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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
緑竜と幻の谷
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緑竜と幻の谷 4

  4


 大輔がひときわ大きな魔術陣を描いているあいだ、ドラゴンはそれを興味深そうに眺めていた。


『きみたち異世界人は魔法を使えるって話だけど、そんなふうに準備をするの?』

「そう、これがなきゃ魔法は使えない」

『毎回こんな複雑な図を描くのか。大変だね』

「それはこのぼくが天才だから可能なことだけどね。ま、今回は別に魔法を使うわけじゃないけど――よし、できたぞ。この上へ移動してくれ」


 地面に伏せていたドラゴンはのそりと大きな身体を起こし、大地を揺らしながら数歩分歩いて、魔術陣の中央に再び伏せた。


「七五三は向こう、神小路と岡久保は左右に立て」

「はーい。あ、でも先生、この距離じゃ手がつなげないよ?」

「うん、だから魔術陣を媒介させる。足元に、ちょうど両手をつく場所があるだろ。今回はただ魔力を移動させるだけだから、魔力を衝突させる必要がない。三人とも、準備できたか?」

「はーい」

「よし、じゃあぼくのあとに続けて繰り返すように」


 大輔は唇を薄く開き、息を深く吸い込んで静かに呪文を唱えはじめた。

 その抑揚を真似し、三人も呪文を唱える。

 三人の声はゆっくりと混ざり合い、森に溶け、魔術陣へと浸透していく。


 ドラゴンがぴくりと首をもたげた。

 体内へ、熱い魔力がするすると注ぎ込まれるのを感じたのだ。


 魔術陣は、まるで回路が開かれていくように、構成する曲線や直線がすこしずつ発光をはじめる。

 青白い光が三人の顔を照らし出し、魔術陣の光がドラゴンのもとへ到達したとき、本格的に魔力の供給が開始された。


 優秀な魔法使いの、質のいい魔力が魔術陣を通してどんどんドラゴンの体内へ飲み込まれていく。

 三人は呪文を唱えながら、わずかに眉をひそめた。

 魔法そのものは発動していないのに、まるで大規模な魔法でも起こそうとしているように魔力が吸い取られていく。


 それは、身体のなかにあるなにかを、ずるずると抜き取られる感触に似ていた。

 身体の内側をこするような、くすぐったいようなむず痒い感触がある。


 魔力は続々とドラゴンのなかに吸い込まれていったが、まるで無尽蔵に感じられ、三人の魔力はあっという間に底を尽きはじめた。


「ちょ、ちょっと、これまずくない?」


 紫が慌てたように言う。


「このまま魔力がなくなったら、わたしたちのほうが――」

「でも、もうちょっとがんばれるよね?」


 燿は魔術陣にしっかり両手をつき、額に汗しながら微笑んだ。


「まだ空っぽじゃないもん、がんばろうよ」

「わたしはもうちょいいけるけど……泉、大丈夫?」

「な、なんとか……」

「三人とも、無理するなよ。だめだと思ったら手を離せ。失敗しても、また別の方法を考えられる」

「先生、大丈夫だよ、止めないで」

「む――大丈夫なんだな、七五三」

「あたしたちを信じて」


 そう言われてしまっては、だめだとも言えない。

 大輔は仕方なく腕を組み、見守ることに決めた。


