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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
砂漠の王国と革命軍
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砂の王国と革命軍 9

  9


 蝙蝠の姿になり、宿の窓から飛び出した燿は、砂漠のなかにある町を上空から見下ろした。

 日は暮れているが、もうひとつの太陽が輝いているおかげでうっすらと明るい。

 その薄明かりに照らされた町は、決して大きくはないが、人間の営みを感じさせる美しい景色だった。


 砂漠をうねり、海へと流れる太い川がある。

 その左右に町は広がり、燿はまっすぐ王宮に近づいた。

 川を越えながら、橋の上であくびをしている兵士を眺め、心のなかでくすくすと笑う。

 まさか、蝙蝠に化けた魔法使いが頭上を超えて王宮に侵入しようとしているとは、夢にも思っていないだろう。


 そのまま王宮の真上へきて、どこへ降りようかとあたりを見回した。

 王宮には屋根のない庭がいくつかあり、そのなかでも人気がなさそうな、中庭に近づく。


 白く曲線的な屋根に止まり、様子を伺った。

 一見、王宮内は静まり返っている。

 磨き抜かれた床や、飾られた花々、白いアーチ状の回廊などは物語のなかでしか見たことがない豪華さで、眺めているだけでもうっとりとしてしまう。


 しかしこれは観光ではなく、重大な仕事である。

 悪い王を倒すための手伝いをするのだ。

 燿は蝙蝠の姿で廊下に降り立ち、あたりにだれもいないことを確認しながら、変身が解けるのを待った。


 変身の魔法は、燿自身ではまったく管理できない。

 燿は魔法をかけられた存在に過ぎず、できることは魔法が切れてもとに戻るのをじっと待つことだけだった。


 廊下には、他人の気配はなかった。

 夜といっても明るいこの時間、人気がないのは不思議だと思いながら、磨かれた廊下をよちよちと歩く。


 そろそろ魔法が解けるはずだった。

 いつ解けてもいいように、心構えはしていた燿だったが、ふと傍らの廊下から、だれかが歩いてくるような足音が聞こえた。


 まずい、と逃げ出そうとした瞬間、すでに燿は蝙蝠ではなくなっている。

 手足がぬっと伸び、黒い身体は髪の毛になって、わっと声を上げるひまもなく、燿はもとの姿に戻り、冷たい廊下に座り込んでいた。


 魔法が解け、しばらく呆然としているあいだに、足音が角を曲がって、燿がいる回廊に入ってくる。


「あら?」


 聞こえてきた声に、燿はびくりと飛び上がった。

 しかし逃げるには遅すぎる。

 恐る恐る振り返ると、そこには同じ年ごろの少女がひとり、怪訝そうな顔で燿を見つめていた。


「どこのお客さまかしら? 会場は向こうだけれど――」


 少女がなにか言っていることはわかる。

 しかしそれは燿にはまったく理解できない言葉で、燿は思わず上ずった声で大輔の名前を呼んだ。


『どうした』


 と大輔の声が直接頭のなかに響く。


「せ、先生、やばい、もう見つかっちゃった!」

『落ち着け。だれに見つかった?』

「わ、わかんない、なんか女の子……わ、よく見たらめっちゃ美人」

『うん、その情報はまったく必要ない。女の子だけか?』

「た、たぶん」


 あたりには、ほかに姿もない。

