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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第二章 初日

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47.兎と理解

ブクマ登録、評価、誤字報告 いつもありがとうございます!

 景色が再び木々に覆われだしたのは、村を出て十分と経たない頃だった。

 今までと違うのは、隣の藪を突っ切るのではなく、整えられた道から逸れずに進んでいるところか。

 やはり足元に何もないと歩きやすい、なんて当たり前のことを考えながらも、僅かに募るのは不安感。

 人の手によって作られた道は視界も良好だ。目の前を遮る枝もなければ、草で隠された穴もない。

 だが、脇道の景色は一層暗く見えにくく。逆に、こちらの様子は見えやすい。

 待ち伏せにはうってつけ。村に誰もいなかったからといって、その先が安全である保証はない。

 むしろ、人影が薄れたところを狙われる可能性の方が高い。

 準備は整い、武器も……当初の目的とは違う形だが、ディアンの腰元にある。昨日よりはマシな装備で、しかし互角に戦えるとは思っていない。

 向かってくるのは、日頃から戦い慣れている者たちだ。実戦経験のないディアンでは相手にもならない。

 できて防御一方。追い払うのも難しいだろうが、対抗しないわけにもいかない。

 剣は手元にある。されど、強さは武器にあらず。どれだけ優れた武具であろうと、使い手が劣っていれば木剣にも劣る。

 とはいえ、モノが切れるだけマシだろう。本当に切れるのなら。この切っ先が、相手に当たるのであれば。

 じわり。錯覚だと理解していても、柄に触れた指先が重くなる。

 対峙しただけで重くなる手足。ろくに考えられなくなった頭。まともに呼吸もできず、最後には情けなく地に伏せてしまった自分。

 魔法のせいだと理解している。でも、それは言い訳にはならない。ディアンは負け、そして倒れたのだ。

 相手がエルドでなければ。先に追いかけてきていた者たちなら、ディアンはこうして反省することも、後悔することもできなかった。

 助かったというのは結果論だ。幸運は二回も続かない。もう、次はない。

 臆している場合ではないのだ。傷つくことも、傷つけられることも、街の外に出れば当たり前。躊躇していれば、あっという間に食われてしまう。

 これではダメだと。生きてはいけないと理解しているつもり。分かっているつもり。知っているつもり。

 ……なんて、頭で考えるだけなら誰だってできる。実際、ディアンは何もできなかった。それが全ての答えだ。

 自覚したならもう迷ってはいけない。怯えることなく剣を振るい、立ち向かわなければならない。戦わなければ生きてはいけない。

 覚悟を決めなければ……次は、もう、


 カサリ、聞こえたのは草が揺れた音だ。斜め後ろ、そこが自分たちの死角だと認識するよりも先に剣を引き抜いたのは無意識から。

 青みを帯びた剣身が煌めく――ことはなく。上から重ねられた手によって、剣は鞘の奥へと戻されてしまった。


「っと……反射神経は悪くないな」


 少し前を歩いていたはずなのに一瞬で向き合う形になっていたことも、柄を押さえられていたのにも反応できず。

 褒められているはずなのに嬉しいと思えなかったのは、エルドの方が圧倒的に早かったからだ。馬鹿にされてはないが、純粋に受け止められるほど器もできていない。


「警戒心が強いのはいいことだが、もう少し気を抜かないと疲れちまうぞ」


 ゼニスが茂みの中へと飛び込み、見えなくなった白を眺めていれば肩を叩かれる。そこでやっと歪だった姿勢を戻し、向き合う薄紫を見上げることができた。


「……もし、魔物だったら、」

「森の中ならともかく、町に続く道は魔物避けの魔法が施されている。滅多に出てくることはないから安心しろ」


 ディアンもそれは知っている。まじないの類ではあるが、よく使われる道には悪しきモノを遠ざける魔術がかかっているのがほとんど。

 定期的にかけ直しているし、万が一切れたとしても、魔物はその周囲から離れているので大きく道を外れない限り出くわすことはない。

 授業でも習ったし、グラナートにも教えてもらった。忘れていたわけではない。ただ、自然と身体が動いたことを誤魔化したかっただけ。


「でも、盗賊とかの……可能性は……」


 いない、とは断言できないはず。人通りの少ない時間を狙って後ろから、なんてのは常套手段だ。あちらからは見えやすく、こちらは姿を捉えられない。

 今の時間帯は通行量が多いとはいえ、それでも安全である保証は、なくて、


