二章番外編 食事処の娘 ★
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明日から三章ですが、書き溜めができるまで二日に一度更新になります。
またストックができたら毎日に戻しますので、よろしくお願いいたします。
今回は突発的に書きたくなったお話です。
彼女がその姿を見かけたのは、日が落ちきる前の一番忙しい時間帯のことだった。
なんの代わり映えもない一日。いつも通りの仕事。
違ったのは、窓側に座っていた客がなにかを眺めて同席者に注視を促していたことぐらいだ。
店の前にあるのは、冒険者向けの安宿のみ。見世物が行われる時間はとっくに過ぎているし、そもそもこの位置からではその様子どころか声だって聞こえない。
今でも彼女の後ろでは酔っ払った男たちの笑い声や、明日の依頼について話し合う声。その合間を縫うように告げられる注文が飛び交って、にぎやかを通り越してやかましいほど。
だが、この喧噪こそが店主の娘である、彼女の日常の一部。ここで働く限り、切っても切れない光景だ。
話は逸れたが、普段なら窓の外なんて気にも留めやしない。それより客に気を配る方が忙しくて、外なんてどうだっていい。
では、どうして作業の手を止めてまで見てしまったのかといえば……ただの気まぐれだったとしか言いようがない。
ほんの一瞬様子を見て、そうしてやはり変わらぬ光景だったと。そう戻すはずだった視線は、その姿に縫い付けられたまま。
夕日を反射する眩しい固まり。それが白い犬であると気付くよりも先に、彼女の視線を奪ったもの。
深く被ったフードの隙間。そこから覗く――紫の、光。
それは最初、宝石かなにかかと思った。食事処の配膳として働く彼女とは無縁の高級品。
その目で映したことこそなくとも、その光は確かに想像通りの美しさ。
そうではないと気付いたのは、それを包み込んだ皮膚が一度瞬いたからだ。
そう、瞬いた。それは生きている。生きていたのだ、確かに。
そこで初めて、それが人間であると。人の瞳であると、自覚したのだ。
日々冒険者たちと接しているので、強い加護を授かった者にも何度か会った事がある。それは髪だったり、痣だったり。一番多いのはやはり瞳だ。
だが、あんなにも美しい色は彼女も初めて。
相当強い精霊か、あるいは加護を授かったか。真相はわからずとも、彼女の意識を奪い去るには十分過ぎるその強さ。
もう一度言うが、庶民である彼女は本物の宝石を見たことはない。
だが、もしフードの下に隠れていなければ、きっと比べても見劣りしない……いいや、それ以上にその色は力強く、美しく輝くのだろう。
本来は少しキツめの目つきだろうが、足元にいる犬への眼差しはどこか柔らかい。布に隠されよく見えないが、顔立ち自体はどこか幼さが残る。
姿からして旅の途中のようだ。おそらく成人はしているだろうが、あれだけの加護を授かっているのなら相当有望な冒険者なのだろう。
仲間と待ち合わせてから食事……なら、この店に来る可能性は十分高い。
もっと間近で見たいような、この距離を保っていたいような。複雑な感情に心臓が早鐘を打ち、頬が少し熱く感じる。
「おい、嬢ちゃん! こっちにエール追加な!」
「――あっ、は、はい!」
どれだけそうしていたか。客に呼ばれてようやく状況を思い出す。
仕事中だったのにと慌ててカウンターへ向かう途中もついでのおかわりも頼まれ、もう一度戻ってくるまでには八つもジョッキを運ぶはめに。
空いたグラスを片付け、もう一往復……する前に、もう一度見やった窓の外。
「……あ」
待ち合わせていた仲間らしき影と共に、右へ消えていく姿を捉えて思わず声があがる。
ここで食べると信じて疑っていなかったのに。残念なような、少し安心したような。でも、やっぱり惜しいような。
「お姉さ~ん! 注文おねが~い!」
「はっ、はい! すぐ行きます!」
遠くから振られる手に、慌てて仕事に戻る。
そうしてにこやかな笑顔を浮かべながらも、彼女の頭の中からあの紫が消えることはなく。
配膳を終え、全ての客が帰り。後片付けを済ませ、部屋に戻って一晩明けてもなお光は残り続けて……。
……虚しく朝を迎えてしまった溜め息は、あまりにも深く。
