砂の王国と革命軍 15
15
私立三折坂高校の職員室には、沈痛な、ひどく落胆したような空気が漂っていた。
「結局――」
校長兼秘密組織ダブルOの司令官である今村協が口を開く。
「連絡が取れた組織のすべてで、結果は同じだったのだな」
「はい――新世界へ通じる扉は、確認がとれたかぎり、すべてうちと同じ状況になったということです」
――学校の地下にある新世界への扉が焼け落ちてから、三日経つ。
そのあいだ、すべての職員が総出で世界中に連絡し、無事に残っている扉がないか調べた。
その結果が、無事に残っている扉はひとつとしてない、ということだった。
学校へも、ほかの組織から扉の様子を伺う連絡が相次いでいた。
世界中の組織が今回の出来事に混乱し、状況が理解できないまま確認作業しかできなかったのだ。
「扉を新しく作り直す、ということはできないんですか?」
三日前に新しく職員となった野乃崎穂乃華が言うと、協はゆっくりと首を振る。
「あの扉は、もともとここにあったものだ。世界中の扉も同様だ。われわれは管理することしかできない」
「もし各国の政府が管理している扉まで全滅となったら――地球と新世界は、完全に断絶したということになりますね」
考えてみれば、と穂乃華は思う、その断絶した状況こそ、世界にとっては自然なのかもしれない。
扉一枚でつながっていたいままでが異常だったとしたら、世界は自らの力で正常な状態に戻ったということだ。
「巻き込まれた生徒、七五三燿、神小路紫、岡久保泉の三名のご家族へ連絡は?」
「すでに済ませている。その三人とも、親がダブルOの関係者なのだ。まあ、うちの生徒のほとんどがそうだがね。悲しんではいたが、ダブルOに所属するかぎり危険は仕方のないことではある」
「先生の、大湊先生の親族へは」
「大湊くんは――」
協はすこし言い淀んで、
「彼の両親はすでに他界しているし、ほかにめぼしい親戚筋もないからね。まあ、姉がひとり、いるのだが……」
明らかに不自然な言い方だったが、ほかにも教師が大勢いるその場では、それ以上のことは聞けなかった。
「とにかく、これからもあらゆる手段を考える。まずは新世界と通信する方法を考えるのだ。だれでもいい、なにか思いついたらすぐに連絡してくれ。では解散する」
教師たちは無言のまま、協は静かに職員室を出た。
いい機会だと、穂乃華は協を追って職員室を出て、廊下で並びかける。
「先生、さっき、なにか言いかけませんでしたか。大湊さんに関して」
「ん、野乃崎くんか――まあ、彼はすこし変わった経緯で隊員になっているからね」
リノリウムの廊下を歩きながら、協はぽつりと言った。
「前もそんなことをおっしゃっていましたけど――なにか、今回のことと関係あるんですか?」
「いや、今回のこととは無関係だろう」
そう言ったあとで、ふと思いついたように協は立ち止まった。
「――もしかすれば、無関係ではないのかもしれん」
「どういうことなんです? 変わった経緯で隊員になったって」
「きみ、いまいくつかね」
「セクハラですか?」
「むう、近ごろのセクハラ基準は厳しいな」
「二十五ですけど」
「ああ、それなら知らないかもしれないが――十年ほど前、新世界で反乱があったことを知っているかね」
「反乱?」
穂乃華は首をかしげた。
「新世界の国々でいろいろなことが起きるのは日常茶飯事ですけど」
「そうではない。その反乱は、新世界へ侵入した魔法使い――つまり地球人が手動し、地球からの影響を一切排除して新世界と地球を断絶させようという試みだった。もちろん、その危機は防がれたが、いま新世界への扉を管理する組織同士に交流があるのは、その反乱時に協力体勢を取ったからなのだ」
「そういえば、そんな話はぼんやり聞いたことがあります。桁外れの能力を持つ伝説的な魔法使いの話――」
なんだったか、と穂乃華は記憶を探る。
「たしか、言うのも恥ずかしいような名前がついていたような」
「唯一絶対の魔女、かね?」
