69.登山口
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遙か彼方に思えた入り口も、歩き続ければ必ず着くものだ。
それが二十分以上の道で、ゴールではなくあくまでも入り口であっても……到着には変わりない。
目視できる範囲で見えるのは、三叉路に分かれた道とその中央に突き刺さった看板だ。雨風に晒されたそれは随分と朽ちていたが、まだ辛うじて文字が読める程度。
西、遠回り。北、……なんとかの地、エヴドマ。
なんとかの部分は全く読めそうにない。というより、他は書き直されているから読めるのだろう。どうやら修繕するには遅すぎたようだ。
古い歴史があるようだし、二つ名ぐらい付いていてもおかしくはない。先ほどの説明からして、一週間の地……では安直か。
「エヴドマの町って、なにか二つ名があるんですか?」
こういうのは教えてもらうのが早いと問いかけても声は返ってこず、看板から上げた瞳に交差する目もない。
視線を辿れば、まだ詳細のわからない入り口に僅かな色。おそらくは人だ。町へ向かおうとする団体がいるのか、それとも冒険者か。
その紫がこんなに険しいものでなく、ゼニスに目配せもしなかったなら、ディアンだってなにも思わなかったはず。
颯爽と駆けていく白を見つめ、それからもう一度エルドへ戻る。紫は依然鋭く、肌を刺すのはその緊張からか。
「……ん、あぁ。なんだ?」
だが、ディアンが見つめていると気付いた途端、普段通りに話しかけられ、空気が戻る。
あれだけ凝視していなければ勘違いかと思ったほどに、一瞬で。
「あ、いえ……今から行く町って、二つ名があるんでしょうか」
「二つ名? あー……あるっちゃあるが……」
頭を掻き、息を吐く。その動作もおかしなところはないが、それは先ほどに比べてまだ見慣れているという意味だ。回答を濁されていることに対しては疑問が生じる。
「エヴァドマ同様、もう古い話だ。気にしなくていい」
「はぁ……?」
知ってはいる、らしい。知らないなら正直に言うだろう。
ただ、なにをそんなに隠したがっているのか。
知らない方がいい、ということでもあるのだろうが……そこまで隠されると逆に気になるというもの。
とはいえ、もっと気になるのはゼニスの行方と彼がなにを感じ取ったか。
「それより、もう少しフード深く被っとけ。それと、俺がいいと言うまで喋らないように」
「な……、……?」
なぜ、と問うのもダメだろうと。首を傾げてから、布の端を掴んで強く引っ張る。
これ以上深くというのは無理があるが、気持ち隠せているだろうか。
「上に着いたらもう少し長いのを買うか……」
「ちょっ……これ以上は無理ですって……!」
十分だと思うが、エルドはまだお気に召さない様子。
さらに布を引っ張ろうとするのを止め、小声で抗議しても不満顔。眉を寄せられても、困っているのはむしろディアンの方だ。
「……なにか、あるんですか」
ここまでされて、なにもないことはないだろう。確実になにかがあるし、それに気付いている。
人影のように見えたのはギルドの者か、兵士か。……あるいは、他の面倒ごとなのか。
「いや、気鬱ですめばいいが念のためだ。……そばをはなれるなよ、シアン」
言われずとも離れないと、大きく頷いてから口を閉じる。
大丈夫とは言っているが、ここまで彼が警戒するのは初めてだ。
それだけのことがこの先待ち受けていると正直思えないが、これも旅の経験から来る直感なのだろう。
無言で歩き続けて数分。ようやく遠目に見えていた景色が鮮明になる。
真っ先に目についたのは布張りのテントだ。大きさからして、ある程度の滞在を目的とした規模。五人程度なら余裕で入れるだろう。
内側こそ遮られていて見えないが、寝床か物置かの見当はつく。
そして、すぐそばには轟々と燃えるたき火も。積み上げられた薪の量から、絶えず火をおこしているものと知れる。
そして、火があるということは……そこに、やはり人もいるということだ。
ざっと数えても十人以上はいるだろう。同じパーティに属しているのは雰囲気から分かる。問題は、そのうちの数名が入り口を塞いでいることだ。
