アルカディア 23
23
大輔の協力で城から無事に抜け出したクロノスは、城下町の惨状に顔をしかめながら町を抜けた。
町のいたるところに負傷者や死者がいる。逃げ遅れた人間たちや、大輔の注意に従わず逃げなかった住民たちである。クロノスは彼らが町の外へ逃げ出すのを手助けしていたが、やがて城下町への攻撃が激しくなり、なんとか助けられる人間たちだけを連れて町を飛び出すしかなかったのだ。
外へ出てみて、思ったよりも多くの人間が避難できたことに気づく。クロノスはほっと息をつき、町を眺めた。
「――城も町も、めちゃくちゃだな」
古くから栄えてきたグランデルの城や町は、いまやすっかり瓦礫の山と化している。
町は平坦になり、城も崩れ、まるで巨大な車輪で押し潰したような有り様だった。
大輔は無事だろうか。クロノスは町から大輔が逃げてくるのを待ったが、いつまで経っても大輔はやってこなかった。
魔法攻撃はすでに収まっている。
あたりには静寂が戻っていた。それがかえって不気味で、クロノスや避難してきた住民たちは魂を抜かれたようにいつまでも呆然と瓦礫の町を眺めていた。
そのうち、馬を引いた賢治と紗友里がクロノスに近づいてきた。ふたりとも町の惨状を見て言葉もないようだったが、賢治がぽつりと、
「まだ町にも生きている人間がいるはずです。なんとか救出に向かえればよいのですが」
「そうだ――けが人も大勢いる。すぐに戦場から兵士たちを戻し、その救出に当たらせよう。おい、だれか戦場まで行って――」
その指示は最後まで言いきれなかった。クロノスは皮膚がひりつくような奇妙な感覚を覚え、口をつぐんだのだ。
空気がぴりぴりと振動している。
じっと立っていると、地面もかすかに揺れている。地震や衝撃のような振動ではなく、もっと弱く、もっと波長の短い振動だった。
なにかが起ころうとしている気配があった。しかしクロノスにはなにが起ころうとしているのかわからない。
普段から魔力に親しんでいる魔法使いなら、周囲の魔力の流れが理解できただろう。周囲に漂う魔力が、まるで強風に流されるように町へと流れ込んでいるのだ。
やがてだれの目にも明らかな変化が起こる。
瓦礫と化した町から、なにかがむくむくと生えてくるのだ。
「なんだ――?」
クロノスは目を凝らした。そして知る。
町から生えているのは、植物である。
幹の太い巨木が、町の至るところから凄まじい勢いで成長しているのだ。
一本や二本ではない。十本、百本という数が瓦礫の下から生え出し、見たこともないほど高くまで伸びて大きな枝を伸ばしている。
様子の変化はそれだけではなかった。
瓦礫と化した町をよく見れば、高く伸びている木の足元にも草が茂り、所狭しと伸びまわって、瓦礫にも緑色の苔が生え出していた。
一度すべて破壊されたはずの町に、植物が異常な速度で繁殖しているのだ。
それは魔力が集中することによって生物の成長が活発になっているせいだったが、そんなことを知る由もないクロノスやグランデルの住民、避難民たちは、まるで奇跡を目の当たりにしているようだった。
グランデルの町は、遠目からでもすべて緑に包まれた。
瓦礫の山から、本当の森へと変貌する。突然現れた密林である。
高い木の上からちいさな影がぱっと飛び出した。目を凝らせば、それは赤い色をした鳥で、このあたりでは見かけない新種の鳥だった。
ふと気づけばほかにも似たような鳥が木のまわりを飛び回り、甲高く鳴いている。その足元の森でも、なにか別の生物が動いているような気配があった。
「――どういうことだ、これは」
クロノスは呆然と呟き、突如形成された密林をいつまでもぼんやりと眺めていた。
*
グランデル城の地下には、いまや息が詰まるほどの魔力が満ちている。
空間の至るところを走る魔術陣は強く輝き、眩しいほどの光で空間の隅々まで照らし出していた。
遠い天井にもまた曲線が輝き、一瞬ごとにその光を増していく。
「まだ――まだ魔力はある」
叶は手のひらを通してぐんぐんと吸い取られていく魔力に、はじめて恐怖に近い感情を覚えた。巨大な魔術陣は際限なく魔力を飲み込む底なし沼のようなものだ。このまますべての魔力を吸い取られてしまうかもしれない。しかしそう考えていることが、そこで芽生える恐怖が、叶には楽しかった。
それは生まれてはじめて感じる喜びだった。死の恐怖が、叶に生きているのだと実感させる。
大輔は数千年ぶりに魔力を受ける魔術陣を見ながら、まだ諦めきれないというようにもぞもぞとうごめいていた。
「このまま新しい世界なんか作らせてたまるか――ぼくたちは、地球へ帰らなきゃいけないんだ」
魔法の糸に絡まっていた大輔は、ぱっと起き上がる。地面を転がりながら指先でちいさな魔術陣を描き、それによって叶の魔法を無力化したのだ。
しかし駆け寄るまでには至らない。クロノスを助けることで一度、いまでもう一度魔法を使い、大輔の魔力と体力はほとんど失われていた。
