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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
アルカディア
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アルカディア 22

  22


 あまりに空間が広すぎて、声も反響しない。


 まるで魔力のなかに空気の振動さえ吸い取られてしまうようだった。


「地球人が知っている新世界と歴史と、本当の歴史は一致しない。あなたもそれくらいは気づいているでしょう、大輔」

「ああ――地球では、新世界の人間は魔法を使えないってことになってる。実際大部分はそうだけど、なかにはそうじゃない人間もいる。ずっと昔は新世界でも魔法が一般的に使われていたんだ。その痕跡がある遺跡も見つけた」

「そう、古代の新世界では、魔法は一般的な力だった。でもだれもが使えたわけじゃない。使える人間と、そうじゃない人間に分かれていたのね。このあたりは古代の文献にも残っていることだけど、性質のちがうふたつの人類がいれば、当然のように争いが起きる」

「古代の魔法使いと、そうじゃない人間たちの争いか」

「どちらがはじめた争いなのかはわからないわ。おそらく、古代の魔法使いはその能力を使って重要な役職についていたはず。王やそのたぐいね。そして、魔法使いではない普通の人間たちを迫害していた可能性もある。まあ、なんにしても、古代の新世界で魔法使いと人間の戦争が起こった。能力を考えれば魔法使いが負けることはないけれど、きっと普通の人間に比べて数がすくなかったんでしょう。魔法使いたちは結局、負けてしまった。でもそれは単なる負けじゃない。ある意味では勝利ともいえるような敗北だった」

「――ちょっと待てよ」


 大輔はふと、記憶の片隅にあるなにかが反応しているのを感じた。


 すこし前、マグノリア修道院で古い文献を探しているときに読んだものだ。古代文字で書かれた文章には、ある戦争のことが簡単に書かれていた。


 一方の戦力がひとつの世界に残り、もう一方の戦力がもうひとつの世界へ移住する――それは単なる比喩だったのか、それとも起こったことをそのまま記したものなのか。


「もしかして、魔法使いっていうのは――」

「あら、気づいた?」


 叶はくすくすと笑いながらうなずいた。


「どうして地球にしか魔法使いがいないのか。地球人は、どうしてこの新世界でしか魔法が使えないのか。その理由は簡単で、新世界には魔力があって、地球には魔力がない。だから新世界でしか魔法を使えないけれど、魔力もない星に生まれた人間にしか魔法が使えないなんておかしいでしょう」

「だから、それは――」


 簡単な消去法だ。可能性をひとつずつ消していって、残ったものがどれだけ不条理に見えようとそれが真実なのである。


「地球人っていうのは、古代の新世界にいた魔法使いたちのことなのか――」


 そうとしか考えられない。そして新世界には、魔法を使えない人間たちだけが残った。


「古代の魔法使いたちは、この世界から決別した。この世界を捨て、新しい世界へ、自分たちだけの楽園へ移り住もうとした。その結果、この世界からほとんどすべての魔法使いが消え、地球人というものが生まれた。つまりわたしたち地球人は、古代新世界人の血を継いでいるってわけね。まあ、大昔の話だけれど」

「扉は、そのときに作られたのか。地球と新世界を移動するために。新世界人が扉を使って地球へ行けないのは、扉を作ったのが魔法使いで、それ以外の人間に使われては困るから――おそらく魔力かなにかに反応するんだ」

「だからあの扉は魔法使いにしか破壊できないってこと」

「うう、なんか、むずかしくてよくわかんないけど――」


 燿はぷるぷると頭を振る。


「あたしたちは、もともと新世界に住んでたってことなの?」

「まあ、そういうことだ。ずっと前、下手したら一万年くらい前の話かもしれないけどな。それじゃあナウシカっていうのは、魔法使いを地球へ移住させるための魔法だったのか」

「まさか。そんなくだらない魔法じゃないわ。ナウシカはもっとすばらしいものよ――大輔、まだ気づかないの? 本当に勘の悪い子ね」

「な、なんだよ、なにに気づけって――」

「古代の魔法使いたちは、自分たちの理想郷に移住したのよ。理想郷がそう都合よく存在すると思う? たとえばこの宇宙に、わたしたち人間がそのまま移住できるような惑星がいくつあるかしら」


 そこまで言われて、大輔も気づいた。ナウシカという魔法の正体も、地球の正体も理解した。叶の言葉、世界のはじまりと終わりは、なにももっともらしい言葉を並べただけではない、まさにそのままの意味なのだ。


「地球は――地球は、そのときに作られたのか? 古代の魔法使いたちの手によって、ナウシカという魔法によって――そして彼らは自分たちで作り上げた世界へ移住した。いや、でも、そんなはずはない。地球は形成されてから四十六億年が経ってる。いくらなんでもそんなに古い話のはずがない。地球が形成されてしばらくは人間が住めるような環境でもなかったし、そのあとも人類の痕跡が現れるのはずっと先のことで――」

