371.再会
帰宅するなり耳に届いたのは、喚くメリアの声だった。
聞こえた方向は階段上ではなく程近い場所。足は自然と廊下を曲がり、中庭へと誘導される。
憶測はついている。外に停まっていた馬車は、王家からの使いの者だろう。あるいは、王都の商会が献上品を届けに来たか。
『花嫁』への贈り物自体は珍しくない。定期的に厳選された品は届けられていたし、メリア自身が頼んだ時もある。
そのほとんどは、服や室内で遊べる娯楽品。それも、彼女好みの本が圧倒的に多い。
気に入らないと喚いた回数は数知れず。
だが、中庭に運ぶような物は滅多にないはずだ。
初めて踏み入れた中庭も、大半は記憶通り。整えられた花壇。奥に備えられた訓練用のスペース。そして、その半ばで喚いているメリアの姿。
メイドと騎士。そして、その対面にいるのは見慣れない男の姿。恰好からして、王家からの使者だろう。
一人しかいないなら、持っている箱はラインハルト殿下からの贈り物だ。
贈り物に関して言えば、誰よりもメリアの好みを熟知しているはずなのに、一体何を送ったのか。
「何の騒ぎだ」
「っ、お兄様……!」
記憶にない一連だ。つまり、なんらかの影響によって変化が生じたと考えていい。
確かめる価値はあると近づいたディアンに、メリアが箱を指差して叫ぶ。
「ライヒがひどいの! こんなのいらないわ!」
「殿下からの贈り物なんだろう? ……メリアがお願いしたものじゃないのか?」
「私が欲しいのはもっと小さくてフワフワしてる子よ! 色も種類も全然違うわっ!」
まるで、爪先で脳を引っかかれたように。些細ながらも無視できない、ぞわぞわと広がる感覚が、呼び起こされた記憶から連鎖する。
記憶にない、というのは厳密には嘘だ。ただ、あり得ないと端から除外していた。
該当するのはもっと幼い頃。成長した今とは時期が重ならないと、無意識に退けていたもの。
もう一度、従者が持つ箱を見やる。縁が高く、中身までは見えていない。だが、解かれたリボンも、外装も、確かに記憶と重なる。
小さくて、フワフワ。そして、色と種類。連想される言葉に心臓が早鐘を打つ。
もしかしたら。でも、そんはなず。……だけど、もし、そうだったら。
裏切られたくない期待と、落胆したくないからこその冷静がせめぎ合い、揺らぐ紫が箱の中を捉える。
白い毛皮。蒼い目。姿こそ小さく、子犬にしか見えなくても、その姿は――。
「その……基本的に、気に入っていただけない場合は処分するように言いつけられておりますが……」
メリアに聞こえぬよう囁く声がなければ、きっとその名を叫んでいただろう。
寸前で堪えた理性に深く息を吐き、代わりに箱を受け取れば、薄い紙越しに伝わる体温に目眩がする。
これは夢。それも、精霊に干渉されて見せられている悪夢だ。
記憶に当て嵌めるのなら、彼がここにいるはずがない。でも、もしかしたら、本当に。
「……私の方でなんとかします。殿下には受け取ったとだけお伝えください」
役目は果たしたと、早々に去っていく男から睨み付けるメリアに向き直る。
彼女が欲しがり、実際に与えられたのはクリーム色の小型犬。彼の姿は、メリアの好みとは真逆だろう。
「ひとまず、僕が預かっておく。それでいいね、メリア」
「でも!」
「メリアの思っていた子とは違うかもしれないけど、殿下からの贈り物だ。それに、命のあるものを無責任に捨てることはできない。……この話は、父さんが帰ってきたら改めてしよう」
飼育の有無も、メリアの反応も関係ない。無理矢理に説き伏せ、抱えたまま室内に戻った足が速まる。
階段を駆け上がり、滑り込むように自室へ。そして、大きく息を吸って……もう一度、箱の中を見る。
見上げる蒼は大人しく。それこそ、いつものようにディアンを見上げる。
「ゼニ、ス?」
「……これで気付いてもらえなかったら、どうしようかと思っていました」
愛らしい姿に似つかわしくない、低く落ち着いた響き。どう聞いても鳴き声ではない、聞き慣れているはずの声が懐かしく思えたのは、この二日間がディアンにとっていかに長く、苦痛であったかを示すもの。
呆れ混じりの息も、僅かに揺れている尾も。全て、ディアンの知っているゼニスの通り。
本当だ。本当に自分の知るゼニスだ。
「ゼニス……!」
「無事で良かった。……できれば、もう少し力を抜いてください。この身体では潰れます」
「あ、ご……ごめん」
たまらず抱きしめた身体を解放し、改めて持ち上げた身体はやはり子犬そのもの。
