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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
砂漠の王国と革命軍
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砂の王国と革命軍 13

  13


 町のなかから聞こえてきた爆発音に、スルールはわずかに眉をひそめた。

 爆弾が使われたのかとも考えたが、政府軍がそこまでの攻撃を町中で行うとも考えづらい。


「――なにか、予定外のことが起こっているようだ」


 スルールはぽつりと呟き、双日の青空を見上げた。


「中止するのか、スルール」


 同行するマタルが聞くのに、スルールは首を振る。


「いまさら中止はあり得ない。必ず王宮へ入り、王の首を取る」


 マタルは安堵したように何度かうなずいた。

 ふたりは、町の外にいる。

 フィリス川を渡った向こう側、王宮の背後に立っていた。


 もちろん、裏側には出入り口もなく、白い壁がぬっと突き立って行く手を遮っている。

 スルールとマタルはその真下に立ち、青空と白い壁を見上げているのだった。


「予定外のことが起こっているにせよ、どうやら混乱ははじまったらしい」


 スルールは、白い壁に手をかけた。


「準備はいいか、マタル」

「いつでも」

「ではおれが先に行くぞ」


 スルールは乾いた風のせいで所々が崩れ、ちいさな穴が無数に空いた壁に手を当てて、指に力を込めた。

 その瞬間、スルールの身体がぐっと浮き上がる。

 手のひらは壁にぴたりと吸い付いたようになって、スルールはなんの道具もなしに、ゆっくりと垂直の壁を上っていった。

 ちいさな穴に指を引っ掛け、その力だけで上っているのである。


 かつての戦争で暗殺だけに特化した部隊では、その程度のことはできて当たり前だった。

 表を騒がせ、裏から近づいて一撃で葬り去る――それが暗殺部隊のやり方なのだ。


 スルールは数分で壁を上りきり、ロープを垂らした。

 マタルがそれを伝って壁を上り、ふたりして飛び降りる。

 宮殿のなかは騒がしかった。

 あちこちから兵士たちの声が聞こえ、橋へ行け、武器を確保しろと叫んでいる。


 時間的猶予はほとんどない。

 ほどなく、正面から攻めた部隊は全滅するだろう。

 スルールはそのわずかなあいだに王たちを見つけ出し、ひとりでも多くの首を取らなければならなかった。


 スルールはすぐに行動を開始しようとした。

 しかしふと、肌がひりつくような感覚を覚え、空を見た。


「――なんだ、あれは?」



  *



 街中に響き渡った爆発音と衝撃は、当然会議をしている王宮の大広間にも聞こえていた。


「な、なんだ、なにが起こった?」


 王たちはどよめき、椅子を蹴って立ち上がる。

 ナビールも不安げに瞳を揺らして立ち上がり、兵士を呼んだ。

 すぐ、非武装に銃だけを持った兵士がやってきて、頭を下げる。


「なにが起こっているんだ? さっきの音はなんだ」

「どうやら反政府勢力が乗り込んできたようです」

「反政府勢力? 革命軍か」

「革命軍の支援を受けた砂漠の民かと」

「砂漠の民――」


 ナビールは、そう呼ばれている集団についても報告を受けていた。

