砂の王国と革命軍 10
10
三匹の蝙蝠が窓から部屋へと入ってくる。
大輔はそれを出迎えて、魔法が解けてそれぞれ燿、紫、泉に変わったところで、ひとつうなずいた。
「よくやった、三人とも。ジーニアス作戦、クール作戦、ともに上々の成果だ。とくに七五三、単身でよく潜入したな」
「うん――」
燿はちいさくうなずいたが、見るからに表情が暗く、いつもの明るさも元気もない。
だいたいその理由は推測できる大輔はちいさくため息をつき、窓の外を見た。
まだ夜のうちである。
夜明けのような明るさだが、本当の夜明けまではまだ三、四時間はあるはずだった。
「七五三はもちろん、ずっと魔法を使いっぱなしだった神小路と岡久保も疲れただろ。今日はゆっくり寝るといい。報告はぼくからしておく」
「うん――おやすみ、先生」
最後まで元気のない燿の声だった。
紫と泉も不安げに燿を見ていたが、大輔はとくにかける言葉も見つからず、部屋を出る。
夜中のうちに伝えてもよかったが、だれかに目撃されて怪しまれることを考え、ひとまずすぐとなりに借りているもう一部屋へ入った。
宿の資金もスルールからもらったものだが、部屋そのものはさほど大きくもなく、せいぜい雑魚寝ができる程度の床があるにすぎない。
とくに眠気も感じない大輔は、窓辺に立ってぼんやりと外を眺めた。
部屋の下はなんの変哲もない狭い路地で、真向かいにはすぐ別の建物がある。
見晴らしがいいわけでもなく、気分が晴れるわけでもなかったが、視線はつい、ちいさな太陽が輝く夜空へと向けられた。
「まあ、これも教育といえば教育だろうけどなあ」
ダブルOという組織は、そもそも正義の味方ではない。
どちらかといえば悪の組織に近いくらいで、この新世界からお宝を盗み出し、地球で売り払うのが目的なのだ。
大輔はもちろん、三人の生徒たちもその組織の一員ではある。
当然、任務のなかにはだれかを騙したりすることも含まれるが、それに耐えられる人間とそうでない人間がいることもたしかだった。
人間の心ほど、この世界で認識しづらいものはない。
その強度はひとによって様々であり、生まれつきかと思われるくらい根強いこともあれば、状況によって臨機応変に変更されることもある。
その心を計算に入れて、はじめて作戦というものが成り立つ。
大輔は、だからこそ、できれば紫を王宮へ潜入させたかったのだ。
紫は年のわりにしっかりと割り切ることができる人間で、任務のためならある程度のことはできるだろうが、燿は心がまっすぐすぎるところがあった。
世の中、「よい」「悪い」のふたつのカテゴリーで認識することはなかなか難しい。
悪いと断言できるほどの悪人はすくないし、よいと確信できるほどの聖人もそうそういない。
結局、それらは自分のなかで折り合いをつけ、自分が許せる程度に悪人であり、自分が好きになれる程度に善人である人間と付き合っていくしかないのだが、十五、六歳の少女にそれを理解するというのも無理な話ではある。
「……もともと、そんなこと理解する必要はないんだろうけど」
大多数がそうやって生きているからといって、そうしなければ生きていけない、というわけではないのだ。
燿のような性格なら、あるいは年をとっても純粋でいられるのかもしれない。
その純粋の芽を摘む人間があるとすれば、それは燿の敵ではなく、味方のだれかだろう。
「ほんとに、ぼくが魔法さえ使えれば話は早いんだけどな」
しかしこればかりはどうしようもない問題ではある。
魔法を使えるように、と望んで使えるのようになるなら、大輔はとっくに魔法使いになっているはずだった。
子どものころから、魔法使いに憧れ続けている大輔なら――。
部屋の扉がこんこんとノックされる。
振り返ると、扉が開き、そこから燿が顔を覗かせていた。
「先生、いい?」
「なにがだ? 夜這いならお断りだぞ、ぼくはおこちゃまには興味ないんでね」
軽口にも燿はくすりともせず、うつむいている。
大輔は頭を掻いて、燿を招き入れた。
部屋には椅子もなければ、ベッドもない。
燿は後ろ手に閉めた扉にそのまま寄りかかる。
「どうした、七五三」
大輔は窓辺に立ったまま、あえて燿のほうは見ず、双日の明るい夜空を眺めていた。
「先生――あの、ね。このままにしとくって、だめかな?」
「なにがだ」
