80.可能性の話
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「っ……どういう、」
怒鳴られるか、掴みかかられるか。そのどちらでもなく、強張った喉で紡ぐ声に疑問を抱けるほど余裕はない。
この考えが正しいかはわからない。ただの憶測、その領域を超えないもの。それこそ、エルドの過剰なたとえ話よりひどいかもしれない。
……それでも、今の彼らに伝える意味は、あるはず。
「確かに、彼には……あの男を追い出せるだけの権限が、あると思う。あなたたちの言う通り、なにかしらの罪を捏造して連行することも、正しくはないけど可能ではある。それこそ、不敬罪ならすぐにでも立証できるでしょう。……でも、」
今からでも彼の元に戻れば、殴りかかってくることは間違いない。その時点で教会への暴行罪でこの場から引き摺り下ろすことは可能だ。
エルドとここにいる司祭たちを合わせても全員捕まえるのは無理でも、ダガンさえ抑えてしまえば群れは意味を成さなくなる。
弱者は強者に従うもの。その強者がいなくなれば、その脅威は無に等しい。
そうしてこの町には平和が戻り、元の生活にも戻れる。めでたし、めでたし。
だが、
「可能であることと、最善であることは違う」
「……最善、って?」
「バカッ! 一番いいって意味よ……!」
意図を問うものかと思い、横から馬鹿と罵る声にそもそもの根本を問われたことを知る。
周囲の反応を見ても知らない方がおかしいと理解した男が反論することはなく。否、その矛先は反れずにディアンへ向けられたまま。
「っな、い、一番いいに決まってるだろ!? あいつらがいなくなったら店も親父たちのところに戻るし、ギルドだってちゃんと機能するようになる! 魔物はどうなるかわからないけど、今より絶対いいはずだ!」
「……確かに、あのお店は不当に奪われたものだし、彼らがいなくなればあなたのご両親の元に戻るかもしれない。ギルドも役員が買収されていたことが証明されれば、配置換えも行われるかもしれない」
「そうだ、あいつらさえいなくなったら全部――」
「その後は?」
「…………は?」
問いかけ、固まり。返事は、なく。
一拍も二拍も置いてから返ってきたのは、その質問を聞き返すと取れる発音。
「アイティトス・ダガンのメンバーが山を下ろされて、この町を出て行ったとして。その後は?」
「その後、って……だ、だから言ってるとおり、」
「僕たちもその頃には山を下りているでしょう。あなたたちはこの町に留まるんですか?」
「いや……そういう訳には……」
「なら、滞在期間は? 三日? 一週間? 一ヶ月?」
「き、決めてないけどっ……そんなの今は関係ないだろ!?」
一体なにが聞きたいのかと、噛みつかれてもディアンの表情は揺るがない。他者から見れば、それは隣で見ている薄紫と同じ。
貫く光はあまりに強く。フードの影では隠しきれないほどに、鋭く。
「あなたたちが町から去った後、罪人は裁かれる。ですが、捕らえたのは教会であっても、実際の沙汰を渡すのは国と定められている。彼らを町から追い出すだけを目的にした罪状では、大した処罰も期待できない」
それは昔からの取り決めだ。重罪であれば教会に引き渡すが、軽度のものなら各々の法律で裁くのが決まり。
全てを教会が裁けば、それもまた侵攻と捉えられる可能性もある。そもそも、滅多な事では罪にすら問わないが……それはまた違う話。
「せいぜい罰金を科せられるか、短期間の強制労働で終わる。そうして釈放された男はこう思うでしょう。……絶対に、許さないと」
教会の従事者と知ってなお、エルドを睨みつけていた巨体を思い出す。今もあの店で怒り狂っていることだろう。
自尊心が高く、恥をかかされたことを恨んでいる。更にエルドによって捕まったとなれば、仕返しを企むのは当然。
「彼らは再びここに来て、町の人たちを脅かすでしょう。自分たちを貶めた教会を破壊し、取り戻したはずの日常がまた踏みにじられる。でも、今度は治療する者も助ける者もいない。なぜなら、僕たちもあなたたちも、その時にはもういないのだから」
「そんなの、確実に来るなんて保証はどこにも……!」
「来ないと断言できる要素だってないのでは?」
反論は閉ざされる。極端な予想だ。本当にこの町に来るなんて断言するには幼稚すぎる考え。
だが、否定しきれる材料はない。そうならないと言えるだけのなにかは、存在しないのだ。
「報復が目的ではないとしても、彼らにとってここは長期間の占領に成功した場所だと認識されている。一度目は失敗した。だけど、次はもっとうまくやれるはず。今度こそ完璧に、この町を支配できる」
「っ……そもそも、この町に執着するとは思えない。言い方は悪いが、こんな辺境の田舎の町を支配したって、メリットはなにも……!」
「利益なら十分すぎるほどあるじゃないですか」
クライムではなく、問うたのはレプテ。されど答えは変わらない。そう、彼らが得られたものは十分過ぎるほど。