「そう、それです。やけに恥ずかしい名前だと思って覚えてたんです」
「その名前をつけたのは私だ。当時、地球側の魔法使いを統括していたのが私だったのでね」
「ああ、道理で――いえ、続けてください」
「その唯一絶対の魔女は、当時ほとんど独力で地球の魔法使いたちを苦しめた。ほとんど敗戦寸前だったといってもいい。まあ、幸い勝利したが、魔女を捕らえることはできなかった」
「じゃあ、魔女はいまでも新世界に?」
「そう。このところ噂も聞かなかったが、彼女なら世界を渡る扉を破壊することも不可能ではないだろう」
「――なるほど。以前は地球側の魔法使いに妨害されて失敗したから、今度は妨害を防ぐために、そして完全な意味で新世界を独立させるために、扉を破壊するわけですか」
「その可能性もある。まあ、推測にすぎないがね」
だったら、と穂乃華は言った。
「大湊先生とは、なんの関係が?」
協はうむとうなずく。
「唯一絶対の魔女は、大湊くんの実の姉だ」
*
大湊叶は、ぐんと高度を増して大輔を見下ろし、自慢げに笑った。
「おい、下りてこい。ぼくより上に立つなよ」
「あら、だれに口を効いてるの? 弟の分際でえらそうなこと言ってたら、お姉ちゃんがお仕置きしちゃうわよ」
「うるさい。姉だろうがなんだろうが、ぼくは見下されるのが嫌いなんだ」
「じゃあ、あなたが昇ってくれば? それができればの話だけど」
「くっ、相変わらず嫌味なやつめ」
叶は空中を自由自在に動きまわる。
もちろん、超能力などではない。
歴とした魔法だが、叶の足元には魔術陣などなく、魔法の発動に必要なふたりの魔法使いも存在していない。
しかし大輔は、それを不自然だとは思わなかった。
叶ならどんなことをしても、どんなことができても決して不思議ではないのだ。
「でも、まさかあなたがここにきてるとはね」
叶は大輔を見下ろして笑う。
大輔はふんと鼻を鳴らし、
「ほんとはさっさと地球に帰るつもりだったんだけどな。だれかさんが扉を爆破したせいで帰れなくなったんだよ」
「まあ、だれがそんな悪いことを」
「あんた以外にだれが考えられる? くそ、だから嫌なんだ、こいつと関わるのは――破壊したのは、あの扉だけじゃないんだろうな」
叶は艶然と微笑んでうなずいた。
「もちろん、世界中の扉を破壊したわ。この新世界は、完全に地球から離れた。もう向こうから干渉することもできないし、こっちから干渉することもできない」
「目的はなんだよ。いや、言わなくていい。どうせ聞いても理解できないだろうしな」
「じゃあ、あなたのことを聞かせてちょうだい。わざわざ新世界まで、なにしにきたの――魔法も使えない、出来損ないのあなたが」
「授業だよ。いまは教師をやってるんでね」
吐き捨てるように答える。
叶はへえと感心した顔で、
「魔法使いを諦めて教師になったの? ま、あなたにはお似合いかもしれないわね。魔法使いを目指したって、生まれつきあなたには才能がない」
「生まれつき才能にあふれてたあんたと違って、な」
「そう。わかってるなら、おとなしく退きなさい。わたし、基本的に邪魔者は潰していくタイプなんだけど、弟だから一度だけ見逃してあげるわ」
大輔はにたりと笑い、叶を見上げた。
「あんたから逃げるくらいなら、ぼくは死を選ぶね。くそ食らえってやつさ、ばーか」
叶はふうと息をつき、首を振る。
「相変わらずの子どもで話にもならないわ――ま、死にたいなら、死になさい」
「そう簡単に殺されてたまるか」
大輔は砂丘の上で身構えた。
どこから、どんな攻撃が飛んできてもおかしくはない。
ひゅるる、と砂漠の風が吹き抜け、細かい砂が舞い上がる。
叶は大輔を見下ろし、大輔は叶を見上げていた。
どちらも動かない。
静寂のまま、時間が経つ。
そこに、
「先生!」
町のほうから声が聞こえた。
大輔が思わず振り返ると、無事に合流したらしい生徒三人、燿、紫、泉が砂漠を駆けてきていた。
「くるな!」
大輔が叫ぶ。
生徒たちはびくりとして立ち止まったが、その近くでひゅんと空気を裂くような音が聞こえた。
