七人がけに、七人乗る
「三木様、心よりお待ち申し上げておりました! このたびも、当館をご宿泊にご利用いただき、真にありがとうございます! 昨年はどうしてもお部屋をお一つしか用意できずご迷惑をおかけいたしましたが、今回はしっかりご要望いただきましたように二部屋ご用意させていただきました。皆様のご滞在が最高のものとなるよう、心づくしさせていただきますので、ごゆるりとなさってくださいませ」
「ど、どうもです。今年もよろしくお願いします」
改札を出て見覚えのある白のミニバンに向かってテクテクと進んでいくと、少し小柄で中肉の男性(俺よりもだいたい10センチくらい背が低い)がその中から切れのいい動きでシュバッと飛び出してきて、早口でまくし立てるように歓迎の意を表明したのだった。この人は、確かこれから泊まりに行く旅館の支配人みたいな人で、家と家とのつながりをとても大切にする古き良き思想の持ち主であり、昔、三木の家に世話になったとかで俺たちの宿泊に関してもなにかと口をきいてくれた人なのだ。
というか、そうやって口をきいてくれなければこの忙しい時期に二部屋も確保はしてくれないだろうし、今回ばかりは自分がこの家に生を受けたということに感謝をするべきなのかもしれない。まぁ、こんなときでもなければ生まれを生かすことなんてできるはずがないんだから、少しくらいは利用してもいいのかもしれないが。考えようによっては幸運も才能であり、生まれも才能なのかもしれない。だったら使ってもいいじゃん! 利用したって、別にいいだろ! 別に誰に迷惑をかけるわけでもあるまいし。
しかしよく考えれば、もっと普通の家に生まれていたとすれば、もっと普通に波乱も何もない平穏な人生を送ってきていたのだろうし、そちらの方が楽だったのかもしれない。もちろん三木の家に生まれたからこそ出会えた人もいるし、三木の家に生まれなければ出来なかったこともあるには違いない。でもそれよりも、三木の家に生まれたからこそ背負いこんだ問題とか、因縁とか、面倒事の方がはるかに多いわけで、こうやってたまに便利にその名前を利用するくらいじゃないと割に合わないというか、あからさまに損をしている気すらしてくるのだ。
「それではさっそくご案内いたしますので、どうぞこちらの車にお乗りになってくださいませ。七人がけですので少々手狭に感じられるかもしれませんが、10分少々ですのでご容赦いただきますようお願いいたします」
「えぇ、平気ですから気にしないでください。それよりも、あの、こちらの方は……? 迎えの車を回してくれるだけでよかったのに、わざわざ仲居さんまで連れてきてくれた、んですか……?」
「あっ、はい、彼女は、本日より三日間、皆様方のお部屋付きの世話係をさせていただきます者です。一刻も早く自分の専属の方にお目通りしておきたいと言いましたので、失礼とは思いますが連れて参りました。まだ当館に入って二ヶ月少々しか経っていませんがベテランの仲居衆にも引けを取らない仕事ぶりで、なによりも仕事熱心なところがすばらしい若手のホープでございます。今回は三木様方のお部屋係に熱烈に立候補をしましたので、異例ではありますが、先代よりの大切なお客様である三木様のお部屋係に抜擢させていただきました。何かと至らぬところもあるかと思われますが、当館の全力を挙げてフォローさせていただきますので、どうかご容赦くださいますよう伏してお願いいたします」
「そんな、気にしないでください。こっちとしては部屋を二部屋ねじ込んでくれただけでも感謝しているんです。お部屋付きが誰かなんてことで何か言ったりはしませんよ。というか、去年来たときも、隅から隅まで最高のサービスをしてくれたじゃないですか。こちらで働いている方であるということは、そういう最高のサービスをすることができる人であるってことでしょう。そうすることができるからこそ、この人をあえて抜擢したんだ。謙遜も、過ぎると相手を貶めることになりますよ」
「はい、まったくおっしゃる通りです。いやいや、三木様は、お若いのにしっかりしていらっしゃる。私などもう頭も禿げあがる年だというのに、お恥ずかしい限りです」
