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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
アルカディア
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アルカディア 20

  20


 クロノスはだれもいない会議室でひとり、椅子に深く座って目を閉じていた。


 眠りと覚醒の狭間に、様々なものが浮かんでは消える。それが夢か現実かはクロノスにはわからなかった。戦争の行方、この町の未来、そういったものが妄想とも予知夢とも取れない形で浮かび上がり、はっきりと意識される前に消えてしまうのだ。


 ここ数日、ほとんど眠っていないクロノスである。眠る時間があっても気を休めてぐっすり眠ることができず、浅い眠りと悪夢で目を覚ます、ということを何度も繰り返していた。


 いまも決して深い眠りではない。ことり、と物音が聞こえると、クロノスはすぐに目を開けた。


「申し訳ありません、陛下。起こしてしまいましたな」


 会議室に入ってきたスピロスは困ったように頭を掻く。クロノスは軽く首を振って、


「気にするな。どっちみち起きてたよ。――で、状況は?」

「まだ報告はきておりません――そろそろ夜ですな」


 窓の外はゆっくりと暗くなりはじめている。戦闘がはじまったのが朝だから、もう半日以上が経っているのだ。


「すこし休まれてはどうです、陛下」


 スピロスは机の上に散らばったままになっている書類を片付けはじめる。


「報告がきたら真っ先にお知らせいたします。それまで、どうか寝室のほうでお休みになられては」

「いまはどんな高級な布団でも眠れそうにないよ、スピロス」

「お察しいたします――ところで陛下、愚息を見ませんでしたか? 家にもいないし、城にもどうやら姿がない。この大事なときに、いったいどこをほっつき歩いているのやら」

「ニコロスか――ニコロスなら、戦場へ行ったよ」

「戦場へ?」


 スピロスはクロノスを見た。そんなつもりもないのだろうが、責められているような気がしてクロノスは視線を逸らす。


「なぜやつが戦場へ」

「どうしても敵と話し合いがしたいらしい。そうすれば戦争を終わらせることができると信じているみたいだな――おれは、それを止めなかった。スピロス、おれは」

「陛下のせいではありません。あのばかが、勝手にやったことです」


 スピロスは唇を噛む。いったいなにを悔やんでいるのだろう。自分が息子を止めなかったことか、あるいはそんな息子に育ててしまったことか。子どものいないクロノスには、スピロスの、子どもを失いつつある親の気持ちはわからなかった。


「まったく、あいつは……なぜあんなふうに育ったのだ。無事に帰ってきたら一度しっかり説教しなければ」

「ニコロスはいいやつだ。ただ、政治家にも軍人にも向いていない。それだけのことだよ、スピロス。あいつはあいつなりの生き方をすれば、きっとおれなんかより多くの人間を幸福にできた」

「――陛下にそう言っていただけるなら、愚息も満足でしょう」


 それから、会話が途切れる。スピロスは一見表情を変えず、書類の整理を続けていた。いまごろ息子が戦場で命を落としているかもしれないのに、だ。クロノスは、そんなスピロスを強い人間と見るべきか弱い人間と見るべきかわからなかった。


 沈黙は重たくのしかかってくる。クロノスは軽く椅子を引き、わざと物音を立てる。


「スピロス――おまえは、おれが生まれる前からこの国にいて、この城で働いてるな」

「はい」

「ナウシカを、聞いたことはあるか?」

「ナウシカ――あの女が言っていたことですな。いや、あのときまで聞いたことはありませんでしたが」

「おれは、知っていた。大輔に聞かれたときはごまかしたが、聞いたことがあるんだ――王にだけ伝わる、っていえば大げさだがな、親父から教わったことがある。この国と、この城、それにこの町の歴史だ。ナウシカってのは、それに関係するものなんだ」

