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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第三章 一週間

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83.巡礼の地 エヴァドマ

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 扉の先は、どうやら書庫だったようだ。

 壁際に置かれた本棚。ガラスで保護されたいくつかのテーブルに載っているのは装飾品の類だ。

 タペストリーに、広げたまま置かれた本。他にも見慣れない布や塗料らしきものも。

 書庫というよりは資料室。そして、ディアンが通い詰めていたあの部屋に比べると小さく狭い空間。

 中央教会の規模が大きすぎることは、これまでの旅から理解していること。

 一番近くにあった椅子へ誘導し、女性が腰掛けるまで繋いでいた手はそのまま。改めて周囲を確かめても、薄暗い部屋に懐かしい思い出は重ならない。


「そこの机に石版があるでしょう?」


 指先が示し、ゼニスがその場所まで歩く。呼ぶように声を出さぬまま吠えられ、素直に近づいたそこには確かに一枚の石版が収まっていた。

 綴られているのは古代語。それも、相当初期の頃に使われていたものだ。

 欠けやヒビも多く、まともに読める部分はほとんどない。そもそも癖が強すぎて、辞書があったとしても相当難しい。


「もう今は誰も読めなくてね。私が若い頃は町の入り口に飾ってあったのだけど、これ以上損傷しないようにここへ運ばれたのよ」


 共に飾られていた紙にも、同様の経緯がかかれている。だが、肝心の内容に関して一切の記述はない。


「あの御方の話では、ここが精霊に認められた地であることが書かれているそうよ」

「……認められた地?」


 次から次へと聞き慣れない言葉ばかりだ。これでも精霊についての知識は有しているつもりだったが、いかに己惚れていたかが分かる。


「昔、精霊界は天上にあると考えられていたのは知っているかしら? 昔の人々は精霊にお会いしたい時、その国にある最も高い山に登っていたの」


 質問に頷き同意を示せば、すぐに返された説明に一つ納得する。

 エヴドマ……当時はエヴァドマと呼ばれているこの地は、確かに王国一の標高だ。

 他国に比べればそう高い方ではないが、ここに来るまででも一苦労。精霊へお伺いするにふさわしい道のりと言える。

 ちなみに、世界で一番高い山は聖国にあり、その山頂に女王陛下が住まわれる神殿がある。現在でも最も精霊に近い場所といえるだろう。


「今でこそ精霊様との婚姻は聖国で挙げる決まりだけれど、昔は精霊の花嫁になる方はそれぞれ選ばれた場所で嫁ぐようになっていたのよ」

「……では、昔はここに精霊が?」

「えぇ。そうして迎えに来られた精霊様に連れられていったと、それもあの御方が教えてくださったのよ」


 語り繋いだ部分もあるだろう。だが、人の口だけでは限界がある。やがて省略され、忘れられ、そうして無いものとされてしまう。

 どこまでがエルドによる補足か。……それこそ、図ることはできない。


「あのタペストリーはね、その頃のことを語り継いでいるものなのよ」


 指はテーブルから壁に。いくつも展示されたそれらは、言われて見れば確かに物語のようになっている。

 光らしき黄色。黒に縁取られた白と、祝福するかのように周囲に散りばめられた花々。

 精霊らしき影と並ぶ姿や、山そのものを彩ったもの。その種類は多く、それぞれに意味があるのだろう。

 一つ一つ確かめていくその流れで、ふと一枚の布が目に入る。それも同じく、精霊に関して描写したものと思われる。

 簡素に描かれた人。左の光が精霊なら、右の集団は人々。では、真ん中で膝を折っているように見えるのは花嫁だ。

 洗礼のように見えるが、他のと雰囲気が違うのは一部に水色の文様が刻まれているからか。

 点在する数ミリにも満たない線。右側に集中しているそれは、まるで泣いているかのよう。

 喜ばしいことのはずなのに。実際、他のタペストリーは全部祝福に満ちあふれているのに……これだけはなにかが違う。


「もうここで花嫁の儀式は行われていないけど、習慣はまだ根付いているのよ」


 白い影が動き、違う壁へ誘導される。

 木製で作られた上半身しかない人形。原寸大のその頭に被せられているのは、ベールのようななにか。

 ガラスに阻まれているので触れて確かめることはできないが、向こうは透けて見えないし、生地は厚そうだ。

 下地は白。縫い込まれているのは黒が多いが、その複雑な模様は隙間無く。所々に混ぜられた赤や黄色の明るい色は、なにかをモチーフにしているのだろう。

 なにを意味するのかはわからなくても、これが特別なもので……作るのに膨大な時間がかかるのは確か。


「今でこそ人は減ってしまったけど、ここで花嫁の儀式をしたというのにあやかって若い夫婦がよくこの町に来ていたわ。そして、実際に儀式を行われていた場で愛を誓うの。この町でも、結婚するときはそうしているのよ」

