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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第三章 一週間

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72.食事処『ブーケラ』

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『ブーケラ』とは、正しくはカールという意味だ。

 丸み、曲線、そして山羊の角。谷にある窪みも同じくブーケラと称されることがある。つまり、この店の名は地名と名産の二つをかけられたものだろう。

 象徴するように飾られているのは、その山羊の角と、彼らの毛で編まれた布らしきもの。

 タペストリーこそ普通のものだが、模様は王都では見かけない独特のデザインだ。

 鮮やかな赤と黄色に、少し濁ったように見える青はこの地方でしかとれない染色だろう。三色あれば大抵の色は出せるし、混ぜればより独特の色になっていく。

 この店では、それらを眺めて楽しみながら食事を取れるらしい。普通に営業していれば、テーブルには山羊の肉が載っていたに違いない。

 ステーキ、というよりは煮込み料理が浮かぶのは肉質が固い印象を抱いているからだろう。実際は部位によって異なるだろうし、店によって得意料理も違ってくるから一概には言えない。

 少なくとも、今ハッキリとしているのは……テーブルの上に乗っているのが料理ではなく、薄汚い酒瓶ばかりということだ。


 スイングドアをくぐるなり漂ってきた酒の匂いから嫌な予感はしていたが、いざ視認するとよりやばさが目立つ。

 わざわざ壁に注目したのは、無事だったのがそこぐらいしかなかったからだ。

 床はゴミや落ちた食べ物で汚れ、一部変色している部分も見られる。あの赤黒いのは血ではなく酒が零れたものだろう。

 その机や椅子だって同じく無事とは言えず、本来なら外の景色を楽しめる特等席は、今や壊れた家具の墓場と化している。

 大抵は脚の部分が折れているが、中にはテーブルの真ん中からパックリ割れている物も。一体どれだけ乱暴に扱えば、あんな風になるのだろうか。

 まぁ、疑問に思うまでもなく。こちらを睨んでくる者たちの姿を見ればなんとなく察しもつく。


「なんだお前、余所もんかぁ?」


 ひっく、としゃくりながら尋ねる男も、立ち上がりこちらへ向かう男も、黙って見ている奴らも、皆先ほどの男よりも随分と柄が悪い。

 ギルド員、と言われればまだ納得ができる範囲とはいえ、この惨状の中では盗賊か山賊にしか見えない。

 数はざっと数えても五十人はいるだろう。なかなかの大所帯だ。そして、おそらくは全員が同じギルドのメンバー。

 問題は、ここが本来は食事処で……ギルドの正式な拠点ではない、ということ。

 入り口からは見えない調理場はもっと悲惨なことになっているだろう。確かめる気はないし、きっとその前に追い出されるのが先。

 視線だけで周囲を観察するディアンと違い、斜め前に立っているエルドはしっかりと顔を回して確かめているようだ。


「……ああ、旅の途中でな。ここのシチューが美味いって聞いたんだが……ここは食事処じゃないのか?」


 天井から壁、地面に至るまで。ゆっくりと吟味した後に呟かれた声は、なんともないような口調に対して普段よりも低い。


「お前の目は節穴か? どこにコックとウェイトレスがいるよ、おい」


 ゲラゲラと笑う声がこだまし、不協和音に眉を寄せる。

 この様子では昼から飲んでいたに違いない。換気もされていないのか、嫌な熱気が籠もっている。入り口に近くなければ匂いだけで酔っていたかもしれない。


「ああ、老夫婦がやってるって話だったんだが」


 口を覆うのは気力で堪え、エルドの声に耳を傾ける。それなりの規模の店だが、二人きりで経営していたのか。

 こんな場所まで来る旅行者の数を考えればそれでも回るだろう。普段の利用が町民だけなら、無理な話ではない。

 だが、それも彼らがここに来る前の話。この荒らされ具合からして、食事処として機能しなくなったのはこの最近の話ではなさそうだ。


「あぁ? ……あー、そういやそうだったか?」

「もう何ヶ月も前の話だろ、覚えてねえよそんなの」


 予想が当たっても嬉しくはなく、むしろたった数ヶ月でここまで破壊できるのかと感心すら抱く。エルドの言う老夫婦の姿が見えないのがまだ救いなのか、更に最悪かはまだわからず。

