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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
砂漠の王国と革命軍
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砂の王国と革命軍 14

  14


 町中の人々が空を見上げていた。

 だれもが手を止め、真上を仰ぎ見て、その声を聞いていた。


「――これは、いま本当に起こっていることを映しているのか?」


 フィリス川のたもとで銃を構えていた砂漠の民の男たちも、思わず空を見る。

 そこに、ナビール王の姿があった。

 青い大空に、椅子に腰を下ろしたナビールの姿が映っているのである。


 それは一種の映写機のように、空をスクリーンに映像を映し出していたが、それが王宮の屋根で粘っているふたりの魔法使いが起こしている魔法だとは、だれも気づかなかった。

 ただただ、その現実のものとも思われない映像に見入っている。


 スルールもまた、王宮の裏手でその映像を見たのだ。

 勘が鋭く、魔法使いの存在を知っているスルールはすぐにそれが大輔たちによるものだと理解し、苦笑いで王宮のなかへ入っていった。

 なぜ大輔がそんなことをするのか、はっきりとわかった。

 大輔はこの陰惨な負の連鎖を止めるため、行動しているのである。


 スルールが到着したとき、大広間には大輔とナビール王のほかはだれもいなくなっていた。

 スルールは椅子に腰掛けたナビール王を見て、静かに自分の感情を推し量った。


 いま目の前にいる男の一言で、スルールの家族は、そして多くの仲間たちは死んだのだ。

 それを意識しても、スルールのなかには殺意と呼べるようなものはなにも浮かんでこなかった。


「なにがどうなっているのかはよくわからないが、きみがなぜここにいるかはわかるつもりだよ、ダイスケ」


 スルールは微笑み、王たちが使っていた机にすこし触れた。


「しかし、きみはわかっていないな。これはもう、そんな段階じゃないんだ」

「まあ、本当はぼくだってそう思うよ」


 大輔は頭を掻く。


「首を突っ込むつもりはなかったんだ。ただ、どうしてもわがままで聞かないやつがいてね。仕方なくさ」

「そうか。じゃあ、諦めてもらうしかないようだ。おれはそこにいる男を殺さなければならない」

「過去のため、か。たしかにそればっかりはどうしようもないな。ナビール王を殺すまできみの気持ちが治まらないっていうなら」

「おれの気持ちは問題じゃない。おれは仲間たちを率いている。仲間たちのために、おれはその男を殺すよ」

「そいつはまあ、話し合って決めてくれればいい」

「話し合う?」

「きみの仲間たちは全員無事だ。ぼくが事前に橋を爆破させた。砂漠の民も兵士も、今回の出来事ではだれひとり死んじゃいない」

「なんだって――そうか、あの音は、橋を爆破した音か」

「本当は、さっきも言ったとおり、この国の行方もきみたちの処遇もどうでもいいんだ。ただしうちのばかがひとり、どうしてもだれも死んでほしくないっていうんでね」


 大輔は呆れたように首を振る。


「だから、できればナビール王を殺さないままで済ませてほしいんだけど」


 スルールは、大輔からナビールに目を向けた。

 ナビールはごくりと唾を飲み込み、立ち上がる。


「砂漠の民、か。私の過ちから生まれた者たちだな」

「そう、おれたちはみな、おまえの過ちから生まれたんだ」

「言い訳はしない。殺すなら殺せ」

「いっそ死んだほうがマシというわけか?」


 ナビールは首を振る。


「拷問をしたいなら、そうすればいい。砂漠の真ん中にでも放り出せばそのうち干からびるだろう。それが私のやったことの報いなら、私はそれを受け入れなければならない。ただ、妻と娘には、なんの責任もない」

