73.最強の男ダガン
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「誰だてめぇ」
ギロリと、鋭い眼光がエルドを貫く。一般人であればこれだけでも怯えてしまうだろう。
エルドもそれなりに長身だが、目の前の熊――失礼、巨漢はそれを遙かに超えている。
太っているように見えるが、それは元から体幹がたくましいのだろう。そこに溜め込んでいる脂肪が相まって、威圧感は凄まじい。
剥き出しになった腕は、まさしく丸太のようだ。ちょっとやそっとではビクリともしないだろう。
なるほど、確かに……これは無敵と名乗りたくなるのも頷ける。
「食事処と勘違いしただけだ、すぐに出る」
「兄貴、さっきの金はコイツらが……」
説明が終わると同時に、男の後ろについている青年が耳打ちをする。
その手に握られている袋は、先ほどエルドが渡したもの。顔にも覚えがあるので間違いない。
ああ、これは面倒になったと。顔が見えずともなにを思っているかは手に取るように分かる。
身代わりなのに巨額を渡した時点で金を持っているのは知られている。
その相手がまんまと自分の陣地に入ってきたのだ。まさしく、鳥がハーブを咥えてくる、だろう。
エヴドマ風に言うなら、山羊が火鍋に飛び込んでくるか。
いや、そうなると意味が変わってきそうだが……どちらであれ、男たちにとっては獲物に違いない。
「どこの誰かは知らんが、俺の許可なく入るとはいい度胸だな」
「……つまり、あんたがダガンか」
分かりきったことを口にするのは、現実逃避ではなく事実確認だ。
ほぼ間違いないだろうし、確かめたところでなんにもならないが、エルドはそうではないのだろう。
「おい、様を付けろ! ダガン様だ!」
噛み付いたのは周囲だが、当の本人はまぁ落ち着けと宥めている。見かけによらず常識人かと、そう判断するには甘すぎるだろう。
「悪い、こいつらは躾がなってなくてな。……だが、断りなく入ったのは事実だ。不法侵入でしょっぴかれても仕方ないなぁ?」
「看板が下ろされていなかったからな、食事処と勘違いした。……まさか、こんな風になっているとは思ってもいなかったが」
半分は本心だ。エルドにとってここが思い入れのある場所だったのは間違いない。
今、その面影は土足で踏みにじられ。今もなお、蹂躙されている。
その内では、煮えるような怒りにかられているだろう。顔に出ていなくとも、その声は固く、低く。そうだと示している。
「金はさっきので全部だ。もう渡せる物はない」
「はいそうですか、じゃあコイツらの気が済まねぇんだよおっさん。……だが、俺もそこまで悪魔じゃない」
おい、と声をかけられた男たちが動き始める。
部屋の中心に引っ張り出されたのは、二人がけのテーブルが一つだけ。椅子もなければカードの類も出されない。
「穏便に力比べで片付けようじゃねえか。俺が勝ったらアンタは迷惑料を支払い、勝ったら今回のことは全部さっぱり流してやろう。なんならさっきの依頼金も返してやっていい」
……ここまで清々しいと、怒りも湧かないものなのか。
さすがのエルドでも純粋な力比べには負けるだろう。
見ただけでも分かる。すでに太さは倍以上違うし、Aクラスこそ疑うが相手は現役のギルド員だ。
魔法こそエルドの方が上とはいえ……これは、あまりにも分が悪すぎる。
そもそも勝たせる気もないし、負けるなど毛ほども思っていないのだ。先ほど助けた青年がここにいたなら、感情のまま怒鳴り、否定し、余計に拗れていただろう。
「こっちが勝ってごねられるのは面倒なんだが」
だが、ここにいるのは喋れないディアンと、あくまでも冷静に対応するエルド。そして……それを聞いて、一拍おいてから吹き出す男たちばかり。
今日一番の大笑いだ。笑いすぎて咳き込んでいる者もいるほど。バシバシと叩かれる膝はすぐに赤くなり、鈍い痛みに苦しめられることだろう。
「ほ、本気で! 勝つつもりか!? こいつは傑作だ! とんだ馬鹿もいたもんだ!」
無敵の男に至っては、腹を抱えて大爆笑だ。その大声が鼓膜を不快に揺らし、思わず耳を塞ぎたくなるのは根性で堪えた。
「いいぜ、そこまで自信があるなら宣言してやる。その代わり、お前も宣言しろよ。呆気なく俺に負けても泣き言言わずに、持ち物全部渡すってな!」
「……ああ、構わない」
「よしいいだろう! 我ダガンは、不正なく正々堂々戦い、負けた暁には持ち物を返すとブラキオラスに誓う!」
「……我――」
宣言が途切れたのは、思いとどまったからではなく。その服を、ディアンが引っ張ったからだ。
