375.☆予兆
二度目の共犯者との会話から、数日。
学校も、教会も、街も。成果と言えるものは無かったと言える。
ディアンが姿を現さないことで変化があると思われた教室も、特記する事項はなく。サリアナがペルデの元に来て、問いただすことも今のところはない。
ディアンが家出をした時も、一週間はもっていた。この夢におけるサリアナが本物か、架空の存在かでまた変わってくるだろうが……ディアンの現状を把握しているにしては、落ち着いている印象は抱く。
居なくなって清々したと、聞こえる声こそ想像の範囲。ディアンがいない範囲でも整合性が取られているのは、取り込んでいるラインハルトの影響を考えてだろうか。
彼が違和感を抱いたところで、大きく支障が出るとは思えない。どこまでが精霊の狙いで、奴の監視下にあるのか。
ディアンが抜け出そうと知っていながら妨害しないのは、そもそもが見当違いなのか。あるいは、脅威と捉えていないのか。妨害する術自体がないのか。
……それとも、これも含めて目的に関与しているのか。
考えるほどに疑問は増え、キリはなく。しかし、ディアンと違い外に出ないペルデに入る情報は限られる。
変化が無い、というのも貴重な考察要素だ。必要性は分かっていても、答えは出ない。
いや、今は出さない方がいいのだろう。共犯者の言う通り、近づくほどに危険に晒される。ペルデが見逃されているのは、ディアンの世界を保つための要素に必要だからだ。
記憶だけを抜き取ればよかったのを、わざわざ生かしておくだけの理由。……これにも、意味はないのか。
考えるほどに深みにはまり、息を吐く。到底休まる気になれず、紅茶を流し込んでから部屋の外へ。
ペルデも正確に覚えてはいないが、十年以上過ごしてきた場所だ。書庫の違和感ぐらいは確かめられるだろう。
内容の正誤も……ディアンを元にしているのなら間違っていないと思うが、念のため。
確かめる時間だけは有り余っているのだ。部屋で延々と考えるよりは、よっぽど健全と言える。
階段を降り、居住スペースから教会へ。ステンドグラス越しの光は赤く、日落ちの時刻が近いことを知らされる。
扉は閉ざされ、人影はなく。この厳かな静寂を、幼い頃は恐れていた。
見上げたオルフェン王に抱くのは、中立者の面影。
今なら分かる。この言い知れない恐怖は、精霊として対峙した際と同じ。教会の人間でありながら、精霊を恐れていたことを、言葉にできなかった不安。
言語化できたとて、グラナートに受け入れられたとは思えない。いや、宥められる姿を考えられない、と言う方が正しいだろう。
精霊は自分たちを見守っている。信じれば、助けを与える。
……なら、どうして。あのバケモノを自分から遠ざけてくれないのか。
怒りが諦めに変わったのは、いつだったのだろう。
ネロの加護を授かりながら、その恩恵を感じる時はなく。それはペルデに限らず、大半の者が同じ。
確かに居ると感じながら、助けてもらえない事実に。それでも、いつか分かってもらえると信じていたのは……いつまでだったのか。
守りたいと言うのなら。なぜ。なぜ、あの時に、もっと早く。
歪んだ唇は誰にも見られず、虚しさだけが胸を占める。
それこそ、今さら考えても仕方のないこと。
思い出せない半年に何があったかは知らない。だが、変わらず苦痛で、耐えがたい、虚しい日々だったことだろう。
……だが、おそらくもう、自分は聖国にはいない。
ただの予想だ。確信はない。だが、ディアンに抱いた違和感はそれで説明できる。
反省と、後悔と、躊躇い。あのバケモノに向けられるはずのない感情。
そもそも、あれだけペルデの心情を理解していると言うことは……ペルデにとっての全てが、終わった後だからこそ。
それこそ、信じがたいことだ。可能性が浮上してもなお、自分が見届けることで助かると信じている。その機会を自ら手放すだけの切っ掛けがあったのか?
だとすれば、それは……。
「……?」
ふと聞こえた音は、向かおうとしていた書庫の方から。扉が開き、どこかへ向かう後ろ姿はミヒェルダのもの。
定期的な本の入れ替え、にしては何かが違って、見つめる間に影は去って行く。
この世界が整合を取ろうというのなら、必ずどこかで綻びが出る。それが、ペルデの前に現れたとしても不思議ではないが……違和感が重なれば、話は別。
書庫から漏れる隙間は、中でカーテンが開かれていることを示すものだ。
本来、傷みから守るために利用時以外はカーテンを閉まる決まりとなっている。
ディアンが知らない決まりでも、ペルデが覚えているのなら、整合の範疇に入っていなければおかしい。
扉に手をかけ、隙間を開く。真っ赤に染まる部屋。本棚とは違う伸びた影。その正体を知りながら自然と殺した足音よりも、鼓動が強まる。
逆光を浴び、捉えにくくとも見紛うことのない輪郭が持つのは本だ。
一見すればただの読書。文字を指で辿る動作も関連している動き。
書庫で過ごす姿だって、現実でも見てきた光景だ。それだけなら、違和感はない。そう、本当に、これだけだったなら。
……であれば。その表情はどう説明すればいい?
「っ……ああ、ペルデ。いたのか」
踏み込んだ重みに床が耐えられず、空気が裂ける。
強い音は、勢いよく本を閉じたもの。振り返った顔が強張ったのは、ペルデの存在を意図しないことへの証拠。
瞬いた瞬間にいつもの笑みに戻ろうとも、見逃すことのできない違和感。
「すいません。光が漏れていたので、閉め忘れかと」
「少し用があってね。ペルデは勉強か?」
「ええ。……少し」
抱えられた本は裏を向けられ、詳細は不明。
行動だけなら筋が通っている。やっていることはおかしくない。
ただ、その目が。その笑みが。司祭を模す全てが、ペルデの記憶と微かに重ならない。
この夢は記憶から作られている。だが、主となるのはディアンであり、ペルデは補う分でしかない。
であれば、この見つめる瞳が柔らかいのも、ディアンの記憶が反映されているのか。
それとも……ディアンのように、ペルデにも。願望が反映されているというのか。
今のように接されたかったのだろうと。本当は、こうして過ごしたかったのだろうと。
――全くもって、吐き気がする。
「ペルデ?」
「あ……いえ、すいません。少し考え事を」
「頑張るのもいいが、あまり無理をしないように」
父親らしい小言と、温かすぎる視線と、重ならない記憶。翻弄される間にグラナートは書庫を出て、ペルデだけが取り残される。
……この違和感は、本当に記憶が異なるだけで片付けていいのか。
この不快感を、呑み込んでもいいのか。
その先は……今、踏み込んでいい領域なのか。
渦巻く疑問に与えられる助言はなく。照らす夕日がペルデを焼いていた。
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