 わけがわからない言葉でしゃべっている燿と、それにきょとんとした顔をしている少女のふたりだけだ。


 そうだ、まだなんとかなる。

 燿はごくりと唾を飲み、いまさらのように作り笑いを浮かべた。

 向こうもなんとなく、その真似をするようにほほえむ。


「先生、めっちゃかわいい」

『え、ぼくがか? それほどでもあるけど』

「ねえねえ、話しかけていい?」

『無視か。ちょっと待て、まずぼくが言ったとおりに話しかけるんだ。いいか、発音もそのまま真似するんだぞ』


 燿はこくんとうなずき、恐る恐る少女に近づいて、声をかけた。

 燿自身にも自分が喋っている内容はまったくわからなかったが、少女はなにか理解したようにうなずく。


「ねえ先生、なんて言ったの?」

『わたしはデルタの王女でここの言葉はうまく喋れない、と言った』

「デルタってなに?」

『ちょっと遠目の国だ。さすがにデルタまではここにはきてないだろうから、本人と鉢合わせすることはないと思う』


 ぶつぶつと独り言を言う燿に、少女はやさしく微笑んで、


「すこし風に当たりにきたのかしら? わたしもそうなの。部屋の雰囲気に酔っちゃったらしくて」

「せ、先生、なんか言ってる!」

『わかってる、ちゃんと聞こえてる。これからはぼくに話しかけなくていいから、ぼくが言うとおりに答えるんだ』

「わ、わかった――きょ、今日はちょっと蒸し暑いね」

「そうね、双日だから、どうしてもね。でも部屋にいるよりは、ここにいるほうが気分も軽くなるわ」


 少女は回廊の柱のひとつに背中を預け、視線を中庭から見える空に向け、息をついた。


「ねえ、あなた、お名前は?」

「ヒカリ」

「変わった名前――でも素敵ね。わたしはファラフ。でも会場にあなたみたいな女の子がいたなんて、気づかなかったわ」

「ちょ、ちょっと体調が悪くて、ずっと部屋にいたから」

「まあ、そうなの。いまは大丈夫?」

「うん、ぜんぜん平気」

「よかった」


 ファラフはやさしくほほえみ、ぽんと手を叩く。


「ねえ、ちょっとお話でもしない? 同じ年ごろの女の子と会うことってあんまりないから、ね?」


 甘えるように、ファラフはそっと燿の腕に手を添えた。

 大人びた外見ではあるが、本当の年齢はまだ幼いくらいなのかもしれない。

 燿は反射的にうなずく。

 ファラフはぱっと顔をほころばせ、燿の手をとって回廊を進んだ。


「わたしの部屋にきて。なにもない部屋だけど、ゆっくりおしゃべりできるから」

「う、うん、わかった――ねえ、先生」


 ファラフに気づかれないように、燿はぶつぶつと囁く。


「部屋まで行って大丈夫かな? パーティーへ行って情報を集めたほうが」

『大丈夫だ、焦るな。大人より、子どものほうが情報を漏らしやすい。それに悪い子じゃなさそうなんだろ?』

「うん、めっちゃいい子そう。っていうかめっちゃかわいいし、美人だし。お持ち帰りしたい」

『お持ち帰りはやめなさい。とりあえず、雑談から必要な情報を引き出すしかないな』


 回廊を抜け、すこし奥まった薄暗い廊下を進み、白い扉をくぐった。

 その奥にあるのが、どうやらファラフの部屋らしい。


 大きな天蓋付きのベッドが壁際に置いてある。

 二、三人は横になれそうなくらいの広いベッドで、そのベッドを置いても空間にはまだまだ余裕があり、鏡台といくつかのちいさな棚、そして燿の背丈ほどの置き時計がそれぞれ壁際に並べられていた。

