53.三つ目の仕事
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「……すみ、ません」
どれぐらいそうしていたのだろうか。気付けば火はほとんど消えて、灰になりながらも燻る欠片が色付くだけ。
爆ぜる音などとうに聞こえず、響くのは川の流れと己が鼻を啜る音ばかり。
やっと言えた謝罪に力はない。当然だ、あんなに泣き叫べば喉だって疲れる。小さい子どもだって、あんなに喚いたりしないというのに。
恥ずかしさに埋まる穴はなく、羞恥よりも申し訳なさが勝る。
騒いでいたこともそうだが、なにより……自分の涙と鼻水で汚してしまったエルドの服に対して。
腫れた目元は熱く、拭えば引き攣るような痛みに襲われる。ああ、ほんとうに……なんて、泣き方を。
「気にするな。……それより、ちょっとは落ち着いたか?」
さりげなく親指で拭われ、柔らかな光と共に痛みが引いていく。治癒魔法の無駄遣いだと、そう止める気力さえも今のディアンにはない。
先ほどに比べれば、確かに落ち着いてはいるだろう。もう涙も出し尽くしたし、考える力も泣き喚くのに使ってしまった感はある。
結果的にそれでよかったのかもしれないが……根本的には、なにも解決していない。
騎士に相応しい人間にするために課せられていた制限が、逆に騎士になれない身体にしていた。
否、騎士どころか普通に戦うことさえも満足にできない、本当の役立たずになっていたなんて。
……そんなの、すぐに受け入れられるわけがない。
「……正直、まだ……」
「無理して受け入れる必要はない。……それが普通だ」
痺れは残っているかと、手首を握られる。病の影響か、泣き喚き酸欠になったせいか。
違和感の残った指先に頷けば、こっちは魔法が効かないからと握り直された手は大きく、分厚く。
汗で気持ち悪いはずなのに嫌がる様子もなく、伝わる温度は温かい。
こうして誰かに抱きしめられることも、握ってもらえるのも久しぶりだ。グラナート司祭には頭を撫でられた記憶もあるが……それ以外は、本当にいつぶりだろう。
もう子どもではないのにと、そう思いながらも込み上げるのは恥ずかしさよりも温かさ。
……そして、それでも拭いきれない不安。
「……本当に、治るんでしょうか」
混乱しながらも聞いた言葉は忘れていない。
ディアンを弱くないと否定してくれたことも、自分が抱き続けていた違和感の原因も……そして、この病が治る可能性も。
ただディアンを慰めるための嘘ではないはずだ。そんなでまかせを言う必要はない。
ただでさえ傷ついたディアンを、なおも追い詰めるような嘘を……彼は、言わない。
まだ出会ってから二日も経っていないし、エルドの正体だって知らない。だが、そうだと思えるほどにはもう、ディアンは彼を信頼している。
「ああ、時間はかかるがな。いずれ剣も握れるようになるし、普通に戦えるようになる。だから、今までの努力が無駄になることはない」
「……そう、ですか」
口に出たのはどうでもよさそうに聞こえても、実際はひどく安心したもの。
六年間。いや、学園に入る前を含めればもっとだ。苦労も、時間も、費やしてきた全てが守られると。再び滲みそうになる視界は、一度目を閉じることで耐える。
「そのためには、今お前に武器を持たすわけにはいかない」
「治療の一環、ですか?」
「言っただろ? お前の発作の条件は、相手が敵意を持った状態で剣を持つことだ。攻撃を防ぐだけなら問題ないのは昼間に確認できたしな。妨害魔法をかけられたのと同じ状況を避ければ、少なくとも発作は起きない」
あの時も驚きはしたが、息苦しくはなかっただろうと。改めて確認され、思い返すまでもなく頷く。
そう、身体が反応できなかったのは、反撃してはいけないと分かっていたからだ。
重さも息苦しさも感じなかったし、比較的思考も……まぁ、できていたようには思う。
「まずは身体に溜まっている負債が自然に抜けるのを待つしかないし、その間に再発しないようするのが今の限界だな」
「どのくらい……」
「想像よりも重度だからな、聖国についても暫くはかかるだろう」
聖国に辿り着くのは早くても一ヶ月だ。それでもまだ暫く、となると……本当に、相当の時間がかかるようだ。
ハッキリと言えないのは、下手に伝えられないほど長い時間、と思っていいはず。
魔術疾患にかかっている疑いがあり、それが確信に変わった。だからエルドはディアンと共に行動し、共に聖国へ向かおうとしている。
……つまり、それは……。
「……今の僕は、保護されているのでしょうか」
保護というのは、誰でも受けられるものではない。教会の、それも権限がある者が、対象者の身に危険が及んでいると判断された場合にのみ適用される。
虐待されている子どもや、女性。何者かに命を狙われている者。貴族や王族ではなく、あくまでも自分の身を守れない弱者を守るためのものだ。
その国に留めておくのは危険であると判断された場合は、聖国への護衛も検討される。
ディアンの場合は望んで向かうわけだが……この状況は、保護以外のなにものでもない。
本来、成人を迎えた者は本人の同意がなければ保護できないが、彼と出会った時点ではまだ子どもであったし、そもそも正式な洗礼を受けていないディアンを成人と呼んでいいかも曖昧だ。
黙っていたが実は、と切り出されても何ら不思議ではない。
「同意すりゃすぐにでも手続きを踏むが、お前はそれを望んでいないだろう?」
「……てっきり、強制かと」
「他の司祭だったらそうだろうが、俺にも色々と事情があってな」
