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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第二章 初日

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38.翌朝、改め昼

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 ――小鳥の鳴き声に、目蓋を開く。

 高い天井は暗く、黒く。ゴツゴツとした質感に、まだ夢を見ているのかと再び閉じる。

 だが、目蓋越しの光は強く。指先に引っ掛かる土の感触はあまりにも現実味が強い。

 だからこそ、もう一度目を開いても景色が変わるはずがなく……しばし、眠い目を瞬かせながら考える。

 はて、こんな場所で眠った記憶はないはずだが。

 どうみてもここは自室でないし、それどころか屋内ですらない。どこかの洞窟のようだが、そんなところに迷子になった記憶も存在しない。

 随分と頭が鈍く、微睡んでいる。起きながらにして眠っているのだろうか。そんなにも疲れていた自覚はないが……あるいは、気が抜けているのか。

 どちらにせよ、このまま食堂へ向かえば父に怒られる。身支度を調える間に目を覚ましきらないと、また食事を抜かれて……?


 起き上がろうと動かした手が、柔らかななにかに触れた。温かくて滑らかなそれは、手の動きに反応してかのそりと動き、ディアンの頭部へ向かってくる。

 動く、ということは生き物だと理解しているのに焦りはなく、頭はぼんやりとしたまま。眩しさと眠気で半分しか開かない目蓋が、映り込んだ白により狭まっていく。

 逆光で自ら輝いているような姿はよく見えないが、犬……狼なら、とっくに食われているから、多分犬だ。

 昔飼っていた子より小さく思うのは、当時のディアンが幼すぎたからだろう。個体にすれば十分な大きさだ。本当に犬なら、だが。


「……きれいだな、おまえ」


 掠れた声が犬を褒める。意味が理解できたのか、差しだされた頭を両手で撫でて、存分にその毛並みを堪能する。

 滑らかで、柔らかくて、温かい。獣特有の臭いもしないし、やはりこれは夢だろう。

 起きながらにして夢を見ているなんて。そんなに疲れていただろうか。このまま撫で続けていたいが、本当にご飯を抜かれかねない。

 もう二日も食べていないから、これ以上は限界で……ああ、でもご飯よりもローブを優先させないと。

 それから剣を手に入れて、資金を調達する方法を考え、なければ……?

 パチリ、瞬き。それでも寝ぼけたまま。撫でる手は止まらず、夢の感触も消えず、思い出せぬまま。

 そう、自分はなにかを……なにかを、忘れている……?