「国と城と町の歴史? それなら、王でなくとも知っていると思いますが」

「書物に残っているのはせいぜい二百年、三百年ってとこだろ。この城や町はそれよりもずっと古い時代からあるものだ。いまじゃもう覚えている人間もいない、すっかり失われた記憶ってやつだよ。おれが聞いたのは子どもころだったが、なんだか不思議と忘れられなくてな」

「その話、興味深いわ」


 不意に女の声が響いた。


 スピロスが入り口を振り返る。そこに、女が立っている。


 近づく足音もなく、幻のように現れた女、大湊叶は、笑みを浮かべたままゆっくりと会議室、もとは王の間と呼ばれていた部屋に入ってくる。


「貴様――」


 スピロスは女をじっと見つめながら、クロノスを守ろうとするように女の正面に立ちはだかった。女はそこでぴたりと止まり、スピロスの肩越しにクロノスを見る。


「久しぶりね、国王陛下」

「――そろそろくるころじゃないかと思ってたよ」


 クロノスは椅子に座ったまま言った。


「とくにこういう話をしたら出てくるんじゃないかとな――戦場にはいなくてもいいのか? 指揮官なんだろ」

「戦争なんてどうでもいいもの。でも、気になるなら結果を教えてあげるわ――革命軍は負けて、あなたたちは勝った」


 この女の言うことだ、信用はできない、と思いながら、クロノスは息が洩れるのをがまんできなかった。


「もうすこしすれば報告もくるでしょう――そのときまで、この町があればの話だけど」

「ど、どういうことだ?」


 スピロスが焦ったように言う。


「き、貴様、なにをするつもりだ」

「そっちの王さまはある程度察しがついてるんじゃないかしら?」


 叶はくすくすと笑った。


「――ナウシカを手に入れるつもりか」

「邪魔をするつもり?」

「そりゃあ、もちろん邪魔はするさ。おまえの思い通りにはさせない――でも、なんでナウシカのことがわかった? 代々の国王にしか伝わっていないはずだが」

「ナウシカの存在自体は、古代では大して秘密というわけじゃなかった。実際に古い遺跡を調べてみたらナウシカについての記述はいろいろ見つかるわ。とくに優秀な情報源はヴェーダという古代の魔法都市だったけど、いまはもうなくなってる――でもナウシカの正体を記したものは、なかなか見つからなかった」

「ふん、そのまま見つからずに済んでくれたほうがよかったんだがな」

「そういうわけにはいかないわ。わたしも世界中を必死に探したんだから――あら、もうひとり役者がきたみたいね」


 叶がにやりと笑ってしゃべるのをやめる。


 部屋の外から、だれかが走ってくるような足音が響いていた。


 足音はすぐに近づき、部屋の飛び込むようにして現れる。


「大輔!」

「げっ、もうきてやがる――くそう、抜け目ないいやな女め」


 現れた大輔はぜいぜいと肩で息をしながら部屋に入り、叶を睨みつけながら奥へと移動した。叶はそれを、余裕ぶった笑みで見ている。


「遅かったのね、大輔。もっと早くにきてるかと思ったけど、相変わらず勘が悪いわね」

「う、うるさいな、こっちにもいろいろ事情があるんだよ。あっちこっち飛び回れるあんたといっしょにするな――クロノス、正式な報告はすこしあとでくると思うけど、戦争は終わったぞ。ぼくたちは勝った」

「それもさっきわたしが言ったわ」

「ぐ、ぐぬぬ、やっぱりこいつ嫌いだ……」

「さあ、これでこの場面の登場人物は全員揃ったかしら」


 叶は、まるで舞台上かのように両腕を広げる。


「大輔、ナウシカについてはなにかわかった?」

「ふん、ぼくをだれだと思ってる。超絶天才の大湊大輔だぞ。もちろん知ってるに決まってるだろ、あんたには死んでも教えないけどな!」

「そう、それはよかったわ。わたしは、あなたに期待してたのよ。もしかしたらあなたが偶然ナウシカを見つけるかもしれないって。まあ、そんな奇跡はなかったけど。わたしもあなたを買いかぶってたみたい」

