パーティの夜に 06
ルチカの住まうトゥーレの村は、大陸の東端、外海から切り離されて形成された潟湖の側にある。ラグーンには、希少生物である飛龍が生息しており、トゥーレの民はドライグを操る唯一の存在であるとされている。
アスファリア騎士団が、ラグーン駐屯地へと駐屯部隊を派遣して、もう十年になる。ラグーンを狙う隣国レガリス公国を牽制してのことだ。
ラグーンには、グレンもしばしば駐屯した。ルチカはトゥーレの門守、アスファリアでいうところの騎士団に属しているため、以前から親交があった。
そういうことを話すと、クラネスはしきりに驚いていた。何より、ルチカが第一線で戦うということに対して。一方で、そんなルチカだからこそ、今夜自分を守ってくれたのだと、納得していた。
夜が更け、グレンはクラネスを自宅まで送ってから屋敷へ戻る。
自室へと向かう回廊で、ルチカがひとつの肖像画の前で立ち尽くしているのに気がついた。
近づくと、ルチカはすぐにこちらに視線を向けた。グレンはそのまま彼女の隣に立ち、肖像画を見上げる。騎士団の正装を身にまとう凛々しき姿。今は亡き、ユリアス・ラングハート。
「……立派な肖像画だ。生きているみたいに」
ルチカの声に、かすかに悲哀の情が漂った。グレンは彼女の事情を思い出す。
「ユアンとは、良く話したか」
先日のレガリスでの任務で、ルチカとユアンは行動を共にした。彼女はその時、話したはずだ。自らの過去を。幼き彼女を庇い、ユリアスが命を落としたという事実。
「話した。ユアンのことを守りたいと言ったら、断られたけれど」
ルチカはこちらを向いて小さく笑ったが、グレンは真顔のままで答えた。
「贖罪は必要ない。叔父上ならばそう言うだろう。きみはきみの人生を生きることだ」
ルチカは再びユリアスの姿を見つめる。
「ほんとうに、そうだね」
「……ユアンにも、そうであって欲しいと思っている」
グレンがそう付け加えると、ルチカが少し驚いたような顔をしてこちらを見た。
「それを、ユアンに言ったことは?」
「……ないが」
ルチカはくすりと笑った。
「グレン、そういう言葉は、本人にちゃんと言ったほうが良いと思う。結構、鈍感だから。人はみんな。言わないと伝わらないことの方が多い」
その言葉に、グレンは己を顧みていた。ユアンのことは、ずっと気にはかけていたが、常に一定の距離は保っていた。内心に立ち入られるのは、好ましく思わないだろうと判断してのことだ。しかし、時には強引さも、必要だったのかもしれない。
「……覚えておこう」
そう答えたとき、廊下に足音が響いた。現れたのは、当のユアンだった。
二人の姿を確かめて、ユアンは僅かに眉を寄せた。
「それじゃ、私はこれで」
ルチカはそう断って、グレンの横を去り、ユアンの側を通りぬける。
「おやすみ、ユアン」
「……ああ」
ルチカが去って、ユアンはグレンに近づいてくる。表情は、怪訝なままだ。
「あいつと何を?」
ユアンの物言いに、グレンは僅かに驚く。
「珍しいな、お前が誰かを気にかけるのは」
そう言うと、ユアンははっきりわかるほどむっとした顔をした。
本当に珍しい。思いがけない反応に、グレンは小さく笑う。
「ルチカに、特別な感情を持っているのか?」
「……何でそうなる。グレン、ふざけるな」
「ふざけてなどいないさ。いや、だが短絡的すぎたな」
グレンはユアンから、再び肖像画へと視線を戻した。
「……ユアン、お前も叔父上と同じかもしれないな」
ユアンは、眉間に皺を寄せる。
「どういう意味だ」
「私がクラネスと婚約したように、父上はお前にもいつか縁談を持ってくる。どういう女性かはわからないが、間違いなく言えるのは、それはルチカではない」
「あの人にとって大事なのは、血統だ。そんなこと、わかりきってる」
「叔父上は、父上の反対を押し切って、お前の母親と一緒になった。それが逆に、父上のお前に対する執着心に繋がっている」
「……迷惑な話だ」
不愉快な様子でため息をついたユアンを見て、グレンは苦笑する。
「思い通りにならないことほど、人は執着してしまうものだ。それだけ叔父上を大切に思っていたということだ。愚かではあるが」
「……お前は、どうしていつもそう冷静でいられるんだ」
ユアンの言葉には、信じられないという思いが滲んでいた。
グレンはゆるやかに微笑む。
「お前よりも、父上との付き合いは長いからな。父上は強引だが、常にアスファリアの為に働いている。私も、そうだ。アスファリアのために生きることが、嫌ではない。クラネスと一緒になることも、望ましいと思っている」
「……突然婚約者だと言われて、良くそんな風に思えるな」
「誰かを好きになるのに、理由はいらない。縁があって出会い、彼女が私を嫌っていないのなら、それだけで十分だ」
ユアンは視線を逸らし、肖像画を見る。絵画の中の人は、鏡に映したようにユアンと良く似ていた。
「アスファリアのために生きる、か」
呟いたユアンの横顔に、グレンは尋ねた。
「だがお前は、そうではないんだろう?」
ユアンはしばらく沈黙し、ややしてゆっくりと答えた。
「……わからない。今はまだ」
今はまだ。その言葉が、グレンの心を安堵させた。ユアンは考えようとしているということだ。クラウスの言いなりではなく、自分自身の生を。
「そろそろ、休もう」
そう言うと、ユアンは頷き、グレンの横を立ち去る。
ユアンの去り際に、グレンは付け加えるのを忘れなかった。
「ルチカは明日、すぐにトゥーレに戻るつもりだぞ」
返事はなかった。
グレンは苦笑して、自室へと戻った。