振り向き、怪訝そうに見下ろす薄紫を、彼よりも濃い紫が見上げる。浮かぶ表情は焦りだ。
ブラキオラス。それは、豪腕を司る精霊の名だ。筋肉の中でも、特に腕に対する逸話が多い。
強い加護を賜った者なら自分の何倍もある岩を持ち上げることだって可能だ。どんな力自慢も、加護者には敵わないのだ。
そんな相手と腕相撲? ……それこそ、赤子の手を捻るようなもの。
エルドのことだ、なにか策はあるだろう。無作為に突っ込むような男ではないし、勝てない勝負に乗るほど冷静さも失ってはいないはず。
そう理解していても伸びた手は離せず、言葉を封じられた唇で紡げる音もなく。
「……っ」
分かっているのに、大丈夫だと信じているのに。言うことを聞かない指先が、そっとエルドの手に剥がされる。
『……大丈夫だ』
そのまま咎められるかと思っていたディアンにかけられた声は柔らかく、優しく。古代語だったが、その意味はディアンでも分かるもので。
「我、エルドが負けた際は、全ての要求を呑むと。……ブラキオラスに申し立てる」
するり、一瞬だけ握り替えされた手がほどけ、正面に戻ったエルドが声を張る。だが、その宣言は普段聞くものと少し違う文言だ。
「自分の精霊に誓わねえのかよ」
「相手の意見を尊重する場合は、相手を加護する精霊へと宣言するのが決まりだ。……ああ、これも今は廃れているんだったか」
うっかりうっかりと、呟きながらも荷物はディアンに渡り、身体は机の方へと向かっていく。
ごねる様子がないのは、一応宣言が交わされたと理解しているからだろう。他者から見ればなにも変わらないが、彼らだけに伝わるなにかがあったはず。
それは……ディアンがエルドと交わしたものとは、また違う感覚なのだろうが。
苦しんでいる様子も、呼吸が乱れている様子もない。ただニヤニヤと笑い、同じく机へ移動するだけ。
エルドの後ろにつくか、それとも奴らが不正をしていないか見張れる位置に立つか。悩んでいるディアンの目の前が明るくなり、眩しさに目を細める。
光が強くなったのでも、答えが出たのでもなく。
――単純に、フードを剥がされたのだ。
「おいおい、随分といい女連れてんじゃねえか!」
取られたと、そう気付くのはあまりに遅く。真後ろで叫ばれ、被り直そうと伸ばした手が押さえられる。
落としそうになった荷物を辛うじて抱え直し、腕に力を入れようとも利き手と逆では上手く入らず。藻掻いている間に、近づいたもう一人に頬を掴まれ首さえも動けなくなる。
「よく見りゃ男じゃねえか。まぁ女には変わりないだろうが」
「そいつに触るな!」
エルドの声が鋭く飛ばされるが、男たちにとっては雑音と同じ。戻ってこようとするエルドの行く手は遮られ、代わりに近づくは重すぎる足音。
酒臭さに怯めば顎下をすくわれ、有無を言わさず見上げた身体に威圧される。無意識に力んだ腕はなおも捉えられたまま。
「なかなかの上玉じゃねえか。こいつは男でもイけるな」
ニマリ、歪む顔は同じ笑顔のはずだ。だが、見下ろす瞳に込められた下劣な熱に、駆け上がるのは吐き気にも似た不快感と寒気。
男だと知ってなお、そういう対象に見ている事実を認めたくなく、首を振ろうともびくりとも動かない。
芋虫のような指が腰に触れ、小さく上がった悲鳴に息の根を呑んだのは誰だったのか。
「よし、荷物は許してやろう! かわりに、こいつをもらうぞ!」
突き飛ばされ、バランスを崩した身体は立て直す前に手下たちに掴まれる。
落ちた荷物を拾うことも、エルドの元へ駆け寄ることもできず。尻を揉まれても満足に身を捩ることもできない。
障壁を張るには遅すぎた。純粋な筋力で、ディアンが奴らに勝てる訳がない。
男の尻など揉んだところでなにも楽しくないはずなのに、本気で自分をそんな対象に見ていることへの恐怖。
「やめっ……!」
「宣言では持ち物と言っただろう。そいつは関係ない!」
「全ての欲求を飲むっていったのはお前だろうが! 宣言の撤回はなしだぜ!」
木霊する笑い声に吐き気が込み上げる。躊躇わずエルドのそばに行っていれば、こんなことにはならなかったのに。
違う、後悔している場合ではない。今は、この状況をどうするかだ。
隙を見て障壁を展開する? いや、こんなに密着された状態ではあまりにも難しい。
そもそも出入り口が塞がれている。自力ではとても突破できない。
なにより……エルドは、全ての欲求を呑むと宣言を交わした。隙を突いて逃げたところで、罰を受けるのは彼だ。
助けは求められないし、逃げてもいけない。
ああ、ちゃんとフードを守っていれば、こんなことにならなかったのに……!