「おう、起きたか」


 ぬるり、視界に入り込む髭。茶髪に垂れ目だけなら司祭と見間違ったが、そこに収まっている色は全く違う。

 そして……覗き込んでいる色素の薄い紫は、寝ぼけていたディアンの記憶を呼び起こすに十分過ぎるもので。


「う、わっ……!?」


 慌てて飛び上がったはずが、額を押さえられて地面に倒れたまま。浮いた背中が再び地に触れたところで解放され、改めて距離を取る。


「元気でなにより。だが、いきなり顎を狙ってくるのはどうかと思うぞ」


 危ない危ないと手を振り、笑う男が離れていく。犬と思って撫でていた獣も同じく離れ、大きな欠伸をされたところで、ようやく座り直した。

 燃え尽きた焚き火と、外からの光。上からかけられていた布と、近くに置かれていた荷物。

 徐々に思い出していく記憶を整理する間もなく、しゃがんだ男が再び覗き込む。


「おはよう。思い出したか?」


 改めて見やった姿は、昨日と同じ……では、ない。

 髪は一纏めにされているし、髭も唇の上と顎以外は剃られた状態。服こそ変わっていないが、その二つだけでも随分と様変わりするものだ。

 いや、昨晩も同じ姿で会っていたとしても、警戒していたことは間違いないのだが。

 そんなことより気になるのは、まさしくその昨日のこと。


「お、はよう、ございます。……あの、」


 まだ思い出せない一部を問いかけようとして、投げ渡されたそれらを咄嗟に受け取る。一つは冷たく、一つは温かい。

 薄い鉄製の筒に入っているのは水だ。そして、細長い紙包みの中身は……おそらく、パン。


「先に食っちまえ。昨日から何も食ってないだろ」


 少し離れた位置で座る男から、手元へ視線を移す。雑に包まれた紙を開けば、中は予想通りパンではあったが……その形状につい、眉が寄る。

 サンドイッチによく似ているが、パンは分厚く固めのもの。間に挟まっているのはレタスとハムだろうが、それにしたって随分と大きい。

 そのまま口に運ぶのも、千切るのも困難だ。フォークで切るタイプ……なら、最初から切られているだろうし……。


「毒なんて入ってねぇって」

「あ、いえ、その……」


 まだ疑ってんのかと、半目で睨まれ否定するが、素直に食べ方がわからないと言ってもいいものか。

 普通に寄越されたということは特別なものではなく、屋台や店で売られているものだろうし……こんなとき、世間に対する自分の知識不足が悔やまれる。

 興味がなかったわけではなく、知ることすら許されなかったなんて言い訳でしかない。


「あー、悪い悪い。こういうの食ったことないお坊ちゃんだってこと忘れてたわ」


 間延びした声はディアンを馬鹿にするものではない。かといって真剣に謝るのでもなく、単に配慮が足りなかったと反省するだけ。


「た、ただの平民です。お坊ちゃんじゃ……」

「ただの平民は、そんな上質なシャツもズボンも着てないもんだ。一番質素なのを選んだ努力は認めるが、ちょっと無理があるな」


 言葉に詰まり、自分の格好を見下ろす。転んだり寝そべったりで汚れが目立つが、質の良さまでは失われていないようだ。

 男の言う通り一番マシなのを選んだつもりだが……改めて見れば、旅人の格好としては違和感しかない。


「そのまま囓って食うんだ。こんな風に」


 なにかを持つような仕草の後に、空虚に向かって噛み付く動作。実演されずとも意味は分かるが、困惑しないわけではない。

 食べやすいようにと紙を剥がし、意を決して口元へ運ぶ。噛みついた先端は随分と固く、普段食べているパンとは違いすぎる。


「ちっせぇ口だなぁ、もっと思いっきりいかないと具まで届かないぞ」

「……行儀が悪いじゃないですか」

「こんな場所で食ってる時点でマナーもなんもないだろ。食えば百点、食わなきゃゼロ。……ほら」


 早くしろと催促され、もう一度パンを見下ろす。父親がこの場にいれば、間違いなく怒られるだろうが……正直なところ、もう空腹感に耐えられない。

 大きく開いた口へ、思いっきりパンを押し込む。ハムとレタスが一緒に噛み千切られていく感触に唸り、歯を阻もうとする固さに何度か格闘する。

 一度、二度。顎を動かせばようやく具の味が染みこんできて……広がる美味さに、気付けば夢中で飲み込んでいた。

 奪われた水分を渡された水で補充し、二度目は先ほどよりも更に大きく。

 パンは油分が足りないせいでパサパサで固いし、レタスにみずみずしさはなくハムだって薄い。

 比較するまでもなく、普段食卓にあがっているものより悪いが、満たされていく胃袋の前では不満など無いに等しい。


「うまいか?」

「んっ……ん、」

「そりゃあなにより」


 口に入れたまま喋るのはさすがに抵抗が強く。頷いて肯定すれば、満足そうに男も頷き返す。

 必死に食らいつくディアンを見つめる薄紫。欲求が満たされれば、次に浮かんでくるのは忘れかけていた疑問。


「……昨日、なにがあったんですか」


 覚えているのは、洗礼を受けるところまで。

 跪き、誓いを立て、そうして……気を失うまでの、あの一瞬。

 疲れが見せた幻覚なのか、夢なのか。現実味はなく、それでも確かにあったはずの光景。

 あの時、本当はなにが起きていたのか。

 それを知るのは、目の前にいる男のみ。


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