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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
アルカディア
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アルカディア 24

  24


 地球、日本の私立三折坂高校。


 新世界での活動を目的とした秘密組織ダブルOの本部。


 その地下には、かつて新世界への扉があった。


 しかしいまから一年ほど前、扉は原因不明のまま焼失し、いまではその地下はなにもない空間になっている。


 ダブルOの代表者である今村協は、一年経ったいまでもほとんど毎日のようにその地下室を覗き、なにもない空間を見てはため息をついていた。


「もう一年以上になるか。長いような、短いような――」


 全世界で同時に新世界への扉が消滅してから一年、地球でも様々なことが起こっていた。


 まず、世界にいくつもあったダブルOのような秘密組織は、その多くが自然消滅していた。それもそのはずである。新世界へ行くことができないのだから、新世界での活動だけを目的としている組織が存続できるはずはない。


 また、国連では扉の消滅に伴う会合が開かれ、結局その事実は世間に対して正式に発表された。


 といっても原因は不明、復旧できるかどうかもまったくわからないという状況では、発表すべきこともない。ただ新世界へ行けなくなった、としか言えない会見には批判が殺到していたが、だれがその立場でも同じ言葉を繰り返すしかなかっただろう。


 幸いにも、地球文明はあまり新世界には依存せずに生きていた。新世界保護法によって資源の調達もされておらず、そもそも一部の非合法組織以外で政府の許可を得ずに新世界へ行くことは不可能だったから、新世界と地球が断絶したと発表されてもそれを重大な問題だと捉える人間はごく少数だった。


 そして一年経ち、ひとびとは急激に新世界の存在を忘れつつある。


 もともと生活に密着していない存在だ、消滅してしまったものを一年も思い続けるのはむずかしい。


 しかし協はいまだにダブルOの解散を発表してはいなかったし、これですべてが終わってしまったとも思っていなかった。


「新世界側ではいまもなにか動きがあるのかもしれん。彼らはこの地球へ必死に戻ってこようとしているのだ」


 そのために地球からできることはごく限られている。せいぜい、いつ彼らが戻ってきてもいいように準備をしておく、というくらいだ。


 それも一年経てば、諦めも滲んでくる。協はため息をつき、暗闇を眺めることをやめて踵を返した。


 激しい閃光を感じたのは、そのときだった。


 一瞬、協はそれを目眩かなにかだと認識した。それほど鋭い閃光であり、反射的に目を閉じる。


 そして協は声を聞いた。少女たちの、切羽詰まったような声を。


「――ここは、地球?」

「先生は?」

「いない――きっとまだ向こうにいるんだよ。助けに行かなきゃ!」

「でも、どうやって」

「まだなんとかなるはず――ほら、手をつないで、先生のことを考えるの。先生のところに連れて行ってって祈れば」

「そんな非科学的な――まあでも、それしか方法はないわ。行くわよ、ふたりとも」

「うんっ」


 閃光が、ふと消える。


 協は呆然と振り返った。


 もともと扉があった部屋は照明も落とされ、いまはなにもない。先ほどとなにも変化がない空の暗闇である。


 幻覚と幻聴か。そのふたつを同時に起こしたとは考えられない。閃光と声は、たしかにここにあったのだ。


 協は何度も瞬きをして、暗闇を睨みつけた。


「――いまの声は、たしか」


 確信はない。証拠などなにもないのだ。しかし協はそれを信じることにした。


 希望はまだある。新世界ではなにかが起こっているのだ。協は慌てて階段を駆け上がっていった。



  *



 光がゆっくりと消えていく。


 ひとつの生命体が死にゆくように、鼓動が弱まっていくように光は減退し、やがて、暗闇が空間を支配した。


 大輔は最後の力を振り絞ってごろんと寝返りを打った。


 この広い地下空間に入ったときにはあった青白い光も、いまはない。そこにあった魔力はすべて消費されてしまったのだ。いまはただ、鼻の先も見えないほどの暗闇だけがそこにある。


