57.ラインハルト
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――ラインハルトにとって、ディアン・エヴァンズは嫌悪の対象でしかなかった。
不吉でしかない黒髪に黒目。あの英雄、ヴァンの息子だというのに加護も授からなかった落ちこぼれ。
加護がないなりに努力をするかとも思えば、一向に成長する兆しはなく。
幼い頃にサリアナと交わした約束を守るため騎士になるのだとのたまう恥知らず。
そうでもなければサリアナと釣り合わないと認識しているだけマシ……など、好意的な捉え方はしない。
そもそもディアンは平民であり、本来ならラインハルトたちと接することなど許されないのだから。
彼の妹が『精霊の花嫁』でなければ、そもそもサリアナと出会うこともなく。その肝心の妹、メリアだっていつも泣かせてばかり。
英雄の息子としても、一人の兄としても、到底許せぬ振る舞いだ。
立場を理解しようとしないまま、その恩恵だけ受け取るなど許されていいはずがない。
王族として、そして同じく英雄の子どもとして生まれたラインハルトは、その期待に応え続けた。
剣術、魔術、精霊学。他国の言語。戦術。統治。交渉術。教えられる全てを完璧に、非の打ち所もないように。
いつかこの国を担うに相応しい王になるため。この国の民、自分たちを見守る精霊、そして……その一員に加わる彼女に恥じぬ国を来世に繋ぐため、ラインハルトは努力し続けた。
クラスメイトたちの賞賛だけでは足りない。それは得られて当然の言葉だ。
臣下たちの信頼だけでも足りない。それは、この国の王になるために不可欠なものだからだ。
そう、なにもかも足りない。この国に相応しい王に、彼女に相応しい男になるためには、なにも……なにも!
己の失脚を望む者より、ただ英雄の息子だというだけで疎む愚か者より、ラインハルトは誰よりもディアンを憎んでいた。
ろくに戦えぬくせに夢ばかり語り、努力しようともしない。回るのはその口だけで、知識の一つも詰め込もうともしない!
全てはこの国の為に。膨大な労力と時間を注ぎ、英雄の息子として恥じぬ男となったというのに。あんな男と同列に語られるなど屈辱でしかない。
騎士どころかろくに戦えぬ弱者。現実を見ようともしない愚か者。メリアに『精霊の花嫁』としての責務を説きながら、己は果たそうとしていない矛盾。
なにもかもが目障り。なにもかもが苛立たしい。
もはや、ディアンの存在そのものが、ラインハルトにとって耐え難い苦痛。
だからこそ、あの男が……ディアンが一週間も姿を見せていないことは、ラインハルトにとって吉報でしかなかったのだ。
最初のうちは誰も気に留めなかった。
教師に説明されたとおり体調不良かと軽く流し、姿を見ずに精々するとまで言う者もいたぐらいだ。ラインハルトも口に出すことこそなかったが、その思いは同じ。
だが、それが三日と経ち、四日と経ち……そうして一週間を迎える頃には、少しながら違和感も覚える。
大半の意見は一致した。とうとう諦めてこなくなったのだと。
当然だ。卒業まで残り半年もない時点で、ディアンはろくな成績も残せていない。このまま卒業したところで騎士試験に合格できるわけがない。
兵士どころか、ギルド員だってあんな役立たずなど欲しがらないだろう。
体調不良? 否、ディアンは逃げ出したのだ。己が弱いと指摘され、挽回することもできず、卑怯者のまま。
誰もがそうだと疑いもしなかった。むしろ、他になんの理由があるというのか。
ディアン・エヴァンズは逃げ出した。それは疑いようのない事実。
「ねぇ、ディアンになにかあったか知らないかしら?」
……だが、彼の妹はそうは考えなかったようだ。
最後の授業が終わり、話しかけてこようとするクラスメイトたちを制し、走りはせずとも急ぎ進んでいた廊下の端。
見つけた己の妹と、巻き込まれていた男の姿に、ここが王城であれば舌を打っていたところだ。
学園内で身分は関係ないというのは建前。よほどの馬鹿でなければ、己の立場を理解し、相応しく振る舞うのが普通だ。
