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Prism Hearts  作者: 霧原真
第十四章
171/222

調理室に行きましょう

「…、よし、そろそろ心の準備できた!」

姐さんとの会話によってなんとか心の平静を取り戻した俺は、ようやく意を決し家政部の部室へと足を向けることにしたのだった。

「本当か? それでは家政部の活動場所に向かうぞ」

しかしそれであっても、アポなしで突撃する勇気はないわけで、もしも取り込み中で俺の見学を受け入れている場合ではなかったときのための予防線として弓倉への電話はしておかなくては。

「ま、まずは電話な、姐さん」

「あぁ、そうだったな。それではかけてくれ」

「おぉ、やると決めたらやる男だぜ、俺は」

あらかじめかばんの中からポケットに取り出しておいたケイタイを引っ張り出し、電話帳を呼び出して『弓倉楓』の名前を選択。電話番号にカーソルを合わせるとセンターキーを押し込んだ。

軽い発信音が二三度鳴って、それからそれが不意に途絶える。そしてその代わりに、スピーカーからは弓倉の声が聞こえてきた。

『もしもし、三木くん? どうしたのかしら、私に電話をかけてくるなんて珍しいじゃない』

「あぁ、ごめん、なかなか電話する機会がなくってな」

『気にしなくていいわ、別に。それで、珍しくかけてきたのは、どういう用事なのかしら? 三木くんは用事もないのに電話をかけてくる人ではないみたいだから』

「いや、別にそんなことないぞ? 俺だって、用事もなくなんとなく電話することくらいあるって」

『それじゃあ、今回も別に用事はないのかしら?』

「いや、用事はあるんだけどな?」

『そう、それなら用事を言ってもらっていいかしら? ほら、私、今、部活中だから、あんまり電話してる余裕ないのよ。料理してる最中だから、先生に見つかると怒られるわ』

「うわ、ごめん、最悪のタイミングで電話したな……。とりあえず用件だけ言うわ。あのな、俺、これから家政部の見学行きたいんだけど、行ってもいいか?」

『部活見学? 別に、来たければ来ればいいんじゃない? アポイント取らなかったからって、何の問題はないと思うけど』

「あっ、マジ? 行ってもいいの? 姐さん、行ってもいいって」

「そうか、それはよかったな」

『もしかして風間さんも来るのかしら? 今、後ろで声が聞こえたのだけれど』

「あぁ、そうなんだ。俺に付き添ってくれるって」

『そう、分かったわ。先生にそうやって伝えておくわね。もうすぐに来るのかしら?』

「そうだな、今教室だから、すぐに行く」

『あらあら~、弓倉ちゃんってば~、お料理中に携帯電話なんて使っちゃって、いけないですよ~』

『あっ、先生、三木くんが今から部活見学に来ます』

『あらあら~、もしかして~、電話の向こうは三木ちゃんですか~?』

『はい、そうです、替わりますか?』

『もちのろんです~。あ~、もしもし~、三木ちゃんですか~?』

「はい、そうです。そっちは、ゆり先生ですよね?」

『はい~、その通りですよ~。三木ちゃん、ついに先生の部に入る気になったですね~』

「えっと、今のところは、とりあえずちょっと見てみたいかなって感じです。入るかどうかは、少し考えてみてからです」

『そうですか~、それでもいいですよ~。三木ちゃんなら見学は大歓迎なので~、いつでもきてきてですよ~』

「ありがとうございます。それじゃあ、これからすぐにそっちに行きます。活動場所は、調理室でいいんですよね?」

『そうですよ~、先生は首をなが~くして待ってるですからね~。すぐに来れたら、いい子いい子してあげるですよ~』

「五分もしないで行きます、すぐですよ」

『それなら、いい子いい子するですよ~』

『今ちょうど料理しているところだから、活動を見るんならちょうどいいと思うわ。それに三木くんレベルの人なら、味見役とアドバイス役にちょうどいいし、来るんならみんなの料理を一口ずつ食べてくれると助かるわ』

