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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
アルカディア
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アルカディア 25

  25


 大湊大輔は目を覚ます。


 ベッドに寝そべったまま、瞼だけを押し開けて、天井を見る。


 夢がまだそのあたりに浮遊しているような気がした。もうどんな夢だったか覚えていないが、悪夢を見たときのような胸の苦しさはない。おそらくさほど悪い夢ではなかったのだろう。今日もいい一日になりそうだった。


 起き上がり、部屋のなかを見回す。いつもの、というにはすこし留守にしすぎたわが家だ。


 基本的にものがすくないワンルームのアパート。とくに物欲もない大輔は、寝起きするだけの部屋があればそれで満足だった。


 歯を磨き、顔を洗い、髭を剃り、服を着替える。朝食は取らない。そのまま家を出る。


 アパートは住宅街の片隅にある。そこから勤務先、私立三折坂高校までは山をひとつ越えていかなければならず、大輔はいつものように自転車に乗って、ゆっくりと漕ぎ出した。


 風が肌寒い。


 季節は秋だった。


 山道をひいひいと喘ぎながら登りきると、美しく紅葉した山々が一望できる。下りは、恐怖心さえなければ楽なもので、一度もペダルを漕がずに三折坂高校の裏に到着する。そこで自転車を下り、学校のなかに入った。その途端、


「せんせー、おはよー」


 明るい声が前方から聞こえてきた。


 ブレザーの制服を着た七五三燿である。大輔はそこに紫と泉がいないことをすこし不思議に思ったが、よく考えてみれば友人でも常にいっしょにいるわけではなく、むしろ個別にいる時間のほうが長いだろう。向こうで常にいっしょにいたのに見慣れてしまったらしい。


「はいはい、おはよう。あと先生にはございますをつけなさい」

「ございまーす」

「はいはい、ございます」

「ねー先生、今日って授業あるの?」


 燿はとことこと駆け寄ってくる。制服を着た燿は、新世界で見るよりもすこし幼く見えた。


「いや、今日はなんにもなしだ。強いていうなら事情聴取ってとこだな」

「じじょーちょーしゅかー。まあ、そうだよね。あたしたち、地球に帰ってきたんだもんね」


 地球に帰ってきた――それがまだ実感としてはわからない。大輔は途中まで燿といっしょに廊下を進み、燿は教室へ、大輔は一度職員室へ寄ってから、校長室へと向かう。


 ノックをすると、部屋のなかから暑苦しい声が帰ってきた。


「失礼しま……なにしてるんです、校長先生?」

「ん、いや、写真チェックをな。ダブルOの新しい会報に載せねばならんのだ。すぐに終わるから、座って待ってくれ」


 今村協は大輔が見たこともないようなまじめな顔で机に向かい、大量の写真を見下ろしていた。どんな写真なのかと覗けば、全部自分の写真である。おまけに同じ写真ばかりで、ついにナルシストすぎて目がおかしくなったのかと大輔は同情したが、本人にとってはすこしずつちがうらしい。


 結局、一枚には決めかねたようで、


「会報にはすべて載せよう――さ、待たせたな、大湊くん」

「はあ、大して待ってませんけど、精神的にすこしダメージを受けた気がします」

「うむ、無理もない、新世界での旅はつらいものだっただろう」

「いやそれとはぜんぜん関係なくて」

「しかし本当によく帰ってきた」


 協はにっとひとのよさそうな笑みを浮かべる。


「新世界でどんなことがあったのか、聞かせてくれるか」

「はい――とてつもなく長い話になりますけど」

「かまわんよ。今日の業務はもう終わっている」


 あの写真選びだけが業務だったのか、校長の仕事は楽そうでいいな、と思いつつ、大輔は新世界でのことをしゃべりはじめた。


 砂漠の真ん中で取り残されたこと。ザーフィリスでのこと。そこから大陸ドラゴンの巣へ行ったこと。思い出すだけでも鳥肌が立つ山の上の魔法都市に行ったこと。動物に変化できる変な忍者たちと出会ったこと。病に倒れて死にかけたが、小人たちに助けられたこと。人生初の女装をさせられたこと。そしてグランデル王国でのこと――。


 数えきれないほどの出来事があったはずなのに、思い出してみればなぜだかすくない気がする。おそらくは言葉にできない経験がほとんどだったのだろう。新世界でのことは、よくも悪くも一生忘れないにちがいない。


「ふむ――本当に大変だったのだな、大湊くん」

「まあ、大変でしたけど、言うほど悪くはなかった。いちばん苦労したのは、向こうに煙草がなかったくらいで」


 そういえば、と大輔は気づく。地球へ戻ってきてからも、まだ煙草は一本も吸っていなかった。吸いたい、という気持ちもあまりない。新世界で一年以上煙草から遠ざかると、自動的にそれが禁煙になっていたらしい。


