41.村までの道中
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草を踏みつける音は途切れない。
周囲は木に覆われたまま。太陽は葉の隙間から僅かに覗く程度で、昼のはずなのに夕暮れのように薄暗い。
人影もなく、獣の声もしない。響くのは、黙々と歩き続ける二人と一匹の足音のみ。
出発してから何十分経っただろうか。もしかしたら、まだ十数分かもしれない。その差は大きいが、共通して言えるのは正規の道にいまだ辿り着かないということ。
迷い無く進んでいるので、間違えている可能性はないと思いたい。
ディアンのことを考え、わざと獣道を進んでいるのか。とはいえ、聞かなければ憶測に過ぎず。僅かににじむ疲れに小さく息を吐く。
「疲れたか?」
そう大きくないはずだったが、男の耳には届いてしまったようだ。立ち止まり、振り返る顔はディアンの表情をうかがっている。
何かを見極めるような視線に首を振っても、紫は逸らされぬまま。
「いえ。……ただ、気になることが」
「なんだ?」
確かに疲れているが、休むほどではない。これぐらいの歩行なら普段から行っているし、なんならもっと長距離だって。父親からは、夕食まで走り続けるよう言われた日もある。
胸を張れるほどではないが、持久力も人並みには……ある、はずだ。
比較する対象がいないので断言できず、そもそもディアンの思考を占めるのは違うこと。
立ち止まった足を再び前に出す男に促され、言葉を選ぶ。
「あなたは、何者なんですか?」
「……まぁたそれかぁ? 言っただろ、ただの関係者だって」
まだ三度目だが、表情はもう聞き飽きたと言わんばかりにしかめられている。盛大な溜め息までつけられ、半目で見つめられても申し訳なさはない。
「いえ、教会に属していることは疑ってませんが……」
「ここにいるのは野暮用。馬車に乗ってないのは馬がこいつに怯えるせい。お前を助けて同行しようとしているのは、あんまりにも見ていられなかったから。……で、あとは何が気になるって?」
大抵は答えただろうと、更に目つきが悪くなる。エルドの言うとおり、大半の疑問はそこで晴らされた。その回答を疑うことはないし、それ以上追求するつもりもない。
野暮用、と称されたそれがディアンの知るべき内容でないことも察しはつくし、馬車に乗れない理由もそこに付随していることだって。
それでも聞かなければならないのは……まだ説明されていない、昨夜のこと。
「……昨日のは、本当に正式な洗礼ではなかったんですよね……?」
「ああ、そっちな……」
ようやく目つきは戻ったが、溜め息はますます深くなる。責められるいわれはないのに、まるでディアンが悪いような扱いだ。
この件に関して悪者はいないはず。いるとすれば……確かに、洗礼を受けようとしなかったディアンかもしれないが。
「教会の定義からいえば、午前九時から十二時の間、教会内部にて司祭以上の階級者と精霊名簿士の立ち会いの下で行われないものは、全部正式とは言えないな。つまり、俺がお前に施したのも、教会からすれば正式なものじゃない」
返ってきたのはディアンの記憶とも正しいものだ。受付は午前八時、よほどの理由がなければ先着順で行われるし、場所の変更もない。
メリアの……『精霊の花嫁』の時だけ、安全を確保するために王城内部で行われたのだ。それ以外は皆、オルフェン王の像の前で膝を折って誓い、加護を授かる。
それはディアンが生まれるよりも遙か昔から定められた決まり。そう、定義としては正式ではないと理解している。……定義としては、だが。
「だが、あなたはこうも言いました。本来、洗礼を受けるのに場所も時間も関係ないと。然るべき決まりさえ守れば、精霊には届くのだと」
「確かに言ったが……何か気になることが?」
「それは……」
気になること。そんなのに、あるに決まっている。