「伏せろ!」
慌てて生徒たちは砂漠に身を伏せる。
そのすぐ頭上を、鋭い鎌のように圧縮された風が凄まじい速度で通り過ぎ、鋭く切られた髪が数本宙を舞った。
「なるほど、あれがあなたの大切な生徒ってことね」
叶が笑うのを聞きながら、大輔は砂の丘を駆け下り、生徒たちに近づく。
「大丈夫か、おまえら」
「な、なんとか――せ、先生、あれ、だれなの?」
「詳しい説明をしてるひまはない。おまえたちはすぐに逃げろ。あいつは、おまえたちでどうにかなる相手じゃない」
「そう簡単に逃げられると思う?」
いつの間にか、叶が四人の頭上に現れていた。
叶は自分の両手をぱしりと組み合わせる。
とたん、轟音とともに砂漠の砂が舞い上がった。
地表から空へ向かって風が吹き上がり、砂が巻き上げられて、壁のようになって四人を取り囲む。
その壁は高さ五、六十メートルはあるかという巨大なものだった。
「なに、これ――魔法?」
あまりに大規模すぎるその異変に生徒たちは目を丸くする。
周囲の砂の壁は、まっすぐ立ち上っているように見えて、その実高速でぐるぐると回転していた。
いわば巨大な竜巻であり、四人はそのなかに閉じ込められているのだ。
叶は戸惑う生徒たちの顔を見てけらけらと笑う。
「さあ、大輔、どうするの? この竜巻は、まっすぐ町へ向かってるわ。直撃したら、もちろん町は粉々――建物も人間も区別がつかないくらいばらばらになるでしょうね」
「せ、先生、あのひとなんかめっちゃ悪いこと言ってるよ!」
「わかってる。あいつはそういうやつなんだ」
燿はぐっと顔を上げ、叶をにらむ。
「どうしてこんなことするの!」
「どうして?」
叶は心底から不思議そうな顔をした。
大輔は首を振り、燿の腕を掴む。
「無駄だ、七五三。あいつには目的なんかない――だから、邪悪なんだよ」
「先生、でも――」
「いいから、落ち着け。大丈夫だ、おまえたちはぼくが守る」
町ひとつを丸ごと飲み込む巨大な竜巻が、ゆっくりと動きはじめている。
強風が渦巻き、生徒たちは吹き飛ばされないように腰を低くしてじっとしているので精いっぱいだった。
「大輔、言うだけならだれだってできるのよ」
叶は上空から余裕ぶった笑みを浮かべていた。
大輔はむくりと立ち上がり、その笑みに、また笑みを返す。
「言うだけじゃないさ。ぼくだってただ年を取ったわけじゃない」
「魔法も使えないあなたになにができるの?」
「その設定は今日限りにさせてもらう」
大輔は砂の地面に素早く魔術陣を描いた。
それはだれも見たことがない、ちいさなひとり用の魔術陣で、大輔はその中央に立ち、両手をぱしりと打ち鳴らした。
唇を薄く開け、呪文を唱える。
次の瞬間、竜巻とはまったく逆向きの渦状の強風が生まれ、風が相殺され、轟々とした風音が消えていく。
最後にはまた青空が残り、大輔はふらりと揺らぐ足元を立てなおして、勝ち誇ったように笑った。
「ぼくは大天才なんだ。魔法が使えないはず、ないだろ?」
「へえ、おもしろいやり方をするのね。でも所詮は真似事――じゃあ、こういうのはどう?」
叶はぱちんと指を鳴らした。
はじめは、なにも起こらないように見えた。
しかし、どこからともなく、地鳴りのようなごうごうと低い音が響いてくる。
その正体はすぐにわかった。
大輔は空を見上げ、思わず唖然とする。
「は、反則だろ、こんなの!」
「魔法に反則もなにもないと思うけど」
青い空を、巨大な石が埋め尽くしている。
石といっても、数十メートルというものではない。
空全体に完全に蓋をするような、数千メートルというあまりに巨大な隕石である。
それが、凄まじい風音を立てて落下しているのだ。
もはや人間の力でどうこうできるものではない。
それほど巨大な隕石が落ちれば、この星自体が砕けてしまいそうなレベルの魔法攻撃だった。
「くそ、これだからほんとの桁外れは嫌なんだ――」
大輔は叫びながら、一度描いた魔術陣の外側に新しい魔術陣を描き足し、そのなかで両手を合わせる。
