95.朝飯前
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「貴様あああぁああ!」
この声よりもさっきまで響いていた音の方がうるさかった、なんて信じられないが……あの真っ赤になった顔を見る限り嘘ではないようだ。
朝から酒を飲んでいたのでなければ、怒りだけで肌を染めているのだろう。今なら卵だって美味しく焼き上がりそうだ。
後ろに続く何十人も同じであったが、その表情は既に白から青へと変化している。それは、あの爆音がエルドの仕業と気付いたからか、それとも倒れている仲間の惨状に対してなのか。
無理もない。これでは戦意を失う方が正常だ。相手は教会の幹部で、待ち伏せしていたほとんどは泡を吹いて倒れている。次は自分がこうなるのだと、数秒後の己を案じて後ずさりするどころか、既に逃げ出している者すら見える。
「なにしやがったてめぇ!」
そんな中でも声を張り上げ、怒鳴りつけるダガンは勇敢であるのか無謀なのか。単に感情に支配され、現状を理解できていないだけかもしれない。
数で押せば何とかなると思っているのか。まだ自分の力を過信しているのか。
冷静に分析しようとしても、威圧感も声も凄まじく。エルドの陰に隠れてしまうのは仕方のないこと。
「なにも? ただお前の仲間が勝手に暴れただけだ。二日酔いは覚めたか? それとも、もう一回目覚ましが必要か?」
「うるせえ! 屁理屈言いやがって……!」
聞こえた悲鳴はダガンの罵声によって掻き消される。本当にものすっげぇ爆音だったのだろう。既に耳を押さえている者の姿が見えるが、ダガンにはエルドの姿しか見えていない様子。正確には、エルドとその後ろにいるディアンだ。
「そいつは俺たちの獲物だ! さっさと寄越しやがれ!」
「……まぁ、予想はしていたが」
こうも予想通りだと溜め息すら出ないと、呟く声に力はない。面倒であると隠しもしない態度に、巨漢はますます怒り狂うばかり。
今あんなのに捕まれば、本当にひとたまりもない。掴まれただけで腕が折れてしまうだろう。
「既に教会が保護している以上、どのギルドに対しても報奨金は支払われない。貴ギルドが行おうとしているのは単なる暴行だ」
「そんなもん、中央ギルドが把握する前に報告すりゃ関係ねぇ!」
そんなわけあるかと、突っ込みたいのは聞き耳を立てている誰かか、それともエルド自身か。
教会が確保している時点で中央ギルドも把握している、と考えるのが普通だし、本当に指名手配者を捕まえた場合はそう手続きが行われる。
だから、本来ならこうして拘束もされず、普通に歩いている時点でおかしいと思うべきだが……目先の金にくらんだか、怒りで我を忘れたか、知らないだけなのか。
教会との決まりは等級の低いギルドだって把握しているものなのに、本当に知らないとなれば本当によくA級まで昇りつめられたものだ。
その評価自体が不正である可能性もあるが、それを暴くのはエルドたちの役目ではない。
もし少しでも知っていれば、この話もここで終わったのだろうか。知っていて当たり前の、知ろうとすればいつだって知れたはずの。
姿も形もあまりに似つかず。だが、それは……それは、己の妹と、同じで。
「現在ギルドが発令している手配書について、教会は正式ではないと認識している」
沈みかけた思考を、エルドの低い声が引き戻す。この場においての自分の役割を思い出し、叱咤した脳に染み込む声色は耳慣れない響き。
「故に、現在彼を連行する正当な理由はない。そのうえで『中立者』である俺の同行者に危害をくわえるということは、すなわち『中立者』自身への暴行と同義。つまり、お前たちギルドが今からしようとしていることは女王陛下、ならび精霊への不敬である」
