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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
~擬似転生編~

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360.求めた選択

「ペルデ・オネスト」


 判断は無意識に、迷うことなく。声は彼の足を繋ぎ止め、縫い付ける。

 僅かな静寂は、言い争う声まで止んだからだ。

 決して強い声ではなく、呼びかけられた本人以外には些細なもの。

 その一言だけでも十分だった。ディアンをバケモノと恐れる彼を留めさせるには、それだけでよかったのだ。

 紫が見据える。揺れる榛を。恐怖を。拒絶を。絶望を。突きつけていると知りながら、ディアンの声は止まらない。


「目を逸らす前に、僕が今からすることを見てほしい。君が本当の意味で、僕から逃げたいのなら」

「な……なに、を……」

「殿下」


 ペルデから、目の前に。この一連を不思議そうに見つめるサリアナに向き直り、首元へ指を伸ばす。

 ここは夢の中。ディアンの記憶を忠実に再現した幻。だが、すべてが同一ではない。

 もし、僅かにでもサリアナに記憶があるのなら。なんらかの要因で思い出し、偽っているのだとしても。彼女であれば、コレを見逃すはずがない。

 紐を引き出し、良く見えるように掲げる。光に照らされ反射するのは青ではなく琥珀色。

 角の目立つ不格好な石は、どう見ようとサリアナが贈った首飾りとは異なるもの。


「なにか思い当たることはありますか」


 かつて彼女から贈られた首飾りは、かつての約束の証。

 騎士になるためと誓いを立てさせられた、彼女の執着そのもの。

 もし記憶が残っているのなら。ディアンを欺こうとしても反応するはずだ。

 どれだけ巧妙に隠そうとも。かつての自分なら気付かなかったとしても、今ならばわかる。

 ディアンが今掲げたものは、サリアナから唯一を奪った憎し存在の証明。エルドに関係することならば見落とさない。

 確固たる自信は、愛し子としての矜持か。あるいは、エルドへの愛からか。

 目を見開いたのはペルデだけ。本来、反応するべき彼女は一つ瞬くのみ。


「なにかって……なにかしら?」


 首を傾げ、笑う瞳孔に変化はない。隠しきれぬ憎悪も、怒りも、動揺も。感じ取れる感情は一つもなく、同時に決定打となる。

 ほんとうにディアンが騙されていただけとしても。ディアンが気付かなくとも。彼だけは誤魔化せないだろう。

 誰よりも早く、彼女の本性に気付いていた唯一なのだから。


「ペルデ」


 再び呼びかければ、哀れなほどに肩が跳ねる。

 これまでの異常を目の当たりにし、なおも恐怖の根因に詰め寄られているのだ。ほんとうに、ひどいことをしているとわかっている。


「僕は、君がなにを考えていたか知っている。君の感情も、僕に関わりたくないことも、関わらないことで君が幸せになることもわかっている」


 だが、ディアンは問わねばならない。

 ディアンが求めるのは恐怖による支配ではなく、彼の意志。彼自身がディアンの話を聞く選択。


「今のを見たうえで、君が僕を避けたいのなら、もう僕は止めない。……君が選ぶんだ、ペルデ」

「え、らぶ、って」

「真実から目を背けるか。それとも、僕と話をするか」


 長い沈黙は二人の間にだけ。話が読めないラインハルトの抗議も、名を呼ぶサリアナの声も関係ない。

 揺らぎ、震え、閉ざし。迷い、開いて、怯えながら。それでも、確かに頷いたペルデに覗くのは僅かな煌めき。

 紛うことなき、彼自身の意志。


「殿下。急用ができましたので、御前を失礼致します」

「あっ……ディアン!」


 縋られる前にペルデを追い抜き、後ろからついてくる足音に振り向くことなく前を急ぐ。

 

