緑竜と幻の谷 1
万象のアルカディア
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とりあえず金がいる。
だれだってそうだろ?
――マイク・ブラック
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世界は六日周期で動いている。
というのも、ふたつある太陽のうち、手前にあるひとつが一周するまでを一日、遠くにあるひとつが一周するまでを一週間としていて、遠くにある太陽がこの惑星をぐるりと回ってくるまで六日かかるのである。
よって、空にひとつしか太陽が出ない日「単日」と、空にふたつの太陽が出る日「双日」は三日ごとに切り替わる。
この日は単日二日目だった。
おかげで暑さも和らいで、さほど深くない森のなかには時折爽やかな風が吹き、それが茂った葉を揺らして、さらさらと砂を流すような音を立てていた。
それと合唱するように、小川のせせらぎが控えめに歌う。
しかし主役は森でも川でもなく、そこに暮らす動物たちの息吹である。
鳥たちは姿を隠したまま明るく、鋭く鳴いて、のんきな気質の森豚はのそのそと腐葉土を踏みしめながら進んでは鼻先で土を掘り返し、なかに潜むミミズのたぐいを食べていく。
ときには幹に止まった蝉がじりじりと騒ぎ、息をひそめた鳥たちがそれを狙う。
鋭い嘴に挟まれた蝉はびっと一瞬強く鳴き、すぐに息絶え、餌となってやがては森を養う。
そうした営みを支えるように、森と川が歌っているのだ。
木漏れ日が差し、細かくなった光が揺れる。
その一部が川面に降って、きらきらと乱反射する。
ちいさな川魚は眩しげに漂い、だれも侵すことのできない、生物たちの神域を形作っている。
しかし今日はそこに、四人の人間がいた。
「せんせー、ほんとにこの道で合ってるの?」
「七五三、これが道に見えるのか? ぼくたちは道なき道を進んでいるのだ。つまり道ではないのだから、間違いなどあり得ない」
「道なき道っていう時点で迷子だと思いますけど」
「よし神小路、偉大なる大天才大湊大輔からありがたい言葉を授けてやろう。いいか、ひとは迷子だと思ったとき、迷子になるのだ。ちなみにこの言葉は異説大湊大輔歴史集第二巻の冒頭に記述される予定になっている」
「だれが読むんですか、その死ぬほどおもしろくなさそうな本」
「世界中の人々が読むだろうさ。なにしろぼくは超絶宇宙規模の天才なのだからね!」
「そーですねー」
「おいおい、いまはお昼のゆかいな番組中じゃないぜ」
森も喧騒だが、これもまた喧騒である。
しかし燿が愚痴を言うのも無理はなかった。
大湊大輔、七五三燿、神小路紫、岡久保泉の四人が森に入って、かれこれ四日経つ。
双日一日目に森へ入ったのに、今日はもう単日二日目なのだ。
そのあいだ、なにをしていたかといえば、ただひたすら川に沿って歩くのみだった。
夜は樹の幹に寄りかかって眠り、食事は現地調達というサバイバルだが、そのあたりは全員秘密組織ダブルOの教育を受けているせいか、気弱そうな泉にすらやつれた様子は見えない。
今日もしっかりとした足取りで、ずいぶん細く清らかになった川を左手に見ながら、がさがさと森のなかを進む。
「せんせー、あとどれくらいで着くの?」
「さあなあ」
「そもそも、どこに向かってるの?」
「ナビール王からもらった地図によると、この森を抜けたところにひとつ国があるはずなんだ。ユーリという国なんだけど、そこは比較的閉鎖的な国で、いまだに革命軍の影響を受けていない。しばらく滞在するにはもってこいなんだよ」
ただ別の国を目指すなら、ほかにも選択肢はいくつかあった。
――四人が砂漠の王国ザーフィリスを出たのは、新世界の暦で二週間ほど前のことだった。
そこからフィリス川の上流へ向かってひたすら歩いてきたのだが、途中にもいくつか国は存在していた。
