91.英雄の恩恵
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「それ以前の問題だな」
軽い溜め息。呆れるような口調。どちらもディアンの強張りをほどくもので、しかし優しさも暖かさも感じられない。
反応は感情に比例せず、思わず声を出しても対応は変わらず。
「まぁ確かに、王都じゃ比較的親しみがあるかもしれんが……それは実際に目にして会話をしているからであって、普通は関わりなんてないもんだ」
「そ、それはわかってます」
王都でも。それこそ同じギルドであっても、実際に関わりがあるのはそのうちの一部だけ。姿こそ見かけても会話することなんてほとんどない者ばかりだ。
普段父がどのように過ごしているか、ディアンには想像できない。
それでも民はヴァンを讃え、感謝している。それこそ、一度も会っていない者でさえ。
条件はここと同じはずだ。全てが、と言うつもりはなくても……だが、ほとんど変わりないはずで。
「それは間接的にでも恩恵を得られているからだろう。実際にヴァンがなにかしたわけでなくても、その地位と名声は十分牽制になる。なにか悪いことが起きても、英雄様がいれば大丈夫だってな。実際、お前もそう言われてるのを聞いてきたんだろう」
否定はしない。事実、その通りだからだ。
通学路。学園内。教会。王城。立ち寄った数少ないどの場所でも、その名声が途切れることはなかった。
さすがはヴァンギルド長。我々の英雄。彼さえいれば安泰。どんな魔物が来ようとも守られる。
――それにくらべて、彼の息子は、
「国民にとって地位を持った人間の評価は、自分たちの生活にどう関係しているかだ。噂による先入観もあるだろうが、大した差はない」
落ちかけ、引き戻され。しかし、納得はいかず。
「で、でも。彼はかつて、魔物たちからこの世界を救って、」
「そりゃあ何年前の話だ?」
「何年って、まだ二十年前の……」
「二十年も前の話だろう。当時の子どもが大人になり、その大人が子をもうけるには十分過ぎる期間だ」
……否定は、できない。
歴史からすれば、二十年など一行にも満たない一瞬。だが、今を生きる自分たちにとってはその通りの期間が過ぎている。
まだ当時を知る者は生きている。その記憶だって薄れていない。だが……ディアン自身、それを実際に目にしたことは、ない。
当然だ。二十年前なんて生まれてすらいないのだから。
「確かに、凄まじい戦いだった。戦争と称されても過言ではない。多くの犠牲が出たし、復興だって簡単にはいかなかった。だが、当時を知らない人間まで崇めさせろってのは無理な話だ」
実際に目にしていないことを信じるのは難しいし、それらを知る手段は人々の口でしかない。当時を知らない者たちにとっては、それはおとぎ話と同じこと。
昔はこうだった。では、今は? かつてそれだけ凄かったが、それで?
「彼らはこの世界を救い、何人もの人々の命を繋いだ。その偉業は語り継がれ、やがて伝説にもなるだろう。……だが、過去の成果だけでは全てを賄うことはできない。実際、この町がこんな状況になっているのは、ギルドを統括しきれていない長のせいとも言える」
「いくらなんでも、こんな辺境までは……! だから支部が存在して、各地の状況を報告させているのではありませんか!」
国内全ての報告は王都の中央ギルドに上がるが、だからといって制限なく請け負えばそれこそ組織として機能しなくなる。
だから国内にいくつか拠点が存在し、それぞれの長が存在する。
彼らからの報告を集約し、より緊急性の高い物を振り分け、報告し、国民の生活を守る。それがギルドの役割であり、義務だ。
何百とあるパーティ、何千人もの登録者。いくらその頂点に立つと言っても全てを把握するなど不可能。それを可能にするための仕組み。
国と一緒だ。王が末端まで把握することなどない。だからこそ臣下がいて、領主が存在し、兵がいる。規模こそ違っていても、その仕組みは同じ。
だから、だから、
「機能してないなら、ないも同じだ」
――だからこそ、それに否定することこそできない。
「もちろん、ダガンがこの地に来なければ。そうしてここまで被害を拡大させることがなければ、なんの問題もなかったはずだ。しかし、ここまで極端でなくとも同様の例は各地で存在してる」
「……そんな、こと、」
「表向きは機能していても、そういうのは巧妙に隠されている。依頼金を中抜きしたり、ギルドの地位を振りかざして多少羽目を外したり。もちろんそういう奴らばっかりじゃあないが、遠方に行けばいくほど目は届かなくなり、正直者が泣きを見る状況ではある」
形だけの否定など、被せられればすぐに消える。王都しか知らぬディアンと、各地を旅してきたエルド。どちらが真実か考えるまでもない。
「全てを把握し、掌握することは不可能。だが、組織として立ち上げている限り、統括する義務は生じる。その為の地位であり権力でもある。声をあげても対処されない不満が一番上に向けられるのはごく自然なことだ」
わかるだろうと、エルドは問う。その視線で。その声で。わかるはずだと、答えを示している。
そう、ディアンはわかっている。答えなら先ほど自分で提示した。
規模は違えど、それは国と同じ。国民の不満が王へ向けられるのであれば、その対象が組織の長に向けられることだって。
「一つ一つは小さくとも、多くなれば総意にも聞こえる。王都でもお前が聞かなかっただけで、不満を抱く者は多少なりともいただろう。そもそも、あの精霊王だって嫌ってる奴がいるのに、全ての人間から讃えられるなんて無理な話だ」
精霊でさえ不可能であることを、たかが人間が叶えられるはずがない。