「この国のこと。会議の時間とか場所とか、そういうのをスルールに話さないって、できないのかなあ?」
「まあ、できなくはない」
大輔は平然と言う。
「このままぼくたちが姿をくらませれば、自然とそうなるだろう」
「それって、いけないこと?」
「いけないことじゃない。ただし、この状況的には選ぶべき選択肢じゃないけどな。この町はそう大きくないし、ぼくたちは自力で別の町までたどり着くこともできない。スルールたちが本気でぼくたちを探せば、あっという間に見つかるだろう」
「見つかったらやばい?」
「向こうとしては裏切られた形だからな。なんらかの形で報復されることは充分あり得る。それに、ぼくたちが情報を伝えなかったとしても、スルールたちはそれで計画を諦めたりはしないだろう」
大輔が見るかぎり、スルールは急かされるように前へと進んでいた。
よく言えばそれだけ前へ進む力があるのだろうが、すこし冷静さに欠ける。
本人を見るかぎり、スルールはどんな状況でも冷静さを失うような人間には見えなかった。
つまり、わざとそうしているのだ。
スルール本人が言ったとおり、組織は一枚岩ではなく、常に反対意見がつきまとう。
そうした連中を無理やり巻き込むために、わざと退路を絶ちながら進み続けているのである。
革命軍と手を組んだのもおおよそそんな理由なのだろう。
後ろはない、立ち止まっても死が待つだけだ、生き残るためには進み続けるしかない、とスルール自身が仲間たちを追い立て、また自らも先頭を切って進んでいく。
そんな男が、いまさら多少の障害があるからといって立ち止まるとは思えなかった。
「まあ、わかるよ、七五三」
大輔はぽつりと言う。
「基本的に人間ってやつは、情報を多く持ってる相手を嫌いづらくなる。ただ悪い王さまってだけならともかく、その家族まで知ったら、なかなか嫌うってのは難しい。だから、考え方を変えるんだ。ぼくたちは別にこの国の王が嫌いってわけじゃない。自分たちでこの国をどうかしたいってわけでもない。ただ情報をスルールに話すだけだ。その結果国がどうなるかは、ぼくたちには関係のないことだろ?」
燿はじっと大輔を見た。
「先生は、ほんとにそう思う?」
「う……」
「あたしたちが情報を流して、それで国がどうなっても無関係だって、ほんとに思う?」
「はあ……わかったよ、認めよう」
大輔は降参というように両手を上げる。
「無関係だとは、思わない。おれたちの情報で戦況は大きく動く。それはたしかだ」
「でしょ。だから、無関係なんて思えない」
「じゃあどうする? なんにしても、選択はしなくちゃいけないんだ。ふたつにひとつだぜ。国王側につくか、スルールにつくか」
「……スルールは、いいひとだと思う。かわいそうだし、戦わなきゃいけない理由もわかる。でも、王さまにもいろいろあるんだと思うの」
「そりゃ、いろいろあるだろうね。王さまなくらいだから、いろいろなきゃおかしい」
「ねえ、先生、スルールは会議に乗り込んでどうするつもりなのかな?」
「さあ――」
適当にごまかすことも不可能ではなかったが、燿がごまかされたと感じるよりは、はっきりと真実を告げたほうがいいように思えた。
「まあ、普通に考えれば、スルールは国王を殺すだろうな。スルールの目的は復讐だ。自分たちは死んでない、ここにいると表明することが目的なんだから、派手にやるだけ宣伝になる」
「そっか――じゃあ、もしスルールたちが失敗したら?」
「この国の兵士に捕まったら、か? そりゃまあ、国王を殺そうとしたんだから、重罪は間違いないだろう」
「やだ、そんなの」
燿はぷるぷると首を振る。
「そんなの、やだよ。どっちを選んでも、どっちかが死んじゃうなんて」
「いやでも、そういう世界なんだ。新世界っていうのは――いや、新世界だけじゃない、ぼくたちが知らないだけで、地球上でもこんなことは珍しくない。それが現実なんだよ、七五三」
「そんな現実、やだもん。ねえ先生、なんとかならないの? だれも悲しまなくても済む方法はないの?」
「だれも悲しませなくて済むって言ってもな――」
「あたしたち、魔法使いだよ。奇跡を起こせるんだから、きっとそういう方法もあると思うの。ね、先生、そうだよね?」
燿は身を乗り出し、大輔の手をぎゅっと掴んだ。
その握力の強さ、瞳の強さを見ても、燿が本気なのはわかる。