「その責任のない母親を、おれは殺された。母は父の仕事を知っていたからな。母は幼いおれだけを別の家に預けて、偉大なる戦士の妻として死んだんだ」

「――そうか」


 肘置きに力なく置かれたナビールの腕が小刻みに震えていた。

 小心なその王は、この瞬間も恐怖に苛まれているのである。


 しかしナビールは椅子にじっと座ったまま動かなかった。

 スルールをまっすぐ見つめ、全身の力を振り絞って自分の身体をその椅子のなかに押し込めていた。


 スルールは腰に帯びた短剣を抜く。

 机を迂回し、ナビールに近づいた。


「ダイスケ、邪魔をするなよ」

「わかってるさ」

「ナビール王、おれたちはあんたを許さない。おれが許しても、おれの仲間たちがあんたを殺そうとするだろう。だから、いまおれがやっておく」


 スルールは短剣を振りかぶった。

 ナビールは椅子のなかで目を見開き、その刃のきらめきを、スルールの冷徹な瞳を見た。


 剣が落ちる。

 ナビールが絶叫した。

 それでもナビールは椅子から動かず、全身をがたがたと震わせ、自分の左腕を椅子の肘置きに縫い止めた短剣を見た。


 宝石のように赤い血がどろりと流れ出す。

 スルールは剣を引き抜き、血を払った。


「あんたを無傷で許すわけにはいかないんだ。死にはしないが、重症でも負わないかぎり、仲間たちはあんたを殺そうとするだろう」

「――私を生かすのか」

「あんたには王としての仕事がある。おれたちの仲間に、おれたちの家族に、謝ってくれ」


 ナビールは短剣で貫かれた左腕を見ようともせず、まっすぐスルールを見つめ、目を閉じた。


「謝る機会をくれるのか――ありがとう、偉大なる戦士の息子よ」



  *



 大輔と同時に王宮へ潜入した燿は、大輔とはちがい大広間には向かわず、まっすぐ王宮のある場所を目指していた。

 一度だけ行ったことがあるそこは、中庭にほど近い廊下にあって、兵士の姿も見当たらない。


 燿は扉の前に立ち、何度か深呼吸して、軽くノックした。

 扉はすぐに開く。

 広い部屋を背中に、怯えたような顔つきのファラフが顔を出して、燿を見つけた途端ほっと顔をほころばせた。

 どうやらファラフも度重なる爆発音や兵士の行き来に恐怖を感じていたらしい。


「あ、あの――」


 燿がなにか言う前に、ファラフは燿の腕を引っ張って部屋のなかに招き入れた。

 ファラフはしきりになにか言っている。

 しかしいまは大輔の通訳もなく、なにを言っているのかはまったくわからないし、燿の言葉もファラフには通じない。


 本当は、なんの意味もないことかもしれない。

 このままにしておいたほうがよいことかもしれないが、燿はどうしても、ファラフに謝りたかった。


「ファラフ、よく聞いて、あのね、あたしほんとはお姫さまじゃないし、あなたの友だちにはなれないの」


 苦しみながら告白しても、ファラフにはなにも理解できない。

 ファラフはきょとんとした顔で燿を見て、わずかに首をかしげるだけだった。

 燿はどうしたら気持ちを伝えられるだろうかと考えてちいさくうなったが、思いつかないうちに、部屋の扉がこんこんと叩かれた。


 ファラフが扉へ向かい、何気ない仕草で扉を開ける。

 王宮内が混乱しているいま、だれが冷静に扉を叩いているのか――燿は瞬間的に嫌な予感がして、扉を開けたファラフの腕を掴んだ。


「あっ――」


 ファラフは体勢を崩し、燿にもたれかかる。

 その目の前を、白銀に輝く短刀がぶんと通り過ぎていった。


「ちっ――」


 短剣を持った男がのそのそと部屋のなかに入り込んでくる。

 剣呑に光る目は、ファラフと燿をしっかり捉えていた。


 ファラフは燿の腕にすがり、燿はファラルフをかばうように前に立ったが、唯一の出入り口を男が塞いでいるため、逃げられそうにはない。

 必然的に、部屋の隅へと逃げていく。

 男は満足げに笑い、袋の鼠となったふたりと距離を詰めていった。


 広い部屋でも、あっという間に間隔はなくなる。

 男と燿たちはほんの二メートルほどの距離で睨み合った。


 男がなにか言う。

 燿には理解できないが、ファラフはその言葉を聞いて、より一層怯えたように燿にすがりついた。


 ファラフを守らなければならない。

 燿はそれだけを考えていた。

 しかし、こういうとき、魔法はなんの役にも立たない。

 魔術陣を描いている時間はないし、そもそももうひとり魔法使いがいて、ふたり分の魔力をぶつけ合わなければ魔法は発動しないのだ。


 燿は、ひとりの少女でしかなかった。

 なにもできない、無力な少女でしかなかった。


 男の持つ短刀がきらめく。

 それを振りかぶり、燿とファラフに向かって振り下ろそうとしたとき、男は不思議そうに後ろを振り返った。