そうした国に寄らなかった、寄れなかったのは、革命軍のせいである。
いまや革命軍は新世界のあらゆる国に関わっている。
革命軍と称するものは二万から三万という程度の軍勢だが、活動はやけに手広く、ちいさな国の市民団体にさえ蜂起のための武器や、ときにはその動機さえ提供し、あらゆる国の転覆を目論んでいるのだ。
そして現政権をひっくり返した暁には、国庫の金を徴収し、また新たに武器を調達してほかの国を潰しにかかるのである。
せっかく町に寄っても、そうした騒動に巻き込まれたのでは仕方ない。
それよりも革命とは無関係にゆっくりと腰を据えられるような町を目指さなければならなかった。
大輔は先頭を歩きながら、ふと後ろを振り返る。
燿と紫は退屈そうに、しかしまだまだ元気があるように歩いていたが、いちばん後ろの泉がすこし遅れ気味になっていた。
「ちょっと、ここらへんで休むか」
そう宣言して、自然に枯れて横倒しになった巨木の幹に腰掛けた。
「じゃ、先生、川で遊んできていい?」
「どうぞご自由に。でも気をつけろよ。突然深くなってたりするからな」
「はーい。ゆかりん、行こ!」
「はいはい。ちゃんと見守っとかないと不安だものね」
「えー、どーゆー意味?」
「そーゆー意味よ」
燿と紫は小川に向かって足取りも軽く歩いていく。
泉はすこし安心したように息をついて、大輔と同じ巨木の幹に腰を下ろした。
大輔はポケットを漁り、煙草の箱とライターを取り出し、困ったように息をついた。
もともと、大輔はヘビースモーカーである。
普通なら一箱くらい一日で吸ってしまうが、新世界へきてからは新しく調達することもむずかしいから、節約して吸ってきたのだ。
しかしそれも、とっくに尽きてしまっている。
いまポケットにあるのは中身のないゴミと化した箱と、半分ほど残ったライターのみ。
こんなことなら五十箱くらい持ってくるんだった、と大輔はうなだれながら、しかし箱を捨てるには名残惜しくて、そのままポケットに戻す。
泉はそんな大輔の様子を横目で見て、
「先生、いい機会なんですから、煙草、やめたほうがいいですよ?」
「う。煙草を吸わないやつはすぐそれを言うんだ、岡久保。でもな、考えてみろ、自分がいちばん好きなものをそう簡単にやめられるか? たとえば、甘いものは身体に悪いから、一生ケーキを食うなって言われたらどうする?」
「うーん、わたし、あんまりケーキ好きじゃないから……」
「いや、そういう問題じゃないんだけど。まあでも、そういう問題なのかな」
結局、好きなものはひとそれぞれということ。
なにに価値を見出すかは個人によってちがう。
泉や燿からすれば、煙草など百害あって一利なし、価値がないどころか悪い影響しか与えないと思っているのだろう。
実際、それは的外れではない。
要は、一種の信仰なのだ、と大輔は思う。
これさえやっておけば大丈夫、というゲン担ぎのようなものだ。
煙草を吸う人間は、煙草を吸ったほうが様々な問題を解決しやすいと信じ込んでいる。
そして本人がそう信じる限り、本人にとってはそれが真実なのだ。
大輔は頭上を見上げた。
青々と茂った葉が、頭上三、四メートルあたりで揺れている。
このあたりは、森といってもさほど深くはない。
木々の間隔も広々としていて、歩いていくことに難もない場所だった。
じっとしていると、風が汗ばんだ首筋や頬をやさしく冷やす。
川のほうからは燿の明るい声が聞こえてきていた。
「燿、元気だなあ」
泉がぽつりと呟く。
「おまえは元気じゃないのか、岡久保?」
「う……わたし、ほんとに昔から体力がなくって」
泉はうつむき、ため息をついた。
「小学校のころもリレーでいちばん遅くて、一位でバトンもらったのに最下位まで落ちちゃうし」
「ああ、わかるわかる。ま、ぼくは超・天才だったから、リレーとかダントツの一位だったけど」
