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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
~擬似転生編~

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355.☆逃げられなかった者

次回からディアン君視点に戻ります。

「随分と余裕そうだな」


 少しの呆れと、それ以上の皮肉。独特の声色に顔を向けた時点で、聞いていなかったと肯定するのと同じ。

 取り繕ったところでこの男にはバレていたと眉を寄せて、せめて表面上だけでもと抵抗するペルデを貫く赤は、やはりお見通し。


「それとも、お前には難しい内容だったか? ならば、非は力量を見誤った俺にあるな」

「……個人的な意見ですが、話を聞く限り問題はないと思います。聖水に関しては、引き続き経過を観察すべきかと。閉鎖した採掘区について続報は」


 見上げる赤から、正面へ。低い位置で頭を下げるのは、この半年ですっかり見慣れてしまった相手だ。

 いや、慣れたというのは彼の頭頂部であり、正面から見たのは数える程度。

 差が大きいのは身長ではなく、ペルデと彼らの地位であろう。

 この扱いにも随分馴染んでしまったと、再び思い返そうとする思考は、強張る声によって引き戻される。


「侵入を試みた形跡がいくつか。また、周辺の村町が襲われた報告はありませんが、引き続き警戒します」

「予想できたことだ、未然に防げるものでもない。他の採掘区では?」

「一部は斡旋に納得していますが、大半は……」


 予想通りと小さく吐かれた息は、ペルデの耳にしか届かない。

 結局できることはないと再確認し、下がらせた男の姿を見送る間もなく、列がまた一つ前に進む。

 だが、次の報告よりも先に真横から影が伸び、髪飾りの揺れる音に目を瞬かせる。


「少し休む。お前たちも楽にしろ」

「ジアード王、なにを……」

「お前もだ、ペルデ。ついてこい」


 まだ始まって一刻と経っていない。普段を考えれば休むにはあまりにも早すぎると、咎める間もなく進む男を他に引き止める者はいない。

 戸惑いこそあれ、否はない。むしろ抱くこと自体を恐れているように俯くのは、ペルデの視線からも逃げるため。


「早くしろ」


 溜め息を呑み込み、逆に咎める男を追いかける。早々に廊下を出れば、頭を垂れる従者たちの列を横目に外へ繋がる回廊へ。

 少し、というには長い距離に今さら疑問も抱かない。問うたところで誤魔化されるのは、わかりきっていること。

 吹き抜けから覗く街の光景。王都から海は遠く、馬を使っても半月はかかるとはいつ聞いた話か。

 王宮から出ないのは、あちらにいた頃と変わらない。

 門を使えばほんの一瞬。今の自分なら、目眩に襲われることもないのだろう。

 それを確かめる気もないはずなのに、今になって思い出すのは……。


「あの程度で疲労するとは。やはり、今のお前には難しかったようだな」

「……わかってて言っているんでしょう」


 外から前に。いつの間にか立ち止まっていた男を睨めば、緋色が目蓋の奥で歪む。

 かつては父に重ねた瞳も、今では見間違うことはない。

 炎のように熱くとも、鮮やかではない。煮詰められた血のように深く、されど褪せることのない命の光。

 従者たちが怯えるのも無理はないと、かつて恐れた紫を思い出して……また、繰り返した思考に、今度は隠すことなく息を吐く。


「俺は休むと言ったはずだが」


 細めた目は明らかな不満を現すものだが、それはペルデの吐息ではなかったらしい。


「……執務中ですから」

「あれだけ騒いだ姿を見せた後で、なにを今さら。そもそも、その口調は好かないと前にも言ったはずだが? 余計なことは思い出すくせに、肝心なことはすぐに忘れるか」

「あんたの煽り癖はずっと変わらないけどな」


 それこそ半年前の話だなんて反論すれば、何倍にも返されるだろう。

 来た当初は確かに……まぁ、色々と騒いだが。慣れてきたからこその体裁というのもある。

 仕事中だけと言い伏せるまでに一悶着あったが、問題なかったのは、日中のほとんどが仕事に割り当てられていたからだ。

 こうして途中で休んだ記憶は、少なくともペルデにはない。


「お前が挑発と受け取るなら、心当たりがあるということだ。……お前こそ、下手に意地を張るのは変わらんな」


 ふ、と笑う息は馬鹿にしているとも、生暖かいとも捉えられ。思わず睨んだ榛は、数秒と経たずに閉じられる。

 否定も、肯定も、意味はない。すでに知られていることだ。

 どれだけ完璧に隠せても、突かれればすぐに露見していただろう。

 いや、この男でなくても、事情さえ知っていれば簡単なことだ。

 アンティルダに来てから半年。教会から離れてからも、半年。

 ……そして、ペルデの恐れたバケモノの婚姻まで、あと数時間もないのだから。


 あまりにもめまぐるしい日々だった。

 慣れない土地。慣れない扱い。割り切れないこと。振り払いたいもの。

 到底穏やかだったとは言えないし、今も問題は山積みだ。

 一応は伴侶となり。彼の補佐として働きだしてから、悩む間もないほど輪をかけて。

 聖水を土地に馴染ませるための試験運転。輸出していた鉱石を禁止するために封鎖した炭鉱区により生じた諸問題。解雇された関係者らの新たな働き口の斡旋と、周辺地域の被害状況。

