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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
幕間  一週間後の彼ら ★

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65.その希望の名は

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「――ヴァン!」


 呼び止められるはずのない者の名を、呼び止めてはならぬ声が叫んだのは、地下へ続く廊下に差し掛かった所だった。

 振り返った先、かけてくるのはやはり最初に部屋を出されたサリアナで。いつものお付きの者も、部屋まで連れて行った騎士の姿も見当たらず。

 咄嗟に一人が行く手を阻む姿すら眼中にないのか。その腕に遮られるまで、彼女の足が止まることはなく。


「お願い、ヴァン! ディアンを、ディアンを探してください!」

「サリアナ王女、彼との接触は禁じられています」


 男の服を掴む手が、力が入りすぎて白く変色している。

 掴まれたヴァンは自ら引き剥がすことも、かといって助けることもなく。ただ、その様子を見つめているだけ。


「……殿下」


 ようやく呟いたその声も弱々しく、やっと絞り出したと分かるもの。だが、そうできる権利がないことは本人が一番自覚している。


「ディアンは……あの子は、もう……」


 続く言葉はない。死んでしまった。いなくなってしまった。……自分が、殺した。

 そのつもりはなかったなど、その気がなかったなど後だから言えるのだ。

 ヴァン自身にもわからない。なぜあそこまで彼を追い詰めてしまったのか。

 普通に考えればどうなるか分かったはずだ。

 一週間。そう、一週間もだ。なにも食べず、飲まず。閉じ込められたまま。

 そもそもの切っ掛けだってろくに思い出せない。メリアに、『精霊の花嫁』に『ひどい』ことをして、それを咎めたのは確かだ。

 ……では、どんな『ひどい』ことを?

 泣いていたのは覚えている。ディアンがメリアを泣かせ、彼女が傷ついたことは確かに覚えている。なのに、その経緯が思い出せない。

 なぜ? 殴るほど激昂したはずだ。そうしなければならぬ衝動にかられるほどの不敬を、彼は彼女に、行ったはずだ。

 なのに、なぜ思い出せない。なぜ、一週間も自分はディアンを放置していた? 様子を見に行こうとする度になにかに遮られた記憶はある。でも、そのなにかとは?

 頭の奥が鈍く、重い。ああ、全ては言い訳だ。事実は変わらない。

 ディアンは、彼は……息子は、自分のせいで、


「ヴァン・エヴァンズ!」


 名を呼ばれ、目を上げた先。かつての戦友と同じ青が男を貫く。


「しっかりなさい! それでも英雄の一人なのですか!」

「……殿下」

「彼がっ……ディアンがこの程度で死ぬはずがない! あなたの息子がなにも果たさないまま死ぬはずがないわ! それを、あなたが信じずに誰が信じるというのです!」


 声に反応し、サリアナを引き剥がず腕が増える。それでも白い指はヴァンを掴んだまま、揺れる金はそれを見下ろしたまま。


「彼は生きていると私は信じています! あの人が、ディアンが死ぬわけがない! だって、」

「殿下、お下がりください!」

「――彼は、私に約束したのだから!」


 ヴァンの肩も掴まれ、そこでようやく離れた腕は、瞬く間に騎士たちの中に押し込まれて見えなくなる。

 それでも、貫く青は。ヴァンを咎めるその声は、男にこびり付いたまま。


 これ以上の騒ぎはならぬと押しやられた階段に響く呼び声。扉を閉めてもなお届く執念は、ヴァンになにを思わせたのか。

 やがて辿り着いた部屋に無言で放り込まれ、背後で閉まる扉を見る者はいない。

 窓もなく、寝具以外は机と椅子だけの部屋。鉄格子がなくとも、ここが何の役割を果たすかヴァンは理解していた。

 ふらつく足取りで座り、深く息を吐く。額を押さえようと、葛藤が消えることはない。

 ……生きていると、そう思いたいのは男も同じ。

 死んでいないと、まだ生きていると。そう同じように喚くことができずとも、認めたくない思いは同じだ。

 英雄の息子として生まれ、育ててきた。騎士になるために鍛え、その名に恥じぬようふるまわせてきた。

 成績の点を偽らせたのもそうだ。恨まれようと、憎まれようと、いつか理解されるはずだと。全ては、彼のためであると。


 ……それが、なぜ。妨害魔法をかけられることになっていたのか。

 ヴァンが望んだのは、試験点の改悪と騎士と同等の訓練を行わせること。

 確かに鍛錬の一環で魔法により負荷を与えることもあるが、それはしてはならないことだとヴァンだって理解していたし、ダヴィードもそのはずだ。

 そもそも、魔術過剰にかかるほどの負荷を与え続けるなど本末転倒だ。

 騎士として鍛えている相手が、騎士として働けなくなるなど。そんなもの……どうして、誰が、望むというのか!

 一体、どこで間違えた?

 その疑問に答えられる者はいない。明らかな違和感は確かにあるのに、それがなにかを突き止めることができない。

 自分は。……自分は、なにを、していた?

 堂々巡りの思考が、張り付く汗の不快感で逸れていく。ろくに回らぬ頭は欲求を満たすことを優先させ、布を取り出そうと触れたポケットに……一つの、違和感。

 指先に触れる固いなにか。取り出したのは折り畳まれた一枚の紙。皺が寄ったそれを突っ込んだ記憶も受け取った記憶もない。

 だが、見覚えはある。それこそ、ヴァンだからこそ何度も見てきたものだ。

 規定通りの文。必要な事項。それら全てが埋められ、印も施されたそれは……ギルドへの、正式な依頼文だったのだから。

 依頼者を確認し、予想通りの名に息を吐く。それから確認した本文に記された事項は、ただ一文。


 ――ディアン・エヴァンズの捜索を、依頼するものだった。

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