373.☆交われど重ならず
蝋燭に照らされるのは、無機質な机と開かれない本。傍らに置かれたペンは置物と化している。
視線だけは執拗に注がれ、それでも使えずにいるのは忠告が刻み込まれているからこそ。
例の存在――共犯者を完全に信用したわけではない。そもそも、あまりの情報量に全部覚えていろというのが無理な話だ。
いつ繋がるかもわからないのなら、なにか印だけでも残しておきたいと。思い立っても結局は眺めたまま、情報を反芻するだけで時間が溶ける。
そう、本当に……まるで狙っていたかのように。
『忠告は守っているようだな』
いや、むしろ狙っていたのはこの声だろう。
肩が跳ね、思わず振り向いても何かが居るわけもない。虚空に向けるしかない苛立ちは、端から見れば気が触れているようにしか見えないだろう。
「っ……きゅ、うに話しかけるな……!」
『そう驚くな。声以外に伝える手段はない、早く慣れろ』
「事前に合図とか遅れないのかよ」
『無駄なことに割く余力はない』
淡々とした返答も、声が笑っていれば説得力がない。自分を驚かせて何が楽しいのかと、鋭くなる視線だって届いていないのだろう。
沸いた怒りを深い呼吸で鎮め、背もたれに力を預ける。吠えたところで、それこそ無駄と切り捨てられるだろう。
『それで? なにか変化はあったか?』
「……アンタと会話してから、おおよそ二日。ディアンがいない空間でも、ある程度の整合性が見られた。あいつの話では、王都の外に行こうとすると戻されるらしい。唯一道が繋がってたのは、あいつが逃げようとした森の中だけだ」
要点を絞り、なるべく簡潔に答えていく。
情報が足りないのは相手も同じ。そのうえで、どの情報が重要であるかを吟味する余裕はない。
思わぬことが糸口に繋がるかも知れない。判断はペルデではなく、彼に委ねるのが合理的だろう。
「おそらく、王都周辺がディアンに違和感を抱かせないために管理できる限界なんだろ。……それと、そっちの状況もゼニスからある程度聞いた」
『……どこまで?』
「スタンピードが発生しかけていることと、精霊樹の異変。フィリアのおかげで今は一命を取り留めていること。で、この夢に入れたのはゼニスだけだったって所までだ」
『……なるほど、概ね合っている』
訂正するほどではない誤差は含まれているらしいが、明かすつもりはないと言葉から読み取れば、それ以上追求することもない。
「一度目の夢は、中立者の存在が否定されたことで目覚めたと言っていた。メリアを『花嫁』にすることに強く抵抗があったのを利用して、意図的に同じ状況を作り出す方向になっている。……本人に自覚はなかったみたいだけど」
『その様子では、お前は分かっているようだな』
ディアンたちにはうまく誤魔化せたが、なぜ見ていないはずのこの男に見通されているのか。
やはり監視されているかと考え、意味はなく。代わりに浮かべるのは、強く動揺した紫の瞳。
あのバケモノが、あんなにも動揺するなんて。そんなの一つしかない。
「……憶測だけど。メリアが『花嫁』になれば、中立者の伴侶になる可能性があるからだろ」
『さすが、よく見ているだけある。順当に行けば、人間を娶るのはヴァールであるのは変わらない。たとえ存在を奪われても、あのバケモノは伴侶を奪われることを恐れている。……無意識であるのが、なんとも笑える話だな』
ディアンが王都を出て、エルドと旅をし。あそこまで心を通わせ、全てを委ねるまでになったかをペルデは知らない。
過程などどうでもいい。今のディアンにとっては、エルドと共に生きることが全て。
その為ならば人としての生を捨てることも、何百年に亘る苦痛を受け入れることも、抵抗はない。
バケモノは、正しくバケモノになったのだ。
ヴァールさえそばにいるのなら、アレは耐えられてしまう。
……だからこそ、ヴァールがいない今。この夢にいないと分かっていても、無意識に縋ろうとしている。
自覚しない理由も、認めない理由も、ペルデはもう分かっている。
「あんたはどう思う。メリアを『花嫁』にして、それだけで出られると?」
『あり得ない、とは言い切れんな。何が切っ掛けになるかは分からない。今は従っておくのがいいだろう。……だが』
一段と声が低くなる。抱いた既視感は、いったい誰の記憶なのか。
窓もないのに頬を撫でる風の感触は、何に重ねたモノだったのか。
『奴に伝える情報は、引き続き吟味しておけ。そして、必要であれば秘めていろ』
「あえて伝えるなって?」
『聡いお前の事だ、精霊の目的もおおよそ目星がついているだろう。他にも、気付いた違和感は多いはずだ』
疑問ではない時点で、確信を持っている。そして、ペルデは否定できない。
まだ憶測でしかない可能性。口にするには、まだ形にならないほどの……だが、いつか答えとなる輪郭。
今日だけでも、どれだけ掴んだだろう。そして、その全ては、男の言う秘めておくべき事項に値する。
伝えるべきではない。そして、気付かれるべきではない。
『情報はお前を守るための武器でもあるが、同時にお前を殺す凶器でもある。……己の身を優先に動け。それが、結果として夢から抜け出す最大の武器に成り得る』
「そんなの……この会話だって聞かれてるんじゃないのか」
『気付かれているなら、とっくに遮断されている。幸いにも、細かな監視までは目が回らないようだからな』
少なくとも、共犯者と話している間は見られていないということだろう。
だが、ディアンが居る場はそのかぎりではない。確信に近づくほどに、ペルデの身は危険になる。
……知ってなおディアンを止めようとしないことには疑問が残るが、目的を果たすためのリスクが上回ったのか?
何にせよ、まだ答えは出ない。
『あくまでも、お前がすべきは情報を集めることであり、犯人を突き止めることではない。それを忘れるな』
「待て。……アンタも、ここに入れなかったのか」
『……なぜ?』
途切れる前に、投げた問いへは僅かな沈黙。それだけで大半は知れたも同然。
「ゼニスから聞いた状況を考えれば、アンタも俺たちの近くにいる。だが、精霊もいる場にただの人間を置くとは考えられない。……アンタが精霊じゃないっていうなら、女王陛下と同じ愛し子か?」
『さてな。知りたいなら、無事にその夢から醒めることだ』
途切れる感覚と、形容しがたい喪失感。呼びかけなくても、繋がりが切れたことを知らされ、身体から力を抜く。
ロディリアとおなじ、精霊と人間の子。そのうえ、この非常事態に協力するだけの関係。
巡らせた思考に目安がついても、現状は変わらず。一つ、吐いた息で部屋は暗闇に包まれた。
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