理屈ではわかる。理解もできる。一つ一つ潰して、そうだと言い聞かせることだって。
それなのに納得できない。分かっているのに。それが正しいのだと、知っているはずなのに。
「で、も、」
ディアンにとって厳しい父ではあったが、誰もが彼を讃えていた。だからこそ、その息子である自分にどれだけ期待が寄せられ、そして、あれだけの目を向けられたか。
それは誰もが英雄を、そして次の世代を望んでいたからだ。彼と同じ……否、彼以上の実力を持った、次の強者を。
国の為に、世界のために。そして、自分たちの平穏のために。
「今は、手が回らないだけかも、しれません。なにか他に問題があって、だから、」
だからこそディアンは強いられた。落ちこぼれと嗤われながら、加護無しだと指を指されながら。
過剰な訓練に耐え、努力を惜しまず、挫けることなく。そう望まれたから。そう期待されたから。
全ては、誰もが認める父に認められるために。
「それが終われば。その対応さえ終われば、きっと――」
「――ずいぶん庇うな?」
風が吹く。否、それはディアンの喉から搾られたものだ。
呼吸が止まり、言葉は歪に終わる。紫は揺らぎ、強張り、落ちて。噴き出した汗が服に吸われ、肌を冷やす。
「ただのお坊ちゃんが、かの英雄殿に、特別な恩でも?」
その声は同じだった。糧とする食料、それを狩ることの抵抗に対する疑問と同じ。だが、否定できない。されど、肯定もできない。
育ててもらった恩はある。ここまでディアンを育て、鍛えたのは紛れもなくあの父だ。それでも感謝はできない。できるほど、ディアンの精神は成熟していない。
ここまで育ったのが父のおかげなら、こうなってしまったのも……同じく、父のせい。
切り離して考えることはできない。
怒りと、恨みと、形容しがたいなにかが渦巻き、肯定できない理由がそもそもズレていることにすら気付かず。
「そ、んな、こと、」
「……まぁ、少なくとも無関係じゃないか。あんなことされたぐらいだしな」
落ちた視線に入り込む石。たちまち映り込むのは、ギルドから発令された手配書だろう。
詳細は頭に入らず、真っ先に飛び込む人相に眉を寄せる。当然ながらそっくりだ。髪や目を変えた程度では、誤魔化しきれない。
フードが役に立つのは、顔が割れるまでのこと。こうして発令された後では、顔を隠すのはむしろ疑われる要因になる。
「……巻き込んでしまって、すみません」
「今さらだろ? ここまでするとは思ってなかったが、手配されることに関しては概ね想定内だ」
気にするなとかける声は柔らかく、されど胸の内は軽くならず。重く沈んだそれをすくい上げる手は、差し伸べられず。
「そろそろ寝ろ。明日は朝から面倒事が待っているからな」
「えっ……」
「色々あって忘れたか? 腐っててもA級なら、あいつらも知ってるだろ」
思わず声をあげれば、やっぱり忘れていたかと唇が歪む。
そう、経緯はともかくダガンたちも上位に属しているなら、既にこの情報は知っているだろう。
おまけに顔も見られている。教会を直接襲う愚か者ではないにしても、一歩ここから出れば数で押し寄せてくる。
エルドが負けるとは思わないが、面倒事には変わりない。ギルドに駐在している人間が買収されているなら、もう情報が流されている可能性だって。
捕まらなくても所在が割れてしまうのはあまりに痛く、握り締めた指はそっと解かれる。
「さっきの今じゃ、まだそこまで知られてないはずだ。連絡が行く前に応援が到着する方が早いし、そうすりゃなんとかなる」
「……籠城、しますか?」
「それも一つの手だが、時間が経つほどに動きにくくなるしな。明日の状況に合わせて動く」
悪いようにはしないからと、肩を寄せる手は完全に寝かしつける動きだ。今考えたって仕方ないのだからと、閉ざした口はもう答えてくれそうにはない。
大人しく目を閉じ、されど思考は勝手に回る。
この場をうまく切り抜けても、山を下りれば指名手配中だ。今までが順調すぎたといえばそうだが、これからは行く先々で危険に晒されてしまうだろう。
エルドの任務に支障が出て、彼の迷惑になってしまう。彼は気にするなと言っているが、それが建前でも本心でも、ディアンの現状が妨害していることは変わらず。
明日教会から応援が来ても、それでダガンが諦めるとも思えない。
それこそ襲われれば捕まえることは容易いだろうが、根本は解決されない。
それこそ、指名書を撤回されない限りは――。
「……あ、」
思いつき、目を開き、もう一度考える。
可能性としては十分に有りだ。だが、実行できるとは思えない。
「なんだ、まだ話し足りないか?」
「いえ、あの……」
口にするにはあまりに稚拙で、粗がありすぎる。説得するだけの価値もなく、意味も見いだせない。
実行せずとも、エルドがディアンを見捨てれば払う必要のない労力。成功したところでエルドに利益はなく、必要性だって。
「な、なんでもありません。どうでも……いいことで……」
「……ディアン」
小さな溜め息は、まだ休もうとしない子どもに対する呆れでも、まだ休めないことに対する不満でもなく。おず、と見上げた薄紫に滲むのは柔らかな光。
「どうでもいいかどうかは、俺が判断する」
だから言ってみろと、促す声も柔らかく、優しく。
甘やかされていると自覚し、恥ずかしさよりも勝るのは胸の奥をくすぶる熱。
本当に言っていいのかという葛藤と、受け入れてくれるという確信と。混ざり合ったそれは口の中にわだかまり、そして、
「……いっそ、僕たちから仕掛けませんか」
「……は?」
ようやく音となったそれに返されたのは、当然とも言える疑問の声だった。
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