淡々と述べられるそれは、普段の口調よりも少し固く。だが、本来のものより崩しているのは彼らに合わせてのこと。
裏を返せば、自分たちはこれだけ分かりやすく伝えている……ということだ。
誤解される余地も含めず、事実だけを。彼らがしっかりと理解し、そのうえで返答できるように。
「その覚悟があっての――」
「ごちゃごちゃうるせぇ!」
そんな気遣いもダガンには不要だったようだ。
地面が割れる。否、割れると思うほどに荒々しく叩きつけられたのは、棘の生えた鉄球だった。大きさは男の顔の三倍はある。手に持っている柄との対比が激しく、まるで玩具のよう。むしろあんな鎖一本でよく繋がっていられると、そう考えるのは現実逃避の一種なのか。
拳だけでも脅威。それがあんな武器と組み合わせられれば骨折どころの話ではない。そこいらの魔物など一発で肉片になってしまう。人間相手なんて考えたくもない。
「『中立者』だかなんだか知ったこっちゃねぇんだよ! 誰であろうと俺に! この無敵のダガン様に! 逆らう奴はゆるさねぇ!」
「……とれたな?」
その無敵伝説も昨晩で敗れているのだが、と突っ込む無粋な真似はせず。ただ、問われたままに頷く動きは迷うことなく。
「俺様をコケにしやがったこと後悔させてやる!」
号令がかかり、ディアンの身体が強張ってもエルドは構えず。そもそも、目の前にいる誰も踏み出さず。
顔を見合わせ、戸惑い、なんなら逃げ腰だ。ダガンとの顔の対比が露わすぎて可笑しさすら感じ始めてくる。
「おい、どうした! 相手は一人だろうが!」
「あ、あにき……さすがにこれは……」
詰め寄られた一人がいよいよ声を出すが、震えているのはダガンの怒りに触れることか、それとも教会に楯突くことか。今は前者が強いと見えるが、後者に関してはすでに手遅れ。
止まらないと理解し、その結果どうなるのか分かっていても意見を述べるのだって恐怖心からくるものだ。
案の定、振りかざした拳に殴られた身体は人形のように吹っ飛び、巻き添えを食らった何人かと共に地に伏せるのを憐れむこともなく。
「うるせぇ! 俺の命令がきけねぇ奴は全員ぶち殺す!」
次はコイツでだ、と振り回す鉄球は今にも振り下ろされそうだ。
逃げても死、立ち向かっても死。選択を迫られた際、人は自身に差し迫っている方を取る。
「う、うわああああああ!」
今すぐ殴りかかってくるだろうダガンと、最悪でも命は取らないだろうエルド。天秤は傾き、一人の雄叫びと共に見えぬ防壁は決壊した。
その様はまるで先頭に追従する牛のように、止められぬ本能のまま突き進むは川ではなくエルドの元。
さすがにこの勢いを止めるのは困難ではと、迫る波に思わず後ずさりそうになり、エルドから離れてはいけないと己を叱咤する。
浮かべた笑みは想定通りの動きに対してか。それとも、言いつけを守るディアンに対してだったのか。
答えよりも先に手が前に差し出される。一瞬で構築された障壁は正面にひとつ。そして、彼らの背後に、もうひとつ。
障壁の二重展開だって簡単にできていいものではないはずだが、まるで自分の手足のように操るのはさすがとしか言いようがない。
前後から挟まれ、二つの壁に角ができて互いがくっつけば、あっという間に彼らは透明な箱の中に閉じ込められてしまった。あの中に自分がいると思うと、少しゾッとする程度には狭い。
「なんだよこれ! どうなってやがる!」
「狭い! 押すな!」
「誰だ俺のケツ触った奴は!」
阿鼻叫喚の地獄絵図が塊ごと左へずれていく。応援部隊が来るまであのまま放置するつもりらしい。
長時間、それもあれだけの規模の障壁を維持するのだって相当の魔力が必要だ。そのうえで、さらに自分たちを守るものを改めて張り直しているのだからとんでもない。
「な、な……!」
ほとんどどころか、これで手下全員は手も足も出せない状況に。残っているのは、叫んだ位置から一歩も動かず、この様子を見るしかできなかったダガン一人。