 その他、慢性的な問題も合わされば、猫の手を借りても追いつかない。

 目も回るほどに忙しいなんて、比喩じゃないと知りたくはなかった。

 ペルデでさえそうだ。ジアードなら、なおのこと。

 休んだ姿を見たのは夜の僅かな間だけ。それほど時間に追われているのに、わざわざペルデを連れ出してまで休むといったのは……この男なりの、優しさなのか。

 相変わらずわかりにくいとしかめた眉も、彼には都合よく見えたらしい。


「言っておくが、戻りたいわけじゃない」

「あれだけ喚いていたのに?」

「突然誘拐されれば誰だってそうなるだろ」

「移動の手間を省いてやっただけだ。文句を言われる筋合いはないな」


 今思い返してもひどかった。

 ろくな会話も許さず、無理矢理門に引き摺り込んで、一日たりとも王宮から出さないどころか過剰労働まで。

 だが、誘拐犯はむしろ感謝すべきと言わんばかりに鼻で笑い、ペルデを煽ってくる。

 この男の悪癖は今に始まったことではないが、今後を思うと少し憂鬱ではある。そのうち頭の血管が千切れるのではと不安に思うほど。


「……ああ。少なくとも、来てよかったと思ってる」


 だが、今のペルデが抱くのは怒りでも不満でもないと口にすれば、僅かに深緋が開かれる。

 素直に口にするとは思わなかったのか。そこまで捻くれたつもりはないと、文句こそ浮かんでも言うつもりはなく。視線は再び外へ向けられる。

 広がる王都。果てのない砂漠。そして、今まさに祝福されているだろう光景。

 いつか見た婚約式の比ではない、誰もが待ち望んだ瞬間がおとずれているのだろう。

 あれを本物のバケモノに導いた精霊も、ずっと見守り続けてきた司祭も。そして、その一瞬のために、聖国にしがみ付いていた自分も。

 だが、もう戻りたいとは思わない。見届けるために行く気だってない。


「愛しい伴侶の願いなら、覗き見ぐらいはさせてやれるが?」


 望めば本当にするだろう。希少な時間と、同じく希少となった媒体を用いて。なんの負担もないように、呆気なく。

 聖水を用いれば負担は減るだろうが、ペルデの憶測でしかない。

 確実に言えるのは、天秤はとうに傾いていることだけ。


「そんな時間と余力があるなら、他にあててくれ。遅れた分を取り返す方が気になって集中できない。それか普通に休んでくれ」

「休みなら今とっているだろう。仮とはいえ、夫婦水入らずでな」


 本当にどこまでも煽ってくる男だ。

 そもそも、遠巻きでも従者はいるし、兵士も待機している。顔が強張っているのは魔力にあてられたからか、会話の内容か。

 ……だが、そんな彼だからこそ、ペルデは確かに救われたのだ。

 肌を撫でる乾いた空気。纏わりつく熱気に、色付いた眩しさ。喧騒こそ遠くとも、音を吸いこむ雪は欠片もない。

 聖国とはなにもかも違う。今だって戸惑うことは多いし、全てが望んだ通りとは言えない。

 だが、ペルデは確かに解放されている。

 あのバケモノが精霊界に行くのは、終わりではなく一つの区切りだ。ペルデが人の道を踏み外そうと、耐えようとも、この恐怖とは一生付き合っていくのだ。

 再び目の前に現れることに。再び平穏を乱される予感に。来るかもわからない日々に怯え、いつの日か気が触れていただろう。

 完全な自由とは言えない。

 諦めたものも、諦めたつもりでまだ頭の中に残っているものも、手放したものも多い。悔いていないといえば、嘘になる部分もある。

