62.救済はそこにあり
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3/7 ディアン君が出て行く前に扉を塞いでいるのを思い出したので、描写追加しています。
答えよりも先に耳を貫く不快な高音。否、本来はそれも愛らしいと思わなければならないのだろう。
それでも、ヴァンにしがみ付き己の父に喚く姿はどう見ても『花嫁』たり得る姿には映らない。
「悪いのはお兄様よ! お兄様が私に謝らないから!」
「……どういうことだ」
ちり、ちり。産毛が熱に炙られ、肌が焦げるような錯覚。
煮える赤に睨まれたメリアが小さく悲鳴をあげ、それでも止まらないのは父を守るためか、あるいは兄憎さか。自分を正当化したいからなのか。
「お、お兄様が! 私が『精霊の花嫁』なのにひどいことを言ったから! だから、お父様はそれを叱っただけよ! 悪いのは全部お兄様だわ!」
聞き慣れた言葉だ。お兄様が悪い。お兄様がひどい。
だが、そのいつも通りも前提があれば、あまりにも異様。
「……それ、だけで?」
思わずペルデが呟いてしまったのだって当然だ。
彼女の言うひどい事とは、いつもの小言に違いない。『精霊の花嫁』として、少しは知識を取り入れるべきだと。彼らについて知っておくべきだと。
誰かが言わなければならないことを、誰もが言おうともしなかったから。それを誰もが許していたから、彼だけが言っていたのだ。
それはいつもの光景で、いつも通りで……それが、なぜこんな長期間の謹慎になっているのか。
「ヴァン、真実か」
「……いくら妹とはいえ、『精霊の花嫁』として寛容できる発言ではなかった。息子でなければこの程度では済まされん」
返答は、肯定。本当に許されざる発言であれば身内であろうと厳罰が下るだろう。『精霊の花嫁』とは本来、こんな場所にいていい存在ではないのだ。
聖国の神殿にて、丁重に。その時が来るまで守られなければならない。たとえ実の兄とはいえ、『精霊の花嫁』を傷つけることは極刑にも等しい。
……されど、それを判断するのはヴァンではない。
判断できる唯一は、それこそこんな場所にはいないのだから。
「そこの二名」
だからこそ、確かめるために声を投げたのは、奥の扉から逃げようとしたメイドに対して。
呼び止められ、肩が跳ねた二人の顔色は青を通り越して白に近い。やましいことがあるのか、単にこの空気に耐えられないのか。後者だとしても、それは何ら不思議ではない。
比較的慣れているはずのペルデでさえ、この場から逃げていいなら同様に逃げていた。
「君たちは聞いたのか」
「そ……それは……」
俯き、視線も定まらず。言葉を探してもそんな場所に落ちているはずがない。言いよどむのはどの思惑からか。真実以外、語ることは許されないというのに。
「もう一度聞く。ディアン・エヴァンズが謹慎されるに値する発言を、お前たちは聞いたのか」
「わ……私は、聞いていません……」
「私も知りません、眠っている間のことだったので……!」
視線は上に。吹き抜け部分からこちらを見ていたメイドたちへ移っても動作は否定ばかり。
「……では、誰も正当性を確かめぬまま彼を監禁していたということか」
「めっ、命令で仕方なく!」
「命令であれば、正当性なく監禁しても許されるとでも? 少なくとも、我々はそれを良しとはしない」
理解していて従ったなら同罪だ。そこに同情の余地はない。自分たちは従っただけだ、なんて言い逃れは通用しない。
成人した大人たちが、集団で一人の青年を閉じ込めていた。それは、紛れもない事実なのだから。
「従わなければどんな目に遭うか!」
「そうです、あんなに怒ったヴァン様に逆らうなんて! 食事も水も与えるなと言われ、やむをえず――!」
「――は、」
眠っている間という話なのに、なぜその様子を知っていたのか。その時点で偽りを述べている指摘などできなかった。
閉めきられた室内で服がなびき、頬を撫でる風の熱さに距離を取る。身の危険を感じなければ、ペルデはまだ呆然としていただろう。
聞き間違いではないと、目の前の全てが語っている。
勘違いではないと。本当に、そうしていたのだと。
「今、何と言った」
息を呑んだのは誰か。否、正しく呼吸ができていたのは誰だったのか。
膨大な魔力による熱に耐えかね、飾られていた花がチリチリと燃えていく。肺の中まで焼ききられそうな温度はその感情に反応してなお高く、強く。
ああ、誰が彼の加護主を光の精霊と言ったのか。教会の従属者であれば治癒魔法は必須条件。そして、英雄の三人の内一人は確かにオプニュスに加護を賜った。