寝不足のせいか四肢に力が入らず、ゴミを掃く箒の音もどこか頼りなく、本当に掃除できているかも怪しい。
なぜあの青年がこんなにも気になるのか、彼女にその理由はわからない。一目惚れ、の可能性がよぎって頭を振っても、あの柔らかな眼差しが頭から離れないのだ。
愛や恋に疎く、経験も豊富とは言い難い。だが、そうではないような気がする。気がする、だけで確信を持って言えないのも悩む原因でもある。
こんなにも惜しいと思うなら、もっとよく見ておけばよかった。あんなに綺麗な瞳の持ち主なんて、そう滅多に出会えるとは思えない。
もしかしたらご利益があったかも。なんて、馬鹿げたことを考えているうちに朝日が道を照らし、眩しさに目を細める。
日が昇れば開店時間はすぐそこ。もうじき街の者や冒険者たちが朝食目当てに押し寄せ、今日も忙しい一日が始まる。
こんなところで後悔している暇はないのだと、なんとか気を取りなおして箒を握り締めた――ところで、清々しい朝に似つかわしい大声。
一体どこから叫ばれたのかと右を見て、左も見て。それが宿の二階からだと気付いたのは、その往復の後。
開店時間を聞かれるのは珍しいことではない。今回も、この街に立ち寄った冒険者が聞いてきたのだろうと。そう信じて疑わず、無防備に顔を上げる。
結果として、彼女の予想は正しかった。
正しかった……が、まさかその先に思い描いていた色があるとは思いもせず。
自分を見下ろす薄紫も、確かに珍しい色だ。
だが、それよりなにより――その隣にいる青年の姿に、込み上げた悲鳴を両手で押さえたのは不可抗力であろう。
支えを失った箒が地面に倒れ、抗議を申す音も彼女の耳には入らない。
朝日を浴びて輝く瞳。太陽の光で鳥の羽のように艶やかに見える黒髪。少し戸惑いながらも、隣の男を見つめるその眼差し。
情報量の多さに声は出ずとも頭の中は大混乱だ。
あの宿に泊まっていることは分かっていたのに、まさか向こうから話しかけてくれるなんて!
「驚かせてすまない。何時から営業だ?」
「もっ……もうちょっとで開きます! 五分か十分か、待っていただいたらすぐに!」
いや、実際に話しかけたのは同行者なのだが、そんな突っ込みができるぐらいならもっと冷静に返事ができただろう。
その間も視線は朝日を浴びるその紫に見とれたまま。こうして特別な色が二つ並ぶなんて、それこそ滅多にない。
親子にしては年が近いような、でもただの同行者でもないような。真相こそ不明だが、どちらもこの世のものとは思えないほどに美しい。
こんなしどろもどろな返事だというのに、男は笑いながら手をあげ感謝し、つられて隣の青年も頭を下げる。
慣れていない、そのはにかんだ表情までは耐えられたのに。それを見つめる薄紫にもう悲鳴は止められず。
耐えきれずに店の中に駆け込んでしまったが、顔の熱さも鼓動の高鳴りも収まらない。
……今の、なに!?
問いかけても答えはなく、数秒前の光景が繰り返されるばかり。
なんて柔らかな眼差しだろう。なんて、優しい笑顔だろう。微笑ましいと、愛おしいと。言葉にせずとも、あんなにも伝わる感情があるなんて。
一目惚れの可能性は呆気なく崩れ落ち、今は違う高鳴りが彼女の胸を占めている。深呼吸しても落ち着かず、頭はますますやかましい。
許されるなら、この昂ぶりを叫んでしまいたい。いや、そんなことをすればいよいよ不審者だ。
確実に言えるのは、今回こそ彼らがここに来て……そして、今の光景をもう一度見られる可能性があること。
そして、それを彼女自身が見たいと、強く。強く、望んでいるということで。
「朝から騒がしいな。掃除は終わっ――」
「父さん! すぐ準備して! お客さんが来るわ!」
そうと決まれば、もうグズグズしていられない。まずは箒を救出し、それから残った準備を急いで片付けなければ!
この時間に来る客は少ない。だからこそ、もっとゆっくり、じっくり。彼らの姿をこの目に焼きつけることができるだろう!
開け放った扉は、まるで彼女を祝福するかのように眩しく。世界は、美しく。
ああ、今日も――否、今日は特別な一日になることだろう!
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