いの?」


 ごうごうと鳴る風音に負けないように燿が叫ぶと、ドラゴンは声ではない声で、


『もうすこしだよ。きみたちにとってはあんまり住み心地のいい場所じゃないかもしれないけどね』

「へー、どんなとこなんだろ。楽しみー」

『そろそろ高度を落とすから、しっかり捕まって』

「りょーかい!」


 ドラゴンは長い鞭のような尻尾をぶんと振り、首を下げて、ぐんと高度を落とした。

 ドラゴン自身が移動するだけなら、もっと寸前まで飛行して急降下するのだが、背中と口の先にいる人間たちの身体を慮って早い段階から高度を落としはじめたのだ。


 彼らはすでに、白い雲の上にいた。

 雲の上は常に晴天である。


 いかにも清々しい、空の散歩だった。

 ただ、問題は気温がぐんと低いことと酸素濃度が低いことだが、それらは大輔が機転を利かせて魔法をかけたおかげで苦にもならなかった。

 もっとも、その魔法だけかけたあと、大輔は限界に達したようにぐったりとなって動かなくなったのだが。


 単日の、たったひとつきりの太陽がまっ白に輝き、雲の表面が白波のように起伏している。

 ドラゴンはその雲のなかへ飛び込んでいく。


「わわっ」


 視界が失われ、燿たちはいままで以上にしっかりとドラゴンの硬い鱗にしがみついた。

 すぐに雲を抜けると、下には険しい山脈である。

 何千メートルかわからない山々がずらりと並び、ほとんどの山は先端に雪をかぶっていて、上空からはまるで無数の針が大地から生えているようだった。


 ドラゴンは翼を振り、山脈に沿って飛びながら、徐々に高度を落とす。

 燿は強い向かい風に髪をなびかせながら、あたりをぐるりと見回した。


 山脈の左側に、町らしいものがある。

 右側は野原のようになっていて、一面緑色で、牧歌的な風景だった。


「ねえ、ドラゴンさん、あっちにある町はなんて名前なの?」

『あれはミトラだよ。平和で、争いのない町だ』

「へえ、なんだか住みやすそう。先生もああいう町を探してたのかな?」


 その大輔は、ドラゴンの咥えられたまま反応がない。

 まるで猛禽に捕まった小動物のようにぷらぷらと揺れている。


「わっ、おっきい山!」


 前方に、山脈でもひときわ高く険しい山が見えてくる。

 その山の先端は鋭く尖り、形もいびつで、美しくはないが、自然の偉大さを感じさせる山だった。


 ドラゴンは、その威容に向かって降りていく。

 翼を振り、山頂のすぐ横をすり抜け、円を描くように高度を下げながら山脈の西側に着地しようとしているらしかった。


 燿はもちろん、紫と泉も身を乗り出して、周囲の景色を眺める。

 ひときわ高い山の西側にはすこし平坦な土地があり、どうやらそこに降りようとしているらしいのはわかったが、ある程度まで高度を下げると、不意にその平坦な土地にとんでもなく巨大な、天まで届くような山々が現れた。