ましてや、一般市民から貴族に話しかけるなど……そして、その逆だって。
学園という特殊な枠組みのせいで境界が緩和されているとはいえ、普段関わりのない王族から問われるなど困惑して当然だ。
それが関わりたくもない、関わるつもりもない男の話であれば、なおのこと。
これが一度や二度なら、ラインハルトもここまで苛立つことはなかった。これが今日だけの話なら。一週間も、ずっと続いていないのであれば。
既に学園中の噂だ。昨日も、その前も、咎め続けているのに諦めようとしない。
そうして行動するほどに醜態を晒していることが、なぜ理解できないのか。
「どんな些細なことでもいいのです。もし知っているのなら――」
「サリアナ!」
声に反応したのは、当事者だけではなく周囲で耳を立てていた者も。一瞥する余裕はなく、見据えた前に浮かぶ表情はあからさまな安堵と困惑。
「妹がすまなかった。もう行っていい」
手短に伝えれば、急ぎ逃げる男の背を見送ることもなく。引き留めようとする妹を睨み、それから彼女を止めなかった騎士たちを視線で咎める。
「止めるように言っていたはずだ。……お前たちもなにをやっている」
「はっ……申し訳ございません」
形ばかりの謝罪などラインハルトの神経を逆撫でるだけ。最も反省しなければならない相手の口から望む言葉は得られず。
「いいかげんにしろ。あの加護無しが来ないのは体調不良であると教師たちも説明していただろう」
「いいえ、ただの不調でこんなに来ないなんて! お兄様だって違うのは分かっているはずです!」
睨み、噛み付き、喚く姿のなんと醜いことか。英雄の娘としても、王族としても相応しい姿ではない。
ただの平民。それも学園一愚かな男が、たかだか一週間来ないだけでこんなにも騒ぐなど。父が知れば卒倒するだろう。
否、耳に入るのも時間の問題。すでに野次馬は止められぬほど。あからさまに見る者はいずとも、誰も彼もが聞き耳を立てている。
そうして囁くのだ。『ああ、またサリアナ様が加護無しに執着しておられる』と。
今までもその傾向はあった。ディアンならできる、ディアンは本当は強い、ディアンは騎士になれる。なんともまぁ、無責任な激励だ。
そのせいであの男が調子に乗っていたというのに、それに気付こうともしない。愚かなのは一人で十分だ。
……そして、それはあの男だけでなければ。
「その分かりきったことで騒いでいるのが異常だと言っている。一週間前、あいつはとうとう試験を白紙で提出した。ようやく自分の実力を理解し、恥を知ったのだ。お前も現実を受け入れろ」
なにがあったか、そんなの明らかだ。一問も解けず、試合で誰にも勝てず。ようやく心が折れた。それ以外になにがある?
自分よりも劣っている、なんて言い訳で向上心を失うぐらいならば、いっそ来ない方が全員の士気も上がるというもの。
なぜあんな男に執着するのか理解はできないし、しようとも思わない。ただただ、その行動全てが不快であることは間違いなく。
「そんなことあり得ないわ」
それでも、なおサリアナは否定する。そうではないと。なにか事情があるのだと。認めず、受け入れず、愚かにもそう言い続けている。
「ディアンは諦めたりなんかしない。絶対に」
もはや庇うのも限界だ。言ってもわからないのであれば、学園に来るのも制限しなければならない。
これ以上あの男の話題など。せっかく手に入れようとする平和が壊されるなど。……もはや、耐え難い。
「だって彼は――ぁ、」
そうして、いつもの言葉を。もはや聞き飽きたその言葉が紡がれる前に、青が見開かれる。
視線はラインハルトではなく、その後ろ。遠巻きに眺めていた野次馬の、その隙間。
平均よりも少し高い背丈。色素の薄い茶の髪と、特徴的な前髪。あの怯えるような姿を見間違えるはずがない。
距離はあっても目立つ姿に、止める間もなくサリアナが駆け寄る。それを目視し、慌てて踵を返そうとしたペルデが逃げ切れるはずもなく。
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