「言っただろ? 警戒心が強いのは悪い事じゃない。だが、そうやってすぐ構えてたら仕掛けてくると勘違いされることもある。面倒を自分で招いちゃ世話ないだろう」


 だから手を離せと、軽く腕を叩かれたことで、まだ柄に触れていたことに気付く。腕を下ろしても無意識の行動は誤魔化せず、顔は俯くばかり。

 言われていることは正しい。間違っていないし、納得できる。……それでも、身体が動いてしまったのだ。

 きっと次もこうなるだろう。自分で止められる自信はない。

 それほどまでに余裕がないことを、ディアン自身が一番理解している。そして……エルドにも、理解されている。


「……ゼニスを向かわせたのは、危害をくわえると判断されるのでは?」

「そりゃあ……まぁ、人によるな」


 ゆえに、そんな屁理屈が出てきても不快になることはなく。誤魔化すこともなく。

 再び聞こえてきた音に肩をすくめる仕草はどこか楽しそうにも見える。


「と言っても、今回は人じゃなかったが」


 大きく茂みが揺れ、白が戻ってくる。美しい毛皮に張り付く枝と葉っぱ。それよりも目に留まったのは、口元に覗く赤い色。

 一瞬血かと見間違い、すぐに違うと気付く。熟れた果実のように丸く鮮やかな色。それは、彼が口にくわえてきた一羽の兎のものだった。

 血は出ていないが、ひどく弱っている。何かしらの方法で仕留めたのだろう。まだ息はあるが、それも時間の問題なのか。

 魔物でなくて安心するのと同時に、複雑な感情が浮かんでくる。


「お、でかした。今日の晩飯だな」


 慣れた手つきで受け取り、そのまま魔法をかけていく動作に迷いはない。

 暴れていた手足から力が抜け、一見すれば即死したかのよう。実際は麻痺か眠らせたかのどちらかだろう。

 革袋の中に入れられていく兎の息はまだある。夕食の時まで生かしておくのは、この周囲で血抜きができないからだろう。

 先に殺してしまえば臭みが出て美味しくなくなるとは誰に聞いた知識だったか。


「兎は苦手か?」


 問われ、瞬き、顔を上げ。動揺を悟られないよう、ゆっくり首を振る。

 知識を思い出していたのは現実逃避だと気付かれないよう、このまま会話が終わることを望んでも、薄紫は細まるばかり。


「木の実や草だけで食料は賄えないぞ。町では買えるが当然金はかかるし、生になると大抵鮮度は悪い。干し肉も悪くはないが、現地で調達できるのにこしたことはない」


 もちろん状況によって変わってくるがと、肩に担ぐ袋は静かなまま。もうあの兎は、どうあっても助からないだろう。

 可哀想とは思わない。これも自分たちが生きるためだ。……だから、この感情は違うもの。


「……いえ、そうではなくて……」


 答えようとして、踏み止まる。答えたところで言い訳にしかならない。

 そうであろうがなかろうが、動揺したことは事実。それは素直に認めるべきで、仔細を伝える必要はない。


「そうではなくて?」


 そう考え直しても、エルドは先を促し言葉を待っている。なんでもないと首を振っても、その足が前を向くことはないし、『別に構わないが』と諦めることもない。

 時間と共に視線が逸れていく。首元から胴へ、それから足元まで落ちても、視線は注がれたまま。男は、言葉を待ったまま。

 会話はない。だが、この時間はディアンが答えるまで終わらないのだと。その沈黙だけで気付くには十分。


「……理解していたつもりで、実際はなにも分かっていなかったのを、改めて理解しただけです」


 実力がない。知識もない。そう分かっていたつもりだった。

 金も食料もなんとかしなければならないと思っていたのは、逆を返せばなんとかできるはずだという根拠あっての思考。

 だが、ここまでの道中で、自分一人でできたことなどどれだけある?

 自分の身すらろくに守れず、食料だって調達できず。物を売ろうとすれば疑われ、身の潔白だって証明できなかった。

 彼がいなければ死んでいた。彼がいなければ連れ戻されていた。だから次こそはと、身を引き締める度にいかに愚かであったかを突きつけられる。

 きっと、ディアン一人では兎だって狩れなかったし、捌くどころかトドメをさすなんて。

 自分一人では何もできない。騎士にもなれず、隣国にも行けない。

 父に望まれた存在にも、自分が望んだ道すらも歩めない。結局、成績なんて関係なく自分は落ちこぼれで――、


「ちぐはぐだな」

「……え、?」


 思わず顔を上げる。見下ろす薄紫に呆れの色は見えない。馬鹿にする様子も、哀れむこともなく。ただ、真っ直ぐにディアンを貫くだけ。


「謙遜ではなく、本当に自分が強くないと理解しているくせに、身の丈以上を求めてるだろ。できなくて当然だっていうのに、できなかったって落ち込む。実力不足なのに、その繰り返しには気付いていない」


