出会い 06
結局、そのままぼうっとしただけで、本をじっくり見ることはできなかった。
気づいた時には、空を赤く染める光が、窓から差し込んでいた。
「帰らなくちゃ……」
グレンは戻っては来られなかったようだ。師団長ともなれば、忙しいのも当然だろう。迷惑はかけたくない。一人で帰ろう。そうクラネスが思ったときだった。
突然扉が開いた。クラネスは本を直し、脚立を元の位置へ戻していた。驚いてそちらを見る。一瞬、グレンかと期待した。しかしそこにいたのは、グレンと良く似た別人だった。
クラネスは目を見開いた。彼の姿は知っている。遠目からしか見たことはなかったが、その姿を忘れることはない。くやしいが、それくらい綺麗な男だった。
「ユアン・ラングハート……」
思わず声にしていた。それを聞き留めてユアンは、怪訝な顔をした。
「どこかで会ったか?」
はっとして、クラネスは口元を押さえる。
しかしクラネスの答えには興味がなかったのか、ユアンはそれ以上何も聞かず、不愛想に言葉を述べた。
「グレンから頼まれた。送っていく」
顎で室外に出るように促された。クラネスは内心でニコラスを恨めしく思っていた。ユアンは仕事で、アスファリアを出ていると言っていたのに。
「一人で帰れるから……」
「グレンに頼まれたと言っただろ。いいから、早く」
有無を言わせぬユアンに、クラネスはしぶしぶと従うしかない。一緒に部屋を出ると、ユアンは少し前を歩き出す。
しばらく沈黙していたが、クラネスは思い直すことにした。いずれは家族にならなければならないのだ。挨拶もしないというのは、やはり失礼だろう。
意を決して、クラネスは背中に向って声をかけた。
「クラネス・ロヴェルよ。どうぞよろしく」
「ロヴェル?」
ユアンは急に立ち止まった。まじまじとクラネスを見る。
クラネスは何だろうかと、眉を潜める。が、次に何気なく言われたユアンの言葉に、クラネスは逆上することになった。
「……ニコラス・ロヴェルの妹か。あまり似てないな」
頬が紅潮するのが、自分でも分かった。背の高い彼を思い切り睨み上げる。
「ニコラスは私の弟で、私はあなたよりも年上よ」
ニコラスには散々説教をされたが、思っていたとおりだ。やっぱりこの男は最低だ。
「似てないだなんて、余計なお世話だわ。どうせニコラスは女の私よりずっと綺麗よ」
「……そこまで言ってないだろ。被害妄想を押し付けるな。思い込みの激しいやつだな」
不機嫌にこちらを見下ろすユアンに、クラネスはますます怒りを募らせる。
「信じられない。失礼な人だわ」
「そっちもだろ」
迷惑そうに言ってから、ユアンは歩きだす。
彼に続きながら、今の言葉は聞き捨てならないと、クラネスは肩を並べて彼の横顔を睨む。
「私の、どこが」
ユアンはちらりと横目でクラネスを見下ろす。
「あなたが嫌いで嫌いでたまらない。顔にそう書いてあるように見えるのは俺の気のせいか」
「…………」
内心を言い当てられて、クラネスは言葉に詰まる。そんなに顔に出ていただろうかと一瞬反省するも、クラネスは逆に開き直った。
「だって、何人もの女の子を泣かせたでしょう」
「俺は、お前を泣かせた覚えはない」
「……そうだけど」
そのやりとりに、クラネスはニコラスの言葉を思い出していた。一方的に決めつけてしまうのは良くないと、言われたばかりだ。
「行くぞ」
口ごもるクラネスにひとつため息をついて、ユアンは歩き出す。
館の外に出て、用意されていた馬車に乗る。
向き合って座ると、ユアンは両腕を組んで外に顔を向けた。こちらをまったく見もしない。
クラネスは、ユアンの端正な横顔を思わずじっと観察してしまう。グレンと顔のつくりはよく似ているが、やはり少し違う。グレンは凛とした印象であったが、ユアンのほうはもっと儚げだ。態度はグレンと比較にならないほど、悪いが。
とはいえ、こうしてクラネスをちゃんと送り届けようとはしてくれている。時間が経って冷静になると、たしかにニコラスの言う通り、初対面からユアンに悪いことをしたという気分になった。
「……さっきは言い過ぎたわ。あまり知りもしないのに、ごめんなさい」
素直にそう口にすると、ユアンはこちらに視線を向けた。
「怒ったり謝ったり、忙しいやつだな」
「できれば仲良くしたいの。いずれ一緒に暮らすことになるかもしれないし」
グレンの従弟にあたるユアンは、十年前の戦争で父親を亡くし、宰相に引き取られたという話は聞いたことがあった。
「グレン様に、心配をかけたくないわ」
「自分以外の男と仲良くする婚約者は、余計に心配だろ」
ユアンは薄く笑う。
意地悪な目。からかわれているのが分かって、クラネスは片方の頬を膨らませた。
「もちろん、家族としてよ。茶化さないで!」
クラネスはせめて一度くらいは反撃しようと、ユアンに言った。
「ほんと、グレン様とは大違いね」
するとユアンは、勝ち誇ったように微笑んだ。
「そういうお前は、ニコラスとは大違いだな」
その笑みに一瞬見とれてしまったことが更に悔しくて、クラネスはますます頬を膨らませた。