 そのあいだにも魔力はドラゴンのなかに注ぎ込まれ続け、いまや呪文をやめても、自動的に魔力の流出が続いていた。

 魔力が尽き、その底にある体力まで尽きれば、待っているのは当然、死である。

 もちろん大輔もそこまで傍観しているつもりはなかった。

 危険だと判断すれば、たとえ燿たちに恨まれるとしても、途中で邪魔するつもりでいた。

 生徒に好かれる以上に、生徒を守ることが教師の仕事なのだ。


 ドラゴンが風音を立て、大きく翼を広げる。

 三人はへとへとになりながら魔術陣に両手をつき続けた。


 そして、そのときがくる。


『ありがとう。もう充分だ』


 ドラゴンはその漆黒の翼を振るい、重々しく宙に飛び上がった。

 燿たちは魔術陣が手を離し、ほっと息をつく。


「よかった、ぎりぎりセーフ」

「ぎりぎりアウトだった気もするけど、ま、なんとかなってよかったわ」


 紫は額の汗を拭い、紫はその場にぺたりと座り込む。

 ドラゴンはそのまま、翼で作り出した風によってあたりの木々を揺らし、すこし上空まで飛び上がる。


 二十メートルもある巨体が、青空をすっかり覆い隠す。

 大輔はその勇壮な光景を見上げ、ドラゴンと呼ばれるものがいかに力強い生物なのかをまざまざと見せつけられた気がした。


 三人が後ろに下がると、ドラゴンはゆっくり降下し、四本の足でしっかり地面を掴む。

 太い尻尾をぶんと振る様子にも元気があふれていて、魔力の充填はすっかり済んだようだった。


『異世界人とははじめて出会ったけど、魔法使いってすごいんだね』


 ドラゴンは赤い目でゆっくり若き魔法使いたちを見回す。


『普通なら何十年とかかるようなことも、ほんの数分でやってのけるなんて』

「だれかさんふうに言えば、わたしたちが天才だったからできたことだけど」

「おい、神小路、ひとの台詞を取るんじゃない。まあでも、元気になってよかったな、ドラゴンくん。これで家に帰れるだろう」

『うん、充分帰れるよ。もともと、魔力がなくなったのは無理をして世界中を回ったせいもあるんだ。長い旅だったけど、そろそろ帰ることにしようかな』

「ドラゴンの家って、どんな感じなんだろうね?」


 なにを想像したのか、燿がくすくすと笑う。


「おっきなキッチンとかベッドとかがあったりするのかな?」

「おまえ、ファンタジックな頭だなあ。そりゃ、巣だろ、普通に考えて。鳥の巣みたいなやつだよ」

「えー、先生、つまんないよ」

「現実っていうのはいつもつまんないもんさ。なあ、ドラゴンくん」

『気になるなら、いっしょにきてみる?』

「はい?」

『ボクの巣だよ。ここからそんなに遠くないし、助けてもらったお礼もあるから、案内するよ』

「わあ、すごい! 先生、ついていこうよ、ドラゴンの巣だよ!」

「いや、わかってるけど、ぼくたちは新世界観光にやってきたわけじゃなくて」

『どこか、目指している場所があるの?』

「う。そう言われると、まあ、いまのところなんのあてもないし、どこへ行くかも決まってないけど」

「せんせー、行こーよー、ドラゴンの家見てみたいよー」

「ええい、駄々っ子みたいに腕を引っ張るんじゃない! わかった、わかったよ、ドラゴンの巣にもちょっと寄っていこう。そこから革命軍の手が及んでない国か町を探すしかない。そういうことでいいかい、ふたりとも?」