「一人当たり二千ゴールドの収益と、町民を脅し取った物資。コソコソと隠れ回る必要もなく堂々と略奪できる環境。だまし取った店を拠点とし、おまけにギルドから与えられる魔物討伐の報奨金。それと、魔物に襲われた旅行者の荷物だって」
思いつくだけでもこんなに羅列できる。その全てがそうだとは思えないし、他にもある可能性は十分に。
それでも、利益があるからこそ彼らはここに留まり、居座り続けている。
「あの男自身が考える必要はない。あれだけ部下がいれば一人や二人は知恵の働く人もいるでしょう。手口はより巧妙に隠され、不安要素は全て排除される。それこそ……この程度の怪我では済まなくなるかもしれない」
重傷者で埋まる光景が頭をよぎる。もう教会は機能せず、運良く誰かが助けに来ることだってない。
「契約した期間が終われば、ギルドの者は下りられるでしょう。……でも、ここで暮らす人たちに、この町を捨てることはできない」
ディアンは自らの意思で故郷を捨てた。もう二度と戻らないと覚悟を決め、全てを置いてここまで辿り着いた。
追い出されるのとは事情が違う。同じ諦めでも、決してそれはディアンが抱いたものと重なることはない。
「町から人がいなくなれば、それはもう町とは呼べなくなります。利益が見込めなくなれば彼らも去るでしょう。最後に残るのは荒らされた町だけ」
この場所にどれほど長い歴史があるかはわからない。だが、教本にも載らないほど昔から、この町は存在していたはずだ。
ここにしかない文化。ここにしかない歴史。繋ぎ続けてきた人々。その血。
どれだけ価値があろうと、一度失えば取り戻すことはできない。踏みにじられた誇りが元に戻ることだって。
「確かに僕らは部外者です。ここがどうなろうと実害はない。だから簡単に見捨てられると、そう考え怒りを抱くのは当然。……でも、それはあなたも同じです」
「一緒にするな! ここは俺の――!」
「数日すればまた離れる自分の故郷、でしたね」
被せた言葉は、そう大きくはない。だが、明らかに強く、それは否定を許さないもの。
「彼らを追い出すようエルドに頼み、目先の問題がなくなったのに満足し、自分たちは山を下りる。……この町がその後どうなるか確かめることもなく」
「それ、は、」
「怒りにまかせて行動し、目先の問題ばかりを片付け、この地を離れる。……あなたの大切な場所がこんな目に遭っていることには心中お察しします。ですが、あなたが求め、しようとしていることも、僕たちと変わらないのではないですか」
ここに来たからこそ、こうなっていることを知った。ここに帰ってきたからこそ、故郷が失われそうになっていることに気付いた。
そこに思い入れの違いはある。全てが同じとは言えない。
それでも、事実だけを並べるなら。最悪も迎えるリスクを考えれば……することは、変わらない。
確かに住民たちは助かる。だが、もっと苦しめられるようになるかもしれない。追い詰められ、限界を迎え、その時にまた誰かが都合良く現れるなんて。
……それこそ、可能性の話。
「――ですが、今言った全ては、とにかくあの男を追い出すことだけを前提として動いた場合です」
「え?」
「僕はギルドに所属していませんし、教会に従事しているわけでもありません。法に詳しいわけでもないので、あの男に課せられる罪がどれだけ多いかだって」
中には立証が難しいのもある。あの男ではなく、子分にやらせているものを含めればもっとだ。
そこまで頭がキレるようには見えないが、計算の上か、単に役割を与えた結果か。それこそ確かめる気はなく、ただ言葉を紡ぐだけ。
「ですが、悪質で被害も大きいし、やっていることさえ証明できれば相応の厳罰が下されるはずです。そのためにも、他者を納得させるだけの証拠が必要なんです。その場凌ぎではない、確固たる罪の証が。……それが、結果的にあなたの故郷を守ることにも、なる。……はず、です」
最後は、少し弱く。それでも言い終えた背中に滲む汗は緊張か。
偉そうなことをと、投げつけられるはずだった罵声はいつまでも訪れず。与えられたのは、歯を食いしばり俯く顔で。
「……そんなの待っていたら、それこそあいつらが……っ……」
納得しようと、しているのだろう。彼なりに折り合いを付け、それでも込み上げる怒りをなんとか抑えようとしている。
理解しようと呑み込んで、それでも納めきれない感情は、その腹を食い破ろうとしている。
「……実力行使では、あの男たちと同じ。そして、ただの力比べではこちらが不利です。だけど、彼らと違い僕らには決定的な違いがある」
「……違い?」
ここまで話すのは、彼の意思には反しているかもしれない。だけど、きっとそれも含めて大丈夫だと伝えてくれた。
だから、迷いは一瞬だけ。紡ぐ唇は、躊躇うことはない。
「この事実を、教会が知っているということ。そして、ただ追い出すだけが教会ができる援助ではない」
見上げ、瞬き、薄紫が絡む。ただ静かにディアンを見守っていた瞳は、変わらず、そこに。
「……そうでしょう? エルド」
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