「そういう世界を作ったのだとしたら? 世界を作り上げるのよ。なにも惑星の一生をシミュレートする必要はない。草木が生え、動物がいる、そんな世界をはじめから作ればいい。箱庭のなかに自分の理想の世界を作るのと同じよ」

「進化はどうなる? 人間の進化は」

「そのように作られたのよ。人類はそんなふうに進化したという情報を組み込んであるだけ。たとえば、原人から現代人類へと進化が進むとして、原人と現代人類のあいだがつながっているとどうして言えるの? 原人と共通点のある現代人類が別の場所から突然やってきたとしても結果は変わらないわ」

「じゃあ――地球はこの場所で生まれたのか。古代の魔法使いによって」

「そう、地球のすべてはこの空間で作られた。ひとつの惑星を――いいえ、もしかしたらひとつの宇宙を創造したのかもしれない。その魔法こそナウシカよ。わたしが探していたもの」

「そんな、宇宙を作るような魔法でなにをするつもりだ。昔の魔法使いがやったみたいに自分にとって理想の世界でも作るのか?」


 そうではないだろうと大輔は思う。


 叶に、そのような理想があるとは思えない。それに理想の世界を作るなら、この世界を理想にしてしまえばいい。叶にはその能力がある。わざわざひとつの世界を、宇宙を作り上げる必要はない。


「わたしの目的は、自分になにができるのか知ることよ」


 叶は言った。


「わたしは自分を知りたい。自分がどんな人間なのか、わたしはなにも知らない。それじゃあまるでだれかに操られているみたいじゃない。わたしは、わたしを支配したいの。そのためにはわたしの限界を知らなくちゃ。限界を、境界線を探るには二種類の方法があるわ。内側から境界線を目指すか、外側から境界線を目指すか。内側からではだめだった。だから、無理やり外側へ飛び出すくらいのものが必要なの――宇宙を作るにはさぞかしたくさんの魔力がいるでしょう。きっと昔の魔法使いは、何百人、何千人と集まって作ったんだわ」

「それをひとりでやるつもりか――いくらあんたが天才でも、下手をしたら死ぬことになるぞ」

「死ぬなら、それでいい」


 強がりでもなく、叶は本心からそう思っているように微笑んだ。


「それはつまり、自分の存在を外側から定義できたということなんだから」

「ふん――あんたの言うことは、相変わらずぼくには理解できないよ。でも、もし新しい世界を作ったら、この世界はどうなる?」

「破壊される、ということはないでしょう。以前にナウシカが発動したときもこの世界はこうして残ったんだから。でも、空気中やこの星に満ちている魔力はぐんと減るでしょうね。ナウシカは魔法使いだけではなく、この世界の魔力のすべてを使うはずだから」

「この世界の魔力――ああ、そうか」


 欠片と欠片が組み合わさり、大きな絵が見えてくる。


 かつてこの世界には、もっと多くの魔力があった。大陸ドラゴンたちはそう言っていた。それはつまり、ナウシカの発動によって魔力の多くが使われたということだ。そうして魔力に依存して生きていた大陸ドラゴンのような生物はぐんと数を減らしたにちがいない。


 魔力が多くあったころの新世界は、いまとはまったくちがう世界だったのかもしれない。


 魔力はすべての生命の源だ。植物はいまよりも生い茂っていただろうし、動物たちにも様々な種類がいただろう。魔力によって生きていた動物たちのほとんどは、ナウシカの発動以来絶滅してしまったのかもしれない。そしていまの、この新世界が出来上がった。


 ナウシカの発動は、新世界にとっても決して他人事ではないのだ。


「もし新世界から魔力がなくなってしまったらどうするんだ? 魔力がなくなるってことは、ぼくたちも魔法を使えなくなるってことだ――せっかくあんたが新しい世界を作っても、その世界をつなぐ扉が使えなくなるかもしれない。そんなのは無意味だろ」

「新しく作った世界を見る必要はないわ。わたしはただ、自分の力の限界を知りたいだけだもの」

「相変わらず身勝手な……いよいよあんたの好きにさせるわけにはいかないな」

「出来損ないのあなたと半人前の女の子三人でなにができるの?」

「やってみなくちゃわからないさ。あと、ぼくは出来損ないじゃない。魔法使いとしての才能はないけど、ぼくはぼくだ」


 叶がちいさく鼻を鳴らした。そして手のひらを大輔に向かって突き出す。大輔は慌てて横へ飛び、叶から離れた。


 しかし叶の手のひらからはなにも現れなかった。代わりに、不意に地面がぬるりと滑り、足を取られる。


「わっ――げ、な、なんだこれ」


 固かったはずの地面が、いつの間にか沼のようにぬかるんでいた。足を取られて手を突けば、その手がずずと沈んでいく。抜け出そうとしても無駄だった。暴れればその分だけ早く身体が沈んでいく。