「……中学のときはマラソンとかもあって、いっしょに走ろうねって言ってた友だちにも先にゴールされちゃって、ダントツの最下位だったし」
「わかるなあ、それも。ま、ぼくはウルトラドレッド級の天才だったから、マラソンも校内新記録で優勝したけど」
「……先生のばか」
「元気出せよ、大丈夫さ」
「ぜんぜん慰めになってません」
泉はつんとそっぽを向いて、唇をとがらせる。
「先生は、なにか弱点はないんですか?」
「ぼくか? そうだなあ、弱点か」
腕を組んで、考える。
ううむ、とうなって、五、六分経ったあと、
「ないな」
と断言した。
泉はじっと大輔の横顔を見つめ、息をつく。
「羨ましいです、先生のそういうところ」
「だろ。天才だからな。強いていうなら、天才すぎるところが弱点か」
「なんていうか、先生みたいになりたくはないけど、全然まったくすこしもなりたいとは思わないけど、そういう性格、ちょっと羨ましいです」
「褒められた量より貶された量のほうがはるかに多い気がするけど、ま、気のせいってことにしよう」
はあ、と泉はまた深々とため息をついた。
そこに、ズボンの裾をまくり上げた燿と紫が戻ってくる。
「はー、気持ちよかった。ここまで上流にくると水も冷たくてきれいだよね――あれ、どうしたの、泉、なんか暗い顔だけど」
「先生にセクハラでもされたの?」
「神小路、学校では絶対にそれ言うなよ。先生、クビになっちゃうから」
「クビになればいいのに」
「えっ、そこまで嫌われてるの?」
燿と紫も天然の椅子に座り、うんと伸びをする。
「やっぱり、砂漠より森のほうがいいよねー」
「まあ、そりゃそうでしょ。砂漠は下手したらなんの問題も起きなくても死ぬもん。森はまあ、生きていく分には不足しないし。ただ延々歩き続けるのは嫌だけど」
「仕方ないさ。この世界には車もないんだ。移動するには、歩くか動物に乗るしかない」
「そうですよ、ザーフィリスで馬でももらえばよかったんですよ」
「馬は砂漠移動にはあんまり向いてないんだよ。森のなかならまだいいけど」
「そのへんに馬いないかな?」
燿はあたりをきょろきょろと見回した。
たまたま、そばを通りかかった森豚が燿の視線にびくりとして、まるで猛獣と出会ってしまったかのようにそろそろと逃げ出す。
「うーん、さすがにあの子には乗れないか」
「泉なら乗れるんじゃない? ちっちゃいし」
「む、無理だよ、あれは。だって五十センチくらいしかないじゃん」
「泉、身長四十センチだっけ?」
「一四五・五センチ!」
若者は元気だなあ、と大輔は再びくせでポケットを探り、空の箱を取り出したところで気づいて、悲しげにポケットに押し込んだ。
「そういえば先生、さっき魚いたよ」
「ほう、食えそうだったか?」
「たぶん。ね、ゆかりん」
「うん、地球でいうところの鮎みたいな感じ」
「へえ、ゆかりんが言うんなら間違いないな」
「ほんとセクハラで訴えますよ。次ゆかりんって言ったら川に沈めて二度と浮かんでこないように石を敷き詰めますから」
「そこまで!? 入念な殺人事件じゃないか。でもまあ、さっき昼飯食ったとこだし、まだいいか。ここは食料は豊富だしな」
「先生が毒見してくれるしねー」
「……おまえら、飯の度になかなか食べようとしないのはそういう理由だったのか?」
「遅効性の毒とかあるかもしれませんし」
「冷静に言うなよ! なに、近ごろの若者怖い!」
緑の風がやわらかく吹き、森がさわさわと笑う。
それに少女の朗らかな笑い声が加われば、サバイバルといってもさほど深刻さは感じられなかった。
四人は吹く風に任せ、しばらく森の濃密な土と草の匂いを吸い込み、疲れを癒す。
こうした自然のなかには、酸素のほかにも魔力が多く含まれている。
魔法使いにとって魔力の欠如が体力の低下を引き起こすように、魔力の充填は睡眠よりもはるかに効率のいい体力回復で、四人が十日以上歩き続けても元気でいられるのにはそうした理由があった。