 ……それでも、アンティルダの日々は、ペルデが望んでいた理想に最も近かった。

 少なくとも、精霊に脅かされることはない。

 逆に恐れられるようになるのは、さすがに想定外ではあったが。


「ああ、訂正しよう。そいつがいたな」


 そいつ、と呼ばれたことで思い出した存在が、抗議するように頬を叩く。すっかりこの妖精にも慣れてしまった。

 叩かれるまで違和感がなかったことも含めて怒っているのか、地団駄を踏む感覚まで伝わり、思わず笑ってしまう。

 落ち着くようにと頭を撫でてもしがみ付かれ、仕方なく手の上に。

 ペルデがアンティルダに来てから、彼女の定位置はペルデの肩に変わってしまった。

 気付けばちょこんと座っているのだ。あまりにも自然すぎて、存在自体を忘れかけるほど。

 聖国で見てきた光景と重ねるには無理があるが、ペルデが忌避していた状態に近づいているのかと思えば、あのバケモノを咎めることはできず。

 もっと言うなら、彼女の状態がわかるようになっている時点で、ディアンより詳しくなっている可能性だってある。

 最初は聖水の魔力に戸惑っていたようだが、今は少しずつ馴染んできたらしい。

 そろそろ羽が生える時期だが、そのうち調整せずとも済むようになるかもしれない。

 そうなっても、彼女は自分の肩に座っているのか。ジアードの周りを飛び回るのか。

 どちらもあり得そうだと、小さな頭を撫でてからジアードの元へ返す。


「もういいだろ、戻るぞ」

「休めと言ったり、働けと言ったり。統一性がないな」

「俺でからかうぐらいなら早く終わらせろよ。この調子だと日が暮れる」


 気分転換ならもう十分だ。集中はできそうにないが、これ以上仕事を止めるわけにもいかない。

 そもそも、先ほども話は聞いていたわけだし。


「お前にもわかる程度に話を簡略化させれば、そうなるな」

「だからあれは――」


 まだ言うかと噛みつきかけて、それこそ男の思うつぼだと思い返し。

 だが、自制よりも早くペルデの口を塞いだのは、強い魔力の気配から。

 一気に肌が粟立ち、同時に見やった先に変化はなく。だが、確かに与えられる違和感。

 否、それはペルデが視認するよりも早く、既にそこにいたのだ。


「伏せろ!」


 叫びと同時に響く甲高い音は、頭上で張られた障壁と、本能からの拒絶。

 胃の中がせり上がる不快感。クスクスと笑う声。揺さぶられ続ける視界。伏した身体が目眩の中で捉えたのは、黒い不定形のなにか。

 靄のように見えて、しかし確かな意思を持って襲いかかるそれを、ペルデは覚えている。


「ジアード王!」

「下がれ! お前たちが耐えられるものではない!」


 耳鳴りの中、叫ぶ声が反響する。

 倒れる従者の姿を、庇う背中越しに見る。

 間違いない。半年前、ペルデは同じモノに襲われ、命を落としかけた。

 ディアンを襲った時も、門から現れたはずだ。

 アンティルダに門は設置されていないのに、なぜ。


「ジアードっ……!」

「動くな! お前は意識をたもつことだけ考えろ!」


 耳鳴りがより強く、甲高く鼓膜を揺さぶる。

 靄と自分たちを遮るのは、ジアードの張った障壁のみ。それも圧倒的な質量に押し潰され、大きく揺らぐのを見てしまう。

 圧されているのは、ジアードの力が及ばないからではない。この半年で、靄の魔力が増しているのだ。

 誰よりも対処を知っているジアードでさえも、防げないほどに。

 だが、なぜ。なにが目的で、ここに。

