374.続く悪夢
「訓練はどうなっている、ディアン」
フォークの先が皿を掻き、指先から伝わる不快感に眉が揺れる。貫き損ねたサラダから視線を正せば、正面から射貫くのは金の瞳。
この夢に取り込まれてから数日。ゼニスと合流以降、進展と呼べる成果は得られていない。
一番懸念していたゼニスの引き取りが、あっさりと受け入れられたのは幸いと言える。
他の犬種がいいと喚くメリアに対し、ヴァンが殿下からの贈り物だと宥めたのも想定外と言える。
ディアンの記憶では、子犬を引き取ったのはもっと幼い頃。希望通りの、それもメスの子犬だ。
ゼニスが小さい姿で出てきたのも、記憶と整合させようという意図があったのか。
犯人からすれば、ゼニスをディアンの傍に置くことはリスクにもなりかねないが……相手にとって違和感を上回らないことは、それ以上に優先させることらしい。
そのままディアンの部屋で飼うことになったのも都合がよすぎるが、隠れて相談する必要がないのは利点でもある。
なにより、ゼニスがそばにいるだけでもディアンにとっては心強く、この数日で収穫がなくても、まだ気落ちする程度で済んでいるのだから。
そして、想定していた追求にも冷静に反応できた。
「グラナート様より、しばらく控えるようにと」
「なに?」
「理由を聞いても、私の加護に関係するとしか……聖国からの指示なら、司祭様も説明できないかもしれません」
「いったいなにを考えている……」
口裏を合わせているからこそ吐ける嘘だ。
教会が絡んでいる以上、ヴァンも強制はできない。漏れた苛立ちは、それらを裏付けるものだ。
この夢の中では、まだディアンは成人を迎えていない。つまり、加護なしのままだ。
英雄の息子として、精霊の加護が無いこともヴァンにとっては不都合だろう。
どこまで整合性が働いているかはわからないが、ディアンが抱く根本までは変わらない。
自分では聞かなくても、グラナート司祭の言葉なら受け入れる。その理由が教会、しいては精霊に関係しているのなら、なおのこと。
「指示があるまでは教会で勉学を重ねます。私からお伝えできるのは、以上です」
「学園に行かないことは許可したが、怠けていい理由にはならん。帰ってから何もしていないことは知っているぞ」
夢の中でも、報告が行くのは変わりないらしい。
以前であれば、帰宅してから寝るまでは訓練漬けで、まともに休んだ記憶も残っていない。比較すれば怠けているようにも見えるだろう。
最近は特にメリアとの会話も増え、比例して鍛える時間は減るどころか無に等しい。
それ以上に優先すべき事項は、伝えたところで理解はしてもらえないし、してもらおうとも思わない。全て、無意味なのだから。
「私はグラナート様の指示に従っているだけです。……司祭様にはお伝えしますが、教会の意向に離反するつもりはありません」
「待てディア――」
「お兄様!」
堂々巡りになるだけだと、席を立つディアンを呼び止めたのはメリアが先。
「行くなら今日の本を選んでからにして!」
「もう読み終わったのか? さすがメリアだな。大丈夫、もう持って行かせてるよ」
メリアが本を強請るのも、それを自分が選ぶのも、以前なら考えられなかったことだ。
メリアを『花嫁』にする前提で動いている今、必要なのは『花嫁』にたり得る知識だ。
娯楽本に寄せた内容。それも、フィリアかデヴァス夫妻は特に食いつきがいいと気付いてからは、彼らを中心とした話を選んでいる。
くわえて、フィリアとデヴァスはどちらも精霊王の分身。他の精霊との接点も多く、知見を広げるにも最適な存在だ。
「炎と水の精霊の話?」
「今日はフィリアと仲の良い、月の精霊も出てくる話だ。彼女たちが力を合わせて、身分違いの恋人との仲を……」
「ちょっと! 読む前に説明されたらおもしろくなくなっちゃうじゃない!」
これ以上聞いてはたまらないと、慌ててご飯を食べるメリアに対し、宥めようとする父を横目に部屋を出る。
「ディアン」
だが、逃げ切るには一歩遅く。咎める声に、足だけが止まる。
「分かっているだろうな」
足らぬ続きに込められたのは、一言では纏まりきらない言葉。
騎士として、英雄の息子として、自身がどう振る舞うべきか。
今回の件が落ち着き次第、遅れを取り返せと。そのままでは騎士にはなれないのだと。
あの頃はあんなに辛かった言葉も、今は何も感じない。
「……はい。失礼します」
当たり障りの無い言葉は、また父の怒りを誘うだろう。いや、納得する姿を描けないのは、むしろ記憶通りと言える。
ヴァン・エヴァンスが人であると認識しても、ディアンの記憶に残っているのは、どうしたって自分を認めなかった父の姿なのだ。この夢にいる限り、彼がディアンの言葉に耳を傾けることは、ない。
……本当に、もう気にしていないはずなのに。吹っ切れているはずなのに。
たとえサリアナの思惑が絡んでいなくとも、自分に騎士は、務まらなかったはずなのに。
「大丈夫ですか」
部屋に戻るなり、待っていたゼニスが心配するほどにひどい顔だったのだろう。
自覚があるだけに苦笑するしかなく、その小さな頭を撫でるので誤魔化す。
「ありがとう、大丈夫」
「もう少し加減をしていただけると助かります」
「ごめん、小さいとつい……」
ついつい撫で回したくなるのは、見た目のせいか、いつもの癖か。
彼も望んで今の姿になったのではないと分かっているが、手癖は治らない。
鞄の中に入ってしまいほど小さい姿なら、余計に。
自分はゼニスがいるから緩和できているが……ペルデは、大丈夫だろうか。
ディアンよりも強く違和感を抱いているはずだ。理解していても、着実に精神は削られているだろう。
耐えられるとは思うが、しかし……。
「ディアン?」
「……いや、ごめん。今日はギルド地区を探ってみよう」
首ごと思考を振り切り、鞄の中にゼニスを誘導する。
仮説ではなく、確かな情報を掴まなければならない。
彼の為にも。……なにより、エルドのために。
小さな身体ごと肩にかけた鞄の重みは、ディアンにとっては心強いものだった。
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