365.始動
二日目の授業は、特筆することなく無事に終了した。
向けられる視線や囁きこそ多少変わったが、整合性を取るための調整と考えれば想定内。
クラスメイトも、ラインハルトの対応も。……そして、ペルデも変わりなく。
現時点において、平穏はディアンに良い意味をもたらすとは限らない。情報が得られなかった、という点では損失とも言い換えられる。
実際、もう学園にいる必要はない。サリアナこそ断言するのはまだ危険だが、現時点で巻き込んでしまった人間も目星がついた。
ペルデにはしばらく通うと伝えたが……正直なところ、明日にでも街に行くことも視野に入れている。
現実でどれだけ時間が経っているかもわからない以上、無為に過ごすわけにはいかない。
だが、この夢がディアンの記憶を元に作られているのなら、正統な理由無しに登校しないのは咎められる。
いや、怒られるだけならともかく、謹慎を言いつけられ、監禁される可能性が高い。
今のディアンなら抜け出すのは簡単だが……当時にはない力を使い続けた際、自分たちにどれだけの影響を与えるか分からない以上、無茶はできない。
実際、ラインハルトに勝っただけでもこの騒ぎだ。裏を返せば、当時の自分ではあり得なかったということ。
いや、きっと当時も負荷魔法がなければ、対等には戦えていたのかもしれない。少なくとも無様に這いつくばり、罵られることはなかったはずだ。
……いや。今だからこそそう思えるだけで、実際はなにも変わらなかったか。
どれだけ過去に似せられていても、自分はあの頃とは違うし、同じにはなれない。そもそも、やり直したいなんて思ってもいないのだ。
ディアンにとっては決別した過去。
求めていたのは、偽りの名誉ではなく、来るはずだった『明日』。エルドと生きる未来。ただ、それだけ。
「ディアン」
門限まで何か調べられないかと。行き先を考えるディアンを呼び止めるのは、喜々とした声。
続けて響く甲冑の不協和に、身体が強張るのは染みついた感覚のせいか。
……これも、昨日よりはマシでも、慣れるまではいかないのだろう。
思い返せば、彼女が話しかけてくるのも放課後が多かったと。振り返った先、早足で近づいてくるサリアナに向き直る。
「やっと会えた。探していたのよ。昨日はあんな別れ方だったから……」
「……申し訳ございません」
当時の自分なら罪悪感を抱き、自分を責めていただろう。
いや、そもそも不敬を働かなかったと思い直し、目を合わせれば微笑みはより一層深くなる。
「いいの。それより、今日こそお祝いをしましょう?」
「祝い?」
「ええ! 昨日の試合でお兄様に勝てたお祝いよ!」
喜びを隠そうともしない、記憶通りの行動。
覚えのない提案も、彼女の執着を思い出せば納得がいく。
祝うほどのことではない。ただの偶然。お手を煩わせるわけには。
どの返答も、最後には押し切られるのが目に浮かぶ。ディアンの意志は関係ない。サリアナの中では決定事項なのだ。
学園生活も、茶番とも言える慰めも。いつか、彼女のそばにディアンが並ぶことも。
「もう準備はできているの。あなたの好きなお茶菓子も用意してるわ」
普通に考えても、王女殿下の誘いを断る者はいない。ただ、彼女の認識だけが異なるだけ。
ディアンも自分を愛しているから。ディアンも私を求めているから。ディアンは、私のものだから。
かつての彼女の叫びを思い出し、無意識に求めた気配は、感じられないほど遙か遠く。
「たかだか一度、偶然勝っただけで随分と大袈裟なことだ」
腕が降りるまで首飾りに触れようとしたことを自覚できず、気付いた切っ掛けは甲冑の擦れる音を伴って近づいてくる。
今日感じた視線の中でも、最も鋭い光でディアンを貫きながら。
「そこまでくると、呆れを通り越して哀れみすら抱く。試合に勝つ度にそうして騒ぎ立てるつもりか?」
「お兄様……」
「まぁ、最後の祝賀まで咎める理由もない。そう何度も都合よく成功するはずがないからな」
「ディアンがお兄様に勝ったのは彼の実力よ」