 アンティルダが襲われているのだ。あのバケモノが襲われていないはずがない。

 仮にディアンが捕まったとして、なぜペルデまで狙おうというのか。

 狙いがわからない。ハッキリとしているのは、取り込まれてはならないという事実。

 だが……!


「ジアード、やめろ! お前まで取り込まれる!」

「黙っていろ!」

「お前が死んだらアンティルダはどうするっ!」


 この国で。この精霊の加護のない土地で過ごして。ジアードがいかに必要な存在か、ペルデは知ってしまった。

 死にたくはない。だが、それ以上に失うわけにはいかないのだ。

 助からないのならば。死んでしまうのならば。せめて、自分一人だけで。

 この男を、失う訳には、いかない。


「残された民はっ……アンティルダの意思はどうなるっ! あんたが消えたら、すべてが――!」


 呼びかけは、男を説得するためのものだった。自分()を切り捨て、()を守れと。

 たとえ愛し子であっても、伴侶であろうとも。アンティルダ(ジアード)の代わりはいないのだと。

 男の精神を揺する言葉は――皮肉にも、決定打となってしまったのだ。

 僅かな隙間をこじ開け、勢いよく入り込んだ靄がペルデの身体を貫く。

 痛みはなかった。あるいは、そう認識する思考ごと、溶けてしまったのだろう。

 身体が弛緩し、意識が微睡む。

 柔らかく、温かな。どこまでも優しくて、だからこそ恐ろしいはずなのに、抗えない。


「――ペルデ!」


 ……そんな声、初めて聞いたな。

 もうなにも見えず、自分が座っているのか、倒れているのかさえもわからない。

 恐怖も、焦りも、すべてが溶かされて。吐き気も、嫌悪も、なにもなかったことにされて。

 それでも、最後に思い浮かべたのは。確かにペルデ自身の感情だった。


◇ ◇ ◇


「ジアード王! ご無事ですか!」


 時間にして、数分。予見していた襲撃は、想定以上の被害をもたらした。

 胃が込みあげるほどの嘔気と、定まらない視界。遠のきかけた意識は、寸前のところで現実に引き止められていた。

 駆け寄る兵士を手で制し、気配を探る。もう、忌まわしい精霊の気配はない。

 当然だ。アレの目的を果たされ――ペルデは、奪われたのだから。


「ペルデ様! ペルデ様!」

「っ……退け、触れるな」


 本来なら、立つこともままならない状態。それでも男の足を進ませたのは、王としての矜持と、愛し子に対する感情。

 己の妖精がしがみ付くペルデの顔は、一見すれば死人のように。息をしていなければ、絶命したと断定しただろう。

 これまでとは違う。呼びかけただけでは戻らない。予感ではなく、精霊としての確信。

 比喩ではなく、事実として。あの靄は、アンティルダ(精霊)からペルデ(愛し子)を奪ったのだ。

 耐えがたい喪失感と、込みあげる怒り。されど、後者は守り切れなかった自分自身に対しても。

 歯を噛み締め、冷たくなった身体を抱き上げる。

 防ぐことはできなかった。だが、まだ手は打てる。

 襲いかかった魔力は、ジアードをもってしても耐えられるものではなかった。それなのに、なぜ自分が無事でいられたのか。

 浮かぶ疑問も、後悔も、すべてを振り払い。立ち上がったジアードの声は、平素と変わらぬ冷静なもの。


「聖国の門を開け。早急に」


 ――されど、瞳に宿る深緋は、すべての元凶への怒りを携えていた。


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