 叶はすぐとなりに立っているはずだった。


 物音はないが、気配でわかる。


「――結局、ぼくの勝ちってことでよさそうだな」


 大輔が自慢げに言うと、叶は笑いもせず、低い声で言った。


「あなたは最初からこうするつもりだったの?」

「いや、いくらぼくが天才っていっても、そこまでは考えてなかった――全部とっさのことだ。でもまあ、いいふうに転がってよかった。問題はあいつらがちゃんと地球に帰ったかどうかだ」

「それはきっと大丈夫でしょう。ほかの魔法使いも地球へ戻ったんじゃないかしら。あの魔法は、どうやら魔力に反応するみたいね。まあ、過去を考えればわかるわ。魔法使いはすべて地球へ移って、この世界にはただの人間だけが残った。扉も同じ仕組みなんでしょう。魔力によってその使用者を制限する」

「――で、ぼくはもう魔力も体力もすっからかんだから、その制限に引っかかったってわけだ。あんたは、地球を拒否した。だから地球へは行かなかった」


 それも意図したことではない。すべては偶然だ。偶然とは見えざるだれかの意志であり、そういう意味では、こうした結末は運命的ともいえた。


「あなたは、もう地球には帰れないわ」


 叶は言った。大輔は笑う。


「わかってるさ、ばかにするな。もうこの世界に魔力はない。すくなくとも、もう一度世界を移動できるほどは。でも新しい世界を作り上げるより、地球へ移動させるほうが魔力の消費はすくないはずだ。新世界への影響がすくなければいいんだけど」

「あなたはいつも他人の心配ばかりしてるのね。たまには自分の心配もしてみたら?」

「ふん、情けは人の為ならずって知ってるか? ぼくの心配は、だれかほかの人間がやってくれるだろう。だからぼくは心置きなく他人の心配ができるってわけだ」

「まったく、のんきな性格ね――いったいどこでそんな性格になったのかしら」

「生まれつきじゃないことはたしかだ。子どものころのぼくは、あんたと同じだった。でも、ぼくにはあんたほどの才能はなかった。もしぼくにあんたと同じだけの力があったら、きっとぼくはあんたと同じことをしていたと思う――結局、それも運なんだ」

「わたしに才能がなくて、あなたに才能があれば、すべては反対だったと思うの?」

「だろうね」

「わたしは、そうは思わないわ。才能がなくてもわたしはこの生き方を選んだでしょう」

「はあ、ほんと、可愛げのない……まあいいさ。どうせ、もう終わったことだ。なにもかも――なあ、あんた、これからどうするんだ? たぶんこの魔力じゃ、もう新世界でも魔法は使えないぜ」

「それを聞いてどうするの? いっしょに暮らそう、とでも言うつもり?」

「まさか。そんなことしたら三日でどっちかが出ていくと思うね。ただまあ、弟として知っときたかっただけだよ」


 暗闇に沈黙が下りる。大輔はかすかな足音を聞いた。叶がどこかへ移動していくらしい。もうこの空間を出て、どこかへ行くつもりなのかもしれない。大輔の質問には答えないまま。それでもいいか、と大輔は思い、そのまま眠りに落ちるつもりで目を閉じた。


 瞼の裏も、やはり暗闇だ。


 暗闇から暗闇へと落ちていく。


 そのなかで、大輔は声を聞いた。


「先生、先生、寝てる場合じゃないよっ」

「ん、うるさいなあ、七五三、ちょっと寝かせてくれよ」

「寝てる場合じゃないったら!」


 夢のなかの声ではない。大輔は目を開けた。空中に、奇妙な白いもやが浮かんでいる。


 そのもやのなかから、燿、紫、泉の三人が大輔に向かって手を伸ばしていた。


「おまえら――地球には戻れなかったのか?」

「そんなこと言ってるひまないんだって! もう光が消えちゃう――消えたら、二度と戻ってこられなくなっちゃう! 先生、早く手を伸ばして!」

「手って言われてもだな――」


 大輔は全身の力を振り絞って起き上がろうとしたが、到底叶いそうにはないことだった。


 魔法を連発したせいで、大輔の身体にはもう一滴の魔力も残っていない。それどころか体力さえなく、全身はほとんど痺れたように感覚をなくしていて、片腕を上げることさえできなかった。