かといって、そう都合よくだれも傷つかずに済む方法などあるわけでもない。
「――そもそも、だ、七五三」
大輔は燿の手を振りほどく。
「ぼくの本音を言うとだな、スルールがどうなろうと、国王がどうなろうと、そんなことは知ったことじゃない」
「先生……」
「スルールがどんなにいいやつでも、国王がどんなにやさしくても、ぼくはまったく興味がない。彼らを守ることがぼくの使命ってわけじゃないんだ」
「じゃあ、先生はなにをするの」
「おまえたちを守る。おまえたちを無事に地球へ帰すのが、いまのところのぼくの使命だ。それを叶えるためにほかのものを捨てろと言われたら、ぼくは進んでそうするだろう。心情的にはスルールにも同情できるし、国王にも同情の余地はある。でもそういう連中が死んでいくのは自然の流れだ」
燿がぐっと押し黙り、反論もできないようだったが、不意に大輔の手を握り直すと、責めるように大輔の瞳を覗き込んだ。
「じゃあ、あたしはスルールと王さまとファラフを守る!」
「はあ?」
「あたしはみんなを命がけで守るから、先生はあたしを守ってね。そしたら、みんな無事に済むでしょ?」
「……おまえは、たまにそういう変な方向からストライクゾーンを狙ってくるよなあ」
大輔は呆れたようにため息をついた。
「で、なんか作戦はあるのか? スルールも王さまもその娘も守る作戦は」
「ない!」
「胸張って言うなよ」
「でも、できると思う。あたし、魔法使いだもん。奇跡を起こせるんだから」
「魔法使いってのは、ひとりじゃまったくなんの役にも立たないんだぜ」
「ひとりじゃありませんけど?」
ぎい、と扉が軋む。
いつからそこにいたのか、開いた扉の向こうに紫と泉が立っていた。
「わっ、ふたりとも――どうしたの?」
「燿がひとりで先生の部屋に行くから、なにかあったら大変だと思って見張ってたのよ」
「なにかあるわけないだろ。おまえたちはほんとにぼくのことをどう思ってるんだか……」
「でも先生、わたしたちはひとりじゃありません。燿がやるっていうなら、わたしもやるわ」
「ゆかりん……」
「わ、わたしも!」
「泉も――ありがと」
三人はぎゅっと手を握って、挑むように大輔を見た。
大輔は深々とため息をつき、首を振る。
「先生、おまえたちはもうちょっと大人だと思ってました。あのな、反抗するのはいいけど、ちゃんと行動したいなら、成功が見込める作戦をもってやるべきだ」
「作戦は先生は考えてください」
「はあ?」
「だって先生、天才なんでしょ?」
紫はにやりと笑う。
「いつも言ってるじゃないですか、自分は人類最高の天才だって。まさか、人類最高の天才ともあろうひとが、こんなちっぽけな国ひとつ救えないなんてこと、ありませんよねえ?」
「う……」
「国王とその娘とスルール、それにあたしたちの六人を助けることくらい朝飯前ですよねえ?」
「うわあ、ゆかりん、めっちゃ悪い顔してるよ」
「まあ、無理だっていうならいいですけど。先生が、どうしてもぼくには無理だ、ぼくはそんな作戦も思いつかない超凡人だっていうなら、無理して作戦を立てろとは言いませんけど。まさかあたしたち三人を足した頭脳よりも劣っているなんてことはあり得ないと思いますけど、先生がどうしても自分はあたしたちよりばかでまったくなんの作戦も思いつかないっていうなら――」
「わかった! もうわかったから言うな! ああそうさ、ぼくは銀河系では収まりきらないレベルの超大天才さ。この国を救うなんてわけないね。朝飯前どころか前日の昼飯前くらいのもんさ」
「ですよね。じゃ、適当に作戦立ててくださいね。よろしくお願いします。じゃ、わたしたちはゆっくり寝よっか。お休みなさい、先生」
「さっさと寝ろ、悪ガキどもめ」
紫はくすくす笑いながら扉を閉めた。
まんまと乗せられた形になった大輔がため息をついていると、再び扉が開き、燿が顔だけ出して、
「先生、ありがとっ」
そしてまた扉が閉まる。
大輔は頭を掻いて、窓の外を見た。
「ありがと、ね――ああいう顔を見てると、自分がなんのためにこんな仕事をやってるのかわからなくなるな」
しかし、目標は決まった。
あとはどうすればその目標に達成できるかの道筋を考えるだけだ。
大輔はいつものくせで、またにやにやと笑いを浮かべながら、明るい夜空に空想を浮かべていった。