だが、軽い調子で返ってきたのはそうではないという否定。
まだだったと安心し、そっと胸を撫で下ろす。
他の司祭。……そう、グラナートなら有無を言わさずディアンを保護しただろう。あの時ペルデに気付かなければ、あのまま、きっと。
そうして、真実を確かめられないまま聖国に連れて行かれたに違いない。
身の安全は保証され、こうして死を覚悟することもなかった。
だが、保護されるということは……対象者が、それだけひどい環境に置かれていたと判断されることになる。
実際は違うのに。違う、はずなのに。
「ああ、言っとくが保護には関係なく罪には問うぞ」
でも保護されなかったから大丈夫だと、安堵したはずの息が中途半端に止まる。
思わず見上げた顔は、そんなディアンの反応を予想していたと言わんばかり。
「当たり前だろ。成人前のガキに長期間負荷魔法をかけ続けるのは聖国が禁止しているし、知らなかったじゃ済まされない。今判明しているだけでも間接的な殺人未遂に魔術法違反、虐待容疑に聖国反逆、精霊侮辱、あと偽証に洗礼放棄もだな。遅かれ早かれ調査が入る予定だったんだよ」
つらつらと並べられる用語の半分以上が重罪だ。ディアンの案件だけではなく、他にもあるのだろう。
……もしかすれば、エルドの野暮用とはこれのことだったのか。
「それは、……どこまで……」
それを明かしたところで意味はなく、必要なのは罪に問われるのが誰までか。
そこには、妨害魔法をかけ続けるよう指示したヴァンも含まれるのだろうか。それとも……『精霊の花嫁』が関与している限り、免除されるのだろうか。
「関与しているなら身分は関係ない。成人を迎えていない者は全て精霊からの授かりもの。腹を痛めて産んだとしても、それは精霊が一度その者たちに預けただけのこと。血の繋がりはあっても、精霊にとって大切な存在を損ねていい理由にはならん」
「授かりもの……」
「少なくとも、聖国はそう考えている。だからこそ保護制度ができたわけだし……ああ、まぁ色々考えたいこともあるだろうが、お前が考えるべきはこれから先のことだ」
他は後でもいいからと、沈みかけた思考が戻される。そう、考えるのは後でいい。
必要なのは、これから先自分がどう振る舞えばいいか。
「まず、なるべく俺のそばを離れないこと。危ないと思ったらすぐに逃げること。逃げるのが難しいと思ったら障壁を張ること。いいな?」
「それではあなたに負担が……」
武器を持てない以上、攻撃もできない。魔法だってきっと同じだ。確かに障壁を張るだけなら身体も反応しなかったけど、それではただの荷物でしかない。
その障壁だって自分一人が精一杯で、彼ごと守れるものは今のディアンでは難しい。
彼ほどの実力者ならそもそも守られる必要もないのだろうが……。
「お前が安全を確保できているなら、俺も遠慮なく行動ができるし、結果的にそれは俺の役に立つ。お前は自分を無力だというが、自分の身を守れる術を持っているだけでも十分すごいことなんだぞ。……あれだけの障壁を張れる時点で誇っていい」
お前は納得しないだろうがと、細まる薄紫は温かく。どうしようもない子どもを見つめるかのよう。
彼の言うとおり、納得はしにくい。すぐに受け止められることでもない。
……だが、エルドが言うなら。きっと、そうなんだろう。
「ともかく、お前の仕事は三つになったな。世間を知る、旅の作法を知る。そして、自分の安全を優先させる。……いいな?」
わかったなと、念を押されて噛み締める。どれも彼からでないと得られないものだ。
一人での旅が不可能だと身をもって示された今、頼れるのは……彼、ただ一人。
それはある意味脅しでもあるだろう。だから逆らうなと、言うことを聞けと。そう聞き取ることだってできる。
だが、そうじゃないとディアンは分かっている。まだ出会って三日も経っていないし、明らかになっていないことだって山のように。
教会という後ろ盾があっても簡単に信じていいわけではないと、頭のどこかではわかっている。
……でも、ここまでしてくれた相手を。その見つめる瞳から伝わる感情を疑えるほど、ディアンは馬鹿ではないのだ。
「……はい」
「ちゃんと理解したな? またわかったつもりじゃないだろうな?」
クツクツと、笑う声が鼓膜をくすぐる。わざとらしい嫌味も、冗談だと示されれば不快感もなく。むしろ、自分でも繰り返す。
これもわかったつもりだろうか。また、繰り返すのだろうか。
「また教えてくれますか?」
そうだとしても、また正してくれるはずだと。そう信じて答えれば、笑みは一層深くなる。
「しょうがねえなぁ。……聖国に着くまでには頼むぞ?」
立ち上がったエルドに腕を引かれ、起きた身体はフラつきながらも自立する。
軽く叩かれた背は温かく、吐いた息は深く。啜った鼻は、まだちょっと奥が痛い。
「さて、そろそろ宿に戻るぞ。明日も早いからな」
火の始末に取りかかったエルドに頷き、放り投げた荷物を持つ。それから、地面に投げ出されていた剣と鞘を手に取って……汚れを拭き取ってから、そっと元の姿に。
「……後で損傷がないか見てください」
思い出しかけた重みが頭に伝わるよりも先に、差しだしたそれは無事に持ち主の元へ。
「あんな程度で刃こぼれするような剣じゃないから安心しろ」
受け取り、クツクツと笑う声は心地良く。
二人を見守り続けていた炎は、ようやくその役目を終えることができた。
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