 かつて自分の指揮のもと、戦争で活躍した精鋭たち――戦争が終わってから、非合法の活躍が表沙汰にならぬよう、処分を命じた者たちの生き残りや息子たちである。


「ナビール王、なにが起こっているのだ?」


 王のひとりが責めるように言った。


「ここは安全なのだろうな」

「もちろん、安全だとも」


 ナビールは反射的にうなずく。


「なんの心配もない。所詮、ごく少数の戦力だ。王宮には千人の兵士がいる。なんの心配もない」

「ふむ、それならよいが――しかしこんなことがあると、やはり出兵は慎重に考えなければならんな。どれも他人事ではない」

「陛下」


 と兵士は引き続き頭を下げたまま言った。


「いかがなさいますか?」

「いかがなさいます、とは?」


 ナビールは驚いて聞き返す。

 一瞬、その兵士がなにを言っているのか、本当に理解ができなかった。

 どうやら自分に攻め込んできた連中への対応を聞いているらしいと気づいても、驚きは消えない。


「対応については、大臣に聞け」


 ナビールは一種の屈辱を覚えながら言い捨てた。

 国に関する重大な決定は、すべて大臣が行なっているのだ。

 周辺にいる兵士で、それを知らない人間はいない。

 だからみな重大な決定は直接大臣に仰ぎ、国王であるナビールにどうするかなどと聞く兵士はひとりもいないはずだった。


「しかし、この国はザーフィリスですので」


 兵士は頭を下げたまま、平然と言う。


「この国をどうするかは、陛下に決めていただかなければ」

「だから――大臣と協議のもと決定するのだ。どうすればよいかは大臣に聞け」

「陛下からお聞きしたいのです。いかがなさいますか」


 妙な兵士だった。

 ナビールは大声を上げ、大臣を呼ぶ。

 王たちの会議に大臣は参加していなかったが、すぐとなりの部屋でことの成り行きを見ていて、ナビールの声を聞くとすぐに駆けつけた。


「大臣、王宮に砂漠の民が押しかけているらしい。追い払え」

「はっ――おい、そこの兵士、なにをしている。すぐに武器を揃えて迎え撃て!」

「しかし、閣下、武器庫が破壊されております」

「なに? では、連中はもう王宮のなかにまで入り込んだのか」


 王たちがざわめく。

 まるで一般の大衆と同じように、現実的な恐怖に怯えている。


「いえ、連中はまだ川の向こうです。しかしどういう手段か、爆弾でも投げ込まれたのか、武器庫が破壊されたのです。それから、王宮前の橋も破壊され、町と王宮との通路は完全に失われました」

「ふむ――では、すぐに戦闘が発生する状態ではないのだな。それなら背後の壁に梯子をかけ、そこから兵士を外に出して、町のなかにいるやつらを一掃できる。すぐに準備をはじめろ」

「――陛下も同様のご意見でしょうか?」

「なに?」


 大臣は信じられないという顔で兵士を見た。


「貴様、なにを言っている?」

「陛下のご意見をお伺いしたいのです」

「いま言ったとおりのことが陛下のご意見だ」

「ですが、陛下から直接伺ったわけではありませんので」


 兵士はナビールをまっすぐに見つめた。

 ナビールはまるで後ろめたいものがあるように、兵士から目を逸らす。


「わ、私の意見も大臣と同じだ」

「本当ですか? もしここで戦闘になれば、後戻りはできません。国は内戦となり、他国の支援どころではなくなります。幸い、いまはまだ戦闘は起きていません――何者かが橋を爆破したおかげで、両軍は川を挟んで睨み合うのが精いっぱいです」

