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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第二章 初日

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44.『ガキ』

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 棒が風を切る――よりも先に、声が響く。

 それがエルドのものだと認識するより前に自覚したのは、呼ばれたという事実。

 自分の名前ではない。だが、確かに呼ばれたと。彼が、自分を呼んだのだという。言いあらわせられないなにか。

 その感覚を形容することはできず、身体は弾かれたように扉の方向へ。振り返った先にいたのは、先ほど来た男性客と、こちらへ向かってくるエルドの姿。


「誰だいあんた!」

「失礼、俺は教会の者だ。……俺の連れが何か失礼でも?」


 襲われているディアンと、凶器を振りかざす女性。その光景を見ても焦ることなく、冷静に話しかけるエルドに対し、店主の表情はまだ硬い。


「もし疑うのなら、ここの司祭に聞いてくれ。さっきまで一緒にいたから、顔も分かってる」

「その方は隣国から来たお偉い方だそうだ。呼びに行った時、司祭様から言われたから間違いない」

「……本当に?」


 エルドが掲げたメダルと、男の証言。その二つが揃って、ようやくディアンの腕が解放された。

 掴まれていた二の腕が少し痛むが、誤解が解けた安心感はそれを上回る。

 ……どうやら、男が呼びに行ったのはこの村の司祭様だったらしい。

 よくよく考えれば、王都の隣とはいえ兵士が都合良くいるはずがない。ギルド員なんて、一見すれば冒険者と同じだ。ギルドに属していない者が協力するとも限らない。

 最も身近で、彼女たちが頼れる先。そうなると、真っ先に挙がるのは教会だ。

 つまり、ディアンが焦らなくても身の潔白は証明されていたわけで。


「なんだい、てっきりどっかのお屋敷から盗んできたのかと……あんた、悪かったね」

「い、いえ……僕の方も、誤解を招いてすみません……」

「まぁ、この格好じゃあな。訳あって王都まで送る最中なんだが、賊に襲われてな……世間知らずの坊ちゃんなんで、失礼を許してもらいたい」

「いいや、むしろ行儀が良すぎたから怪しかったんですよ! お偉いさんに頭下げられちゃこっちが困りますから!」


 ディアンに続いてエルドも頭を下げれば、もう十分だと店主が首を振る。

 エルドの言葉が突き刺さるが、悪いのはディアンだ。反論するつもりはない。


「悪いけど、かしこまったしゃべり方ってのができなくてね」

「いや、こっちも事情で身分を隠さなくちゃならん。らしくないしゃべり方だが、ご理解いただければ」


 口調こそディアンに対するものと変わらないが、振る舞いにガサツさは感じられない。むしろ、にじんでいるのは地位ある者の品格だ。

 隠そうとしているが、隠し切れていない。……その絶妙なところを、わざと演じている。


「ひとまず俺のローブで隠してたんだが、それでもこの格好だと目立つだろ? で、服を調達するって話をしたら自分で払うって聞かないもんで……」

「そういうことだったのかい。場所が場所なもんで、ばれないと思って盗品を売りに来る馬鹿がいるんだよ。疑って悪いね」

「い、いえ! ど……どうか、気になさらないでください」


 咄嗟に考えたとは思えない流暢な嘘に追いつけず、どもる謝罪も気にされない。

 もう彼女の目には、泥棒と疑われて動揺している世間知らずの坊ちゃんにしか見えていないのだ。


「ということで、これじゃなくてもっと普通の服を買わせてもらいたい。あとはズボンと、適当な鞄があればなおいいんだが……」


 これ、と言われた服はカウンターの端に寄せられ、売るはずだった私物が一つに纏められる間も、話はトントンと進んでいく。

 先ほどとは大違いだ。これが、教会という信頼の証か。


「そういうことなら……出て行った息子のやつが残ってたはずだよ。ちょっと待ってておくれ」


 断りを入れてから奥へと店主が消え、ここまでエルドを送ってきた男も退店すれば……突き刺さるのは薄紫色の視線。


「……すみ、ません、ご迷惑を……」


 俯きそうになる頭を意地で上げる。なにが目立たぬようにだ。なにが、早々に村を出るだ。

