358.望まぬ再戦
照りつける太陽。広がる青空。響く金属音。記憶になぞった景色。
ペルデの反応を除けば、学園の生活はディアンの思い出通り。
教師の顔ぶれ。授業の内容。時折聞こえる囁き。念のためラインハルトを観察していたが、抱いた結論は同じ。
試合を眺めながら友人と話す姿に違和感はない。ディアンを意識している様子もなければ、過剰に避けていることも。
ラインハルトに限らず、他の者も同様に。違うのは、今もディアンの視界に入らないと位置取るペルデだけ。
午前の授業は何事もなく終え、午後は生徒同士の模擬戦のみ。これが終われば、今日の授業は終了となる。
ペルデ自身、自分とは関わりたくないだろう。
ただでさえ嫌悪していた相手に現れた変化を、周囲は指摘することなく受け入れている。
逆の立場なら困惑するし、恐怖も抱く。その相手が自分から接触してくるなんて、ペルデにすれば耐えられないだろう。
メリアの様子と合わせて考えれば、記憶はないだろう。突拍子もない話を信じてもらえるとは考えにくい。
だが、彼が本物である可能性が出てきた以上、ディアンは接触する必要がある。
ここは夢だと知っている。仮初めの世界。与えられるべきではない環境。
件の精霊が、なんらかの目的のためにディアンを引き入れ、ペルデは再び巻き込まれた。
そう、平穏は既にない。彼がここにいる時点で、ペルデの選択は奪われてしまったのだ。
ディアンのせいで再び。意図せずとも、ディアンが原因で。
滲む怒りは、この事態を引き起こした精霊と、自分自身に対して。
あの時、ディアンがペルデにできたことは、ペルデの選択を阻害しないことだけだった。
彼とグラナートの関係を知り、アンティルダの本来の目的も開示され。婚約式に伴い、全ての清算を行うことを。
彼が聖国から離れることを望み、ディアンの存在を忘れたがっていることも。ディアンは知り、そのために知らないふりをした。
何も知らないことで、ペルデが自らの道を選べるように。誰にも遮られることなく、彼が悔いのない道を選べるように。
これ以上、彼が巻き込まれないように。彼の納得できる道であるように。
今さらだと罵られようと、怒りを抱かれようと。
どれだけ恨まれようとも、ペルデに対してディアンができたのは、本当にそれだけだった。
ペルデが望んだのは、ディアンと関わらないこと。そんな些細な願いを、再び壊してしまった。
そして、また。ディアンは彼の日常を壊す。
彼にとって平和だったかもしれない生活を。今度は、自らの意志で。
彼の心境を思えば、関係をもたない方が幸せだろう。当時の望み通り、平穏な日々を過ごさせるべきなのかもしれない。
だが、それは現実であればの話。
過去はやり直せない。夢はどこまでも夢であり、本物ではないのだ。
かつて、自分が認められなかったように。ペルデもまた、自分に巻き込まれた過去は消せない。
どれだけ精巧になぞろうとも。どれだけ理想に近く偽ろうとも。なにもかもが望んだ通りになったとしたって。
ディアンの知っているペルデは受け入れないと知っている。
その選択だけは、決して選ぶことはないと。
「――聞いているのか、ディアン!」
呼びつける声に意識が戻る。集まる視線。開かれた道。気付けば剣の打ち合う音は途切れ、彼らが立っていた場所で金色の影が動く。
太陽の光を浴び、輝く姿。向けられる視線は冷たく。そんな些細な光景すら、かつての光景と重なり合う。
「なにを呆けている、早くしろ!」
怒鳴られ、重く感じる足を動かす。いや、足だけではなく、腕も頭も鈍く、僅かな不快感に襲われる。
剣を握ればより強まる違和感は、久々に柄を握ったことも関係しているだろう。
王宮に入ってから剣を振る機会は失われ、握ったとしてもこの頃に比べれば遊び程度。
時間がなかったのもあるが、ディアン自身に意欲がなくなった方が大きい。筋肉こそ当時に戻っているが、同じように立ち回れる気はない。
だが、圧迫感にも似た感覚はそれだけではないと、好奇の目を受けながら進む足がまた一つ、重く感じる。
……この時点で、負荷魔法がかけられているのだろう。
在学中、ずっと。教師たちは王命により、ディアンを妨害していた。入学してから六年間も、ずっと。
実際は藻掻き、苦しみながらも自分のために努力し続けるディアンを占領したいというサリアナの欲望によって引き起こされたことだ。
ノースディア王はサリアナから垣間見える精霊の力を畏れ、ディアンを犠牲にすることで平穏を保とうとした。
彼もまた、精霊王と結ばれた盟約の被害者と言える。
今さら恨む気持ちはない。ただ、困惑しているだけだ。
ディアンにとっては決別した過去が、繰り返されようとしている。
記憶をなぞるのなら負けるべきだろう。いつものように剣を取り落とし、膝をついて、嗤われる。
事実を知った後でも、突きつけられてきた流れを覆そうとは思わなかった。仕返しだとか、怒りだとか、そんな感情だってない。
繰り返すが、ディアンは困惑しているだけだ。……その、あまりにも弱い妨害に。
当時はもっと重かったはずだ。
指一つ動かすのさえ億劫になるほどに。肺が押し潰されて、呼吸さえままならなくなるほどに。
向けられる切っ先を避けるのが精一杯で、本番ならすぐに死んでいたと、誰の目にもわかるほどに。
たしかに怠いし、重い。思考も良好とは言い難い。でも、やっぱり弱いのだ。