「くっ、どこまでも嫌みなやつめ――でも、ぼくもナウシカの正体には見当がついてる。ま、あんたも知ってるんだろうけどな」

「大輔――気づいていたのか?」


 クロノスが言うのに、大輔は振り返らずうなずいた。


「きみは知らないって言ってたけど、やっぱりナウシカはこの国にある。そうでなきゃこの女がわざわざこうやってグランデルを攻める理由がない。それに、この町の形――最初に町に入ったときからなんとなく違和感はあったんだ。普通の町にしては、どうも幾何学的すぎる。全体はきれいな円形だし、路地も直線はまったくなくてゆるい曲線ばかりだった。まるで地球の、前衛芸術的な都市計画で作られたような町だ。そこに意味があるのかもしれないって気づいたら、答えまではもうすぐだった」

「そう、ナウシカとは、この町のことを指しているのよ」


 叶が言うと、スピロスだけが驚いたような顔であたりを見回した。


「こ、この町がナウシカとは、どういう意味だ?」

「この町は、その全体が大きな魔術陣になっている。その魔術陣そのものがナウシカだ――そうだろ、クロノス」


 大輔の言葉にクロノスははっきりうなずいた。


「親父からはそう聞かされてた。王家は、代々それを守るためにこの地を治めているのだと。もちろん、子どものころはそんなもの信じなかったよ。親父なりの教育だと思った。王族に生まれたから王になるのではなく、おれという人間に王として町を守る意識を与えようとしているんだと――でも、そうじゃないと気づいたのは大輔やこの女が現れてからだ」

「町になにか隠されていることは、最初からわかっていたわ」


 叶は言った。


「ただ、それがどの町なのか、どの国なのかがわからなかった。そこまでは遺跡にも記されていなかった」

「だから革命軍なんてものを作ったのか。世界中の町を襲い、そのどこかにあるかもしれないナウシカを探すために?」

「そうよ。なかなかいい案でしょう」


 薄く微笑む叶を、クロノスは人間とは思えなかった。


「そのためにどれだけの人間が犠牲になったんだ――どれだけの悲しみが生み出された?」

「数が重要なの? ひとりやふたりの犠牲ならよかった?」


 からかうような口調だった。クロノスは言葉を失う。叶は、普通の人間とは考え方がまったくちがうのだ。笑いはするが、そこに人間らしい感情が見えてこない。まるで人間にそっくりな人形がひとり歩きをはじめたような不気味さがある。


「それなら、早くにグランデルを攻めるべきだったわね。最後の最後まで残しておいたせいで犠牲が増えたのなら、早くにグランデルに暮らす人間をすべて殺してしまえばよかった。そうすればほかの町の犠牲は減ったかもしれないわ」

「だから、戦争にはもう興味もないのか。もう革命軍に用はないから、勝とうが負けようが関係ないと」

「そういうことね。ナウシカはもう見つかった。あとは起動させるだけ。それも、革命軍の力はもう必要ない。わたしはもうだれの力も必要としない」

「ナウシカを――魔術陣を起動させるつもりか。起動させて、なにをする?」

「できることを」


 平然と叶は言う。


「もしナウシカの最大出力がこの世界を破壊することなら、そうするでしょう。もしその反対にこの世界を救うことでもね。結果はどうでもいい。わたしはどこまでできるのか、それが知りたいだけ」

「わからないな。なんでそんなことのためにナウシカが必要なんだ? 自分の限界を知りたいなら、砂漠へでも行ってだれもいないところに限界まで魔法を撃てばいい。それで限界がわかるだろう。世界中を巻き込む必要はどこにもない」

「あなたには理解できないでしょう。でも、だれにも理解できないというわけじゃないわ。わたしの気持ちを理解できる人間が、すくなくとも過去にひとりいた。そのひとりがこの魔術陣を残したのよ。わたしと同じように才能を持っていて、その限界を知りたがったひとりがね」