 紫は首を振って、


「燿が言い出したら聞かない性格だってことはわかってるし、仕方ないわね。泉もいいでしょ?」

「うん、わたしも見てみたい、かも」

『じゃあ、ボクの背中に乗って。歩くより飛んでいったほうが早いから』

「やった、ドラゴンの背中だ! わーい!」


 警戒心が皆無の燿は、さっそく硬い鱗をよじ登り、一対の翼のあいだに立った。

 その広い背中は、十人が乗ってもまだ余裕がある。

 紫と泉もドラゴンの背に乗ったが、大輔はなぜかもじもじとして、なかなか近寄ろうとしない。


「なあ、歩いて行けないのか? 多少の距離なら、歩いて行くからさ」

『行けないこともないけど、いくつか山を越えなくちゃいけないよ』

「せんせー、早く乗りなよー」

「う、ま、待ってくれよ。いままで秘密にしてたんだけど、実はぼく、高所恐怖症で」

「わ、いいこと聞いた」

「おい神小路、いまなんて言った?」

「いいえ、なにも? ドラゴンさん、説得は無理そうだから、先生を咥えて飛んでくれない?」

『ん、いいけど』

「や、やめろ! ぼくは高いところなんか嫌だ、歩いていく!」


 大輔は背を向けて逃げ出す。

 しかしドラゴンはまったく移動せず、素早く首を伸ばし、ごう、と低く鳴いて大輔の服だけを器用に噛んだ。


「ぎゃああっ、痛い、血が、血が!」

『服しか噛んでないよ』

「いや、痛い! 噛まれたと思い込んだ心が痛い! ちなみにこれをプラセボといって――」

「ドラゴンさん、飛んじゃって」

「まだ説明の途中だろ! わっ、やっ、うっ」


 ばさりと翼が動き、ドラゴンの身体が宙に浮き上がる。

 口の先にちょこんと咥えられた大輔も、もちろんいっしょに浮かんで、あっという間に地上三十メートルあたりまで連れて行かれた。


「高いところ怖いよー、早く下ろしてくれよー!」

「あっはっは!」

「……紫ちゃん、すごく楽しそうだね」

「うん、なんていうか、活き活きしてるよね」

「ああぼくは今日死ぬんだ、この大天才が地上から失われてしまうなんて、今日は人類にとってとんでもない悲劇の日だ。音楽が死んだ日並みのとんでもない悲劇になってしまうんだ」

「ドラゴンさん、ぶつぶつうるさいんで、もっと高度上げてもらえる?」

「おい、ばか、やめろ、こら――」

「あっはっはっは!」

「……紫ちゃん、ほんっと楽しそうだね」

「そうだね、ゆかりんのこんな楽しそうな顔、なかなか見ないよね」


 そんな言葉とともにドラゴンは三人とひとりを乗せ、新世界の空を行く。



  *



 大湊叶は飛び去っていく大陸ドラゴンを見送り、ひとり森の上に浮かんで笑みをこぼしていた。


「さあ、これで予定どおり進んだわ。あとはあの子たちがうまくやってくれることを願うだけね――ナウシカを持っているのが彼らなら、これでなにかわかるはず」


 叶はそのまま森を飛び去り、東にあるミケレア山脈の麓に陣を張っている革命軍の司令部へと戻る。

 先日ヤマトを落とした革命軍の大半は、すでに次の目標へ向かって準備をはじめているところだった。

 ヤマトにはもう二、三十人の革命軍しか残っておらず、それもそのはずで、かつては豊かな鉄資源と熟練の職人技で栄華を誇ったヤマトは、叶の命令によって徹底的に破壊され尽くされていた。


 建物は壊され、工房は焼かれ、畑は掘り返される。

 邪魔をした人間たちは容赦なく切り捨てられ、ヤマトの町の外は一大墓地と化し、まだ埋められもしていない死体が山となって積まれていた。


 しかし、その残虐は、まだ世界中には伝えられていない。

 ヤマトの惨状を目撃し、世界に真実を伝えなければと使命を抱いた人間たちは、すべて叶の命令によって口を封じられていた。


「――まだ、ばかな革命軍には夢を見てもらわなくちゃ困るのよ」


 叶は司令部の床几に腰掛け、くすくすと笑う。


「本当に世界は変わる、自分たちが変えるんだ、なんて幻想を見ていてもらわなきゃね。まあ、いまさら放っておいても革命の波は止まらないでしょうけど」


 新世界の文明は、地球でいうところの十八世紀あたりにある。

 文化レベルはだいたいその時代で、地球でその時代に革命が起こったのは、決して偶然ではない。

 封建主義の限界点が、この時代なのだ。


 人々の不満は溜まりに溜まっている。

 膨らみきった風船は、ほんのちいさな刺激でも爆発する。

 叶はそのちいさな刺激を、これ以上ないほど完璧な形で与えたにすぎない。


 革命軍の大半は、残虐非道とはとても結びつかない、心の底から社会を変えようとしている勇士たちだった。

 叶は彼らを導く代わり、探し求めているものを手に入れる。

 その秘された協力関係は、まだ持続させる必要がある。


「さて、大輔たちがどう動くか、楽しみね。まあ、あの子たちなら心配はいらないでしょうけど――」


 くすくすと笑う叶の声は、やがてどす黒い闇となって、この新世界へと満ちていくのだった。


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