騒ぐ声に集まる人々。昨日よりも数が多く見えるのは、整合性の影響か。
昨日の延長となれば、噂を確かめる野次馬が増えるのは、ディアンの認識と照らし合わせても自然なもの。
だからこそ、この後の展開も容易に想像がつく。
ラインハルトを煽るほどに彼はディアンを貶し、サリアナが庇うことで、よりディアンの無力さが際立つ。
憐れみ、蔑まされ、嗤われ。それでも、私の為に努力を続ける愛しいディアン。
真相が分かってから振り返れば、その衝動は精霊に酷似している。
理想を作れる環境と実力が伴っていたからこそ、余計にそう思うのだろう。
人々を洗脳し、自らが望む世界を作り。彼女の望みはほぼ叶えられていた。
……たった一人、ディアンだけを除いて。
彼女は人間だ。どれだけ強い加護、強い力を所持していようと、最後には人間のまま裁かれ、死を待つだけの存在となった。
これまでの行動も、執着も、記憶になぞらえれば違和感はない。
本物が取り込まれている可能性は限りなく低くて……それでも、否定しきれないのは、この夢が彼女にとって都合がよすぎるからだ。
ここまでの事態を引き起こせた精霊ならば、消し去ったはずのサリアナに記憶を植え付けることも可能。
もしサリアナに意識があるなら、ディアンをここに縛り付けようとする理由にも説明がつく。
……やはり、学園だけでは情報が足りない。
「本当に実力だというなら、次も勝てなければ説明にならんな。ああ、今度こそ公平に、新品の模擬剣で。細工をする間もなければ俺も納得してやろう」
「ディアンはそんな卑怯な真似なんてしていないわ!」
「疑っているのが俺だけと思っているのか?」
ラインハルトの言う通り、不正を行ったと思った方がまだ理解できるだろう。同時にこれは、いつか自分が受けるはずだった視線と同じ。
サリアナの願い通り。実力がないと思われたまま専属騎士になったなら、同じように晒され続けていた。
少なくとも、彼女と共にアンティルダに行くまでは、ずっと。
……そして、アンティルダで過ごす日々が良いものであるとは思えない。
ペルデが襲われたということは、ジアード王も無事ではすまなかったはず。
彼まで夢に取り込まれているとは考えにくいが……やはり、確かめる為には行動範囲を広げる必要がある。
遅くても、次の休みが明けるまでには手段を考えなければ。
「再戦を承諾しないのは、自ら不正を認めたも同然。こんな卑怯者が騎士になりたいなど、よく言えたものだ」
「いい加減にしてお兄様! ディアンは卑怯者なんかじゃないわ!」
考え込んでいる間に、言い争いはいよいよ歯止めが利かなくなっている。
宥めようとも、ディアンの発言では余計に苛立たせるだけ。
これ以上時間を無駄にするぐらいなら、いくらでも膝をつこう。
一秒でも、一瞬でもいい。少しでも、あの人の元に戻る方法を見つけなければ。
「口で言うだけならなんとでも――!」
「ディアン」
承諾の言葉が、呼びかける声で掻き消された。
サリアナでも、ラインハルトでもない。耳慣れた声は、昨日とは違う響きを持って、確かにディアンを呼んだのだ。
振り返った先。近づいてくるペルデの姿。瞳は逸れることなく、真っ直ぐに紫を見据えたまま。
「……ペルデ?」
「グラナート司祭が呼んでる。昨日の件で話したいことがあるらしい」
揺れることなく、怯えることなく。瞳に宿るのは、恐怖ではなく、確かな怒り。
なにより、その発言にペルデの記憶が戻っていることを確信する。
全てか、一部か。どちらであれ、事態は好転したと言っていいだろう。
……ディアンの心境さえ、考慮しなければ。
「御前を失礼します、殿下」
「待て! 話はまだ……」
「私の実力は殿下も含め、皆が知っての通りです。昨日のはただの偶然。殿下の手を煩わせるまでもございません」
後ろから呼びかける声を振り払い、先導するペルデの後をついていく。
地面を踏みしめる強さは、紛れもなく彼の怒りを表していた。
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