だが、その瞳を見れば分かったはずだ。その燃えるような赤は、まさしく……オルフェン王の息子、炎の精霊デヴァスより与えられたのだと。
「本当に……一切の食料も水も、与えていないと? その愚かな命令を、おのれ可愛さに従ったと言うのか!」
「ひっ……!」
風に煽られ、あまりの恐ろしさにメイドが崩れ落ちる。それを支える者はいない。助けようとも思わない。
メリアは悲鳴をあげヴァンの後ろに隠れ、その魔力を真っ向から向けられているヴァンも立っているのがやっと。
実際に燃え尽きることはないとわかっている。それでも、全身を舐める熱に呼吸すらままならない。
もし、本当なら。本当に、一週間もなにも与えていないのなら。それをなんとも思っていなかったのなら、それは……それは、もはや躾の一言では片付けられない。
あまりにも異常すぎる。どんな愚か者でも分かるはずだ。それでも思い至らなかったとするなら、それは……それは、
「お前はっ……自分の息子を殺すつもりなのか!」
「――ディアン!」
駆け上がるサリアナに遅れ、グラナートが続く。その後を追いかけるペルデの足は震え、まともに走ることもできず。
それでも確かめなければならない。あの男の安否を。あの男がまだ、生きているかを。
廊下の突き当たり。見張りの男がグラナートに怒鳴られ、慌てて避ける姿を見つける。
サリアナがしがみ付いた扉は開かず、何度叩いても返答はなく。
「ディアン! ディアン私よ、サリアナよ! 返事をして! ディアン!」
何度も何度もノブを捻り、それでも開くことはない。鍵はどこかと詰め寄られても、グラナートに圧された騎士が言葉を発することはなく。
「っ……退きなさい」
サリアナが横にずれると同時に鈍い音が響く。
破壊されたドアノブが落ちるより先に開け放たれるはずだった扉はひっかかり、なにかで塞がれていることを知る。
扉ごと外すしかないのかと。そう誰かが認識するよりも先に、繰り出された拳がその壁を貫いた。
破壊音と、少し遅れてから響く重々しい音。ようやく開け放たれたそこに横たわっていたのは、中身がほとんど入っていない本棚。
窓からの光に照らされる室内はあまりにも殺風景だった。
綺麗すぎる机上、クローゼットにベッド。部屋が広すぎるのではなく、物がなさ過ぎるその部屋に……恐れていた姿も、なく。
「ディアン!」
中に飛び込んだサリアナが見渡しても、彼の姿はどこにもない。行き先を知らせるのは、切り裂かれたシーツで作られたロープだけ。
それは彼が逃げたというなによりの証拠。
そう、逃げ出した。ディアン・エヴァンズはここから逃げたのだ。
「すぐに捜索の手配を! 急ぎなさい!」
「た、ただちにっ!」
サリアナ付きの騎士が走り、入れ違いで追いついたヴァンが部屋の現状を確かめる。
見開いたままの瞳はディアンがいないことに対してか、言われるまで自分がなにをしていたのか自覚できていなかったことに対してか。その全てであったのか。
「……お前たち全員、ただで済むと思わぬことだ」
宣告され、怯えるメイドたちも、呆然とするヴァンの様子も、怒りを抑えきれぬグラナートの姿も。今のペルデにはどうでもいいこと。
目の前に広がる光景をしっかりと目に焼きつける。差し込む光が眩しく、視界すら白く染まっていっても止めず。滞っていた血液が全身を巡り、鼓膜はゴウゴウとやまかしい。
……逃げ出した。
ディアンは。あの男は、あの恐ろしい存在は、ここにはいない。
今さらという怒りもあった。どうして今になってと、理不尽な感情だってそこにはあった。
でも、そんなことが小さく思えるほどに。その胸を占める感情に世界は眩しく、美しく。
ディアンはいない。あの男はもうここにはいない。この屋敷から、この街から、ペルデの前からいなくなった。そう、いなくなったのだ!
もうこれで巻き込まれずにすむ。もうこれで、望まず情報を吐き出させられる苦痛を味わうことも、その恐怖に怯えることもない!
待っていた。ずっとずっと、この日を待っていた。
――自分が、あの男から解放される、この日を!
口を押さえ、嗚咽を殺す。それでも耐えきれぬ喜びは頬を濡らしながら地面に落ちていく。
いよいよ足に力が入らず、蹲る身体を支える手がなくとも、それを気にかける者がいないことだって。もうペルデには関係ない。
その全身を支配していたのは。手で押さえなければならなかった唇の歪みは――紛うことなく、歓喜だったのだから!
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