「わ、先生、大丈夫?」

「七五三、気をつけろ、あんまり近づきすぎるなよ」


 燿に手を引っ張られ、ようやく這い出す。それと同時に、紫がちいさく呪文を呟いた。


 叶を中心に、赤い炎がばっと立ち上る。その明かりは広い空間を遠くまで照らし、熱風は大輔の頬を打つほどである。


「ゆ、紫ちゃん、ちょっとやりすぎなんじゃない?」


 泉が控えめに言うと、紫はけらけらと笑って、


「相手があの女なんだから大丈夫よ。なにしても平気だって」

「そ、そうかなあ……」

「だって、ほら――ちぇ、ぜんぜん効いてる気配ないもん」


 業火に周囲を囲まれながら、叶はゆるやかに微笑んでいる。


「三人とも、あいつを直接狙ってもたぶん無駄だ。それよりも足止めさせるほうがいい。氷を使え、自然の魔法なら魔力の消費が比較的すくなくて済む。魔術陣は渡してあるだろう」

「はいっ」


 三人は手をつなぎ、ひとつの魔術陣を囲む。その魔術陣は戦争に合わせて予め大輔が渡しておいたものだった。


 三人の呼吸は、あえて合わせる必要がないほどぴたりと一致している。魔術陣はあっという間に発光をはじめ、叶の足元から氷の柱がぬっと生えてきた。


 叶の身体は、一瞬その氷に囚われる。氷漬けになった状態で叶が笑ったかと思うと、氷は強い衝撃を受けたように粉々に砕け散ってあたりに舞った。


「そのまま攻撃を続けろ!」


 大輔は叫びながら、すこし離れたところでもぞもぞと動く。


「そのあいだにぼくが魔術陣を作る」

「はい――あっ、先生、危ない!」

「へ?」


 顔を上げた大輔の目の前に、こぶし大の火球が迫っていた。慌てて身を伏せ、なんとか回避する。しかし火球は地面に触れるととたんに激しく燃え盛り、大輔が描こうとしていた魔術陣ごとあたりを焼き尽くした。


「あなたの魔法はもういくつか見たわ」


 叶の周囲に、まだ五、六個の火球がぶんぶんとうなりながら浮遊している。


「どうせわたしの魔法をキャンセルさせるつもりだったんでしょうけど、無駄よ」

「ちっ、ばれてるか――」

「しばらくそこでおとなしく見ていなさい」


 叶の周囲を浮遊していた火球が大輔たちに向かって飛び出す。四人はそれぞれ回避しようとしたが、火球は空中でぱっと消えた。魔法が消滅したのか、と大輔は思ったが、ちがう。火球の代わりに、細い糸のようなものが空中を漂っている。糸はそれ自体が意志を持っているように空中で絡まり合い、網のようになって、大輔たちの頭上から覆いかぶさった。


「げ、ね、ねばねばするっ」

「せ、せんせー、気持ち悪いよ、これ!」

「ぼくだって気持ち悪い!」


 気持ち悪いだけではなく、その糸はぴたりと大輔たちの身体に密着して、身体の自由を完全に奪っていた。


 四人の身体がどっと地面に倒れる。精いっぱい身体を揺らしても、まるで芋虫のようにもぞもぞと動く程度だった。


 叶は四人を見下ろし、ゆったりと笑った。


「せっかくだから、そこでおとなしく見ていたら?」

「ま、待て――くそ、ああマジで気持ち悪いなこの糸!」


 身じろぎする四人に背を向け、叶は空間の奥へと歩き出した。


 薄暗いが、魔力の発光によって足元ははっきりと見えている。


 しばらく平坦な地面だったのが、階段が現れた。そこを上っていくと、舞台のようにまた平坦になる。叶はそのまま歩いていったが、また下りの階段が現れたところで引き返して、あたりを見回した。


「――なるほど、そういうこと」


 すこし高い段差の上から見れば、その広い空間に無数の線が走っている。発光することで視認できる魔力の線である。


 その線は空間のなかを縦横無尽に走っていた。床にも壁にも、見えるなら天井にも同じように線があるだろう。その線はすべて曲線であり、直線や直角が存在しない。


 この空間全体に魔術陣が敷いてあるのだ。


 そしてその曲線は、すべて叶が立つ段差へと向かっている。


 叶は足元の埃を軽く退けた。そこに、丸い印がある。真円で、そこが魔術陣の中心らしい。


 この空間は全体としてひとつの魔術陣になっているらしい。おそらく、この空間の至るところに魔法使いが立つ場所があるのだろうが、叶には必要ないものだ。


 叶は、魔術陣の中央に手を添えた。そして魔力を注ぎ込む。


 はじめはなんの変化もなかった。しかし叶は、手のひらから過去に経験したことがない勢いで魔力が吸い取られていくのを感じる。


 やがて、空間を走る魔術陣の発光が強まってきた――ナウシカが起動しはじめたのだ。


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