 瞼を開け、燿たちの顔を見ているだけで精いっぱいだ。大輔はそれでも満足だった。


「先生、早く!」

「まあそう焦るなよ――しかし一年のあいだにずいぶんおまえらも成長したよな。もう一人前の魔法使いだ。まあ、魔法使い自体がもう意味をなさないけど」

「そんなこと言ってる場合じゃ――」


 燿の目に涙が溜まる。


「最初おまえらと新世界に取り残されたときはほんとにどうしようかと思ったけど、結果的には、そのときの生徒がおまえらでよかった。地球で楽しくやれよ。ぼくのことはさっさと忘れろ、ぼくはこっちで天才科学者として活躍して美人の奥さんをもらうから」

「先生には美人の奥さんなんて無理だよっ。だから――」

「おいおい失礼だなおまえ。見とけよ、おまえらがびっくりするくらい美人の奥さんを――あれ、前もこんな話したっけな。まあいいや」


 大輔は、最後の抵抗のつもりで片腕を上げた。すると、先ほどまでぴくりとも動かなかったのが、ゆっくりと空中に持ち上がる。大輔の腕はそのままゆっくりと上がり、その手を燿がしっかり掴んだ。


 身体が浮き上がる。


 全身が光に包まれ、同時に身体中に力が戻ってくるような気がした。


 どうして身体が動いたのか。大輔は、その謎にすぐ気づいた。光が消えようとしたとき、声を聞いたのだ。


「――さよなら、大輔」


 大輔はその声に答えることができなかった。光はあっという間に収束し、なにもかもが幻だったように消える。


 身体にもう一度浮遊感を覚えた。同時に、硬い地面にどさりと落ちる。


「いたたた――なんだ、ここはどこだ?」


 暗闇から抜けた先は、また暗闇である。


 大輔はきょろきょろとあたりを見回し、すぐ近くに燿、紫、泉の三人がいることに気づいた。それにほっと息をつくと同時に、


「大湊くん、帰ってきたか!」

「うおうっ」


 野太い叫び声に驚いて飛び上がる。


「おいだれか、電気をつけろ!」

「戻ってきたぞ――四人が戻ってきた!」


 いくつもの声が入り乱れる。照明がぱっと点滅し、部屋が明るく照らされた。


 大輔はコンクリートの床に座り込んできた。燿はべちゃりと不格好に寝そべり、泉はその上に倒れて、紫は尻もちをついている。


 そして四人の前には、十人ほどの男女が待っていた。


「あ――」


 先頭に立っている男を見て、大輔は喉を震わせる。


 一年ぶりだが、しっかり顔を覚えている――ダブルOの代表者、今村協だ。


 その後ろに控えているのは、どれも顔なじみの隊員や教員たちだった。


 彼らが新世界にいるはずはない。かといって、これは幻ではない。大輔は古典的な、自分の頬をつねるという方法でそれをたしかめ、ようやく確信を得た。


 ここは地球である。


 地球に、帰ってきたのだ。



  *



 光は完全に消えた。


 声も聞こえなくなる。


 再びの暗闇のなかで、大湊叶は自分の手のひらを見下ろしていた。


 その手のひらではじめて弟に触れ、そこから魔力を注ぎ込んだのだ。


 叶は全身にまとわりつく倦怠感にちいさく笑いながら、暗闇のなかを歩いた。


 叶は暗闇が好きではない。明るい場所に出て、深呼吸をしたい気分だった。


 これからどうなるだろう。叶にもそれはわからない。しかしどうなってもいいような気がした。投げやりにそう思うのではなく、それが自分の存在の後始末なのだろうと理解する。


 ふと、いつか大輔が言っていた言葉を思い出す――ぼくは死ぬときに満足して死ねるけど、あんたはそうじゃない。でも、残念でした、と叶はひとりで笑った。


 いまその胸のなかにあるのは、おそらく満足感と呼べるものなのだから。


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