 男たちはますます騒ぎ、笑い声は耳にやかましいほどに。


「ともかく、飯が食いたきゃ他に行きな! ここは俺たち、アイティトス・ダガンの拠点なんだからよぉ!」

「……なるほど」


 呟いた声は喧噪に掻き消され、ディアン以外の耳に入ることはなく。聞き覚えのある名に込み上げるのは、可笑しさよりも納得感だ。

 パズルのピースが嵌まるように繋ぎ合わされていく事実。だが、それを指摘する立場にはなく、一段と低くなる声に心臓は落ち着かなくなる。


「ダガンってのは、お前たちのリーダーか?」

「はぁ? んなことも知らねぇのか? どんな田舎から来てんだよ!」

「A級ギルド、アイティトス・ダガン! 知らない奴はいない、最強の男ダガン! ダガン様万歳!」


 食器がぶつかりあい、雄叫びもあがる。酔いが回りすぎてろくな情報も得られないが、少なくともギルド名は本気でそう思って名付けたらしい。

 最強と豪語する男がどんな風貌かはさておき、ここまで言いふらせるのなら本当にA級とは認められているのだろう。

 上から二番目。それなりに重要な任務も任せることのできる実力者ばかり。単に数をこなすだけでは登り詰められない地位……の、はずだが。

 見た目で判断してはいけないとはいえ、A級にもなればそれなりの風格が求められる。

 この付近に相応しい依頼が出されているとは思えないし、なによりここに来るまでの道中が全てを否定している。

 なにか裏があるのは明白。だが、今の目的はそれを明かすことではなく、エルドの判断に従うこと。

 ゲラゲラと笑う男たちにどう思っているのか。それを見て、なにを考えているのか。後ろ姿ではわからず、視線だけで様子をうかがう。


「……そうか」


 吐き捨てるようなそれは、やはりディアンにしか届かず。背を向けた薄紫の強さは鋭く。


「邪魔したな」

「おいおいおっさん、ちょっと待てって」


 そのままディアンの背を抱き、くぐろうとした扉が男たちによって塞がれる。

 笑いは未だ部屋を満たし、その種類が違うことに身が強張るのは無意識。


「急に俺らのテリトリーに入ってきて、勘違いでしたはいさようなら、はないだろ?」

「迷惑料を払ってもらおうか」


 ……本当に、やること全てが賊と変わりない。同じことを王都でやらかせば、途端に非難と本部からの罰則が与えられるだろう。

 だが、ここは王都ではないし、それを告げ口する者も、正式に受理できる者もいない。

 そうでなければ、こんな惨状になっているはずがないのだから。


「A級ギルドともなれば、たかが旅行者の勘違いぐらい大目に見るべきじゃないのか」

「お前らの定義なんかしらねぇよ。こっちは楽しい時間を邪魔されてんだ、出すもんさっさと出しな」


 溜め息が一つ。面倒だと隠すつもりももうないようだ。

 荷物を漁らないのは、もう偽金を全て渡しているからだろう。新たに作るには土か鉱石がなければ難しいし、精度を求めるなら時間もかかる。

 では代わりの物……では、おそらく納得しないだろう。荷を奪われ、真っ先に狙われるとすれば間違いなく教会の証明書だ。

 出せばそれこそ早く解決するが、下手に勘ぐられる可能性もある。できればエルドも出したくないのだろう。

 強行突破か。あるいは『話し合い』で解決するか。


「てめぇら邪魔だ、突っ立ってんじゃねえ!」


 と、外から聞こえてきた大声に、男たちが慌てて道を空ける。それはディアンたちではなく、扉をくぐる巨体に対しての行動。

 視界を遮る影が伸び、重さに堪えかねた床が弛む。

 首は正面から天井近くまで角度を変え、ようやく見えた顔は常人の二倍はあるだろう。いや、身体だけでいうなら間違いなく三倍だ。

 入ってきたのは熊――否、熊と見間違うほどに毛むくじゃらな、とんでもない巨体だった。

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