 白い天井には蔦模様があしらってあって、いかにも宮殿の一室という雰囲気の部屋である。


 窓からは、双日の夜特有の、やわらかく穏やかな光が差し込んでいる。

 ファラフは燿をベッドまで導き、そこに並んで座った。


「なにもない部屋でしょ?」


 ファラフはいたずらっぽく笑う。


「一日のほとんどをこの部屋で過ごすの――ちょっと、退屈」

「わかるよ。わたしも似たような感じだもん」

「そう、デルタのお姫さまだものね? ねえ、デルタってどんなところなの? わたし、この王宮から出たことがないから、よその国のことってなにも知らないの」

「デルタは二本の川のあいだにある町で、とってもきれいで――」


 燿は大輔の言うとおりを繰り返しながら、ファラフの表情をじっと見つめていた。

 一見、明るそうに見えるその表情の奥に、かすかな暗さが、悲しみのような見え隠れしているような気がするのだ。


 そもそも、と燿はすこし冷静に考える。

 これだけ立派な部屋にいるということは、ファラフはこの王宮に暮らしているわけで、それはつまり、この国、ザーフィリスの人間ということではないか。

 もちろん、一般人のわけはない。

 たぶん王族のひとりで、もしかしたらザーフィリスの姫なのかもしれない。


 だとしたら、目の前にいる愛らしい少女は、燿にとって敵のひとりだった。

 敵の対象はファラフの父なのかもしれないのだ。


 スラーラの話を聞いて、いったいどれだけ傲慢でわがままな王さまなのかと思っていたが、よくよく考えてみれば、その傲慢でわがままな王さまも人間だ。

 家族がいて、きっと、その王さまを愛しているひともいる。

 王さまが慈しんでいるものだってあるだろう。

 だれからも嫌われていて、悪い面しか持たない人間などひとりもいない。

 みないい面と悪い面を持っていて、どちらが目立っているか、というだけに過ぎない。


 覚悟が揺らぐ。

 赤々と燃えていた使命感が、ファラフの微笑みに消されていく。


 ファラフはいかにも楽しげにデルタの話を聞いていた。


「そんなに素敵な場所なの。一度行ってみたいわ」

「ここは、どんな場所なの?」

「ザーフィリスは――もしかしたら、デルタほど素敵な場所じゃないかもしれない」


 ファラフは、ふと視線を落とし、長いまつげを震わせた。


「そうなの? でも、素敵な王宮もあるし、町の様子も素敵だったよ」

「町はね、素敵だと思うの。いろんなひとが暮らしていて、いろんなことがあって。でも王宮は、あんまり素敵だとは思わないわ。ここにはなにもないから」

「なにもない?」

「きれいなものはたくさんある。宝石だってあるし、建物もきれいだし、花だっていくらでも手に入る。でもね、それって、全部必要ないものなんじゃないかって思うの。本当は宝石なんかなくたって生きていける。その美しさは、なにも与えてくれない。これだけ大きな建物だって、ほとんどは普段使ってないのよ。わたしとお父さまとお母さまが暮らしているだけなんだから」


 大輔の通訳を通して、燿もファラフの言葉を理解する。

 やはりそうなのだ。

 ファラフはザーフィリスの姫なのである。


「ねえ、あなたは思わない?」


 ファラフの黒い瞳が、燿の瞳をぐっと覗き込んだ。


「きらびやかな王宮に暮らしていて、なにも不自由のない生活をして、それでも、生きてるって感じられないの。きっと、普通のひとにとっては贅沢なことなんだと思う。生きることに苦労しているひとたちは、わたしに腹を立てるかもしれない。でもね、わたしの感覚は偽物じゃない。わがままでもなんでも、本当に生きてるって感じられなかったら、なにもかも色褪せて見えたら、それって悲しいことでしょ?」


 燿はこくんとうなずいた。


「わたしも、そう思う」

「わたしのこと、わかってくれる?」

「うん、たぶん、わかってあげられると思う」

「よかった――ありがと、ヒカリ」


 ファラフは燿の手をぎゅっと握り、心の底からうれしそうに笑った。


「ねえ、わたしたち、友だちっていってもいいよね? わたし、友だちができたの、はじめて」


 大輔が頭のなかでなにか言っていた。

 しかし燿はそれをそのまま真似することもできず、罪悪感にきりきりと痛む胸を押さえて、押し黙っていることしかできなかった。


 ふと、部屋の外から足音が聞こえる。

 ひとつではなく、ふたつ、三つと重なっている。

 反射的に燿が身を固くすると、ファラフはその手をやさしく撫でて立ち上がった。


「きっとお父さまよ。わたしの姿が見えないから、探しにきたんだと思う」


 扉が開いて顔を出したのは、痩せぎすの、肌の浅黒い男だった。

 ファラフはその男をお父さまと呼んだ。

 つまり、その痩せぎすの男こそ、ザーフィリスの王、ナビールなのだ。


 燿の想像のなかのナビールは丸々と太り、ひとを小馬鹿にしたような笑みをにたにたと浮かべているいやらしい男だったが、現実のナビールはそれとはまるで正反対の容姿をしている。