 彼がいなければ今頃司祭に引き渡され、そのまま王都に戻されていただろう。それが父の元か、グラナートの元かの違いだ。行く末は変わらない。

 髪や目の色以前の問題だった。全身泥だらけで、いきなり物を売りつけようとしたなら疑われて当然。それが身の丈に合わぬ高級品なら余計にだ。

 彼がいなければ。エルドと行動していなければ。

 ……つまり、それは。最初からディアンの計画が、破綻していたことを示していて。


「……いや、」


 降り注ぐのは、呆れでも怒りでもない溜め息。差しだした手が触れたのは頬ではなく、フード越しの頭。そこに、痛みも衝撃もなく。布擦れの音だけが響く。


「これに関しては俺が悪かった。物を売る気なのは知ってたのに、止めるのを忘れていたからな」


 ぱちり、瞬いたのは想定していたどの反応とも違っていたからだ。

 いい事のはずなのに焦りが込み上げ、首を振って否定する。


「違っ……す、少し考えれば、わかったはずで……!」


 しぃ、と。指先が口元へ持って行かれる。触れることさえなかったが、荒げそうになる声を抑えるのはそれで十分。


「……お前の少しは、俺にとっちゃだいぶだな。気付けるわけなかったんだから、お前こそ謝るな」

「で、すが、」

「分かったはず、思い至ったはず。お前のそれは、実際に事が起こったからこその反省だ。実際に経験したことのない奴にそこまで想定して動けってのがそもそも無茶なんだよ」


 それこそ考えたら分かることだろうと、言い含めるエルドの声は親が子に諭すのと同じだ。幼子のような扱いなのに、やはり不快感はなく。戸惑いばかりが揺れ動く。


「魔法も使い方も知らない奴に、座学だけで応用魔法習得しろって言ってもできなくて当然だろう?」

「……そのたとえは、少し分かりにくいです」

「そんぐらいだってことだよ、雰囲気で察しろ」


 最後に頭を軽く叩かれ、ようやく息が一つ。怒るポイントがずれていることに関して言及するつもりはない。

 エルドはそう言うが、もし父親だったら真っ先にディアンの不手際を責めるだろう。こんなことも想定できなかったのかと、騎士としては相応しくないと。

 そうして、いつものように冷たく見下ろされるのだ。……間違っても、こんな暖かい眼差しで見ることは、決して。


「それに、真っ向から否定したのはともかく、他の対応は間違ってなかった」

「え?」

「疑われてるとわかっても冷静に話していたし、殴られそうになっても反撃しなかった。なにより、教会に俺がいるって伝えただろ」


 指折り伝えられるのは、どれも当たり前のことだ。悪化すると分かっていたからしなかった。褒められるようなことは一つだってない。

 教会にエルドがいるのも、彼なら証明できると知っていたからだ。

  彼を利用しようとしただけで、そもそも問題を起こさなければ呼ぶ必要もなかったのだ。やはり、褒められたことではない。


「ですが、それは……僕が疑われなければ……」

「疑われたのはしかたないだろ。俺は、その後の行動が間違ってないことに対して言ってるんだ」


 俯けば、紫が視界に入り込む。わざわざ屈み、視線を合わせた彼から目を逸らそうとして、緩む目元にそれすら遮られた。


「……ちゃんと、俺を頼ろうとしただろ。それで十分だ」


 ないはずの赤が映る。聞こえるはずのない声が聞こえる。逃げ込める場所であれて安心したと笑う、グラナートの姿が重なっていく。

 同じなのだと、息が漏れる。全てが同一ではなくとも、その根本はきっと、同じ。


「……め、いわくを、かけて、いるのに」


 言うつもりのなかった言葉が、喉を震わせる。あの光景をなぞる様に。思い出すように、ゆっくりと。

 一つ瞬く薄紫。クツリと笑う喉、上がる口角、細められる瞳。

 ディアンが思い出した光景などわからないはずなのに、まるでそれを掻き消すかのように男は笑う。


「ガキがそんなこと気にすんな」

「……もう、子どもじゃないですよ」

「本当に大人なら、そんなこと言わないもんだぞ」


 苦笑すればより笑われ、眉が狭まっても口元は緩んだまま。理解していての報復に抱くのは、不快ではなく心地良さ。

 彼からすれば、まだまだ『ガキ』なのだろうと。諦めたところで、戻ってきた足音に向けた顔はどこか晴れやかだった。

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