「あっ――」


 それはまったく唐突な出来事だった。

 近づくまでは平坦に見えていたのに、ある瞬間、覆いをぱっと取られたように山が現れ、ドラゴンはすでにその山々のあいだに飲み込まれていた。


『すこし揺れるよ』

「わっ、きゃっ――」


 剣山のような山々のあいだを、ドラゴンは舞い踊るようにすり抜けていく。

 ほんの十メートルほどしかないような山と山のすき間を、身体を傾けながら通り過ぎ、その先に待っている山肌を寸前で回避する。

 山肌から一メートル程度の場所を飛行し、ぐるりと迂回して、再び狭いすき間を抜け、なんとか平坦な土地の上で静止した。


「じぇ、ジェットコースターみたいだったね」

『お疲れさま。到着したよ』


 ドラゴンは巨大な翼を振りながらゆっくりと着地し、まず大輔を地面に下ろし、それから身体を伏せて燿たちが降りやすくした。

 大輔は背の低い草が生えた大地にべたりと落ちて、しばらく死んだように反応もなかったが、そのうちもぞもぞと動いて仰向けになる。


 頭上には青い空があった。

 幻のような、澄みきった空である。


「ああ、そうか、ぼくは死んだんだ――」


 肌寒い風が草を揺らし、大輔の頬を冷やす。

 たしかに、天国といえばそんな雰囲気がないでもない場所だった。


 しかしここは天国ではないし、大輔も自分が天国に行けるとは思わなかった。

 現実逃避をやめ、ドラゴンに咥えられて雲の上を飛ぶという悲劇は「なかったこと」にして、むくりと起き上がる。


「むう、ここは、大陸のどのへんだ?」


 大輔が立っているのは、あまり広くはない野原の真ん中である。

 周囲は、すべて山に囲まれている。

 それも普通の山ではない。

 エベレストもかくやというような、六千メートル、あるいはそれ以上に高く伸びるあまりにも壮大な規模の山々だった。


 これだけ巨大な山々が連続していると、地面が隆起したというより、いま大輔たちが立っている土地が削れて落ち込んだ土地のように見えてくる。

 現存する山は、崩壊した巨大な台地の柱のようだった。


 標高がある分、山の中程から上は白く染まっている。

 この野原も平地よりは高い場所にあるらしく、生えている植物は高山植物の種類で、吹く風も初夏よりも冷たいくらいだった。


 しかし爽やかな風ではある。

 人間の気配が感じられない、青く澄み切った風だ。


 大輔は傍らに目を向け、三人の生徒とドラゴンが無事にいることを確認する。


「ドラゴンくん、ここはどのへんなんだ?」

『大陸の真ん中あたりだよ。人間は、アリシア山脈と呼んでいるところ』

「ほう、アリシア山脈か」

「先生、知ってるの?」

「ぼくの専門は魔術と新世界の文化だからな。アリシア山脈といえば、おもしろい言い伝えがある場所だ」

「おもしろい言い伝え?」


 泉がわずかに首をかしげる。


「アリシア山脈には、ルヴェルタ山ってのがある。このルヴェルタ山っていうのはアリシア山脈の最高峰なんだけど、ルヴェルタ山に近づいたものは、一生山から出られなくなるそうだ」

「ふうん、子ども騙しの言い伝えですね」


 いかにも冷めたことを紫が言うと、ドラゴンはゆっくり長い首を振って、


『その言い伝えは、嘘じゃないよ』

「え?」

『ルヴェルタ山に近づいたものは、山から出られなくなる。それ、ほんとのことだから』

「どういうこと?」

『つまり、ボクたちが細工をしてるってこと』


 ぼくたち、という言い方に、大輔はふと考え込む。

 アリシア山脈とルヴェルタ山については文献で知っている程度だが、たしかその標高は四千メートルかそのあたりのはずだった。

 しかしいま周囲にある山々は、明らかに四千メートルという規模では収まらない。


 アリシア山脈の最高峰がルヴェルタ山なのだから、こんな巨大な山々は、アリシア山脈にあるはずがないのだ。


「ドラゴンくん――ここはほんとにアリシア山脈なのか?」

『その外れだけどね。きみたちは親切だし、悪い人間じゃない。それに異世界人だから、特別に見せてあげるよ』


 ドラゴンはそう言って、首を高く掲げた。

 そして、あたりに響き渡るような声で鳴く。

 空気の震えが肌でわかるような、大きな鳴き声だった。


 その甲高い声は山々に反響し、駆け巡り、長い余韻を残してゆっくりと消えていく。

 山々は再び静寂を取り戻したかのように見えたが、次の瞬間、あたりの山々が、もぞもぞと動きはじめた。


「な、なんだ?」


 ずん、と地面が揺れる。

 怪鳥のような甲高い鳴き声があちこちから聞こえてくる。

 七千、八千メートル級の山々が揃って揺れ、その表面が海のように波打ちはじめた。


「――まさか」


 その光景は、見たことがある。

 森のなかで、巨大な岩を見つけたとき。


 山の表面がやわらかく揺れ、形を変え、やがてくすんだ茶色や赤茶けた色の鱗へと変わっていく。

 大輔は思わず尻餅をついた。

 目の前にあった巨大な山々はすべてなくなり、代わりに何十匹かの大陸ドラゴンが、体長何千メートルという桁違いの巨大を誇るドラゴンが大輔たちをじっと見下ろしていた。


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