「そういえば、先生」
紫がぽつりと口を開く。
「そろそろ説明してくれませんか?」
「なにを? ぼくの魅力をか?」
「それは一切興味ないです。ザーフィリスで、先生が魔法を使ってたことですよ。先生は魔法を使えないはずじゃ?」
「あ、そうそう、あたしもそれ気になってた!」
燿が身を乗り出し、泉もうんうんとうなずく。
「ぼくが魔法を使ってた理由か。ま、言ってしまえばぼくの天才さは天井知らずってことだな。大天才であるぼくに不可能は――う、わ、わかったよ、ちゃんと説明するよ。そんな怖い顔するなよ、先生泣いちゃうぞ。大の男が泣いたらめんどくさいぞ、いいのか」
「早く説明してください」
「厳しいよなあ、これもゆとり教育の弊害なのだろうか……まあ、まず、魔法とはなんぞや、というところからだ。何度も授業でやったから、これはおまえらも充分に理解してるだろ。えー、七五三、魔法とはなんだ」
「えっ、あ、あたし? えっと、魔法っていうのは、つまり、こう、力がばーってなってぐわーっていろんなことが起こったりすることです」
「はい居残り決定」
「えー!」
「岡久保、答えてみなさい」
「は、はい……えっと、魔力のぶつかり合いで生じた一種のエネルギー、です」
「九十五点だな。やっぱりまじめに授業受けてる人間とそうじゃない人間の差はでかいなあ」
「う、あ、あたしもちゃんと聞いてるよ」
「夢で、だろ? 知ってるぞ、いつも居眠りしてるの。おまえ、目開けて寝るからな、先生にも騙されてるひとが多いけど――ま、それはそれとして。魔法っていうのは、魔力を衝突させてエネルギーを発生させ、そのエネルギーを現象に変換することを言う」
「うう、先生、授業みたいでヤだ。頭いたい」
「ばかは黙って聞いていなさい」
大輔は立ち上がり、腐葉土に積もった枯葉を退けて、やわらかな土に折れた枝で図を描きはじめる。
「まず、魔力にはふたつの性質があります。つまりプラスとマイナスです。磁石を例にして考えると、プラス極とマイナス極を近づけたとき、いったいどうなるか。そこのばか、答えてみなさい」
「ばかって言うなー! あたしにもそれくらいわかるもん。磁石がひっつく!」
「そのとおり。磁力が互いに結びつき、そこに引き付け合う力が生じるわけです。そしてその力のまま結びついた磁石がどうなるかというと、激しくぶつかり、衝撃が生まれる。魔力も同様に、体内にある魔力素子がプラスとマイナスで結びつき、衝突してエネルギーに変換されるわけです。ちなみにこのエネルギーの算出法は、ぼくと同じレベルの天才魔法使いアインシュタイン先生の公式によります。さて、魔力の基本特性を理解したところで、なぜ魔術陣と呼ばれるものが必要なのか、そしてなぜふたり以上の魔法使いが必要なのかについて説明しましょう」
「先生」
紫がすっと手を上げる。
「話が長いです。早く終わらせてください」
「う、わかりました。では結論から。先ほど言ったように、魔力にはプラスとマイナスがあります。このプラスとマイナスのふたつの性質をぶつけあうことによってエネルギーが生じるのですが、ひとりの魔法使いが持てる性質は、プラスかマイナスのどちらか一方だけです。まあ、これは当たり前の話で、ひとつの肉体のなかにプラスとマイナスが存在すると、そこにエネルギーが生じて内側から爆発してしまいます。いわば血液の流れと同じです。同じ方向から流れ続けるからよいのであって、一本の血管のなかにふたつの流れがあったら、血管はあっという間に破裂します」
「先生、話が長いです」