「なにしやがったてめぇ!」
「あのなぁ、この人数とまともにやり合うわけないだろうが。馬鹿正直に正面から全員突っ込ませた方が悪い」
こんな雑な作戦なのにと、煽ることも忘れない姿勢。言ってしまえば確かにそうだが、落とし穴を仕込んでいたならまだしも、二重障壁からの捕獲なんて想定できる方がおかしい。
ダガンではなく、それこそディアンだって引っかかる自信しか……否、そもそも教会相手に実力行使をしようなんて発想は浮かばないので、こんな事態になるはずもないのだが。
雑に提案したのは確かにディアンだが、それはそうとして共有してくれてもよかったのではないだろうか。
「おいおい、お前もかよ」
そんな不満が顔に出ていたのか、振り返った男は呆れを隠すこともなく。
「こんなのまともにやり合えばいくら俺だってひとたまりもねぇよ。目的は戦うことじゃないんだ。不要な労力は払いたくない」
「すでに魔力の消耗は過剰に思えますが……」
「全員気絶させるのに比べりゃ誤差だろ」
エルドにとっては誤差でも、ディアンにとっては天と地の差がある。そもそもの魔力量が違うのだから比べたところでなんにもならないが、全員相手にするよりは確かにましではある……のか?
規模が違いすぎていまいち飲み込めず。そして、納得しきる前に雄叫びが鼓膜を震わせる。
もはや言葉に意味はない。怒りのまま叫び、馬鹿正直に正面から走ってくる男がやはり障壁に弾かれ止まる。
「だああああぁ! くそ! くそ! くそ!」
振り下ろされる鉄球の音は凄まじく、普通の壁ならもう壊れていた。
だが、ダガンの前に立ち塞がるのは壁は壁でも魔術で構築された壁こればかりは、術者がどれだけ凄いかは関係ない。物理攻撃を弾くだけなら、ディアンが張っていったって変わらなかった。
それがどれだけ凶悪な武器だろうと、どれだけ腕力が凄まじかろうと、どんな精霊に加護を賜っていてもだ。
魔法障壁に物理は通らない。……それこそ、ギルドに属してA級と呼ばれるほどの立場にいるなら知らないわけがないのだが。
「この卑怯者がああああ!」
「これじゃあ、まるで檻の中の獣だな」
これは煽りか本心か。まともに相手をするのも面倒だと、吐き出す息は昨日のよりもどこか重々しい。
出てきやがれ、と何度も障壁を殴る様は確かに閉じ込められた野生動物そのものだ。牛……猿……いや、見た目だけならもう魔物と相違ない。
「いや、この場合は俺らが檻の中か?」
「……それこそ些細な問題では?」
どっちでも変わらないと声を返せば、それもそうかと示す同意はいつもの通り。普段通りの会話に見えても、すぐ目の前はやかましさを増すばかり。
「この、野郎……! い、つまでも、もつと思ってんじゃ、ねえぞ……!」
何度も叩きつけられた壁に、当たり前だが傷一つなく。散々暴れた男はもうすでに疲れ気味。薄い膜の向こうで睨まれても、それがエルドに刺さるわけもない。
「たしかに、いくら俺でもこれをずっとってのは無理だ。お前が諦めるか俺の魔力が尽きるかの根比べになっちまうが……」
それこそ気の遠くなる話だ。十数分程度で終わらないし、下手をすれば数時間……いや、一日と言われても疑えない。
最初から勝敗は見えている。あとは、この男がどこで諦めるかだ。そして、それは間違いなく今ではない。
「まぁ安心しろ。あと少しで全て終わる」
「あぁ!? なに言っ――」
声が消える。それは障壁に防音の効果が乗ったのではなく、単純に掻き消されたからだ。
踏みしめる足音が奏でる大地の脈動。その鼓動の大きさに動揺し、音の出所を探る。
――そこには、波が押し寄せていた。
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