かつてのゼニスもこんな小さい時期があったのかと、和やかになるにはあまりにも信じ難い状況。
「どうやってここに? どうなって……エルドは大丈夫なのか?」
「落ち着いてください、順を追って説明します。……まず、どこまで把握できていますか?」
言い聞かせる口調に、小さくても中身は同じと安心し、深く息を吸って鼓動を鎮める。
ここが自分の記憶を元に作られた夢であること。今回の犯人が例の精霊であること。
そして、ペルデとメリアはこの夢に引きこまれているだろうこと。
改めて挙げた情報は少なくとも、ゼニスが頷いたことで肯定される。
「あなたが引きこまれてからすぐ、エヴァドマとアンティルダより連絡が届きました。あなたの妹と、ラインハルト。そして。ペルデが取り込まれていることは、こちらでも確認できています。あなたの父とグラナートについては無事です」
「そうか……最初、ペルデには記憶がなかったけど、もしかしてジアード王が?」
「ええ。今もペルデに魔力を与え、命を繋いでいる状態です」
「……じゃあ、エルドも?」
安心したのは、巻き込んでいなかったことか。あるいは、本当に本物でなかったことか。
複雑な感情は、静かに頷かれたことで希望と安堵に変わる。
やっぱり、そばにいるのだ。今もここに。自分の隣に。感じられなくても、届かなくても。そばに。
「……よ、かった……っ」
視界が滲み、声が震える。
エルドが自分を待っている。その事実だけで、どれだけディアンが救われたか。
たった二日。エルドと離れ、彼のそばに居なかっただけで、どれだけ……ディアンが辛かったか。
今も自分を助けようとしてくれている。その事実だけで、どれだけディアンの力になることか。
なら、自分だって。この夢から早く目覚めるために行動しなければ。
「ゼニスは、どうやってここに?」
「フィリア様にご助力いただきました。彼女だけではなく、他の精霊も人間界へ」
「一体なにが……」
「あなたが取り込まれて間もなく、精霊樹の機能が停止しました。アケディア様の意識もなく、人間界ではスタンピードの兆候も出ています。まだ被害は出ていませんが、今回の件と無関係ではないでしょう」
人間界に精霊が出てくるほどの緊急事態。あまりにも間隔が短すぎるスタンピード。そして、アケディア様。
マティアを案じ、まだ精霊界にいるのならば大丈夫だと言い聞かせる。愛し子が想い続けるかぎり、アケディア様が消滅することはないはずだ。
想定以上の被害に理解が追いつかない。あまりにも、情報が多すぎる。
「総合的に、元凶はこの夢の中にあると判断し侵入を試みましたが、成功したのは私だけでした。他の精霊は警戒していたようですが……私の存在までは考慮していなかったようですね」
「……やっぱり、あの精霊の仕業だと?」
「そう考えるのが自然でしょう。あなたが目覚めれば、少なくとも現状は落ち着くはず。ですが、出るための方法は自力で探らなければならないようです。……フィリア様の声も、もう聞こえなくなりました」
彼の耳をもってしても聞こえないのなら、ディアンならなおのこと。
徹底的に精霊との接触を妨げられている。逆を言えば、接触さえできれば目覚める可能性が高まるということだ。
そして、ゼニスは精霊ではなくとも近い存在。エルドが入れなくても精獣である彼は潜り込めたのだ。
可能性にかけたのは、他でもない、あの人。
「ごめん、ゼニスまで危険な目に……」
「他にあなたを守る方法はありませんでした。……それに、その言葉は相応しくありませんよ」
「……ありがとう、ゼニス」
それでいいと言うように、キャン、と吠える声に笑ってしまう。
「時間は限られています。他の詳しい話は、ペルデと会ってからにしましょう」
「わかった。……ゼニス」
「なんですか?」
「本当に……本当に、ありがとう」
今度は潰さないように、そっと抱きしめた身体は小さくて、軽くて。それでも、こんなに心強いことはない。
自分に言い聞かし、大丈夫だと信じて。それでも、抱いていた不安が、彼がいるだけで埋められていく。
この夢において今は、ゼニスだけがエルドがいることの証明。
エルドの元に戻るための、大きな一歩。
「それと……すごく可愛いよ。エルドにも見せたいぐらいに」
余計な一言への報復は、小さな牙によって返された。
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