「それに、少しくらいドジったとしても、こんな美人の仲居さんにされるんなら、男としては悪い気はしないですよ、はは」
「本当に、三木様はお若いのに分かっていらっしゃいますなぁ。しかしご期待に添えず申し訳ありませんが、彼女はそのようにドジをすることはありません。仕事はもちろん、立ち居振る舞いも完璧です。仲居としての能力は、私も認めておりますので」
「だから先代からの上客の専属につけることもできる、ってことですか。まったく素晴らしいですね、どこでそんな完璧な仲居さんを見つけてきたんだか」
「それは、よろしければ本人からお聞きになってくださいませ。お恥ずかしながらこちらも詳しいところは把握していないのです。飛び込みで、なにも言わずに働かせてほしいとのことでしたので」
「それで、本当に何も聞かずに働かせてるんですか? それでいいんですか?」
「いえ、もちろん、ただそれだけでしたらお引き取りいただくところなのですが、当館の古くよりのお客様の縁者であるらしく、そちらの方からもご連絡をいただいてしまいまして、仕方なく、といったところです。しかし、彼女自身非常に有能ですので、働き手が増えて助かっているのは確かなのですが」
「なんか、大変そうですね、いろいろ」
「いえいえ、ご心配いただくようなことはございません。三木様がごゆるりとお過ごしいただけますよう心を尽くさせていただきますので、お気軽にお声をおかけくださいませ。それでは当館までご案内いたします。三枝くん、ご乗車のお手伝いを」
「はい、それではお荷物を後ろのトランクにどうぞ」
「まえにすわってもいいですか?」
「えぇ、皆藤様、どうぞお座りください。ですが、申し訳ありませんがシートベルトだけはお願いしますね」
「は~い」
「これは二列目に三人、三列目に二人が乗るということでいいのでしょうか」
「はい、風間様、そのようにお願いいたします。その際、私も二列目か三列目かのどちらかにお邪魔させていただいても、よろしいでしょうか?」
「三枝さんは、俺と三列目に座ってください。ちょっと聞きたいことがあるんで」
「よ、よろしい、のですか……? お隣に失礼して…、よろしいのですか……?」
「? は、はい。少し聞きたいことがあるんで、よかったらお願いします」
「それでしたら、はしたないですが、お隣に失礼させていただきます。本来なら、控えている存在であるべきではありますが、ですがお誘いくださるならば……」
三枝さんは、どうしてかそんなことを言ってもじもじしているのだった。でもまぁ、別に俺の隣に座ることに対して否定的っていうわけじゃなさそうだし、気にしなくてもいいのかもしれない。…、たぶん恥ずかしがり屋なんだろう、うん。
「じゃあ、あたしたちが三人で二列目に座ればいいのかな?」
『幸久くん、聞きたいことってなに?』
「べ、別に大したことじゃないって。メイもほれ、二列目に座った座った」
『あやしい』
「怪しくはない、まったく怪しくなんてない」
『二回言った。怪しい』
「大事なことだから二回言ったんだよ。怪しくなんてないぜ。ほらほら、姐さんも霧子も乗った乗った」
「三木、私が目の前に座っているということを忘れるんじゃないぞ。振り向かなくても音を聴くことも気配を察知することもできるんだからな」
「姐さんは何を警戒してるの!? 何もしないよ!?」
「なに、転ばぬ先の杖、というだろう。私はただ事実を口にしただけだ」
「どうしてここでその事実を再確認するのか、ってことが知りたいんだよ。いったい、俺は何に転ぶんだい」
「それは、お前が一番知っているのではないか? 三木」
「姐さんが考えているであろうことはなんとなくわからないでもないけど、でもそれは違う。違うと思う。…、違うんじゃないかなぁ……?」
「分かっているならいいんだ。まぁ、流石のお前であっても友人の同乗している車の中でおかしなことをしようとはしないと信じているがな」
「俺は、何をすると思われてるんだ……」
しかし、姐さんにいかに疑われたとしても、俺だって徒歩で旅館まで向かうわけにはいかないわけで、この仲居さんに聞いておきたいこともあるわけだし、この車に乗り込まないわけにはいかないのである。というか、そもそも姐さんが心配しているようなことはしないわけで、心配無用の一言に尽きるのだ。いや、姐さんが何を心配してるかってことは、けっきょく俺が想像しているだけなのだから、正確に何を指しているかは分からないのだが。