「くそ、これだから若者は辛抱が足りないんだ。えー、失礼。汚い言葉を使ってしまいました。ひとりの魔法使いが持てる性質は、プラスかマイナスのどちらか一方。つまりプラスとマイナスをぶつけあうには、自分とは別の性質を持った他人が必要になります。これが、魔法を発動するのにふたり以上の魔法使いが必要になる理由です。ちなみにプラスとマイナスは相手によって自動的に選択されるので、この魔法使いはプラスだろうか、マイナスだろうか、と考える必要はありません。これは、まあぼくとだいたい同じレベルの天才魔法使いハイゼンベルク先生が不確定性原理として証明したことです。ふたり以上の魔力が触れ合った瞬間、自動的にプラスとマイナスが定義されるのです。
さて、次に魔術陣の役割ですが、魔術陣というのは、いわばエネルギーの鋳型です。エネルギーというのは力そのものであり、形もなければ、指向性もありません。魔術陣は放出されたエネルギーを適切な形に成形し、指向性を作るわけです。魔術陣はもともとごく少量の魔力しか必要としませんが、一応魔力がなければ作れないものですので、印刷されたもので代用することはできません。紙に書いても構いませんが、その紙には魔術師、魔法使いが直接書く必要があります。
そしていちばん重要なことですが、魔法は、この新世界でしか使えません。これは長いあいだ魔法使いたちのあいだで議論になっていたことですが、最近の研究によると、この新世界にはもともと大量の魔力が漂っており、ふたり以上の魔法使いによって発散された魔力が空気中の魔力ともぶつかり合い、魔法の発動に必要な大きなエネルギーになるのだ、ということです。地球には魔力がほとんどありませんから、魔法の発動に必要なだけのエネルギーを生み出すことができないわけです」
「だから、先生」
紫がため息をつく。
「そんなことは知ってます。わたしはだれかさんと違ってまじめに授業を聞いてますから」
「だれかさんってだれかな、ゆかりん?」
「ちょっとおばかさんは黙ってて」
「おばかさんって言った!」
「わたしが聞きたいのは、魔力がなくて魔法が使えないはずの先生が、どうしてあんな大規模な魔法を仕えたのか、ということです。その説明をお願いします」
「いやだからそれは、ぼくが天才だからであって」
「殴りますけどいいですか?」
「な、殴らないでください。先生怖いです。まあ、なんていうのかな、つまりだな、ぼくにはたしかに、魔力がない。まあ、魔術陣を描ける程度の魔力はあるけど、魔法使いとしては三流以下、書類審査の第一選考で落ちるレベルだ。だから、ぼくは魔法が使えない。すくなくとも正規の方法では」
「正規の方法?」
「だれかと手をつなぎ、普通に魔法を発動させることはできないってことだ」
「……そういえば、先生、ひとりで魔法を使ってたよね?」
いまさらのように燿が呟く。
泉もちょっと考え込むような顔で、
「あのときは大変でよく見てなかったけど……あの女のひとも、ひとりで魔法を使ってたような」
「そうですよ、先生、それも聞きたいんです。ひとりで魔法を発動させるなんて、可能なんですか?」
「不可能ではない」
「でも、それだとさっき先生が長々と説明した魔力の原理に反するんじゃ」
「あれは原理じゃなくて、いちばん効率がいいと考えられている方法なんだよ。ふたり以上で手をつなぎ、魔力爆発の連鎖を起こし、そのエネルギーを魔術陣によって変換するっていうのはね。現にぼくやあの女は、ひとりで魔法を使える。ま、ぼくとあいつじゃ方法がちがうと思うけどね」
「どうやるんですか、ひとりで魔法だなんて」
「ぼくの場合は、特殊な魔術陣を敷くんだ。その魔術陣は周囲に漂う魔力によって発動され、ぼくの体内にあるエネルギーを、根こそぎ魔力に変換する。そしてそれを放出し、空気中の魔力と衝突させて、魔法を発動させるわけだな」
「体内にある、エネルギー?」
燿と泉がそろって首をかしげた。
「ま、カロリーみたいなもんさ。人間の肉体を活動させるための熱量だ。もともと、魔力を使いすぎるとめちゃくちゃ疲れるだろ? それは魔力の保有量以上を魔法に吸い取られて、体力が、つまり体内のエネルギーが減った状態だ。ぼくはもともとの魔力量がすくないから、体力のほとんどを魔力に変換させないと、魔法が使えない。ただし、普通の魔法使いが体外へ放出する量よりも多い魔力を放出できるから、大きな魔法も使える」