確かにあれは洗礼ではない。あんな……あんなものを、ディアンは知らない。知らなかった。
あの光に包まれた瞬間も、恐怖にも似た感情に支配された感覚も、いっそ夢だと言われた方が納得できる。
だが、なかったことにしてはいけない。そう、これは……あの家で抱き続けていた違和感と同じ。
忘れ去ってはいけない、なにか。
「……確かに僕はあの時、加護を……授かったような、気がするんです」
「気がするねぇ……本当にそんな気になっただけじゃないのか?」
「でも、確かに告げられたんです。加護を授けると、誰かに、」
「誰に?」
間髪入れぬ問いに言葉が詰まる。そう、そこだ。ディアンが知りたいのは同じ部分。
「……それが、わからないんです。洗礼を受ければ、加護をくださる精霊の名も告げられるはずなのに……」
「そりゃあ、やっぱり気のせいだったからじゃないか? そもそも、あれは気休めでしたもんだ。想像と違うのは当たり前だろ?」
言われていることは正しい。気のせい、気まぐれ、不正式。想像と違うのもそのとおり。だが、本当にそれでいいのだろうか。
あるいは、昨日受けたものこそが本当の洗礼で……一度目に受けたのは、やはり何かの間違いだったのか。
それとも、エルドの言うとおり、ディアンが疲れた果てに見た夢か何かだったのか。
納得したくない。だが、答えは得られない。このまま違和感を手放したくないと足掻いても、時間だけが無為に過ぎていく。
「洗礼ごっこじゃ不服か?」
「そういう、わけでは……」
不満はない。しなければよかったなんて後悔もない。ただ、わからないのだ。
あれは本当にただの模範だったのか。それとも、あれこそが真の洗礼なのか。
自分が聞いた声は幻聴なのか、精霊の声だったのか。
だとすれば、自分はなんの加護を授かり……どうして、一度目は頂けなかったのか。
「どうしても確かめたいなら、村の教会で確かめりゃいい。本当に加護を授かったってんなら、知りたがっている精霊の名前が書かれているはずだ」
「それは……」
一番確実な方法だとディアンもわかっている。だが、そうできないからこそエルドに尋ね、できないと理解しているからこそ彼もそう答えている。
狙い通り、黙ってしまったディアンを見つめる目は、やはり少し厳しいまま。
そう、エルドの言うとおり、教会に行けば分かるだろう。だが、同時にそれは……ディアンの所在を知らせる事にも繋がる。
もう既に父は動き、グラナート司祭だってディアンを探しているだろう。見つかれば連れ戻される。きっとエルドがいても、その結末を変えることはできない。
……それに、もし確かめて加護を授かっていなければ。全てがディアンの思い違いで、今度こそ洗礼を受けて、そして……一度目と同じ結果を迎えるとしたら。
責める声が頭の中に響く。失望する人々の声が、見下ろす金の瞳が、ディアンを嗤う声が、響いて、埋め尽くして、
「まぁ、確かめるのなら他にも方法はあるが……」
「えっ……ど、どうやって!?」
「知りたいか?」
予想外の食いつきにも関わらず、エルドに驚いた様子はない。むしろ想像通りだと笑い、逆に聞き返してくる。
詐欺師なら獲物が食らいついたと喜ぶところだ。目の前にいる男が同じ邪な感情を抱いていないことを祈る余裕は、残念ながらディアンの中にはない。
「教えてください」
「だよなぁ。だが、まずは落ち着け。今すぐ分かるもんじゃないし、時間もかかる」
まるで犬を落ち着かせるような口調に眉も狭まる。普段ゼニスにしている対応……とも思えない。完全に、ディアンに対してだけのものだ。
「それでもいいなら、教えられるのは聖国についてからだ」
からかわれているのでは疑い始め、その回答でより線が濃くなる。
ここからどれだけ急いでも数ヶ月はかかる。その間に忘れるか、何かの弾みで分かれば教える必要も確かになくなるだろう。
……それなら、最初から言われない方がマシだった。
「そんな目で見るなって、こっちにも事情がある」