 背はすらりと高いが、ひどく痩せていて、王らしい金糸の刺繍が入った衣装が浮いて見えるほどだった。

 彫りが深く、ファラフと同じように髪も瞳も黒で、皺が目立つ。


 王というより、心配性の父親という雰囲気だった。

 とても、自分の部下を殺せと命じるような男には見えない。


 ナビールの後ろには、数人の男たちがぞろぞろと続いている。

 むしろその男たちのほうが燿のイメージしていた悪い王に近い雰囲気で、視線は鋭く、冷徹そうな表情を浮かべていた。


「ここにいたのか、ファラフ」


 ナビールはほっと安堵したように息をつき、それから、ベッドに腰掛けている燿に目をやった。


「あれは?」

「お友だちです、お父さま。すこし気分が悪くて中庭に出たら、ちょうど彼女も同じだったみたいで、すこしお話していたんです」

「ふむ、そうか――母が心配していたぞ。会場を抜け出すなら、一言そう言いなさい」

「はい、ごめんなさい」

「会場に戻るか?」

「いえ――もうすこし、ここにいます」


 ナビールはため息をつき、ゆるく首を振った。


「では、そうするがいい。私は会場に戻る」

「お休みなさい、お父さま」


 くるりと踵を返し、ナビールが歩き出すと、ほかの男たちも無言でそれに従った。

 まるで影のような、あるいはもっと剣呑な黒子のような男たちだった。

 ファラフは扉を閉め、燿を振り返ってにこりと笑う。


「お父さまのお許しもいただいたし、もうすこしお話しましょう」

「それは構わないけど――宴会には出なくても平気なの?」

「大丈夫。わたしがいても、どうせにこにこしているだけだから。重要な会議っていうわけでもないしね。まあ、重要な会議だったら、わたしは出席できないけれど」


 さほど残念そうというわけでもないファラフの表情だった。

 燿は意味もわからず、大輔の伝える言葉をそのまま口にする。


「会議はあと何日続くのかな。わたしも会議のあいだはなにもすることがないから、退屈なの」

「お父さまは、明後日の会議で決定するって言ってたわ」

「会議って、どこでするの?」

「大広間だと思うけど、それから発表もしなきゃいけないから」

「そもそもなんの会議なのかな?」

「さあ、詳しくはわからないけど……東の国に関することだって。ほら、東の国って、いま戦争をしているでしょう? その支援を決定するって」

「へえ、そうなんだ――東の国は、行ったことないよ」

「わたしも。行ってみたいところはいろいろあるの。東の国にも行ってみたいし、もちろんデルタにだって行ってみたい。それに、ずっと北のほうにあるっていう妖精の国にも行ってみたいし――そうだ、知ってる? 南の海にはね、楽園が浮かんでるんだって。前に一度だけ王宮にきたお客さんが言っていたんだけど、その楽園には地上にあるすべてが集まってて、みんな幸せに暮らしてるんだって」