例えるなら、と大輔はぴんと指を立てた。
「普通の魔法使いが出す魔力は、自然と発散される汗みたいなもんだ。ぼくが使ったのは、外側から掃除機的なもので無理やり体内の水分を吸い出す方法。身体にはきついけど、その分量は多くなる」
「はあ、そんな魔法陣があるんですか。だから先生、魔法を使ったあと、倒れちゃったんですね」
「そういうこと。ちなみに! ここからが大事だぞ、耳をかっぽじってよく聞くように。そのひとり用強制魔力排出魔術陣を発明したのは、このぼく、大湊大輔なのである!」
生徒たちは三人とも、そろってリアクションに困るような、曖昧な作り笑顔を浮かべて首をかしげた。
大輔はがっくりと肩を落とす。
「そうか、おまえたちにはわからんか、このすごさが……新しく魔術陣を発明した魔術師って、ヘルメス・トリスメギストス以来二、三千年ぶりだと思うんだけどなあ」
「高級ブランドですか?」
「惜しいけどちがう。ま、わからないならいいけどさ」
「じゃあ、先生、あの女が使ってたのもその魔術陣ってことなんですか?」
紫は苦々しげに言った。
ほとんど接触らしい接触はなかったが、「あの女」は紫のなかで明確に敵だと認識されているらしい。
「いや、あいつが使ってたのは別の魔術陣だと思う。さっきも言ったように強制魔力排出魔術陣は、ぼくのオリジナルだからな。まさかあいつが知ってるとは思えない」
「じゃあどうやってひとりで魔法を?」
「さあ、それもじっくり考えてみたいんだけど、なかなか時間もないしな。ま、あいつのことは考えないほうがいい。考えても無駄だ」
「無駄? どういうことですか」
「あいつは、本物の天才なんだよ」
紫以上に苦々しい大輔の表情だった。
「とにかく、なにもかもが桁外れなんだ。常識の外にいるやつだから、常識的な意味で捉えようとしても絶対無理なんだ。なんていうか、そう、悪魔とか、そういうふうに考えたほうがいい」
「あ、あくま?」
「――でも、先生、なんか詳しいね、あの女のひとについて」
燿はじっと大輔を見つめた。
大輔はうっとうなって、
「別に詳しくはないけど」
「いや、絶対詳しい。このあいだはじめて会ったわけじゃなさそうだし。ねえ、先生、あれだれなの?」
「別に大した知り合いじゃないよ」
「嘘だー。あっ、もしかして、あたしたちに秘密にしなきゃいけないカンケイとか?」
きゃあ、と燿が声を上げる。
泉はほんのりと頬を赤らめ、紫はありったけの軽蔑を込めて大輔の横顔を睨んだ。
「だからちがうって。あいつは――」
「おこちゃまたちには言えないような、オトナの関係よね?」
そんな声が、ふわりと頭上から降ってきた。
四人がびくりとして仰ぎ見ると、木の枝に、ひとりの女が腰掛けて足をふらふらと揺らしている。
「あっ、お、おまえ――」
大輔が身構えるひまもなく、その女は鳥よりも身軽にふわりと四、五メートルの距離を飛び降りて、大輔の首に腕を回した。
「また会ったわね、大輔」
「な、なにすんだよ、離せよ――」
「こら、暴れないの。ほら、ちゅーしてあげるから」
「や、やめ――ぎゃああっ」
わ、と燿は手で顔を塞いだが、その指のあいだから、女が大輔の頬に唇を押しつける様子をじっと見つめていた。
大輔は全力で暴れ、なんとか女の腕を振り払い、向き直って身構える。
「よ、よくもやりやがったな。だから嫌いなんだよ!」
「つれない子ね。そんなんじゃモテないわよ、大輔」
「うるさい、ほっとけ!」
「せ、先生、やっぱりこのひととは――」
「ちがう! こいつは――その、まあ、あれだ、ぼくの姉だ」
「あ、姉?」
唖然とする少女たちの視線を受けて、女はにっこりと微笑んだ。