 咎めるのではなく、事実だけを並べる声は温かくも冷たくもない。観察した結果を確認しているようだ。

 ディアンの否定も戸惑いも見る事はなく、ゆえに彼が出せる声はないまま。


「できなかったことに対して反省するのはいい。諦めず立ち向かおうと努力するために、何が悪かったか思い返すのは無駄な行為ではない。だが、お前が反省するべきはもっと違うところだ」

「……もっと、違う……?」

「もう一回聞くぞ。お前の、今の、仕事は?」


 区切り、強調し、問われた言葉を反芻する。今の仕事。今の、ディアンがすべきこと。求められていること。


「……旅の作法と、世間を知ること」

「それも分かってたつもりで理解してなかったか? まだ基本もできてないガキが高望みすんな」


 まったく、と吐く息こそ呆れたように響くが、その眼差しに温かさが戻る。どうしようもない子どもを見るような、それでも放っておけないような。むず痒く、戸惑いを抱く柔らかさで。


「できなくて当然だし、わからなくて当たり前。自分の少ない知識と、実際に得た感覚のズレに落ち込むなとは言わない。だが今、お前はそれを摺り合わせてる最中だってことは自覚しろ」


 分かったな、と言われても素直に頷けないのは反抗心からではなく、うまく落とし込めないからだ。

 知らなかったから、で許されるのだろうか。結果的に何事もなかっただけで、それでも問題になったことは変わりない。

 知らなかったから落ち込む必要はない。知らなかったから、仕方がない。

 ……では、妹は。『精霊の花嫁』が無知であることも、その結果生じるであろう全ても、許されるのだろうか。

 知らなかったから。分からなかったから。教わらなかったから、知ろうとしなかったから。だから仕方がないのだと。

 それなら、答えを否定され、試験の結果で無知だと認識され。こんなことも知らないのかと嗤われ、怒られ、馬鹿にされ。

 そうして、期待外れだと言われたディアンとの差は……どこに、あるのか。


「お前もしかして……」


 低くなる声に、細められた目。思わず身体が強張り、喉が引き攣る。やはり怒られるのか。反省していないと、それではこの先、生きていけないと。


「生まれたての子どもが泳げないからって怒るタイプか……?」

「…………」


 うわぁ、引くわぁ……。と、わざとらしく出された声のおかげで、ディアンが聞き間違えた説が否定される。

 手間が一つ消えたが、その行程を踏まずとも結果は変わらなかっただろう。


「……前から思ってたんですけど」


 言うか言わまいか。黙っているつもりだったが、この先も続くと確信すれば止められなかった。


「なんだ?」

「……その極端すぎるたとえ、なんとかなりませんか」


 これで三度目か、四度目か。どれも適切な比較対象とは言い難いものばかりだった。特に今回はひどい。

 ひどすぎて、自分がなにを考えていたかすっかり忘れてしまった。

 一体どこに生まれたばかりの赤子を溺れさせる奴がいるのか。全く絵面が想像できない。

 崖から雛を落とせ、とは他国のたとえ話ではあるが……それはあくまでも比喩であって、実際には行われていないだろう。

 突っ込み所しかないと、共感ではなく呆れの方が強まるなんて知りたくはなかった。


「分かりやすくていいだろ。それに、そんぐらいひどいってことだ」


 逆に分かりにくいんだと、反論したくとも続いた補足に口が閉じる。


「……そんなに、でしょうか」

「ほら自覚がない」


 言った通りだとジト目で見つめられ、それでも抱かなければならないものは湧かず。

 苦し紛れに目を逸らしても、エルドの溜め息を遮ることはできぬまま。

 ……本当に、そんなになのだろうか。


「まぁ、今すぐ理解しろってのが無理な話か。ただ、心には留めておけ」


 分かったなと、今度こそ同意を求められて頷く。実践は難しいかもしれないが、忘れないようにだけは心がけておこう。

 それぐらいなら、ディアンにだってできる……はず。

 よし、と頷いた男が袋を抱え直し、ようやく前を向く。


「少し急ぐぞ、日が落ちる前には宿を確保しておきたい。こいつを捌くのはその後だ」


 また後で教えてやるよと言われ、今のうちから覚悟を決める。

 実力、知識、経験。なにもかも足りていないが、それを補う機会には恵まれた。

 恐れていては成長できないと気を引き締め、前を向いたディアンの顔には、それでもまだ少しの影が残っていた。

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