「シアン」
噛み締める唇が裂ける前に、呼ばれた名に顔を上げる。
野次馬の向こう。どれだけ群がられていようと、こちらを見つめる薄紫を見失うことはなく。
静かに燃えるその光を、見間違えることは、なく。
『すぐ 戻る 大人しく 待て』
聞き漏らさないよう、一つずつ区切られる古代語に瞬きだけで返事をすれば、一瞬だけいつもの光が戻ってくる。
『……いい子』
「なにブツブツ言ってやがる。さっさと準備しろ!」
ダガンは早々にテーブルにつき、ディアンは彼らから見て横へと歩かされる。目の前で勝敗……否、エルドの敗北を見せつけたいのだろう。
悪趣味だと睨んだところで、奴らにとっては痛くもかゆくもない。
「気が強そうでますますいい! ああいう奴を屈服させるのがたまんねぇんだよ!」
渡された樽ジョッキに、なみなみと注がれたエール。一気に半分ほど減ったそれが、エルドから見て左側へ置かれる。ダガンからすれば利き手とは逆だ。
絶対に倒されないという自信があるのだろう。むしろ、ここにいる誰が、エルドに勝ち目があると思うのか。
体格の時点で差は凄まじく、腕など赤子と大人ほども違いがある。どう見たって、勝てる勝負じゃない。
「楽しみだぜ、お前の目の前であのガキの――をぶち抜くのがよぉ」
「うっ……!?」
一部の単語が聞き取れなかったのは、いきなり強風が耳元を襲ったからだ。
耳を塞ぎたいとは思ったが、こんな不意打ちで聴覚を奪われるなど予想していない。それも遠隔で、誰にも気付かれないようになんて。
予備動作が一切なかった事の方が驚きで、大男がなんと言っていたかなんて意識にも残らない。
「俺の――で、泣き喚くこいつの――を――にしちまったら、もうお前の――なんぞ、」
「無駄話には興味ない。さっさと始めるぞ」
もはや半分以上が強風に隠され、元の言葉も想像がつかない。
ただ、遮るエルドの声だけはハッキリと鼓膜に響き、それが怒りを孕んでいることも知る。
邪魔されたにも関わらず、大男は上機嫌なまま。
左手でエールを煽り、舐めるような目でディアンを眺めたあとにジョッキを置く。そのまま握られたエルドの手のなんと小さいこと。
「カウントだ!」
号令がかかれば、一番近くにいた奴が数を叫ぶ。三から始まったそれは、ディアンにとっては永遠にも思える長い時間。
エルドのことだから、大丈夫だ。大丈夫のはず。
だけど、もし負けてしまったら。なにかしら、いかさまを仕掛けられていたら。あるいは、こちらの手段がばれてしまったら。
彼一人なら誤魔化し逃げられただろう。
だが、ディアンが捕まっている以上、彼は下手に動けない。そして、エルドは……ディアンを見捨てることはない。
それは希望ではなく確信で、だからこそディアンの胸に焦りが募る。自分だけが被害に遭うなら百歩譲って堪えられる。
だが、彼らがディアンだけで満足するわけがなく。荷物だって奪われてしまうだろう。
どうすれば。だけど、どうすることも。
だって、彼は言った。大人しく待てと。自分を信じて、抵抗するなと。
だからなにもしてはいけない。動いてはいけない。
だけど、だけど……!
「――ゼロ!」
カウントが終わり、意識を引き上げる。見えるのは、固く組まれた腕の傾きだけ。
「ッ、エルド――!」
――ディアンの叫びは、鈍い音に遮られた。
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