「そうとは思えないがな――まあ、あんたが正気じゃないってことはわかったよ。この国を狂人に破壊されるわけにはいかない」

「あなたがわたしを止めるの?」

「できるかどうか、やってみなくちゃわからないだろ」


 クロノスが立ち上がる。叶は口元に笑みをたたえたまま、手のひらを真正面に向けた。


 その唇が、だれにも聞こえない呪文を呟く。


「クロノス、危ない!」


 大輔が叫ぶ。叶の手のひらから、短剣のように鋭く尖った氷の塊が三つ放たれた。


 三つとも同じ軌道でクロノスへ向かう。大輔がクロノスを押し倒し、なんとか回避して、そのあいだにスピロスが叶に飛びついていた。


「この国を――貴様のような女に破壊されてたまるか!」

「爺、気をつけろ!」

「大丈夫です、陛下、魔法使いは接近戦に――」

「接近戦に弱いからどうにでもなる、かしら?」


 正面から叶に飛びつき、その両腕を押さえつけていたスピロスの背中が動かなくなる。


 騒ぎから一転、不気味な静寂があった。


「――爺?」


 スピロスの身体が、叶とすれ違うようにどさりと倒れた。仰向けになったその胸には細く針のように尖った氷が突き刺さり、スピロスの心臓を射抜いていた。


 床にじわりと血が滲み出す。クロノスは全身に火をつけられたような怒りに駆られ、飛び上がった。それを大輔が後ろから羽交い締めにする。


「クロノス、落ち着け! いま飛びかかっても同じ目に遭うだけだぞ」

「離せ、大輔、爺は――おれは死んでもあいつと戦わなきゃならねえんだ」

「そうだとしても、無駄に命を投げ出すな。きみは王だぞ――きみの代わりに、ぼくが戦う」

「――大輔、でも」


 クロノスの目には涙が滲んでいた。それが自覚された途端、抑えようもなく次から次へと溢れ、頬を伝う。


 スピロスは、早くに親をなくしたクロノスにとって大切な家族の一員だった。これは罰だとクロノスは感じる。ニコロスを止めなかった罰だ。ニコロスを行かせたせいでスピロスは家族を失った。それと同じ苦しみをいま、クロノスは感じているのだ。


 胸がきりきりと痛む。それはスピロスが刺されたところと同じ場所だった。その痛みに、涙が止まらなくなる。


「あなたたちは哀れね」


 叶は言った。


「あなたたちはなにも悪いことはしていない。ただまともに生きていただけ。でも、能力がないせいでこうして殺されてしまう。その必要もないのに」

「うるさい、黙れ――」

「力がないというのは、そういうことよ。だれかの理不尽に対して服従するしかない。それに逆らう力があなたたちにはない。このおじいさんにも、あなたにも、大輔にも。あなたたちは、ただ自分に振りかかる運命を受け入れるしかないのよ」

「それはちがう」


 大輔ははっきりした口調で言った。


「ぼくたちは運命を受け入れるだけじゃない。自分で運命を作ることができるんだ」

「それができるなら、このおじいさんは死ななかったんじゃない?」

「もう死なせないさ――クロノスも、この町のひとたちも」

「相変わらず威勢だけはいい子ね」


 ふと、叶の表情が消え、冷たい瞳だけが輝いた。


「それじゃあ、守ってみなさい。あなたが守りたがっているものを、わたしがすべて破壊してあげる」


 叶がまたなにかを唱えた。

 とたん、地面が大きく揺れ、地鳴りが響いた。


「なんだ――」


 床ががたがたと震え、不意に轟音を立てて傾いた。机や椅子が一斉に流れ、クロノスと大輔もよろめく。


 再び轟音。壁がはじけ飛び、天井から巨大な石材が落ちてくる――城が崩れようとしていた。


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