原因を探るよりも先に、ラインハルトと対峙する。
睨み付ける蒼、向けられる切っ先。照りつける太陽の下、重なるのは薄暗い光景。
自分の死を望み、確固たる覚悟をもって向き合った瞳に比べれば、気迫が足りない。
状況が違うのだから当たり前だと、持ち上げた剣から与えられる懐かしさ。馴染まない柄の違和感。打ちつける鼓動。
――開始の宣言。
迫る刃を受け流した腕が、唐突に軽くなる。足の重さも、息苦しさも、頭の奥に鈍く巣っていた感覚さえ。
疑問を抱く間もなく煌めく光を追いかけ、後ろに下がることで追撃を交わす。
突き出された剣先に対し、軸をずらした身体は利き手と逆に距離を取る。
怪訝に歪められる青は自然な反応だ。二撃目までは偶然でも、当時の自分なら最後の突きで転がされていた。
万が一耐えたって、こうして距離を取ることはできなかっただろう。
だが、記憶と違う行動に、ラインハルトの反応を確かめるには、今が最たる好機。
不快感は消え、手足は軽い。教師の顔が強張るのを盗み見て、負荷がとけていると気付く。
違う。ディアンが無意識に払いのけたのだ。
だって、これは人によって与えられた影響。今のディアンが、抵抗できないはずがない。
自覚がなくとも、無意識に刻まれたもの。
ヴァールの愛し子。精霊の伴侶とは、そういう存在なのだと。
「こざかしい真似を。時間稼ぎのつもりか? 受け流すだけでやり過ごそうと?」
繰り返される攻防。その時間が長引くにつれて周囲から戸惑いが漏れ、比例して向き合う青に苛立ちが混ざる。
相手の体力を消耗させる目的で避け続けるのはよくある手法だ。
馬鹿の一つ覚えと罵られても否定はしないが、攻撃に出られないのは他の理由から。
「お前の狙いはわかっている。それがいかに無駄であるかもな!」
ラインハルトの真偽を見極めるのは、もう終わっている。やはり、彼はディアンの記憶から生み出された幻だろう。
ならば続ける意味はないと、力を抜きかけたところで剣先が迫る。甘んじて受けようとした一撃がディアンの首を狙わなければ、勝敗は決していただろう。
明滅するのは、かつての記憶。殺気迫る青を垣間見て、反射的に弾いた隙は、あまりに大きい。
翻る刃。心臓に迫る凶器。命を奪われかけた瞬間が蘇り、振りかぶった剣の勢いに、漠然と浮かぶ事実。
――これは、ダメだ。
音が響く。地に倒れた鈍い音とも、まともに受けてしまった骨の悲鳴でもない。甲高く、歪で、耳を塞ぎたくなる金属音。
徐々に遠ざかったそれは、空気を裂く音へ変わり。やがて、離れた位置にカランと落ちる。
空を反射する剣身。根元にあるべき柄は、ラインハルトの手元に留まったまま。
当時の自分なら、すでに倒れていた。もし当時のままでやり直したとしても……剣を折るまでは、できなかった。
ただの授業とわかっていた。剣筋こそ急所を狙っていたが、本当に死ぬわけではないことも。
それでも、ディアンが振り上げた一撃を受けていれば、ラインハルトは無事ではすまなかっただろう。
無意識だからこそ、制御できなかった。
伴侶の教育が始まってから、明確に危機に陥ることがなかったのも、自覚できなかった要因だ。
訓練こそ人一倍努力したが、剣を折るほどでは決してなかったはずだ。
ましてや……殺めてしまうと自覚するほどの力なんて。
遅れて恐怖が滲む。夢とわかっている。本物ではないと理解している。
今は訓練だった。でも、あの時のように襲われていたら。
命を狙われ、反撃し。……正当な理由でも、殺すしかなかったら。
騎士となれば、主人を守るために人を殺めることもある。かつてディアンが望まれたのはそういう道だ。
その覚悟をもって努力をしていた。いや、覚悟していたつもりだった。
震える指は、負荷魔法の影響ではない。自分が望まずに誰かの命を奪う恐怖から。
伴侶としての教育の合間、エルドと戯れに剣を交えたことを思い出す。
あの時も、そして今も。かつて抱いた結論を、再び噛み締める。
……自分に、誰かを傷付けることはできない。
誰かを守るためならば。生きる為ならば。そう思って、実際に抵抗できたのは一度だけ。
それでも、退けるのが精一杯で、命を奪うことはできなかった。
しないのではなく、ディアンにはできない。
いかに鍛錬を積もうと、何度危険な目に遭おうとも、ディアンにはできなかったのだ。
ああ、なれば、やはり。自分は騎士にはなれなかった。
父の願う理想の姿には、決して届かなかったのだ。
再び突きつけられた事実に浮かぶ笑みは、自分自身を嘲るもの。
それでも、過ごしてきた過去を無駄だとは思わない。
これまでの努力も、思いも。ディアンを愛する人は、認めてくれたのだから。
だからこそ、ディアンは目覚めなければならない。
エルドの元に戻るために。この悪夢から、絶対に。
「しょ……勝者、ディアン!」
一礼し、元の場所へ戻る間も周囲の声は止まらず、さざ波のように広がり続ける。
事実の整理はできた。そして、意図しなかったとはいえ、これだけの変化を起こしてしまった。
もう認めるしかないだろう。明らかな異常も、狂い始めた日常も。疑問も、恐怖も、気のせいでは片付けられない。
一度閉じられた瞳が、前を見据える。
無数の視線の中。紫に宿る強い意志は、唯一顔を背けるペルデを捉えていた。
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