「おい、貴様、いったいなんのつもりだ。一兵士が陛下に進言するなど――」

「閣下は少々黙っていただけますか」

「き、貴様――」

「陛下、どうお考えなのです。内戦状態へ持ち込んででも、砂漠の民を殺しますか」

「か、彼らは、犯罪者だ」


 ナビールは上ずった声で言った。

 ほかの国の王たちが、いったいなにが起こっているのかもわからずそのやり取りを見ている。


「たしかに、いまの彼らは犯罪者です。しかしそうさせたのはいったいだれだったのでしょう。彼らはなぜ、この町から追い出され、革命軍と手を組んだのか?」

「それは――」


 言うまでもない。

 ナビールの命により、かつての暗殺部隊を粛清したせいだ。

 粛清は失敗したのだ。

 失われるはずだった者は生き残り、怒りを募らせ、当然のようにザーフィリスに、ナビール王に歯向かう。


 ナビールは、まるで自分のことのように砂漠の民の怒りを理解できた。

 自分のような王を打ち倒そうとする市民の動きは当然だろう。

 多くの市民がそう思わないのは、王という衣装しか知らないせいだ。

 もし暗殺部隊のことが明るみに出れば、市民は必ず王を責める。


 ナビールは、引きつったような笑みを浮かべた。


「おまえは、私にどうしろというのだ。いまさらどのようにしろと?」

「陛下のお考えを知りたいだけです」

「貴様、本物の兵士ではないな――だれか、だれかいないのか!」


 大臣が叫ぶと、廊下から数人の兵士たちが駆け込んできた。

 大臣はそのまま逮捕を命じたが、


「待て。その必要はない」


 ナビールの声に動きを止めて、兵士たちはなんとも言えない曖昧な表情で大臣と王を交互に見た。

 兵士ならこの国を支配しているのが実質的には大臣たちであることを知っている。

 しかし表立って王であるナビールの命令を無視し、大臣に従うわけにはいかないのだ。


「陛下、こやつは――」

「大臣、おまえも、下がれ」


 ナビールは低い声で言った。


「兵士たちも必要ない――いや、ここにいる各国の代表を無事部屋まで送り届け、問題が起こらないように警護を続けるのだ。どうした、王の命令が聞けないのか」

「い、いえ――了解いたしました」


 兵士たちは戸惑った表情のまま、とにかく命令に従ってほかの王たちを大広間の外へと連れ出した。

 大臣は最後まで抵抗したが、ナビールにもう一度出ていけと厳しく言われ、仕方なく大広間をあとにする。


 残ったのは、ナビール王とひとりの兵士である。

 ナビール王は、跪いている兵士を見ながら、どかりと椅子に座った。


「何者だ、おまえは。わが国の兵士ではないようだが」

「通りすがりの異世界人とお思いください」


 男はにやりと笑い、持っていた銃をぽいと投げ捨てた。


「さて、ナビール王、お話を続けていただけますか」

「それはこちらの台詞だ。おまえはいったい、私になにをさせたいのだ。この騒ぎを引き起こしたのはおまえか」

「さあ、それは大して重要な問題ではありません。ここで重要なのは、砂漠の民と戦う意志があるかどうかということです」

「――砂漠の民か。おまえはどうやら、すべてを知っているようだな」


 ナビールはため息をつき、首を振った。


「そう、あれは、たしかに間違った命令だったのだろう。大臣たちの意見は一致していた。暗殺は、協定違反だ。戦争とはいえ、ただひたすらに相手を殺戮するのではない。あくまで政治的、国際的な規約のもと、戦うのだ。私はその協定を破った。しかし暗殺部隊なくして戦争に勝利することはできなかった。彼らはそれほど凄まじい働きをしたのだ」

「暗殺部隊の存在自体は、いいとも悪いとも言えません。それは断言するにはあまりに難しく複雑な問題です」

「暗殺部隊は、私の先代のころからあった。まだ協定というものが曖昧だった時代だ。私はそれを受け継ぎ、戦争で勝利した。それが間違いだったとは思っていない。しかし、暗殺部隊が表沙汰になることは、避けなければならなかった」


 戦後の処理は、戦勝国だからといって楽なものではなかった。

 そうした混乱のなかで決定した命令のひとつが何十年か経ったいまでも現実的な問題として残っているのである。


「大臣たちは全員が一致した意見として、暗殺部隊は存在しないことにするべきだ、と言った。私はそれに従った。それが、実際に起こった事実だ」

「あなたは、そのつもりではなかった?」

「いや、私はたしかに命令を下した。暗殺部隊に関係したものは、すべて殺してしまえという命令を。だが、もし私にほんのすこしの正義があれば、そんな決断はしなかっただろう。私は――王というには、あまりに弱い男だ」


 ナビールはうなだれ、苦しげにうめいた。


「私には意志というものがない。先代、父は私が幼いころに死んだ。私はまだ十代のはじめだった。もちろん、政治をするには若すぎる。大臣たちは、なにも心配することはない、と言った。実質的な政治はすべて彼らが担当し、私は彼らの意見を鵜呑みにして、最後の許可を出すだけの存在だった。ああ、どうしてその状況を変えようと思わなかったのか? 簡単だ、私はその重圧に耐えきれなかっただけだ。心のどこかで、常に考えていた。どんな決定も、本当に決めたのは大臣たちだ。責任は彼らにあり、私にはなんの罪もないと。子どもさえも騙せない言い訳さ」


 ナビールは卑屈に笑う。


「そのつけが、いま回ってきたのだろう。よかろう、私の首ひとつでよければ、差し出そう。しかし妻と娘は、私の政治的責任にはなんの関係もない」

「つまり、砂漠の民と戦う意志はないんですね」

「敗れる意志ならあるがね――彼らを殺すことなど、私にはできはしない。彼らは私の謝罪も受け入れたくはないだろう。それから、この首をもって謝罪するしかない」

「そう――その言葉が聞きたかったんだ」


 男は立ち上がり、にやりと笑った。


「聞いているかい、砂漠の民。スルール、王に戦う意志はない。血塗られない歴史が成立するのは、いまだけだぞ」

「やはりきみの仕業か――ダイスケ」


 大広間の入り口に、ひとりの男が立っていた。

 大輔はスルールを振り返り、にやりと笑ってみせた。


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