 ファラフは瞳をきらきらと輝かせる。

 そしてふと照れたようにうつむいて、


「いつか、いっしょに旅行でもできたらいいのね」

「そうだね。でもそうなったら大変かも。わたしたち、一応お姫さまなわけだし」

「そうかもね」


 くすくすと笑ったあとで、ファラフは行儀も無視してベッドに倒れ込んだ。


「本当は、お姫さまなんかやめちゃいたいな。お姫さまじゃなかったらもっと自由に生きられるのに」

「そうだね――お姫さまにはお姫さまの苦労があるよね」

「ねえ、また明日もおしゃべりできるかしら?」


 燿はなにかを答えた。

 ファラフはほほえみ、うなずいた。

 まだ空はほんのりと明るいが、夜は更けている。

 燿は自分の部屋へ戻るという名目でファラフの部屋を出て、ようやく、大輔に尋ねるチャンスを得る。


「先生、最後、なんて答えたの?」

『明日もおしゃべるできるよ、って言ったんだよ。嘘をつかせてごめんな』

「ううん、大丈夫――あたしだって、ダブルOの隊員なんだから」



  *



 ザーフィリスの王、ナビールは、ようやく開催国としての接待が終わり、自室に戻った。

 もう明け方に近い夜だった。

 ベッドにぐったりと寝そべり、肺の奥に溜まったわだかまりを吐き出すように呼吸すると、身体と心がすこし軽くなった気がした。


 ナビールは、きらびやかな部屋で行われる大宴会が嫌いだった。

 かといってほかの国を招待する手前、それを行わないわけにはいかない。

 一方、本題である会議は気楽なもので、はじめから決議の内容は決定しているのだから、議論など一度も起こらず、ただお互いに意志を確認すればそれで終わりだ。


「――東のヤマトか」


 現在戦乱にあるその国を支援するか否かという会議をするため、この周辺の国々が集まっているのである。

 もちろん、支援は行う。

 それはすでに決定していることで、本題はむしろ、こうして各国が顔を合わせることで関係を強化し、有事の際には結託することを確認し合うところにある。


 ヤマトは古くからの君主国である。

 それと戦争しているのは、他国の勢力ではなく、自国内に湧いて出た反対勢力、すなわち革命軍だった。


 革命軍。

 このところ、世界中の君主を悩ませている頭痛の種だ。


 すでに革命軍はいくつかの国を落とし、革命軍による政権を樹立している。

 ヤマトはいま革命軍の大々的な攻撃を受け、瀕死に陥っている。

 ザーフィリスをはじめとする君主国がヤマトを支援するのは、もちろんこれ以上革命軍の勢力を広げさせないためだった。

 そのためには君主国同士が協力し合い、一国たりとも革命軍に落とされるようなことがあってはならない。


 要は、様々な国の王たちは人道的理由からヤマトを助けたいのではなく、保身のために、ヤマトに負けてもらっては困るのだ。

 その「様々な国」にはザーフィリスも含まれている。


「まったく――これも王の仕事か」


 ナビール自身の心情としては、ヤマトを支援したくはないし、革命軍などどうでもよかった。

 革命軍の協力を受けた組織がこのザーフィリスにも存在し、なにか行動を起こそうとしているらしいことは報告で知っていたが、それも含んで、ナビールにはもはやどうでもよかったのだ。


 ザーフィリスが滅びようが、自分が駆逐されようが、そんなことはどちらでもいい。

 ザーフィリスはすこし長く存在しすぎたとも思う。

 滅びるのあれば、それが運命だろうと思うのだ。

 ナビールはその滅びを抵抗もせず受け入れたい気持ちだったが、王という立場上、そういうわけにもいかない。


 ナビールの肩には、ザーフィリスに暮らす五、六千人の命がずっしりとのしかかっている。

 自分の命は、自分ひとりの命ではない。

 ナビールの死はザーフィリスの死であり、ナビールの一存で決められるようなことではなかった。


 ナビールはつくづく、自分は王の器ではないのだと思う。

 気が弱く、自分の意見も口にできないような男が、ただ王族に生まれたというだけで王になってしまった。

 それは国にとっても悲劇だろうし、自分にとっても大きな悲劇だったとナビールは考えていた。


 かつての戦争にしてもそうだ。

 ナビールもまだ若かった。

 娘のファラフも生まれておらず、まだ婚約もしていなかった。


 ナビールはかつての戦争で総司令官という役割を担ったが、それは形ばかりで、いわば名前だけを頭に乗せただけだった。

 本当はすべて大臣たちが決め、ナビールはそれを承認するだけだ。


 なかには正しい選択もあったし、間違いだといまでも後悔している選択もある。

 しかし取り消すには、王の肩書きが邪魔だった。

 王である以上、国を守る義務がある。

 そして王である以上、過ちを犯すわけにはいかない。


 王が行うことはすべて正しくなければならない。

 すくなくとも、王自身はその正当性を信じなければならない。

 自分のことを信じられない王に、だれがついていくだろう。


「結局、私は王になってから、いままでなにも成し遂げてはいないわけだ」


 ナビールはくすくすと笑った。

 その笑いは次第に大きくなり、調子外れの哄笑になって、ふと途切れる。


「いいさ。惨めだろうとなんだろうと、それが王の努めだ」


 ナビールは寝返りを打ち、目を閉じた。

 まるで身体のなかで黒々としたなにかがわだかまり、それが喉元からせり上がってくるような気がした。

 ため息でそれを吐き出し、眠るために呼吸を整えたが、穏やかな眠りはいつまで待っても訪れはしなかった。


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