「しかしきみは立派に教師としての義務を果たした。生徒三人を無事に地球へ連れ戻したのだから。きみでなければ、それはできなかっただろう」

「そうですかね――ま、たしかにぼくの天才的頭脳がなければ切り抜けられない場面も数多く――」

「ところでひとつ聞きたいのだが」


 このナルシストめ、と心中毒づきながらうなずく。


「いったいどうやって帰ってきたのだ? 破壊された扉を作り直したわけではないのだろう」

「どうやって帰ってきたのか――いや、正直なところ、ぼくにもよくわからないんですよ。最初に七五三たち、あとはほかの新世界に取り残されてた魔法使いたちが地球へ戻ったのは、ナウシカって魔法のせいです。それはわかってるんですけど、どうしてぼくが戻ってこられたのかは――」

「ふむ……七五三くんたちがきみを地球へ引き戻したときだね。魔力を通して意志が働いたのかもしれないな――あとは、こっちでも必死に魔力を使ってきみたちを呼んでいたんだ」

「魔力を使って?」

「一度、七五三くんたちがこっちに現れてね。そのときは姿もなくすぐ消えてしまったんだが、声が聞こえたんだ。それで魔法使いを集めて、地球ではあるが、一応魔術陣も描いて、全員の魔力を合わせていた。なにかの手助けになればと思ったんだが、うまくいってよかったよ」

「そうですか――おかげでぼくはこっちに帰ってこられたわけですね」


 大輔はあのとき、このまま新世界に残ってもいいと考えていた。燿たちが地球へ戻れたのならそれでいいと。しかしこうして帰ってきてみれば、やはり帰ってきてよかったと思う。


 新世界も悪い世界ではない。


 しかし大湊大輔は地球人なのだ。


「これからダブルOはどうするんですか?」


 大輔は言った。


「こっちからはなにもアプローチできないし、たぶん新世界側でもナウシカはもう二度と発動しないでしょう。それだけの魔力が、もう新世界にはない。世界をつなぐ扉を作ることもむずかしいから、事実上新世界と地球を行き来することは不可能です」

「新世界での冒険稼業は取りやめるしかないだろう。残念だが、仕方ない。しかし幸いにもうちは学校という形式を取っているから、この先はまっとうな学校としてやっていこうと思っている。優秀な教師も揃っていることだし」

「なるほど」

「大湊くんも、今日からは魔法使いでも秘密組織の隊員でもなく、ひとりの教師になるのだ」

「うう、なんかそう言われるとちょっと嫌だなあ……」

「どうして?」

「教師って大変そうじゃないですか、いろいろ」

「いまさらなにを言うか」


 協はけらけらと笑う。


「きみはもう立派な教師だろう、大湊くん」

「いやあ、どうですかね」

「きみがそうではないと言っても、生徒はきっときみを先生と呼ぶと思うがね。まあ、今後のことはゆっくりと決めよう。きみもまだ体調が万全ではないだろうし、今日は授業もないから、もう帰っても構わないよ」

「はあ、そうですか。じゃ、失礼します――ああそうだ、校長先生」

「ん?」

「あの女のことは――大湊叶のことは、すみませんでした」


 大輔は頭を下げる。協は不思議そうに首をかしげた。


「なんのことだ?」

「いや、やつがいろいろと全人類に迷惑をかけたので」

「それはきみが悪いわけではない」

「でもまあ、あんなやつでも姉ですから」


 協は驚いたように目を見開き、そして笑う。


「きみは新世界へ行って変わったな。うむ、以前よりもいい男になった。ま、私ほどではないが」

「先生には到底敵いませんよ。じゃ、また」


 大輔は校長室を出て、ため息をつきながら廊下を歩く。憂鬱なのは、これからまた山を越えて家まで戻らなければならないことだった。


 とことこ廊下を進むと、後ろから足音が聞こえる。ひとり分ではなく、三人分だ。振り向くまでもなく、それがだれなのかわかった。


「せんせー、もう帰るの? あたしたちいまからじじょーちょーしゅ!」

「おう、そうか、がんばれよ」

「がんばるのは主にわたしですけどね」


 紫はため息をつく。


「わたしはたぶん説明係になるでしょうから」

「うう、紫ちゃん、わたしもがんばって説明するよ」

「ありがと、泉。泉はかわいいわね。なんていうか生で食べたい感じ」

「な、生で食べるの?」

「ゆかりんゆかりん、あたしは?」

「燿はソテーが似合いそう」

「おお、ソテー!」

「……どういう会話だよ。いまどきの若者の会話はわかんねえなあ……」


 歩いていく大輔の背中に、三人は言った。


「先生、また明日」


 大輔は振り返らず、腕を上げる。


「また明日な」


 校舎の裏から外へ出る。山から吹き降ろす風にぶるりと身体を震わせて、大輔は自転車にまたがった。


 冬になったら自転車での通勤も難しくなる。このあたりは雪が降るのだ。季節はゆっくりとだが、確実に巡っていく。


 大輔はあくびを噛み殺し、山道へ挑むために気合いを入れ直してペダルを踏んだ。



  終わり

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