「……できない約束をするぐらいならば、正直に答えた方が誠実かと」
「教える気はあるぞ? だが……あー……」
頭を押さえ、髪を混ぜ。悩む素振りを見せるエルドの足元では、ゼニスが涼しげな顔で主を見上げている。
二つの視線に見つめられた男は暫く唸り、やがて足も止めるほど。
「……よし、なら宣言でもするか」
一人納得した男に対し、見守っていた二人……否、一人と一匹の表情が更に険しくなるのも無理はない。
この場合で言う宣言とは、己に加護を与えている精霊に対して誓いを立てるということだ。
絶対に破らないという意味も込められたそれは、婚約や結婚の際にも用いられる。
その重要度は人によって違うだろうが……こんな容易な疑問に対して使われていいものでないのは間違いなく。
「いや、そこまでする必要は……そもそも、誓う精霊の名前だって……」
エルドはともかく、ディアンはやはりその名を知らない。誓いたくても、それを宣言する精霊が存在しないのだから、形式をなぞるだけで本来の意味はもたない。
だからこそ、幼い時に交わしたサリアナとの約束も口頭だけで済んだのだ。
もしディアンが加護を賜っていて、その精霊の名を知っていたなら、間違いなく宣言を交わさせられていた。
子ども同士とはいえ、宣言は宣言。簡単に破ることは許されないし、破棄の手続きを申し出たところで許されなかっただろう。
騎士になる以外の道は言うまでもなく、こうして家を出て隣国を目指すことなど……絶対に。
「だったら、お前は俺に誓えばいい。俺はお前に誓う。それなら問題ないだろ」
「それを堂々と宣言だと言い張る部分が問題では?」
昨日の洗礼といい、この宣言といい、本当に教会の幹部かと疑いたくなる発言ばかりだ。
そうでもなければ女王に仕えられないのかもしれないが、そろそろ天から罰がおりても不思議ではない。
「我、エルドはオルレーヌ聖国女王陛下に謁見の後、全ての真実を明かすと誓う」
訴えは聞き流され、宣言は成された。左手は顔の横、右手は胸の上。形こそ教本通り。だが、誓う精霊の名前は綴られず。
これでも宣言と称せるのか……昨日と同じく、これもしたつもりというやつかもしれない。
正当性はないが、誓ったという気になれば約束も守るだろうと。そういうことなのか。
真意はわからないが……誓われたのなら、ディアンも返さなければならない。
左手は上に、右手も上に。あるべき位置で止めた後、真っ直ぐに相手の目を見つめる。決して逸れぬよう、逸らさぬよう。
「……我、ディアンはその言葉を信じると誓う――っ」
大きく、心臓が脈を打つ。動悸にたまらず胸元を掴み、詰まった息を吐き出しても落ち着かず。
一瞬、目の前に光が走った。あの時と同じ、昨日の夜に感じたあの感覚。
気のせいでも勘違いでもない。ディアンは確かに、その身で感じ取ったのだ。
「っ……い、まの、」
「よし、これでいいだろ」
違和感を抱いたのはディアンだけ。終わったと言わんばかりに背を向け、さっさと歩き出したエルドの足取りは軽く、心なしか早く。
「ちょ、ちょっと……っ……」
慌てて呼び止めようとするも呼吸は荒いまま。見かねたゼニスが戻り、ディアンを見上げる瞳はどこか労るよう。この優しさを、どこぞの飼い主にも見習ってもらいたい。
洗礼と同じく、宣言もなにかしらの身体の不調を感じるのが普通なのか。回数を重ねるごとに慣れていくのか。
精霊に無縁だったディアンにはわからず、答えてくれる唯一も背を向けたまま。
諦め、吐き出した溜め息に返されたのは一つの鳴き声。指先に擦りつけられる頭は、ディアンをなぐさめるようにも見える。
「……ありがとう。大丈夫だよ」
その額をそっと撫で、微笑み。
そして、離れた位置で待つエルドの元に向かったのは、もう一度息を吐いてからのことだった。
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