「ど、どこに、いくの」

「もう一人確かめたい人がいる。……君も知っておきたいはずだ」


 聞き返されないのは勘付いているからか、答えを放棄したか。

 後者であっても、現実は二人を待っているだろう。

 困惑する声を振り払う彼らの間に、それ以上の会話はなかった。


◇ ◇ ◇


 開放された扉をくぐれば、床は石畳からタイルの音に変わる。

 真っ直ぐに伸びる通路。天から降り注ぐステンドグラスの光。そして……自分たちを見守る精霊王の巨像。

 本物と寸分違わぬ造形に、実際にお目にかかったのがもうほぼ一年前とは思えずに目を細める。

 ここに来る度、無機質な目に見下ろされる度に思い出す幼少期は、ディアンに深い傷を残した。

 それを過ぎたことと昇華できたのも、半年前の婚約式があったから。

 図らずも似た状況、似た景色。期待と、好奇に晒される中で胸を張れたのは、エルドがそばにいたからだ。

 再びこの像の前に立つのは……それこそ、婚儀を結ぶ瞬間までないと思っていたのに。


「あら、いらっしゃいディアン君。ペルデも、おかえりなさい」


 先に気付いたミヒェルダが歩み寄り、穏やかな笑みを浮かべる。

 本来なら、彼女もディアンの変化に気付かなければならない。愛し子の証。ヴァールの加護。だが、ミヒェルダの対応はいつもの通り。

 彼女も記憶から補われた存在と考えていいだろう。一縷の望みに賭け、エルドのことを聞くのは後回しにする。


「こんにちは、シスター。グラナート司祭はどこに?」


 反応するのは背後。動揺するペルデの表情は、目に見えなくてもわかる。

 ディアンの過去に大きく関係し、なおかつ意識に強く残っている者のうち、異変に気付いたのはペルデとメリアだけ。

 共通点は未だ見出せず、全ては憶測。グラナートを尋ねたのも、確認よりも可能性に賭けた意味合いが大きい。

 もしかしたら、彼もそうかもしれない。もしかすれば、違うかもしれない。

 ペルデにとっても、グラナート自身にとっても、望むべきは後者。

 ディアンにとって頼れる相手が減ることより、彼まで巻き込んでいないことの方が望ましい。

 ただでさえ、彼の家族を。彼の守りたかった人を、自分のせいで何度も危険に落としているのだから。

 これまでも。そして、今も。


「司祭様なら……」

「私ならここですよ」


 柔らかな声に強張ったのはペルデで、ほんの少し動揺したのはディアンだ。

 別れを告げてから、まだ数日。もう会わないと思っていた相手と意図しない再会。

 夢とわかっても意識してしまうのは、最後に交わした会話のせい。

 呼吸を整え、向き直る。穏やかな表情も、少しだけ細まった目蓋も。隙間から覗くデヴァスの証も、どこか懐かしさを覚える。

 どんな時でも快く迎え入れてくれた彼に、どれだけディアンは救われてきただろうか。

 自身の贖罪から来る行為であっても、彼がいたからこそディアンはあの日まで耐えることができたのだ。

 彼の言葉があったから、諦めることができた。……そして、エルドに出会えた。

 頂いた恩に対して、ディアンが返せたものはあまりに少ない。

 滲む罪悪感を振り払い、改めて向き直る。

 この感情も、幻覚ではなく、本物へ抱くべきものだから。


「おかえり、ペルデ。一緒に帰ってくるとは珍しいな」

「……っ」


 視線は確かに交差し、すぐにペルデへと逸れる。その一連が事実を突きつけ、歪な呼吸が鼓膜を揺する。

 抱いたのは本物が無事である安堵と、味方が少ないことへの落胆。そして、今からペルデを説得することへの緊張。


「ペルデに相談したいことがあって。中にお邪魔しても?」

「……ええ、構いませんよ」


 僅かな戸惑いは、それこそ珍しさからだ。

 ペルデに相談することも、彼が承諾することも。彼の部屋に入ることも、これまでなかったこと。

 夢特有の理不尽さを無意識に受け入れるのとは違う。漠然としたのではない、筋の通った理屈。

 この夢がどこまでディアンの記憶と意識を反映しているかはわからない。だが、やはり違和感がないのは、整合性を取ろうとしているのだ。

 ……まるで、現実に代わろうとするように。


「話すのは君の部屋でいい?」


 僅かに硬直した後、早足で進むペルデの後を追いかける。

 慣れた廊下から、見慣れない場所へ。司祭たちの居住空間へ入り、先導されるまま階段を進む。

 見える景色。触れる感覚。全てに違和感はなくとも、疑問は浮かぶ。

 先述の通り、ディアンはペルデの部屋に上がったことはない。ならば、そこに繋がる道だって同じように。

 想像しようもない未知の空間を、どうやって再現したのか。

 答えを出すよりも早く、扉が開く。初めて入った中は、少なくともディアンの自室よりは物が多かった。

 簡素なベッドと、白いカーテン。本棚の隙間を埋めるのは、木製の置物や雑貨の類。

 道中、視界に入り続けた蒼色を見かけないのは、意図して排除しているのかもしれない。

 この頃から、無意識にでも彼は離れることを考えていたかもしれない。

 荒い音に顔が戻る。


「なんで……っ……!」


 イスはなぎ倒され、部屋の主人は机に手をつき、うなだれたまま。

 問いはディアンに向けたものではない。

 今まで堪えていた感情をまだ抑え付けようと足掻き、机に食いこむ爪が異音を立てる。

 本当にひどい悪夢だ。ディアンにとっても、ペルデにとっても。


「……ペルデ」

「なんなんだよ、いったいっ……なんでみんなっ……!」

「ペルデ、落ち着――」

「落ち着けるわけないだろっ!」


 勢いよく振り返った榛がすぐに逸れる。バツの悪い顔は、部屋の外……いや、グラナート司祭に聞こえることを危惧しているのだろう。

 本堂から離れているが、様子を見に来ないとは言い切れず。邪魔されることはディアンとしても避けたいと、扉に触れて魔力を集中させる。

 ……夢の中でも、魔術は使えるようだ。


「声を出しても問題ない。今、防音魔術を張ったから」

「なんっ……」


 疑問は消え、唇が閉ざされる。改めて向けられた瞳は、これまで恐怖に支配されていたものとは違う。

 得体の知れないバケモノではなく、確信を持って、人ではないと断言できるもの。

 恐怖も、嫌悪も、怒りも。全てを込めた視線へ向き直る。

 そう、ディアンは向き合わなければならない。

 自分の過去にも、彼の感情にも。この悪夢から出るために。


「僕が知っていることを全部話す。ここは――」

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