『弓倉ちゃん、先生はまだ三木ちゃんとおしゃべり中なのですよ~。取り上げちゃダメです~』

『先生、そんなこと言ってたらきりがないじゃないですか。どうせ三木くんはこれからここに来るんですから、それからお話しでもなんでもしてください』

『よよよ~…、弓倉ちゃんはいじわるですよぉ~……』

「…、急いでいきますよ、先生!」

『はっ! 三木ちゃんの声が聞こえたです! 待ってるですよぉ、三木ちゃん!!』

『それじゃあ切るわよ、三木くん。あんまり長電話になっても悪いし』

「あぁ、っていうか、俺もいつまでものんびりしてないですぐにそっち行くわ。そんじゃな」

『えぇ、部員一同、待ってるわ』

弓倉はそう言うと、通話を切った。スピーカーからはもう調理室の喧騒は聞こえず、ただツーツーという電子音が聞こえるのみである。

「うし、姐さん、来てもいいって」

「そうか、それではすぐに行くことにしよう。仕度は出来ているからな、先生方を待たせることもない。それに先生にも、急いでいくと言っていたようだからな」

「そうそう、先生がさ、俺が来るの待ち遠しいって言ってたからさ、なんかこう、うれしいじゃん、そういうこと言ってもらうのって」

姐さんと喋りながら、自分の机から荷物を拾い上げる。姐さんは話しているときからもう荷物を持ってきていたので、そのまま荷物を持って、二人でそろって教室から出る。ここからのおしゃべりは、ちゃんと調理室に向かいながらしなくてはな、ゆり先生を待たせることになるからな。

「三木は、本当に八坂先生のことが好きなのだな。仮にも教師と生徒なのだから、行きすぎるなよ」

「えっ、行きすぎるって、先生と付き合うってこと?」

「ま、まぁ、そう、なのではないか?」

「あ~…、ゆり先生は、料理上手いから尊敬してるし、雰囲気が優しいから好きだけど、でもそういうのじゃないかなぁ……。なんか、おねえちゃん、って感じがするんだよな」

「それは、三木は八坂先生のような姉がほしかった、ということか?」

「ん~、そうかも。まぁ、なんとなくそんな感じだと思うんだよね、俺がゆり先生を好きな理由って」

「そういえば、三木の姉代わりは、天方の姉上ではなかったのか? 以前に、そう言っていたのを聞いた覚えがあるのだが、記憶違いか?」

「? あぁ、晴子さんのこと。たぶんそれ、霧子が言ったことだと思うんだけど、晴子さんは、おねえちゃんっていう感じじゃないんだよね」

「そうなのか。私は天方の家に遊びに行く機会がなかったので姉上を見たことはないのだが、聞いたところではしっかり者の素敵な方のようではないか。それだというのに、三木にとってはあまり姉という印象を受けないというのか?」

「…、あぁ、見たことない、のね。そうだよね、うん。晴子さんと顔合わせたこと、ないよね」

そういえば、姐さんは認識してなかったんだ。姐さんだってあのメイド喫茶に行ってるんだから、晴子さんのことは見ているのだ(第79話より参照)。でもやっぱり姐さんにとってあの人は晴子さんではなくハルさんだったわけで、単にメイド喫茶の一従業員としてしか理解していないのだ。

他者認識なんて、けっきょくはその人の主観に因るわけで、客観的情報として与えられた前提をその人がどう噛み砕くかにかかっているのだ。というわけで、姐さんにとって晴子さんはまだ見たことのない人なのであって、その前提はきっと晴子さんに晴子さんとして会うまで崩れることはないだろう。

「晴子さんは、姉代わりの前に師匠だから。俺にとってはおねえちゃんって言うよりも神って感じだ」

「あぁ、なるほど、確かに師というものは通常の関係から乖離したものだからな。分かるぞ、私も昔から通っている道場の道場主の方を己の師と考えているのだが、昔から今までどうしても勝つことが出来なくてな、もう神のように思えてならないぞ」

「えっ、姐さんにも勝てない人っているの? その人どんだけ強いの? っていうかどう強いの?」

「そうだな…、純粋に年を経ているからこそ技術の練度が高くてな、私程度では手も足も出んのだ」

「いやいやいや、それはないでしょ。姐さんが手も足も出ないって、それはさすがにありえんでしょ」

「…、確かに手も足も出ないというのは、言いすぎかもしれない。だが、どう攻めても一本を取ることは出来ないのだ。それでいつも時間切れになってしまうのだ。防御に秀でた人でな、いつも攻めきることが出来ない」