でもたぶん、そんなことはしない。俺はただ少しおしゃべりさせてもらうだけでしかなく、姐さんの心配事に抵触することはないと思う。姐さんの心配事はきっと、俺がこの仲居さんにセクシャルなことをするのではないか、とかに違いないし、そんなことするはずない。確かにこの仲居さん、かなり美人でスタイルもいいかもしれないけど、でもだからって危険な行為に及ぶなんてことはないのだ。そんな理由で俺が女性に手を出す男だったら、晴子さんとか雪美さんとか弥生さんとか歌子さんとか百合先生とかに、もうすでに手を出しているに決まってる。俺は、己の欲望に簡単にすべてを委ねてしまうことができるほど勢いに充ち溢れた人間ではない。勢いなんて言うものは、俺にもっとも足りていないものの一つではないか。
「それでは、出発させていただきます」
「しゅっぱ~つ! お~!」
そして積載人数ギリギリまで乗客を乗せたミニバンは、運転席に座った支配人の合図に続いて、ちょっと厳しいッスとでも言いたげなエンジン音を響かせながらその車体を前へと進めたのだった。エンジンがかなり音を重苦しかったりするところとか、エンジンの回転音の大きさところとか、特にそのがんばりを如実に感じることができるだろう。無責任にがんばれということしかできないが、車がんばれ。
「私は、三枝弓子<さえぐさ ゆみこ>と申します。ふつつか者ですが、本日よりよろしくお願いいたします」
「は、はい、えっと…、三木幸久です」
「はい、よく存じ上げております……。こうしてお姿を直接拝見することができる日を、長らくお待ちしておりました……」
「…、三枝さん、俺のこと、知ってるんですか? その、今いったこと、そんな風に聞こえたんですけど……」
「はい、よく、存じ上げております……。あぁ…、三木様、お会い、したかった……」
「ぬぁ!? 三枝さん!?」
「えっ……?」
「三木! 貴様! 何をした!」
「姐さん、察知するの早いよ!?」
どうしてか、三枝さんは、ぽろぽろと涙をこぼしていた。まだ、ただ名前を教えあっただけだというのに、不意にこぼれた感情の雫はとめどなく、頬に描かれた一筋の軌跡をなぞり続ける。どこのポイントで感情が高ぶってしまったのか、俺には把握することができなかったので、ろくにフォローを入れることもままならない。
「三木! どうしてこんな、一言二言交わしただけで女性に涙を流させているんだ! なんでそんなことにばかり才能を発揮するんだ!!」
「そんな才能いらないよ!? 女を泣かす才能があるなんて、そんなの人間のゴミだろ!?」
「ぁ…、も、申し訳、ございません……! あの、目に、ゴミが入ってしまって! すぐに流れてしまうと思いますので……!」
「へ? …、あぁ、目にゴミがね! そりゃ涙も流れるわな! 姐さん、目にゴミ入っちゃったんだって!」
「そうか、それならばお前が悪いというわけではないようだな。早とちりをした、済まない」
「でも、そういうことなら大変だ。姐さん、目薬持ってる? さしてあげたら早く流れるだろ」
「目薬か…、私は持っていないが、持田は持っているか?」
『持ってる。ちょっと待って』
「な、泣かないでください、三枝さん。よく分からないけど、泣かないで」
「す、すみません…、申し訳ございません……」
三枝さんが突然泣き出してしまったことについては、とりあえず目にゴミが入ってしまったということらしいが、本当にそうなのだろうか。なんか、涙をこぼしているときも痛がっている感じはしなかったし、もしかして何かあるのか? でも俺、この人に会ったことないし、俺に関連する何かが原因ってことは、さすがにないと思うんだけど……。
現に、この人がどうして泣いてしまったのか、まったく心当たりがない。ん~、やっぱり何かあると思ったのは俺の勘違いで、目にゴミが入っちゃったのかなぁ……。そう考えるのが、やっぱり一番しっくりくるんだよなぁ……。
どうやら、俺が彼女に聞かなくてはいけないことが、もう一つ増えてしまったらしい。