「……では、これはその時に?」

「えぇ。この町の習慣でね、母親が実の娘に受け継ぐものなの」


 飾られているのは模型か、それとも譲る相手がいなかったのか。

 一針一針、丁寧に糸を通して作られる花嫁衣装。これを被って式挙げる姿は、とても美しい光景なのだろう。


「私は娘がいないから、渡すのは息子の結婚相手になるわ。ふふ……でも、こんなお婆ちゃんのお下がりなんて嫌がられるかもしれないわね」

「……いえ、きっと喜んでもらえると思います。あなたもそうして受け取ったのでしょう?」

「あら……?」


 余計なことを言ったかと振り向けば、気を害した様子はなく。ただ、言ったかしらと首をかしげているだけ。


「先ほど、下に戻ってないと仰ってたので……もしかしたら、他から嫁いでこられたのかと」

「まぁ……! ええ、そう、そうなの。私も、あの人のお母様からベールを受け取ったのよ」


 両手を合わせて微笑む姿は、まるで少女のようだ。うふふと笑う声は、この空間ではよく響く。


「もう何十年前のことかしら……当時私は王都に住んでいて、昔はギルドなんてなかったから、あの人はそこまで出稼ぎに来ていたの」


 懐かしいわと、思い出しているだろう光景は今とどれだけ変わっているのだろう。ギルドができたのはヴァンが英雄と呼ばれて暫く経ってからのことだ。

 今はギルドがあるのが当たり前なので、むしろない方が想像がつかない。おそらく、あの老人も昔は冒険者として王都に来ていたはず。


「二度目の洗礼を終えた頃に出会ってね、すぐに恋に落ちたの。ふふ……あの頃は本当に若かったわ。駆け落ち同然でここまで来たのよ」

「それはまた……ロマンチックですね」


 両親に反対されたのだろう。無理もない。当時、エヴドマの状況はもっと悪かっただろうし、魔物だって活発だったはず。

 そんな場所へ娘を嫁がせるのは、親としては複雑だっただろう。

 説得しても納得してもらえず、最終手段に踏ん切った結果は、今もあの店に息づいているのだろう。


「王都からこの町まで、かつて精霊の花嫁が旅をしたのと同じ道を歩む。それぞれの教会を回って、最後はこの町の広場で式を挙げる。それが巡礼の手順なの」

「終着点……だから巡礼の地と呼ばれていたんですね」


 授業では聞いたことのない話だ。グラナート司祭からも、この辺りの話題は聞いたことがない。

 精霊の名前や種類に関しては覚えきれないほど教えてもらったが……土地のことに関しては、まだこんなにも覚えることがある。

 精霊名簿士の試験では出ないとしても、興味深い話には変わりない。今は廃れて、誰も辿っていないとしてもだ。


「でも、今ほど道は整備されていなくて。山を登る途中で、私は魔物に襲われてしまったの」

「……一週間かかる道のりだと聞きました」

「えぇ。あの人に背負われて、必死に逃げたところまでは覚えているのだけど……気付いたら迷ってしまって、元の道もわからなくなったの」


 今でこそ思い出として語れるだろうが、当時の恐怖は計り知れない。

 魔物の群れに襲われ、自分自身も怪我を負い。山で迷った者の末路なんて、想像に容易く。

 旦那も当時は強い人だったのだろう。それでも、怪我人を庇いながら戦うのは限界があったはず。

 今こうして話をしているから、無事に切り抜けたことはもう分かっている。では、どうやって窮地を脱したのか。

 ……答えは、既に与えられている。


「そこを、エルド様に助けてもらったんですね」 

「――えぇ」


 目を閉じれば、その光景は鮮明に思い出せるのであろう。色褪せることのないあの瞬間。救いの光は、白ではなく薄紫によって与えられたはず。


「あの御方は一瞬で私の怪我を治してくださり、疲れ果てた夫の面倒まで見てくださったの。それどころか町まで連れて行ってくださって……あの御方がいなければ、私たちはとっくに精霊の御許に行っていたでしょう」


 何十年も前なのに、きっと今と変わらない。

 自分に対するほど砕けた調子ではないにしても気遣い、ゼニスに語りかけ、そうしてこの町まで誘導する様子まで容易に想像できる。


「ろくに御礼もできないまま、もう二度と会えないものだと……会えたとしても、もうきっと忘れているものだと……」

「……あの人も、同じことを言っていましたよ。きっと自分のことなんて覚えていないだろうと」


 当然のように呟いて、そのくせ目は少し寂しそうで。仕方ないと諦めた、あの姿を思い出す。


「あなたたちが覚えていると知って嬉しそうでした。……用事が終わって落ち着いたら、話がしたいと」

「そう……そうなのね……」


 噛み締めているのは嬉しさと悔しさか。そう、言葉だけでなく持っている全てで感謝を伝えたかったのだろう。

 彼が美味しいと言った料理を振る舞い、同時に語れなかった思いを一つ残らず。貴方のおかげで自分たちは助かり、そうして今も助けられたのだと。

 そうできない悔しさは……明日、聖国からの応援が来ても晴れることはない。

 だが、少なくとも感謝を伝えることはできる。

 エルドが戻ってくれば。あの人がその顔を覗かせれば、それだけで救われる思いもあるはずだから。


「……そろそろ戻りましょう。ここは寒いですから」

「ええ、そうね。……ああ、その前に」


 老婆の元に戻り、跪き。下から見上げた顔は、苦笑から微笑みに戻る。

 そうしてディアンを覗き込んだ彼女は、首をかしげてお願いを一つ。


「お裾分けをしてもいいかしら?」


閲覧ありがとうございます。

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