よろよろと倒れるのを堪えるように叶のもとへ進んでいく。
「先生、がんばって!」
燿が叫んだ。大輔はそれに振り返る気力もなく、ちいさな段につまづき、這いつくばった。しかしそのまま階段を上っていく。
叶に近づいてどうするのか、大輔はまったくなにも考えていなかった。しかしこのまま叶の好きにさせるわけにはいかない。その一心で近づいていく。
叶は大輔のほうを見ていたが、手を離すわけにはいかず、ほかの魔法で対処している余裕もなかった。
魔力はまだ吸い取られている。もし魔力の供給が滞れば、魔術陣はせっかくここまで集めた魔力をすべて放出してしまうだろう。
大輔が早いか、叶が早いか。
叶のほうが、わずかに早かった。
叶は笑みを浮かべて立ち上がる。大輔はその足元まで這い寄っていた。
「残念だったわね、大輔」
叶は額に浮かんだ汗をぬぐった。魔力の供給は、すべて完了したのだ。
魔術陣の輝きは目もくらむほどになっている。すべての魔力が魔術陣に行き渡り、そして、世界の創造がはじまった。
叶の目の前に、うすい靄のようなものがあった。
それは言うなれば原始の宇宙である。まだ宇宙には塵しかなく、それが集まり、固まって衝突を繰り返しながら初期の星々が作られていく。
そこで叶はふと、どのような世界にしようか、と考えた。新しい世界を作るということばかり考えていて、どのような世界を作るかはまるで頭になかったのだ。
どのような世界でもいいと思う。それが地獄のような世界であれ、生物の生存に耐えうる世界であれ、自分には関係ない。どんなものであってもその世界自体が自分という存在を証明するのだ。
塵が渦を巻く。そこにちいさな惑星の影ができはじめる。本来の宇宙とはちがい、その塵からはたったひとつの惑星しか生まれなかった。
その星こそ、叶の存在を証明するための星である。どんないびつな形をしていても、どんな乾ききった星でも、それは大湊叶という存在の分身だった。
灰色の塵が減っていく。そのなかから、青い惑星が現れた。
叶は一瞬、それが自分の作った星かと思ったが、よく見るとそうではないとわかる。
その青い星には見覚えがあった。
美しく輝く青い惑星。大地があり、海がある生命の楽園――それは地球である。
叶は足元を見た。
這い寄ってきた大輔が、いつの間にか魔術陣の中央に手のひらを押し当てている。そこから魔力を注ぎ込むことで魔法の自分の意志を介在させたのだ。そんな方法が可能かどうかはわからなかったが、そうとしか考えられない。
大輔は叶を見上げ、にっと笑った。
その瞬間、叶は猛烈な怒りを覚えたが、それをどう発散していいのかわからず、拳をぎゅっと握りしめる。
青い惑星はみるみるうちに巨大化する。
豆粒ほどの大きさだったのが拳ほどになり、それが人間の頭ほどに、さらには直径二メートルほどにまでなったところで、不意に惑星がぱっと爆発したように輝いた。
真っ白な光があたりを包み込む。それは魔力を大量に含んだ光だった。
光は広い空間のすべてに満ち、さらには階段を駆け上がり、地上へも飛び出した。
町を眺めていたクロノスは、城のあたりから一筋の光が天に向って伸びるのを見た。かと思うと、光は指向性を失ったようにあたりに拡散し、すべてが真っ白に塗りつぶされる。
目も開けていられない閃光である。
生ぬるく、生物の匂いがする光はまたたく間に地上のすべてを駆け抜けた。
そして唐突に光は消えた。
クロノスはゆっくりと目を開け、あたりを見回し、なにも変化がないことに首をかしげる。
「なんだったんだ、いまの光は――城のほうから出てきたように見えたが。魔法の一種だろうか、賢治?」
問いかけてしばらくは返事がないことにも気づかなかった。クロノスはもう一度あたりを見回し、ようやくそばにいたはずの賢治と紗友里がいなくなっていることに気づく。
ほんの一瞬前にはいたはずのふたりが、光に目を閉じているわずかなあいだにいなくなったのだ。
クロノスはしばらく周囲を歩き回って探したが、ふたりの姿はどこにもなかった。この地上の、どこにも。
*
同じころ、戦場となった海沿いの平原でも同じ現象が発生していた。
二百人ほどいたはずの魔法使いが、光が駆け抜けた一瞬のあいだにひとり残らずいなくなっていたのである。
その怪奇現象に兵士たちは周囲を探しまわったが、集団でどこかに移動した気配はなかったし、そんな時間も彼らにはないはずだった。
魔法使いたちが立っていた場所にはいくつもの足跡と、魔法使いが落としていったものらしい複雑な図形が書かれた白い紙だけが残されていた。
*
大湊叶によって世界を渡る扉が破壊され、そのせいで新世界に取り残されていた魔法使い、すなわち地球人は、新世界全体で二千人ほどいた。
しかしグランデル城の地下から放たれた光が地上を駆け抜けると、その地球人たちは跡形もなく、ひとり残らずこの新世界から消え去っていた。
たったふたりの魔法使いを残して。




