46.偽名
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「ほら」
突き止めるよりも先に、振り返ったエルドに何かを渡され咄嗟に受け取る。
とはいえ、渡されるものなんて先程司祭様から受け取った剣しかないのだが。
伝わる重みは予想よりも軽い。練習用で使っていた長剣も軽いものだったが、明らかにそれを上回る。
「お前のだ、貸してやる」
いや、それよりもなぜあの対応をされたのかを考え――、
「……は!?」
鞘を見下ろし、男を見上げ、もう一度鞘を見てエルドを見る。繰り返される往復に首が悲鳴をあげかけたが、それどころではない。
そもそも、なぜ教会に真剣があるのか。そもそも貸すとはなんだ。借りるとしたって返すのはこの村の教会であって、エルドに対してではない。
いや、教会の幹部だから実質そうかもしれないが……論点はそこではない。
まさかと思い、鞘から抜いた刃を見やる。反射する銀灰色は、磨かれた過程だけで生まれたものではないだろう。
鉱石そのものが含む光沢の中で、僅かに見える青。なにより、この軽さ。実際に目にしたこともないし、手にしたことなんてそれこそ。
本の知識だけでの判断となるが、聖国が所有していることを含めて考えても……これは……。
「ま、まさか……ミスリル……?」
「おう、さすがだな。見るのは初めてか?」
「返してきます!」
まさかと思ったが、本当にまさかだったとは!
オリハルコンに比べれば希少性は落ちるし市場にも流通しているが、その価値は十分高い。
駆け出しの冒険者が手にできるものではないのに。それを、こんな簡単に渡してくるなんて!
慌てて教会に向かおうとすれば、すかさず腕を掴まれ身動きが取れなくなる。痛くはないがなんて馬鹿力だ、ちっとも剥がれる気配がない!
「落ち着けって、ちゃんと許可は取ってる」
「こんないいもの借りられませんよ! ちゃんと購入資金ぐらいありますから!」
身の程は弁えている。相応しいのは鋼の剣であり、間違ってもミスリルの……それも教会所有の剣ではない。
刃こぼれでもさせてみろ。その修繕費用だけで全財産が吹き飛んでしまう。そんな高級品を気にせず振り回せるような度胸はない。
臆病者、意気地なし。何とでも言うがいい。観賞用でないと分かっていても、これを使うのは無理だ!
「この村に鍛冶屋なんてないし、あってもお前の所持金じゃ残念ながら足りねえぞ」
「えっ」
改めて周囲を確認する。掲げられた看板はいくつかあるが、その中に剣を模したものは……確かめた範囲では見当たらない。
昇っている白煙も民家からのもので、鉄を叩く音だって耳を澄ませても聞こえず。その言葉は、残念ながら真実。
「なら、次の街で買いますから!」
「なにもやるなんて言ってないだろ。貸すだけだ、近いうちに返してもらう」
近いうちとは一体いつのことか。絶対に一日二日の話ではない。
あまりにもいいかげんすぎる発言にどう反応するのが正しいのかわからなくなってくる。
「絶対嘘だ……」
「いや? 俺の予想が当たってりゃ、次の町に着く頃には必要なくなるな」
「そりゃあ新しいのを買いますからね!? だから最初から借りる必要はないって言ってるんですよ!?」
話を聞いてと叫ぶが、腕は外れないし剣も受け取ってくれないし、もはや散々である。
今からでも司祭様を呼び戻したいところだが、それも許してはくれないのだろう。
「すぐに分かる。ほら、諦めて腰に下げとけ」
トドメに背中を叩かれ、ゼニスにまで観念しろと突かれれば、司祭同様諦めるしかなく。
大人しく装備したそれは、軽いはずなのにひどく重い。矛盾した感覚の原因など考えるまでもない。
鞘だけでも傷つけたら一体どれだけの費用が……今からでも店に戻って布を買い、それで保護するべきなのか……。
「剣なんだから使わなくてどうする」
「なんっ……」
「顔に出過ぎだ。武器は使ってこそ真価を発揮する。腰に下げるのは飾るためじゃなく、自分の身を守るためだ」
分かっているだろうと、フードを軽く引っ張られる。狭まる視界、見えなくなる顔。正論を言われているのに、納得したくないのは押しつけられた経緯があるからこそ。
「……わかりました」
それでもディアンは折れる以外になく、せめてもの反抗に吐き出した息も男の耳には届かない様子。
満足げな顔を見上げるのは癪で、細工の施された柄を凝視する。……やはり、持ち手は飾られていないが、握りやすい加工がされている。本当に実用の物らしい。
教会で実剣。あまり関係性を感じられないが、緊急時に使う物資の一つなのだろうか。
だとしても、それでミスリル剣とは。聖国の財力をこんな形でも見せつけられ、さすがと言えばいいのか嘆けばいいのか。
「あぁ、そういや名前なんだが……」
諦めて前に進もうとすれば、数歩歩いたところで振り返った男の言葉に記憶を漁る。
名前。なまえ。流れからすれば十数分前のことだろう。
そう、確かに呼ばれた。呼ばれたが……。
「……名前に掠ってないのがいいと仰ってたような」
ディアンとシアン。響きは違うが、一文字しか変わっていない。偽名には違いないが、変えた感じは正直皆無。
「あれは咄嗟に出てきただけで、もっと変えるつもりだったんだよ」
ディアンからシアンに、シアンは青という意味も持っているから、それを別の言葉にかけて……と。空に綴られていくのはいくつかの候補。
確かにどれも名前には掠っていない。響きも違和感はないし、どれでもすぐ馴染むだろう。
「……いえ」
だが、どの羅列もディアンの目には留まらず。見つめるのは、薄紫ただ一つ。
「あれがいいです」
「……いや、あまりにも安直すぎるだろ。一文字しか変わってないし、正直変えた感じもないし」
思っていた通りの言葉が返ってきて、浮かぶのは同意のみ。エルドの言うとおり、他の名前の方がいいに決まっている。
それでも、一度呼ばれたその名前を変えるのが。彼に付けられたその響きを変えるのが、なぜだか嫌だったのだ。
呼ばれるならあれがいい。あれが、いいのだ。
「あれがいいんです」
「だから、」
「……それ以外は、嫌です」
困っていると理解している。自分でもどうしてここまで拘っているのかわからない。
だが、譲れない。譲りたくない。
あの名前がいい。彼が呼んでくれたあの名前が、どうしても。
視線は絡み、逸れることなく。瞳は薄紫を捉えたまま。
数秒か、十数秒か。やがて響いた溜め息は目の前の男の口から。
寄せられた眉、下がった目尻。緩む唇。
それは諦めたのでも、呆れたのでもなく……受け入れた者が見せる笑み。
「……わかった。よろしくな、シアン」
心がざわつく。だが、嫌なものではない。
今にも走り出しそうな、じっとしていられない衝動をぐっと抑えても表情まではつくろえず。自分がどんな顔をしているかがわからない。
「っ……は、い」
鏡で確かめたいような、やっぱり見たくないような。複雑な感情に揺さぶられている間、エルドにどんな眼差しで見られていたかディアンが気付くことなく。
今度こそ歩き出した男の背を追いかける時には、もうそれを確かめることはできなかった。
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