 頭の後ろまで振りかぶった腕が、ぴくりとも動かないのである。

 それもそのはずで、いつの間にか現れた男がひとり、腕をしっかりと押さえ込んでいた。


「スルール!」


 影のように音もなく現れたスルールは、男の腕をねじ上げて短刀を落とさせる。

 男はすぐに勝ち目なしと察したのか、身を翻してスルールを跳ね除け、部屋から逃げ出した。


「ダイスケ!」

「わかってる、そっちは任せたぞ!」


 廊下で待ち受けていた大輔は、すぐさま男のあとを追った。

 部屋に残ったスルールは、燿にうっすらと笑いかけ、ファラフの前に跪いた。

 臣下としての、王女に対する礼である。


 どうやら危機は去ったらしい。

 燿はほっと息をつき、ファラフを見た。

 相変わらず、言葉は通じない。

 しかし動きなら、と燿はファラフを抱きしめ、呟いた。


「ごめんね、騙して。ほんとはちゃんとあたしとして友だちになりたかったな――」


 ファラフは、言葉の意味はやはり理解できなかったが、燿の身体の温かさと感情を感じて、背中に手を回し、そっと抱き返すのだった。



  *



 王女暗殺に失敗したマタルは、王宮の裏手へ逃げ出していた。


「冗談じゃないぜ、ここまできて和解とはな。革命軍としてはまったくの茶番だ」


 川にかかる橋は相変わらず落ちたままになっている。

 逃げ出すなら、侵入した場所、壁に垂らされたロープを伝って逃げるしかない。


 王宮の裏手へ出て、入るときに使ったロープを掴んでよじ登る。

 下を見ると、ここまで追ってきたらしい大輔が同じようにロープを掴んで、壁の外まで追いかけてくるつもりのようだった。


「ちっ、しつこいやつめ」


 マタルは隠し持っていた拳銃を取り出し、銃口を下に向ける。


「わっ、やばいっ」

「死ね、異世界人め」


 銃声が響く。

 大輔はロープを掴んだまま壁を横へ走り、なんとか銃弾を交わした。

 同じロープに掴まったままではまともに狙えない、とマタルは銃を懐に入れて、一目散に壁を上る。


 壁を上りきったところで、にやりと笑い、まだロープの中程にいる大輔に銃口を向けた。


「悪運尽きたな、異世界人」


 よほど怯え上がるかと思いきや、むしろ大輔のほうが大きく笑う。


「そうでもないと思うけどな、革命軍」

「なに?」

「上を見てみな」


 ぴ、と大輔が指さしたほうに目を向けたマタルは、自分の頭上に、こぶし大ほどの炎の塊が浮かんでいるのを見た。

 それは急降下し、マタルの頭にがつんとぶつかり、燃え尽きる。

 マタルは痛みと熱さに絶叫し、壁の向こう側へ落ちていった。


「よくやった、神小路、岡久保!」


 大輔は叫びながらロープの残りを上りきり、壁に捕まって向こう側を見る。

 高さ五メートルほどの壁だが、下がやわらかな砂地だったせいで、マタルはすぐに立ち上がって砂漠のほうへ逃げ出していた。


「逃がすかっ」


 大輔はするするとロープを伝って降り、マタルの後ろを追う。

 この状況に、すでにマタルという駒は必要なかったが、大輔は革命軍というものについて情報を得る必要があった。

 そのためにはマタルを生け捕りにしなければならない。


 砂漠に入ると、マタルの足取りはがくりと落ちる。

 怪我が痛むのか、息切れか、これ幸いと大輔は距離を詰めた。


 マタルはよたよたと砂の丘を上り、倒れ込むようにその向こう側へ消える。

 大輔もそれを追って丘を上ったが、丘を下る前に、ぴたりと立ち止まった。


「――ああ、やっぱりだ」


 苦々しく、大輔は呟く。


「いやな予感がしてたんだよ、最初から。最悪だ」

「あら、久しぶりに会って言う言葉がそれ?」


 丘の向こうに、女が立っている。

 いや、浮かんでいる、というほうが正確だった。

 丘の上に立つ大輔と同じ高さに、なんの支えもなくひとりの女が浮かんでいるのだ。


 大輔は眉をひそめ、これ以上ないほど露骨に顔をしかめて、女を見る。

 女のほうはにやりと笑っていた。


「こんなところで散歩してるわけじゃないんだろうな」

「散歩ならもっと景色のいいところでするでしょう。こんな砂漠を歩いてもトカゲくらいしか見かけないわ」

「なら、さっさと消えてほしいね。ぼくは忙しいんだ」

「マタルなら、わたしが逃がしたわよ。別に死んだっていいけど、あなたにやられるのは癪だから」

「ふん、ぼくもまったく同じ意見だ。逃げられても大した問題じゃないけど、あんたが逃したと思うと腸が煮えくり返るね」

「相変わらず口が達者ね」


 くすくすと女は笑う。

 大輔は女を目の前にしたときから、いつでも行動が取れるように身構えていた。

 なにしろその女は、大輔が知る限り、世界最悪の人間なのである。


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