表現としては間違っているが、関わらなければならない位置を陣取っているなら、定義的には同じ。
端で固まっている者たちの視線に、ついフードを引っ張る。登山者が来た珍しさではなく、まるで品定めするかのようだ。
ここにゼニスがいれば、彼の白さに目を奪われてと理解できるが……今は、エルドの瞳よりも自分の風貌に注視されているような気がする。
そちらに気を取られている間も足は進み、そして男たちの前で止まる。
「この先に行きたいのか?」
「ああ、そうだが」
上から下まで流し見るそれは、単純に不快だ。なにを確かめ、なにが分かったのか。首を振る仕草にしかめた眉は、布に遮られて見えていないだろう。
「後ろのはお前の女か? どっちにしろ、武器ももたずにこの先に行くのは危ないぞ」
「っん……!」
思わず否定しかけ、咄嗟に唇の奥へ押し込む。ローブで身体の線が隠れているのだからそう見えても仕方ないし、無理に否定することではない。
重要なのは自分が女だと誤解された方ではなく、その後に続いた言葉の方だ。
「他の場所より魔物の動きが活発なのは知っている」
「あんたが来たのは前の話だろう? その頃はどうだか知らんが、今はもっとだ」
「……なにかあったのか?」
大きな溜め息の後に見上げる道は、ここからでは普通の山道にしか見えない。だが、その内情は大きく変わっているのだろう。
「どういう訳か、魔物が道にまで出てきてる。数も尋常じゃないし、駆除も追いついていない。上に駐在しているギルドもいくつか被害が出てるんだ、あんたらじゃ対処できない」
「国への要請はいつ出した?」
「知らねぇよ。出したところで、こんな辺境にいつ来るってんだ」
吐き捨てるようなそれは、本気でそう思っているからこそ。
確かに、ギルドは国からの依頼を受けることもあるが、彼らの手に余ることに関しては逆に要請することもある。
原因不明の増殖。道にも出ているということは魔物除けの異常も考えられる。
常駐している、ということはこの付近にいる魔物の駆除専門だということだ。
その彼らがわざわざ説明するほどの被害を負っているのは、もう国家案件として認識されていいはず。
だが、男の言う通り……派遣されるとすれば王都からだ。馬車で飛ばしても数日かかるし、そもそも本当に来るかもわからない。
伝令自体は魔法石ですぐに届き、王都のギルドで集計されるだろうが、そこから国にあげる手続きだけでも時間がかかる。
いつ伝えたかにもよるが、この様子では本当に報告しているかも怪しい。
「忠告をどうも。だが、町に用があってな。今日中に着かなくちゃならん」
「おすすめはしないが、事情があるなら止めはしない。だが、護衛は連れて行ったほうがいいぞ」
呼び声に反応し、こちらを見ていた男が数人近づいてくる。やはり、同じギルドのメンバーなのだろう。
彼らの様子を見る限り、あまり疲労した様子はないが……上の状況はひどいのだろうか。
「二人いれば十分だろう。ちょっと相場より高めにはなるが、理解してもらいたい」
一般的にも護衛料は普通の依頼に比べて高めだが、状況を見れば多少の増額は仕方ないだろう。
いくらエルドが魔術に長けているとはいえ、今から町までを彼一人で対処するのは無茶だ。それもディアンを守りながらとなると、やはり厳しいものがある。
所持金を把握していないが、ギリギリ払えるか否か。そもそも相場を知らない時点で、ディアンには判断できない。
とはいえ、安全のためなら多少取られても仕方ないのだが……。
「不要だ。じゃあな」
「ちょっ……おいおい」
だが、金額を聞くまでもなく否定され、戸惑ったのはディアンだけではない。
進もうとするエルドの前に回り込み、引き留めようとする男も困惑顔。
「女にいいところを見せたいのかもしれないが、無謀だぞ? 武器も魔除けも持ってないんだろ、死ぬ気か?」
外見からは、確かに魔法使いとは思えないだろう。いや、それを抜きにしても無謀ではある。
ゼニスに魔物払いをさせているかもしれないが、この辺りの力関係に彼が関与できるかも怪しい。その算段があったからこそ先に行かせたのかもしれないが……。