「七五三! おまえたちは町へ戻って住民を避難させてくれ。どこでもいい、できるだけ遠くへ行くんだ!」
「せ、先生は?」
「ぼくはこいつの落下速度を遅らせる――でもそう長くは保たないぞ。早く行け!」
でこぼことした巨大隕石は、摩擦熱で赤く発光しながら落下してくる。
大輔は呪文を唱え、ぐっと隕石をにらんだ。
すると、大輔の周囲の砂がもぞもぞと暴れはじめる。
砂はまるで意志を持っているかのように集まり、積み上がって、むくむくと巨大化していく。
やがてそれは二本の足になり、太い胴になり、長い腕となって、砂漠に七、八十メートルの巨大な人影が現れる。
顔はなく、のっぺりした頭があるだけで、砂漠の巨人はぱらぱらと砂をまき散らしながら両腕を振り上げた。
長く伸ばした腕に砂が集中し、さらにぐんぐんと伸びていく。
おかげで大輔の周囲の砂はほとんど干上がり、硬い地盤が露出しはじめていた。
砂漠の巨人は、その腕で落下する隕石を支えようとしているのである。
遠目では、まるで二本の触覚が空に向かってするすると伸びていくようにも見えた。
やがて伸びきった腕の先と、落下を続ける隕石とが触れ合う。
砂は一瞬にして粒子を密着させ、硬度を高めて、二本の柱と化す。
しかしそれは爪楊枝を立てて空全体を支えようとしているようなもので、まるで非力に見えたが、それでも隕石の落下速度はわずかに低下したようだった。
生徒たちはその様子を見ながら全速力で町へと戻る。
振り返れば、砂の巨人と巨大隕石とが見える。
まるでこの世の光景とは思えなかった。
町までもうすこしだとなったところで、振り返った泉があっと声を上げた。
それまで隕石を支えていた砂が、不意にぱっと弾け、砂の雨となってあたりに降りはじめたのだ。
「先生!」
燿は踵を返し、大輔の元へ戻る。
紫と泉もそれに従った。
ばらばらと砂が降ってくる。
それによって光が遮られ、あたりが薄暗く染まった。
三人は大輔が立っていたはずの場所まで戻ってきたが、どこにも大輔の姿はない。
あたりを見回していると、半分ほど砂に埋れて倒れている大輔を見つけ、三人で砂から引っ張り出した。
「先生、先生!」
大輔はぐったりとして、呼吸もごく浅い。
見える怪我はないようだったが、ただ気を失っているという状況でもなさそうだった。
空には巨大隕石がある。
赤々と燃える鋼鉄の拳が、地上に向かって振り下ろされようとしている。
まるでこの世の終わりのようだった。
「先生、しっかりして――先生!」
「無駄よ、そんなことしても」
叶は、四人の十メートルほど上空にふわりと浮かんでいた。
大輔の身体を支えている燿の代わりに、紫と泉が立ち上がって身構える。
「あら、次はあなたたちがやるの?」
「先生には指一本触れさせないわ」
「ふうん、そう――案外好かれてるのね。本人も、体力が尽きるまで魔法を使い続けたみたいだし。ばかね、ほんとに。魔力もないくせに魔法を使うなんて無茶して、長持ちするはずないのに」
呟く声は、どこか同情するような雰囲気があった。
叶はふわりと高度を上げる。
「ほんとはこのまま町を破壊するつもりだったけど、まあ楽しめたし、今日のところは許してあげるわ」
「あ、ちょっと――」
「それじゃあね、かわいい女の子たち」
笑みを残し、叶の姿がふと消える。
同時に空を覆い尽くしていた巨大な隕石も、まるで幻のようにぱっと消え、あとにはなにも変わらない、青々と澄みきった空だけが残った。
「――なんだったのかしら、あの女」
紫はぽつりと呟き、空をきっと睨んだ。
「とにかく、先生を町のなかに運ばなきゃ」
三人は大輔の身体を担ぎ上げ、砂地をゆっくりと歩き、町へ向かった。
町は砂漠の民の侵攻による混乱で荒れていたが、それよりも突如現れた隕石の衝撃のほうが大きかったらしく、それが消え去ったいまは、人々もぼんやりと空を見上げてとくに大きな騒動も起こってはいなかった。
大輔は一度宿に運び込まれたが、その日の夜がきても、次の日の朝がきても、目覚めることはなかった。