「はぁ…、この世界にはまだまだ、すげぇ人がいるもんだなぁ……」

「三木の師匠も、そのような感じなのだろう」

「そう、だな。そうそう。師匠だからな、やっぱ。まぁ、こっちはすごい強いっていうよりすごい料理が上手いって感じだけど」

「そうか、そうだろうな。…、私も、道場に通うのではなく、料理を習う方がいいのかもしれないな……」

「? なんで急に?」

「いや、その方が、女らしくないかと思ってな」

「え~、そんなことしなくていいんじゃね? 姐さんは別に、料理にはそんなにこだわりないんだろ? だったら無理にすること増やしたりしない方がいいと思うぜ。どうせ姐さん、料理習うっていったら今やってることに合わせて料理も、って感じにするつもりなんだろ。さっきも言ったけど、やることばっかり増やしてたらいつか二進も三進もいかなくなるぜ」

「む…、そのようなことはない。今のところ開いている時間がないわけではないのだから、そこの時間を使って料理を習うことも可能だ。決して無理をしているわけではないのだぞ」

「その開いている時間は、姐さんにとっては貴重な何もない時間なのであって、別にただの無数にある空き時間ってわけじゃないんだろ。心と体を休める時間がないと死んじゃうぜ、姐さん」

「そのようなことは、ないと思うのだが。なに、やるとしても週に一回か二回か、それくらいだ」

「…、教室に通うってなると、どうしても毎週一定の時間を拘束されるっていうか、やっぱりそれってどうしても余裕なくなると思うんだわ。それならさ、教室に通うとかじゃなくて、それこそ家政部に入れてもらってたまに料理してみるとかでいいんじゃね?」

「それでも、なんとかなるものか?」

「何とかなるって言うか…、別に姐さん、そんなに料理ひどくねぇじゃん。基礎的なところはなんとなくできてるんだから、あとは場数を踏んで慣れるだけっていうか、いろいろ挑戦してみるだけじゃん。それこそ、それくらいだったら姐さんが暇なときに俺が付き合ってもいいし、別に教室に通う必要なんてねぇって。姐さんは、もう少し自分を大事にしないとダメだな」

「み、三木が……!? そ、そのようなことは……!!」

「え? ダメなの?」

「ぃ、いや、ダメというわけではないが……」

「それじゃいいじゃん。無理して教室なんかに金かけることもない。たまに時間が空いたらうちに遊びに来て、ちょっと料理してみるんでもいいし、家政部に入って時間の空いたときに活動しに来るんでもいいし、それこそ自分の家でちょっと料理の手伝いするとか、そういうのでいいんだよ。でも、急に教室に通うとか言い出すなんて、姐さんはけっこう形から入るところあるよな」

「それは、そうかもしれないな…、うむ、お前の言うとおりだ。無理して教室に通うのはやめて、自分にできる範囲で料理の経験を積むことにしよう」

「あぁ、俺はそれがいいと思うぜ。声かけてくれれば、俺も付き合うし。っと、話してたらもう着いたな。やっぱりそんな時間かからなかったな」

「あぁ、そうだな。こちらには放課後の身回りで来ることもあったが、いつも活発に活動をしている。ほら見ろ、今日もこれだけ集まっているではないか。ふむ、家政部がこれだけ活発に活動しているということは、幕僚長に上梓するべきだな」

「…、あぁ、幕僚長っていうと、風紀委員長か。姐さんも、いろいろ大変だなぁ。なんかいろいろ期待されてるっぽくね、二年なのに小隊長に任命されてるし、分担もけっこう多めにされてるんだろ。余裕なくなっちゃうよな、マジで」

「それは、私がしたいと思っていたことだ。それについて頼られるのはうれしいことだ」

「そうやって、何事もポジティブにとらえられるのは姐さんのいいとこだって思うわ」

「あぁ、そうかもしれないな。さぁ、八坂先生がお待ちだ。というか、さっきからずっとこちらを見ているぞ」

「確かに、見てるな……。うし、ほんじゃ部活見学、張り切って行きますか!」

というわけで、家政部の活動場所であるところの調理室へたどり着いた俺たちは、教室の中から送られるゆり先生の視線に引きずり込まれるようにその中へと足を踏み込むのだった。…、違うな、自分の意志で、先生の視線に応えるために教室の中へと足を踏み入れたのだった。

匂いから察するに、今日の活動は中華系統の炒め物類だろう。まったく、一瞬の判断が勝負の中華系炒め物をしているところに電話をするなんて、知らなかったとはいえ、とんだ失礼をしてしまったようだな、さっきの俺は。

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