「先に行った奴らも断ったが、結局上で襲われて俺の仲間が助けてんだよ。悪いことは言わねぇ、こういうのは素直にプロの力ってのを――」
「俺たちはお前たちの望む相場以上をもちあわせていない」
一瞬、男の顔が強張る。対するエルドは無表情のまま。紫は全てを見透かすように見つめたまま。
有無を言わさぬ声。ザワついたのは、目の前の男だけにあらず。
「ご親切にどうも」
柔らかな笑みは愛想笑いだと男も理解したのだろう。横を通り抜けるエルドと、それに続くディアンを引き留めることはない。
「どうなっても知らねえからな」
……ただ、耐えきれぬ舌打ちは確実にエルドの背に向けて。
それこそ聞こえるようになのか、聞かせるつもりはなかったのか。振り向くのはエルドに制され、男が睨む姿を確かめることはできず。
「よし、もう喋っていいぞ」
「大丈夫なんですか」
「……真っ先にそれか」
自分でも食い気味に聞いてしまったのは否定しないが、苦笑されても恥ずかしいとは思わない。
大丈夫とは分かっている。だが、それでも聞いてしまうのは不安だからこそ。
「自分の力を過信してるわけじゃなく、対策ならもうしている。ゼニスが先に様子を見に行ってるし、本当に魔物が多いかもわかってないからな」
彼らの目をかいくぐって先に登るぐらい、ゼニスなら容易だろう。何度か来たことがあるなら区別もつくだろうし……意思の疎通も、彼らなら問題はない。
そう、魔物は大丈夫だ。……魔物、は。
「……彼らは、本当にギルドの人間なんでしょうか」
「疑わしい点が?」
「いえ、明確に言えるものはなにも……」
教会と違って、ギルドで身分を証明できるものはない。
ランクこそ分けられているが、それは書類上のものだ。プレートやメダルがもらえるのはそれこそSクラスだけだし、本当に本人かどうか確かめられるものはない。
ギルドには所属してあるとは思う。だが、ディアンが王都で見てきた者たちとはなにかが違う。地域が違うのだから当然ではあるが、それだけでは説明できないような……。
「盗賊の類も疑われるが、多分ギルド員だろうな。やってることは変わらんだろうが」
「……報復されますか」
「あいつらも馬鹿じゃない。直接は手を出さないだろうが、ちょっとは身構えとくべきか」
ほら、と指差した先。振り返った入り口からあがる煙は、先ほどまでなかったものだ。
「合図だろうな」
しみじみと呟かれるが、あまりいい状況ではない。予想はできたが、雲行きは非常に怪しい。
「……護衛、断ったからですね」
「なんで雇わなかったって聞かないんだな」
「世間知らずではありますけど、ギルドへの依頼方法ぐらいは知ってますから」
ちゃんとした相手なら口約束でも問題はない。それだけの信頼が築けているなら、面倒な手続きを踏むよりも迅速だし、報告に関しては事後でもいい。
だが、初対面の相手。それも真意がわからないのに、正式な書類も無しに依頼するのはあまりにも愚かだ。
それも、わざわざ相場以上と言っている相手となんて、ろくなことはない。
「……疑いすぎですか?」
「いや、それでいい。間違いかどうかは、町につきゃわかることだ」
立ち上る煙から、ディアンへ。そうして、見上げる紫に、彼の瞳は柔らかく歪む。
「大丈夫だ、ディアン」
根拠のない大丈夫だ。それこそ、口約束のようなもの。
なにを仕掛けられているかわからないし、それこそ不意を突かれる可能性だってある。
彼らだけでなく魔物の心配もしなければならないし……絶対に安全とは言いきれない。
……だが、あのギルドの男たちとエルドとの大きな差は、その信頼にある。
彼が大丈夫だと言うのなら。エルドが、そう断言するのであれば……そう信じたいと、思うだけの気持ちはあるのだ。
「……嘘はつかないでくださいね」
だからこそ、嘘にしないでくれと。そう願って呟いた言葉に返されたのは、変わらぬ柔らかな眼差しだった。
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